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大野修一(日本財団)
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マレー鉄道の終着駅、タンジョン・パガールで食事 [2011年06月20日(Mon)]
6月20日(月曜日)
羽田発23時50分の飛行機は、朝6時にシンガポール・チャンギー空港に到着した。シンガポールにはこれまで何十回と来ているが、早朝の到着は恐らく初めて。
7時間ほどのフライトの間、眠れたのはほんの数時間だったので、空港からタクシーでホテルに直行、ベッドで寝直す。
午後1時、バンコクから昨日シンガポールに着いたというAPCDニノミヤ所長と一緒に打ち合わせを兼ねてホテル内で昼食。
夜7時、音楽プロデューサーのケン・タンさんが迎えに来てくれ、彼の車でレストランへ。中国系のタンさんが案内してくれたのはチャイナタウンの裏手にあるタンジョン・パガールにある、彼の行きつけの中華料理店。
この地区はリークアンユー元首相の選挙区。マレー鉄道の終着駅のある場所としても知られる。(尤も、現地紙によれば、ついにマレーシア政府とシンガポール政府の間で妥協策がまとまり、この駅は6月一杯で廃止されるとか)この辺りは、植民地時代の旧市街の町並みが保存されており、洒落たレストランやバーなどが集まるエリア。私が最近何度か足を運んだ、プラナカン料理で有名なレストランがあるのもこの地区だ。
タンさんとは、今年の4月、バンコクで指揮者の福村芳一さんや、ASEAN 事務局の高官であるラジャさんらと、会って以来。その後の、ASEANオーケストラの進行状況について報告。実際は、今年の議長国インドネシア政府の出方待ちのまま何ら進展がないのだが、、、。インドネシア政府がASEANオーケストラ開催に手を挙げたばっかりに、我々の方から動くことが出来ない状態に陥っている。このままでは、時間切れになってしまう。
   
                <植民地時代の町並みが美しいタンジョン・パガール>

6時00分 シンガポール着
13時 APCDニノミヤ所長
19時 音楽プロデューサー ケン・タンさん
初めての羽田新国際ターミナルからの出発 [2011年06月19日(Sun)]
6月19日(日曜日)
6月に入って2回目の出張の主目的は、IDPP(障害者大学院大学)のパートナー候補校訪問団に加わって、シンガポール、インドネシア、マレーシア、フィリピンに行くことと、来週の火曜日からバンコクで開かれるInclusive Businessに関する予備会議に参加すること。
元々は、バンコクでの会議に参加する予定でいたところに、急遽、IDPPの訪問団への参画を求められたことから、二つをくっつけ、通しで12日間の出張となったもの。
シンガポールでの最初の会議が火曜日となったことから、月曜日の夕方に着く、いつもの成田発の便でいくことを当初は考えたが、音楽プロデューサーのケン・タンさんと会わなくてはならなくなったので、月曜日の朝に到着する、羽田発の夜行便で飛ぶことにした。
自宅が羽田に近く、羽田経由が便利なのだが、私は夜行便が好きではないので、新国際ターミナルが出来た後も、これまで、帰国時に2回ほど使っただけ。出発便での羽田利用は、今回が初めての経験。
日曜日の夜であったためか、自宅からのタクシーは空港まで30分もかからなかった。


23時50分 羽田発
帰国 [2011年06月10日(Fri)]
6月10日(金曜日)
いつものように、早朝5時過ぎにホテルをチェックアウト。朝8時の便で帰国。

ミャンマーのシャン州で撮った少数民族の人々の写真を紹介する。


                      <シャン州の少数民族パオー族の女性たち>

                       <パオー族の子供たち>

                       <男たちの必需品 赤いシャンバッグ>

    <通学中の男子生徒たち 緑のロンジーが制服 手に弁当箱>
     
                                <トラクターがタクシーの替わり>           

     
5時15分 ホテル出発
8時15分 バンコク発
16時25分 成田着
ウッドさんと王立チャトモック劇場を下見 [2011年06月09日(Thu)]
6月9日(木曜日)
                    <王立チャトモック劇場の前の通り>

今日はバンコクに移動する日。午前中に、中嶋君とチャリティーコンサートの会場となる王立チャトモック劇場へ。
昨日、文化大臣が協力を確約してくれたので、プノンペン市内で一番立派なこの会場が確保出来ることははっきりしたが、チャリティーのための様々なイベントを行うための場所の確保などを考え、一度、座席数も含めて内部の構造を下見しておく必要があったためだ。我々より先に来て待っていてくれたウッドさんと一緒にあちこち見て回っていると、王立芸術大学の学部長や、カンボジア盲人協会のブンマオ事務局長らがやって来た。

                    <500人以上を収容する劇場の内部>

一旦ホテルに戻り、佐竹教授らと昼食を取ってからホテルをチェックアウト、一人、プノンペン空港に向かう。空港に着いてチェックインの際、予定していたバンコク行きの便が、小型機に変更された、と説明される。恐らく、バンコクからプノンペンに来た時以上に乗客が少なく、機材を有効に使うため機種を変更することになった、ということであろう。しかし、それにしても、飛行機に乗り込んで驚いたのは、いつものエアバスと比べると定員が3分の1以下の78人という本当に小さなATR72になっていたこと。
                    <小型機ATR72に機種変更>

バンコクに到着。バンコク市内は7月3日に予定されている総選挙のポスターが溢れていた。日本の選挙ポスターの何倍もの巨大なサイズのものが、道路際にいくつも並ぶ様は壮観。
それにしても、タイ貢献党から出馬したタクシン元首相の妹のインラック候補の笑顔の爽やかなこと。確かに、理知的な美人顔である。対するアビシット現首相も、オックスフォード大学卒業の若くてハンサムな首相として知られる。美男と美女の対決という構図か。
カンボジアのフンセン首相とタクシン元首相が極めて親密であったことを考えると、インラック候補が首相になれば、カンボジアとの和平交渉にも好影響が期待できるというのなら、それも良いのかも、、、。
夕食は共同通信社バンコク支局の沢井支局長、植田記者らと。

                    <インラック候補の選挙ポスター>

9時 チャトモック劇場下見
12時 佐竹教授らと昼食
13時 ホテル出発
15時30分 プノンペン発
16時40分 バンコク着
18時半 共同通信社バンコク支局沢井支局長
福村芳一さんと文化大臣を表敬 [2011年06月08日(Wed)]
6月8日(水曜日)  
                  <保健省はこの総理大臣官邸の荘重な建物のすぐ裏>

朝11時、カンボジアトラストでカンボジア障害者法制定の仕事をしている弁護士のジョン・ハニーさんと会い、チャリティーコンサートのウッドさんとの契約のことや、月末にバンコクで行う障害者問題のミーティングのことなどで相談。
その後、12時前にホテルを出て総理大臣官邸の裏にある保健省へ。佐竹教授、モナ副大臣やイムヤン事務次官らとの会合に1時間だけ顔を出したあと、一人抜け出し、福村さんを迎えに彼のホテルへ。一緒に、文化省へ向かう。
                            <文化大臣と面談>

チャリティーコンサートの募金集めの責任者に就任したウッドさん、指揮者の福村さんの3人で大臣に面談。先方は、文化大臣の他、副大臣や事務次官、国際局長、国立芸術大学の音楽学部長など関係者が勢ぞろいして迎えてくれた。大臣からは、「今回のチャリティーコンサートは、カンボジアの音楽界の発展に役立つものである。オーディションには文化省として協力を惜しまない」との発言があり、前回、中断したままになっていたオーディションの続きを行えることになった。
                    <プノンペン市内は今日も34度>

文化省での会議を終えて、日本に帰るという福村さんと分かれる。私は中学校の教員の卵に対する奨学金供与と、ラジオによる英語教育放送事業を実施している現地NGO「ESC-Kizuna」の理事会へ。名誉会長のブンサンボ官房副長官や、特別顧問の篠原前日本大使らと来年度予算や運営方針について協議。「ESC-Kizuna」の理事会を終えて日本料理店で夕食会。
夕食会のあと、ホテルに戻る。そこへ昨年、マニラで実施している国連平和大学修士コースの卒業生のカンボジア人、ケオさんがやって来る。チャリティーコンサートを手伝ってくれる、というのでホテルの部屋で打合せ。
                    <すっきりした夏空が広がる>

11時 ジョン・ハニー弁護士
14時 保健省
16時 文化大臣表敬  
17時 ESC-Kizuna理事会
19時 夕食会
21時 国連平和大学卒業生ケオさん
ヤンゴンからプノンペンへ [2011年06月07日(Tue)]
6月7日(火曜日)
                             <ヤンゴン空港は雨>

朝8時、ホテルを出てセイダナーの白木さんと一緒に空港へ。車の中で、学校建設事業の今後の進め方など、あれこれを相談。
空港について、飛行機の出発を待つ内に雨が降り出す。飛行機は定刻に出発。雨雲の下にヤンゴンの街を見ながら上空へ。
                       <雨雲の下にヤンゴン市内を望む>

バンコク空港で、プノンペン行きの便に乗り継ぐ。乗り継ぎ時間は1時間半程しかないので、搭乗口に急ぐ。ところが、搭乗予定時間になっても人の姿が殆ど見えない。不安になって係員に確認したが、搭乗口が変更になったわけではない。
未だに、解決の道筋さえ見えないまま泥沼状態が続くタイとカンボジアの国境紛争が、ここまで両国間の人の動きに影響を及ぼしているのだろうか。

                       <プノンペン便の搭乗口はがらがら>

ほぼ定刻の午後3時前、プノンペンに到着。暑い。気温は今回の旅で最も高い、34度。
ホテルにチェックインして、一足先にプノンペン入りしていた日本財団の森グループ長や、担当の中嶋君と合流。カンボジア盲人協会(ABC)へ。ブンマオ事務局長らと、チャリティーコンサートの打合せ。英国人のチップ・ウッドさんの募金集め担当責任者就任で合意。
夜は、チャリティーコンサートでの指揮をお願いしている福村芳一さんや齊藤マネジャーに加えて、伝統医療事業の件で来てもらった佐竹教授にも加わってもらい全員で夕食。
                       <プノンペン空港に着いた>
     
8時 ホテル出発                
9時50分 ヤンゴン発
11時45分 バンコク着
13時30分 バンコク発 
14時40分 プノンペン着
16時半 ABCでのチャリティーコンサート打合せ
19時 佐竹教授らと夕食
ヤンゴン市内のラッシュアワー [2011年06月06日(Mon)]
6月6日(月曜日)
朝、まだ、うす暗い中、チンチンという音で目を覚ました。時計を見るとまだ6時前。窓の外を覗くと、お坊さんたちが何人も一列に托鉢に歩いているのであった。チンチンという音は、托鉢を触れて回るための鉦の音だったようだ。
再び眠った後、暫くすると、今度は、独特の節回しで何やら唱えながら歩く人の声。何か、食べ物を売る商人の口上のようだ。また、少しするともう一人別の口上が聞こえる。こうして、外からの物音や、人の声が段々増える中で、タウンジーの朝が明けて来た。

               <朝の街を托鉢に回る小僧さんたち>

昨日からの雨こそ上がったが、外は肌寒い。ホテルのレストランで、シャン・ヌードルで地元式の朝食で腹ごしらえ。8時、空港のあるヘーホーの街へ出発。午前の便でヤンゴンに戻らねばならない。
空港までの道では、朝の仕事に出掛ける人たちの乗った色んな乗り物に出会う。ここでは、まだ馬車や牛車も通勤の足。バス代わりのトラックにも満員の人々。トラクターさえもここでは相乗りだ。
                             <満員の乗り合いバス?>

ヘーホーの空港では、地元政府に認知されているNGOセイダナーは顔パスだ。普通の人や車が入ることを許されていない入り口をすんなり通って、駐車場に車を止めて空港の待合室へ。
幸い、帰りの便は来るときのように遅れることなく出発。11時過ぎにヤンゴン空港に到着。ヤンゴン市内は曇り。気温は28度。間もなく雨が降り出す。

                      <ヘーホー飛行場へは顔パスで入る>

空港から一旦、セーダナー・ヤンゴン事務所に寄せてもらった後、一人でホテルに戻る。午後2時、保健省の前伝統医療局長のティン・ニュント博士に再びホテルに来てもらって、シャン州での見聞を踏まえて、また、3日前に聞き漏らしたことなどについて幾つか確認と相談。
              <セーダナー・ヤンゴン事務所>
     
午後5時、こちらも3日に続いて再び、マッコム社のハウ社長と会う約束だったが、5時過ぎに電話。渋滞で道路が予想外に混んでいて15分程度遅れそうだという。
今は丁度、下校時間。特に、私立学校では、お金持ちの親が子供たちの送り迎えを車でするのもあって、最近ではこの時間が特に混雑するのだそうだ。つい最近までは、東南アジアの主要都市でヤンゴンだけが渋滞の無い都市だと思っていたのだが、、、。特に、車を持ち、子供を私学に通わせることの出来る有産階級がそれだけ増えたということだろう。
結局、ハウさんが到着したのは、午後5時半。近くのミャンマー料理のレストランでミャンマー料理を食べながら、意見交換。
                         <ヤンゴン市内のラッシュアワー>

8時 ホテル出発
10時10分 ヘーホー発
11時05分 ヤンゴン着
12時 セーダナー事務所訪問
14時 保健省前伝統医療局長ティムニュントさん
17時半 マッコム社ハウ社長  
久し振りの学校訪問(2) [2011年06月05日(Sun)]
6月5日(日曜日)
建設準備の会合を抜け出し、村長の案内で、ナムリ村の生活を少し覗かせてもらうことにした。こんなに山奥の村だが、それほど貧しい村ではないようだ。村長の話によると、10年前に自力で近くの小川に水力発電機を設置、今は全世帯260軒に一年中電気が来ている。電気代は無料。確かに村の中には大きなパラボラアンテナがある。
                            <ナムリ村の家並み>

どんな番組を見てるんですか。すると、村長曰く。言葉は分からないが海外の番組を見ている。日本の地震の時も衛星テレビで見ていたよ。
この村の産業は農業だが、自給自足ではなく、換金性の作物であるタバコの葉が主な作物だという。それも、単にタバコの葉を生産するだけではなく、それをタマリンドなど色々なものと調合してから、タナペという葉で巻いてミャンマー特有の葉巻にして出荷しているのだという。即ち、現金収入があるわけで、山中の辺鄙な場所から受ける先入観は訂正する必要がありそうだ。
   
         <村で見かけたパオー族の娘さんたち>

村の視察から戻ってみると、集会はまだ続いていたが、昼食時間を過ぎたので、別室で、村人の心づくしの手料理を御馳走になった。ヤンゴンで食べる油の多いビルマ料理とは違って野菜の多い、比較的さっぱりしたおいしい料理だった。
                        <心づくしの手料理>

食事を終えて外に出ると、それまで青く晴れ渡っていた空が俄かに掻き曇り、突然のスコールがやってきた。激しい雨がトタン屋根の上にたたきつけるので教室の中では人の話が聞こえないほど。これでは、先生も生徒たちも雨季の授業は大変だ。
建て替えが急がれる旧校舎は雨漏りはおろか、そもそも外壁が竹を編んだだけというしろものなので、横からも吹き込んで来るに違いない。一日も早く新しい校舎が完成するのを祈らずにはいられない。     
雨が小止みになるのを待って、村人や子供たちに見送られてトラック隊は出発。

                         <ぼろぼろの校舎内部>

途中、タウンジーに程近いエタヤの町でもう一つの中学校を見学してタウンジーに戻ったのは夕方の5時。
何と、セイダナーの皆さんが夕食に連れて行ってくれたのは、ブドウ畑を臨むお洒落なワインレストランで。生憎、外は雨だったが、晴れていれば夕日が美しいのだとか。ドイツ人のオーナーが説明してくれたところによると、タウンジーの周辺だけで、二つもワイナリーがあるのだが、裕福になったミャンマー人の間にワインに対する需要が急拡大しているので、作るだけ売れる状態で、共存に問題は無いのだとか。
比較的涼しいタウンジーの気候がワイン作りに適しているとでもというのかと思って尋ねると、そうではない、という。カビなどの問題が大きく、ここまで来るには大変な苦労があったとか。何故そこまでしてここでのワイン作りに取り組んでいるのかと聞くと、「さあ、どうしてか自分でもわからない」と意外な答えが返ってきた。
赤、ロゼ、白を三種類試してみたが、「特に、自信がある」という白は絶品だった。ミャンマーワインなるものの実力を認識させられた瞬間であった。
 
            <何とブドウ畑にワインレストラン>


11時半 ナムリ村内視察
12時半 昼食
13時半 ナムリ村出発
15時 エタヤ小中学校
17時 ホテル帰着
18時半 夕食
久し振りの学校訪問(1) [2011年06月05日(Sun)]
6月5日(日曜日)
朝8時、セイダナーの白木さん以下7人のメンバーとピックアップ・トラック2台に分乗して、学校訪問に出発。途中、シャン州など少数民族地域を管掌する役所である国境開発省(正式名称が「国境地域少数民族・開発省」云々と余り長すぎるので、ミャンマー人もNaTaLaと略称で呼んでいる)のタウンジー事務所に立ち寄る。今年の建設予定校に地方政府のトップの意向をどこまで反映させるかについての、白木さんと担当課長の間の交渉に暫し立ち会った後、再び、出発。
               <牛車を追い抜く>

道は、湖上の民で有名な観光地、インレー湖の手前を左に折れ、次第に、山の中に入っていく。竹林の中を走る。途中、馬車とすれ違い、牛車を追い抜く。タクシー替わりのトラクターに、信じられないほど大人数の農民たちがぶら下がっている。総て、5年前と変わらぬミャンマーの農村風景だ。
段々と道は険しく、細くなり、すれ違う人も殆どいなくなる。こんなに山道を分け入って、学校なんてあるのだろうかと危ぶむ頃。突然、山のてっぺんに目指すナムリー村が現れた。260世帯、1,100人。少数民族パオー族の村だ。

                     <ナムリ小はこの丘のてっぺんに>

山間に点在する民家の間を縫ってすすむ小高い丘に通じる一本道。登りきった丘の上にナムリー準中学校が姿を現した。1年生から8年生まで、4人の先生の元、76人の生徒が学ぶ。日本の、小学校と中学校を併せた学校だ。
校庭を横切る形で入り口から校舎まで、小さな小学生を先頭に、全校生徒、保護者、村人、教職員等総勢約100名が二列の縦隊になって、我々を歓迎するために待ち構えてくれていた。
                            <子供や父兄たちが出迎えてくれた >    

この学校は1952年の設立。創立当時以来使われてぼろぼろの状態の校舎を新校舎に建て替える計画がセイダナーの本年度事業として計画されているのだが、我々が案内されたのは、1995年に建てられたという少しはましな新校舎の方。中は仕切られていないので、教職員、村人ら外で待っていてくれたほぼ全員が中に入り込んで学校建設準備のための集会が始まった。
              <学校設立準備のための集会>

この村の村長ソーフラさんが説明してくれた。数年前から自分たちで老朽化した旧校舎の建て替えを計画し、お金をためては少しずつ着手するというやり方で、工事を進めてきた。自分たちだけではこの先何年もかかるところだったが、今回セイダナーの支援で一気に校舎が完成することになりこんなに嬉しいことはない。確かに、校庭の反対側には、コンクリートと砕石での基礎工事が出来上がっていた。
ところで、村長さんは政府の任命ですかそれとも、住民による選挙ですか、と聞いてみた。村人たちの協議の結果選ばれたのだという。それで、任期は。特にありません、住民の支持があれば何年でも、私は10年目です。ところで、有給ですか。いいえ、無給です。私は農民です。

                     <村人たちだけで作ったという基礎>

7時半 朝食
8時 ホテル出発
8時20分 NATALA事務所訪問
10時半 ナムリ小学校到着
シャン州の州都タウンジーへ [2011年06月04日(Sat)]
6月4日(土曜日) 
               <高原の町タウンジーの家並み>

朝7時半、セイダナーの白木さん、和田さんと一緒にホテルを出発。途中でセダナーのヤンゴン事務所スタッフのスーさんを拾い、4人で空港へ。国内線ターミナルの中には、大型の液晶パネルがあちこちに設置され、以前よりずっと明るくなったように思える。しかし、ターミナルの搭乗案内の分かりにくさは相変わらず。何故か知らぬが、出発時間は一時間以上遅れて12時過ぎ。
シャン州の州都、タウンジーには飛行場は無く、車で一時間ほど離れたヘーホーという町の飛行場に着陸。タウンジー駐在の池上さん、ミンサンさんらに迎えられ、ピックアップトラック二台に分乗して、タウンジーに向かう。
タウンジーは英国植民地時代に避暑地として発展した高原の町。標高1200メートル以上あるので、ヤンゴンよりずっと涼しい。

      <竹かごを担いだ人たちが行き交う姿は以前のままだが、、、>

私がタウンジーを訪問するのは5年ぶり。以前は、比較的頻繁に訪ねていたものだが、学校建設事業の推進体制も確立し、事業も順調に進んでいたことから、暫く足が遠のいていたもの。久し振りに見るタウンジーの街はヤンゴンで想像していたほどには変わっていなかったが、それでも、新しい建物もいくつか出来、商業看板も色派手やかになるなど以前よりは活気が出てきたようであった。ここでも新車が走っているのには驚いた。
最近出来たというおしゃれなカフェレストランで遅めの昼食を取った後、セイダナーのヤンゴン事務所へ。

                       <新しい建物も増えおしゃれになった>

       <ホテルの前で見かけた新車、ミャンマーで組み立てられたもの>
     
北シャンの中心地ラショーからは、北部地区の事業の担当責任者のティンレイさん、2002年にこの事業が始まって以来、ずっとフィールドオフィサーとして代々の代表者の右腕となって頑張ってくれているエイさん(元教師なので今もエイ先生と呼ばれている)も含めてセイダナーの幹部職員が勢ぞろいして、幹部会が始まった。
北部、南部それぞれの事業の現状についての報告と問題点に関するディスカッションを行った後、私の方から、日本財団としてのこの事業に対する考え方と今後の見通しなどについて話をして、終了。街の中のミャンマー料理店の個室で参加者全員で楽しい夕食。 
  
                            <事務所で打合せ>



7時半 ホテル出発
12時10分 ヤンゴン発
13時20分 ヘーホー着
14時15分 昼食
15時半 セイダナー事務所打合せ
19時半 夕食
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