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大野修一(日本財団)
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帰国 私の旅の工夫(9) [2011年06月30日(Thu)]
6月30日(木曜日)
いつものように、バンコクで一泊し、早朝にホテルをチェックアウト。朝の成田便で帰国。多少寝不足でも、機内でうつらうつらしているうちに日本に着いてしまうので、これが一番楽チンだ。
さて、以前、私の旅の工夫(3)で、旅先で下着などを洗ってからの乾し方として、濡れた洗い物を乾いたバスタオルに挟んで絞り、余分な水分を吸い取らせてから、ドライヤーで乾かすという方法を紹介したが、ある人から、「そんなことをすると、ワイシャツが皺だらけになってしまう」とコメントを頂いた。     
                   <ワイシャツの乾かし方>

確かに、その方法はワイシャツ向きではない。私が、ワイシャツを洗った後、余計な水分を取るために実践しているのは、ハンガーにバスタオルを巻きつけ、そこにワイシャツを干すという方法だ。元々、ワイシャツにはメリヤス下着のようにたくさんの水分を吸いこむ性質はないので、この「バスタオル・ハンガー」に一、二時間も置いて水分を吸収させておけば、後は、ドライヤーで簡単に乾かすことが出来る。
序に、ワイシャツを洗って乾かした後に残るしわ対策として、ミニサイズのアイロンを紹介しておこう。当然、スチーム機能はないが、少し水分が残る湿気た状態の衣料にはこれでばっちり皺が取れる。
     
                   <ミニサイズのアイロン>
     
5時15分 ホテル出発
8時10分 バンコク発
16時25分 成田着
IB会議第2日 [2011年06月29日(Wed)]
6月29日(水曜日)
昨日に引き続き、「障害者を含むビジネス」=IBを様々な角度から討議。ミャンマーやタイから参加した肢体障害者が農業や畜産事業の事例を報告。マレーシアやタイの大企業の代表は、障害者雇用や、障害者を消費者として重視するマーケティング戦略について報告するなど、興味深い事例発表が続き、その後、質疑応答や、さまざまな角度からの討議が行われた。
マニラでGenashtim社を経営するトーマス・ヌンさんも、彼のユニークな情報ビジネスのあれこれを報告すると共に、障害者雇用を法的義務としてではなく、むしろ、大きなビジネスチャンスとして捉える積極的な考え方を報告。

                   <IB会議第2日が始まった>
     
ユーモアを交えた軽妙な語り口で喝さいを受けたのが、コンピューター会社を経営するラヒムさん。彼は、全盲の視覚障害者だが、コンピューターの専門家として20年以上の経験を持つ。淑やかだが芯の強そうな奥さんのヌルリスマさんを社長に、2年前にAccesible Technology社を設立、独立した。コンピューター機器とソフトウエアの販売と、コンサルティングやトレーニングが業務分野。顧客は、企業や個人の他、政府機関や公立図書館、大学など。障害者だけではなく、健常者も含まれるという。
                 <マレーシアのラヒムさん夫妻は経営者>

私はラヒムさんの話を聞きながら、昨日の帰り道、スカイトレインの駅で見た、何人もの障害者たちのことを思い出していた。民族楽器を弾いて通行人からお金をもらう盲人、路上で宝くじを売る盲人や、下肢に障害のある人などであった。タイ人は仏教徒として功徳を積むという目的もあるためか、障害者には優しく、宝くじを買ったり、お金を恵んだりする姿をよく目にする。だから、彼らもこうして食べていけるのかもしれないが、もし、チャンスさえ与えられていれば、もっと高収入を得る道が開かれたのではなかったろうか、そして、ラヒムさんやラシッドさんのように、自分にプライドと自信を持つことが出来たのではなかったろうか。
                <路上で宝くじを売るタイの障害者たち@>
     
                <路上で宝くじを売るタイの障害者たちA>
      
                <民族楽器を弾いてお金をもらう人も>
     
8時 ホテル出発                
9時 APCD IB会議
19時 夕食会
障害者を含むビジネスをテーマに会議 [2011年06月28日(Tue)]
6月28日(火曜日)
朝8時、ホテルの前からスカイトレイン(BTS)に乗り、戦勝記念塔駅へ。そこから15分ほど歩くとAPCD(アジア太平洋障害者センター)だ。これから、ここでまったく新しい事業であるIB(Inclusive Business)の準備のための会合が開かれる。APCDの入口には「Brainstorming Meeting on Inclusive Business」と今日と明日の会議の案内ポスターが貼られていた。
Inclusive Businessという言葉を「障害者を含むビジネス」という意味に使おうというのはニノミヤ所長率いるAPCDの発案である。数か月前に、ニノミヤさんから「日本財団は興味がありませんか」と言われたとき、ASEAN事務局と連携して、障害者とビジネス・コミュニティーとの連携を探ろうとしていた私にとって、これは願ってもいない話であった。
ニノミヤ所長の右腕の佐野さんから、ビジネスの3つの局面(Clientele, Employee, Entrepreneurs)すべてにおいて、障害者のInclusionを促進するのだという目的を聞き、そのアイデアに感心。ただ、私からは、殆どの国において農村人口が国民の過半を占める、という東南アジアの現実から見て、ここでのビジネスを広義に解釈し、農業などのRural Businessをも含んではどうかと提案。そうしてもらうことになった。
     
                       <APCDの正面玄関>

そして、APCDはアジア全域に広がる強力なネットワークを総動員して、障害者企業家、障害者問題に関心を寄せるビジネスマン、農業専門家に呼びかけ、今日と明日の二日間にわたるブレーンストーミングのための会合を設定してくれたのだ。
今回の会議に集まってくれたゲストは、タイ、フィリピン、マレーシア、ミャンマー、カンボジア、ベトナム、パキスタンなど9カ国から14名。ビジネス界からは、フィリピンの小売業大手のSMモール社、タイの食品コングロマリットのCP社を始めとする6名。このほか、障害者でありながら畜産や穀物生産、コンピューターなどの分野で企業を経営している人たちが7名ほど。これに、メディアやAPCDのスタッフ、日本財団の間遠専門家なども含むと、総勢25名ほどが集まった。
     
                       <IB会議が始まった>
     
農業も視野入れて、と主張した私だったが正直なところ、障害者で農業や畜産業を経営している人が東南アジアにどれほどいるのか、皆目見当がつかなかったのだが、APCDに調べてもらうと、タイやマレーシア、ミャンマーなどあちこちで、障害者自身が経営ししかも成功させているという事例が見つかった。
今回、マレーシアからわざわざ駆け付けてくれた盲人のラシッドさんもその一人である。彼は、8年前に自宅の裏庭で9匹の山羊を飼い始めた。それまでやっていたマッサージの仕事で貯めたお金で、数か月後、ラシッド・ファーム社を設立、畜産業に転じた。当初の資本金は、5,000リンギット。今では、80,000リンギットに拡大。山羊の他、乳牛や鶏をも育て、牛乳を出荷しているという。「目が見えなくとも家畜の健康状態は触るだけでわかる」と胸を張るラシッドさんは、障害者が企業経営で成功する条件の一つに、自信と独立心を挙げた。
                   <大半の国で農村人口が7割以上>
               
8時 ホテル出発                
9時 APCD IB会議
19時 夕食会
バンコクは総選挙一色 [2011年06月27日(Mon)]
6月27日(月曜日)
朝目を覚ますと、風邪の症状はかなり改善していた。7時半、ホテルを出て空港へ。10時半のフライトでバンコクへ飛ぶ。
バンコクは7月3日の総選挙を一週間後に控えて、選挙運動が一層盛り上がりを見せていた。
市内の目抜き通りには立て看板方式の選挙ポスターが林立。日本のサイズとは比較にならないほど巨大サイズ。数にも制限は無いようで、同じポスターが何枚も並べてあったりする。
知り合いのホテル従業員によると、彼は休暇を取って郷里に帰り、投票する由。選挙権は、まだバンコクに移してはいないのだそうだ。「で、誰に入れるの」と聞くと「勿論、インラック」、「タクシンの妹だけど」、「彼らの方が、我々、貧しい人間のことを考えてくれるさ」という答えが返ってきた。
現地紙の報道によると、バンコクの知識人階級の間でも、インラック候補の人気は根強いのだそうだ。アビシット危うし。
夜は、マニラで会ったばかりのトーマスさんとタイ料理店で食事。二人で障害者を使った彼の事業Epic Onlineの日本展開の話をしたかったからだが、私は風邪が治りつつあったが、彼は、昨日バンコクに着いたとたんぎっくり腰になったとかで絶不調。早々に切り上げる。


     
                   <タイの選挙風景@>

     
                   <タイの選挙風景A>
     
     
                   <タイの選挙風景B>
     
     
                   <タイの選挙風景C>
     
     

7時半 ホテル出発
10時35分 ハノイ発
12時25分 バンコク着
19時 トマス・ヌン社長  
風邪でダウン、約束をキャンセル [2011年06月26日(Sun)]
6月26日(日曜日)
昨夜はかなり早く床に就いたのだが、何度も目が覚めた。その度に、くしゃみと鼻水に悩まされた。今日は日曜日で夜まで予定はない。昼過ぎまで眠ったら、少し気分が良くなったので、近くの食堂で好物のブンチャーで食事。
だが、食事を終えて部屋に戻ると、再び、激しいくしゃみと鼻水。今晩は、VNAHのカントリーディレクターのハイさんと夕食をとる約束だったのだが、夕方になって電話。彼には悪かったが、夕食の約束をキャンセルさせてもらって、今夜は体調回復に専念することに。久し振りに、葛根湯の錠剤と、バンコクのハーバルエキスポで買った伝統薬と、ブラジル産ガラナ粉末の「取って置き3点セット」を飲んで床に就く。

                      <ハノイの町並み>
     
急遽、フィリピン航空機に振り替え [2011年06月25日(Sat)]
6月25日(土曜日)
                   <今朝もまだ強い雨が残る>

朝も激しい雨が続く。念のため早めにホテルを出て空港に向かう。来週火曜日に開かれる障害者関係の会議に参加するため、ハノイ経由でバンコクに移動するのだ。ハノイまでの直行便がないので、マニラからは香港に行き、1時間半の待ち合わせで、ハノイ行きに乗り継ぐ予定だった。
香港行きのキャセイパシフィック機にチェックインして、出国管理も済ませ、待合室にいるところを係員が呼びに来る。悪天候のためキャセイ機は香港で出発を見合わせていたため、マニラへの到着が1時間程度遅れる見通しだという。そうなると、香港でのハノイ便への乗り継ぎが出来なくなる。
係員曰く、「10時20分発のフィリピン航空機には、まだ空席がある。もし、希望するなら、そちらに振り替えてもいいがどうするか」フィリピン航空機なら香港での乗り継ぎ便に余裕を持って間に合う筈。一も二もなく同意し、係員に誘導されて歩く。
すると、何と、出国管理ゲートも安全検査ゲートも逆走し、先ほどのチェックインカウンターまで連れて行かれ、ここで待つように指示される。他にも、香港経由でサンフランシスコへ行くというフィリピン人二人連れが待っていた。
ほどなく、チェックインした荷物が返却され、3人一緒にワゴン車に乗せられる。てっきり、ターミナル内での移動だとばかり思っていたが、フィリピン航空機のターミナルは、少し離れたところに出来た新ターミナル。空港を出て、雨の降りしきる中をしばらく走り、新ターミナルへ。
     
                   <急遽、別のターミナルへ移動>
     
何と、ここでチェックインから総てやり直しだというではないか。係員は自分はここまで、と帰ってしまい、3人で出国管理も安全検査もやり直し。フィリピン航空機の出発時間が迫ってくるので気が気でない。
パスポートには、さきほどのターミナルの出国管理ゲートで既に出国スタンプが押されているので、怪訝そうな係官に事情を説明し、やっとのことで、香港行きの搭乗ゲートに駆け込む。フィリピン人2人組と、「グッドラック」と言って別れる。
苦労させられたが、お陰で、香港では無事ハノイ便に乗り継ぐことが出来た。定刻の午後3時半、ハノイに到着。気温は27度と低め、空港の外に出ると雨が降りだす。     
鼻が詰まって、空気抜きが出来ず、耳が痛くてたまらない。
夜7時、ペプシコのナムカオさんと夕食。耳の調子が悪く、話がよく聞こえないことに気づく。早めに、切り上げてホテルの部屋に戻る。ついに、風邪をひいてしまったようだ。
   
                   <ハノイ空港に着いたとたん雨>
     
8時 ホテル出発
10時20分 マニラ発
12時05分 香港着
14時30分 香港発
15時30分 ハノイ着
19時 ナムカオさんと夕食
Epic Onlineで、障害者学生たちの英語能力チェック [2011年06月24日(Fri)]
6月24日(金曜日)
朝起きてみると、昨日からの雨が今日もまだ激しく降り続いていた。9時半にホテルを出てトーマス・ヌンさんが社長を務めるGenashtim社へ。
トーマスさんは、IDPPの設立に当たり、各分野の専門家に声をかけて集まってもらった諮問チーム、いわゆるDream Teamのメンバー。障害者の職場創出にIT技術を活用するというユニークなアイデアを持ち、率先して盲人、聾者、肢体障害者雇用を実践、大きな成功を収めている企業家だ。
トーマスさんは中国系のマレーシア人、ニュージーランドの大学で学び、自宅は今、オーストラリアのメルボルン。そして、自分が経営する会社の本社はマニラ、というわけで一年の大半、アジア中を飛び回っている。しかし、Genashtimという変わった社名は夫人と娘さん、息子さんの名前の頭の部分をくっつけて作ったというほど家族思いだ。
彼は現在、4つの事業で60人以上の社員を雇っているが、そのうち、37人が、視覚障害や肢体障害などをもつ障害者だという。例えば、とてもてきぱきと仕事をしてくれる、彼の秘書のマルセルさんは車いすの障害者だ。今日も、我々一行につきあいながら、トーマスさんが携帯電話を使って彼女にいろんな指示をすると、彼女からすぐに返事や報告が返って来るのを目撃した我々だったが、何と、彼女はマニラに住んでいないという。マニラから遠く離れたフィリピン南部のダバオ市の自宅からコンピューターと電話で秘書業務を行っているという訳だ。トーマスさんはこともなげに言った。「僕は彼女と今まで一度も会ったこともないんだ。面接もスカイプで済ませたしね。でも、彼女の仕事ぶりにはとても満足しているよ」
     
                 <Genashtim社でトーマス社長を囲んで>

トーマスさんのモットーは、「同情は一過性で長続きしない。僕が彼らを雇うのは彼らの方が健常者より僕のビジネスに向いているからだ。情報通信分野では障害者の方が向いている分野が少なくない。探せばもっとある筈だ。それによって障害者が自信と誇りを持って仕事をしてもらえるよう手助けしたい」
今日、我々一行が彼の会社を訪ねたのは、当初予定していたアテネオ・デ・マニラ大学訪問が、同大学の教授会と重なり不可能になったため。以前から、協議を進めていた、IDPPに参加を希望する学生たちの英語能力チェックについて話し合うため。トーマスさんの会社の主力事業である、「スカイプ」を用いた英語のマン・ツー・マンレッスンシステム、「Epic Online」を利用して、障害者学生たちの英語能力チェックをしてもらうためだ。このシステムの教師は、ネイティブ並みの完璧な英語を話すフィリピン人たちだ。教師のうち、大勢が視覚障害者や車イスの障害者だという。
次いで、一行はアテネオ・デ・マニラ大学と並ぶ私学の雄、デ・ラ・サール大学を訪問。ラグーダ学長らと、IDPPについて協議。デ・ラ・サール大学は日本財団がNTID(米国立聾理工学院)を通じて、過去10年に亘って実施してきた聴覚障害のある大学生の学習支援のための国際ネットワーク、PEN-Internationalの中心校のひとつ。本来なら、NTID前学院長のデカロさんが訪問団の団長格として、旧知のデ・ラ・サール大学幹部との面談を取り仕切ってくれる予定であったが、突然の病気で不在となったため、我々だけで対応せざるをえなかった。しかし、結果的には、ここでも好感触が得られ、前向きの検討を約束してくれた。

                <デ・ラ・サール大学での打ち合わせを終えて>
     
デ・ラ・サール大学から戻り、全員で総括ミーティング。と間もなく、私以外のメンバーは、午後の便でシンガポールに戻るべく、飛行場に出発せねばならない時間。私は、この後、午後5時からアテネオ・デ・マニラ大学のクルス学部長と会い、国連平和大学事業について意見交換する予定。そこで、ホテルの玄関で一行を見送る。
一行を送った後、ホテルの部屋に戻り、メールをチェックすると、クルス学部長から連絡が入っていた。予定通りの5時からの面談を確認するものだったが、何と、昨日から続く悪天候のため、午前に予定されていた教授会が中止になったとか。昨夜のうちに分かっていれば、急遽、アテネオ・デ・マニラ大学行きをセット出来たかも知れないと思うと残念至極。
午後5時、クルス学部長と会い、国連平和大学事業についての意見交換の前に、デッリック教授からもらっていたIDPPの説明資料に基づき、IDPPの説明と、パートナー校になることのメリットにつき説明。
非常に興味を持って聞いてくれた。早速、契約書のドラフトが欲しいというので届けることになった。これで、今回の3カ国出張だけで、新たに4つの大学が加わる可能性が高くなった。来月の授業開始時までには、IDPPは6カ国の8つの有力大学が加入することになりそうだ。
夜、ベッドに入り、昼間の車の中や大学の会議室でのクーラーの効き過ぎで、体調を崩したらしいことに気がつく。誠に、東南アジアの国々は、クーラーが効きすぎ。エネルギー節約を考えて、下手に半袖でいると風邪をひくリスクに身を晒すことになる。
    
     
9時 朝食打合せ
9時半 ホテル出発
10時 Genashtim社訪問
12時 昼食
12時45分 ホテル出発
13時 デラサール大学訪問
17時 アテネオデマニラ大学 クルス学部長
台風の余波でマニラ市内は冠水 [2011年06月23日(Thu)]
6月23日(木曜日)
               <国立マラヤ大学のキャンパス>

前日、ジャカルタからクアラルンプールに着いた我々4人は、今日は朝から国立マラヤ大学訪問。前日のインドネシア大学で行ったのと同様に、ここでもIDPPについてプレゼンテーション。パートナー校としての勧誘を行った。
先方の出席者は、ジャワキール副学部長他、総て女性の三人の大学幹部。ここでも、基本的にはIDPPの目的を高く評価する立場から、パートナー校になる前提で大学内で検討してもらえることになった。
                <大学幹部にIDPPを説明する>

マラヤ大学訪問を終えて、ホテルに戻り昼食を取った後、4人揃ってチェックアウト。昨夜着いたばかりのクアラルンプール空港に向かう。夕方、5時半の便でマニラへ。出発が遅れて、マニラ到着は夜、10時。     
               <クアラルンプール空港のモダンな内部構造> 
     
     
マニラ市内へは、空港からホテルの差し回しの車で向かうが、台風の余波で市内は冠水。ホテルまで本来なら30分ほどの距離が2時間かかってしまう。
それでもまし。風雨がもっと激しかった日中にマニラ空港に到着した人の中には、市内まで移動するのに、7時間かかった人もいたという。
ホテルにチェックインした時には、時刻は真夜中をとっくに過ぎていた。

    
     
7時 朝食打合せ
8時15分 ホテル出発
9時 国立マラヤ大学訪問
12時50分 昼食
14時45分 ホテル出発
17時30分 クアラルンプール発
21時20分 マニラ着
国立インドネシア大学のIDPPパートナー加盟が決まる [2011年06月22日(Wed)]
6月22日(水曜日)
朝9時、3人一緒にホテル内のレストランで朝食を取っていると、ASEAN事務局のラジャ事務局長特別顧問がやってきた。彼も加わり、これから4人一緒にIDPP(障害者公共政策大学院)のパートナー校への勧誘のため、国立インドネシア大学を訪問するのだ。
ASEAN事務局は今年の議長国であるインドネシア政府との間で今年の重点施策として、IDPPを含む社会文化分野でのプロジェクトをサポートすることを決定済み。インドネシア政府側の責任者である副大統領からは、是非とも、インドネシア大学をIDPPのメンバー校に含めて欲しい、との意向がASEAN事務局に伝えられていたのである。
     
               <国立インドネシア大学の広大なキャンパス>

ホテルから、10時前に4人で車に乗り込み、インドネシア大学本部のあるドゥポックキャンパスに向かう。ドゥポックキャンパスは私にとっては昨年8月以来、10か月ぶり。他のメンバーは初めての訪問。広大なキャンパスにインドネシア伝統様式の建物が点在する様子に感心しきり。
当初、海外出張のため会えないと言われていたグミラル学長が会ってくれるということになり、学長室に招き入れられる。何でも、今朝、海外から帰国したばかり、とか。学長の他、バンバン社会政治学部長や、障害者研究センター長のイルワント教授など大学幹部がずらり。イルワント教授は、ご自身も車椅子の障害者だ。

                  <グミラル学長も交えてIDPPの説明会>

デリック教授によるIDPPに関するプレゼンテーションが終わると、グミラル学長は「副大統領から話を聞いている。その時は、よく分からなかったが、今日のプレゼンテーションでIDPPの狙いがよく理解出来た。インドネシア大学としては是非、IDPPネットワークのパートナー校として加盟したい。ついては、7月18日のバンコクでの開校式にだれか代表者を派遣する。これは、インドネシア政府の意向に従うからではなく、大学としてIDPPの趣旨に賛成するからである」と言い切った。
その後、学長自ら、スライドを使って大学のプレゼンテーションをしてくれただけでなく、その後、我々を案内して建設工事が終わったばかりの総合図書館を隅々まで案内してくれる、という破格のもてなしよう。
     
              <出来たばかりの総合図書館はバリアフリー>
     
イルワント教授によれば、障害者研究センターでは来月から障害問題に関する国際セミナーを開くという。早速、デリック教授との間では、バンコクでのIDPPのオリエンテーションに合わせて、遠隔教育システムを用いての合同授業をやろうという話がまとまった。将来は、障害者研究センターでの授業をIDPPに融合することも考えられる。
こうして、我々のIDPP(障害者大学院大学)のパートナー候補校訪問団は先ず、インドネシアで誠に幸先の良いスタートを切ることになったのであった。
     
                <インドネシア大学学長を囲んで記念撮影>
          
8時半 朝食打合せ
9時 ASEANラジャ事務局長特別顧問
11時 国立インドネシア大学訪問
14時50分 ホテル出発
19時10分 ジャカルタ発
22時10分 クアラルンプール着
NTID(米国立聾理工学院)前学院長のデカロさんは急病 [2011年06月21日(Tue)]
6月21日(火曜日)
午後2時半、ホテルをチェックアウトし、スーツケースをタクシーに積み込んで、国立シンガポール大学のブキティマ・キャンパスへ。     
                  <リークアンユー公共政策大学院内部>
     
リークアンユー公共政策大学院の1階ホールにはアメリカン大学のデリック・コグバーン教授とAPCD(アジア大平洋障害者センター)のニノミヤ所長が揃っていた。本来、訪問団の代表格で参加することになっていたNTID(米国立聾理工学院)前学院長のジム・デカロさんは出発直前の急病でやむなく欠席。ジャカルタからはASEAN事務局長特別顧問のラジャレトナムさんが加わり、我々4人でIDPP(障害者公共政策大学院)のパートナー校への勧誘のため、3カ国の大学を訪問するのだ。
今日は、ジャカルタに移動する前に、IDPPの創立メンバーの一人であるリークアンユー公共政策大学院のアストリッド・トゥミネス学長補佐と会って、リークアンユー大学院が担当するIDPPの研究事業やExecutive Seminarの打ち合わせ。来月、バンコクで行う、18日からの新入生オリエンテーションと、18日の開校式などのIDPP関連行事での再会を約してリークアンユー公共政策大学院を後にした。
     
                   <車いす専用のエレベーターも完備>
     
タクシーを呼んでもらって我々3人は、チャンギー空港へ。18時40分発のシンガポール航空便でジャカルタへ。2時間足らずのフライトで無事、ジャカルタ着。ジャカルタはシンガポールの東に位置するが、インドネシア時間は何とシンガポールより、1時間遅く設定されているので到着は7時半。空港からホテルに直行。
                 <ジャカルタのスカルノハッタ国際空港>
     
          
14時半 ホテル出発                
15時 シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院
16時半 空港へ出発
18時40分 シンガポール発 
19時25分 ジャカルタ着
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