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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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あまり気の進まない出張だったのだが、、、 [2011年05月18日(Wed)]
5月18日(水曜日)
朝8時、時差の関係で目が覚めてしまったので、軽い朝食をホテルの外でとるべく散歩。途中、アップルストアの店の前に長い行列。聞いてみると、iPod2を手に入れるためだという。開店は10時からというので、まだ2時間もあるというのにこの人数は驚き。ホテルに戻り、9時半、タクシーを拾いダレス空港へ。     
                   <アップルストアの前の長い列>

実は、今回の出張はあまり気の進まない出張だった。私は元々、アメリカ行きは苦手である。第一に、長時間のフライトに加えて、日本と殆ど昼夜が逆転するという大きな時差があること、加えて、アメリカ式の食事が、量が多いだけで脂っこいことなど、体力的にきついからだ。
しかし、今回は、精神的にもどうも気が進まなかった。なぜかというと、障害者公共政策大学院を巡り、関係者間でちょっとした誤解から、感情がこじれてしまい、ちょっと厄介な事態に進展。ワシントンでの会議がもつれそうな予感がしたからだった。
しかし、結論から言うと、それは杞憂に終わった。私のアドバイスを受けて、一方が先に謝罪したために、片方がそれを受け入れる形で丸くおさまったのだ。来る飛行機の中でも、米国に着いたあとのホテルの中でも、双方の言い分を書いた文書を繰り返し読んで、どのように調停するか、さんざん考えを巡らしていた上でのアドバイスが受け入れられたので、本当にうれしかった。
それにしても、アメリカ人同士でも、元はと言えば、言葉のちょっとした行き違いから、感情がこじれてしまうことのリスクを痛感させられた今回の事件であった。もとより、外国人の場合は、母国語ではない英語を使うのでそのリスクはずっと大きい訳で、しっかり、心せねばなるまい。

 
9時半 ホテル出発
12時20分 ワシントン発
(翌19日)15時25分 成田着
アメリカン大学で障害者公共政策大学院(IDPP)の会議 [2011年05月17日(Tue)]
5月17日(火曜日)
朝7時、国立聾理工学院(NTID)のデカロ前学院長と朝食を取りながら午後アメリカン大学で行う会議に備えて打ち合わせ。早朝の食事になったのは、彼が医師からのアドバイスで朝食は8時までに済ませないといけないためだ。
その後、デカロさんと別れ、一人で世銀グループの国際金融公社(IFC)本部へ。田中さんに、いつものように1階ロビーまで降りてきていただき、セキュリティーを抜けてオフィスフロアーへ。以前から検討を進めている日本財団とIFCとの共同事業の相談。今回は、増岡局長以下、出席者が全員日本人だったので、有難くも使用言語は日本語と、IFCとしては稀有な環境。
 
                          <世銀グループの国際金融公社(IFC)本部>
     
短いながらも充実した会議を終えて、田中さんに昼食をご馳走になった後、アメリカン大学へ。デカロ教授、デリック教授と合流し、COTELCOの会議室へ。ここがIDPPの準備事務局である。数日前に、IDPPの授業に対しアメリカン大学の修士号(Master of International Affairs in Comparative and International Disability Policy=国際比較障害者政策学)の供与が正式に決まったばかり。ここ数週間というものデリック教授は不眠不休の働きだったという。げっそりとしながらも、晴れ晴れとした表情であった。
正式承認を受けて、学生の募集が明日から始まることになる。彼のスタッフがそのためのウエブサイトの仕上げに取り組んでいた。

<アメリカン大学で行われた障害者公共政策大学院(IDPP)に関する会議>
     
デカロさんと3人で、IDPPのマネジメント構造をどうするかについて突っ込んだ議論を行った。その結果、関係者が勢揃いする理事会の他に、2つの委員会を設置すること。地域、ジェンダーなどのバランスも考慮するが、何より障害者を中心にした構成にすることなどを前提に、候補者の暫定リストで合意。
アメリカン大学での会議の後は、デリック教授にアフリカから帰ったばかりというグッドマン学長を交えて、ホテルの近くの寿司屋さんで夕食。決して狭くはない店であるが、店の中は地元の人らしき客で一杯。

             <ホテルがあるのはワシントンDCの西隣のジョージタウン>

7時 NTIDデカロ教授 
10時半 ホテル出発                
11時 IFC打合せ 
14時 アメリカン大学国際関係学部打合せ
17時 グッドマン学長 
18時半 デリック教授らと夕食
カーターセンターで笹川アフリカ協会の理事会 [2011年05月16日(Mon)]
5月16日(月曜日)
        <カーターセンターは高速道路の標識にも>

朝8時、寒い、気温は15度くらいか。ホテルをチェックアウトして、タクシーに分乗、カーターセンターへ。
カーター大統領を記念して造られたカーターセンターは大変大規模な施設である。敷地面積は37エーカ-(14万8000平米)、美しい緑の敷地内には大きな池や、立派な図書館、450人の大会議場、210人が着席して宴会出来るホールなどがあり、会議スペースとして外部にも貸し出すほか、結婚式場としても開放している。職員総数は175人。

                          <37エーカーの敷地を誇るカーターセンター>

ただ、笹川アフリカ協会(SAA)の米国での会議にカーターセンターがよく使われるのは、レンタルスペースとして便利だからではなく、カーターセンターが笹川アフリカ協会設立以来の事業パートナーであるからだ。そのため、理事会にはカーターセンターを代表して理事長のハードマン博士が加わっている。
笹川アフリカ協会の執行理事会のメンバーは他に6人。スイス人の弁護士であるジャン・フレモンさんは、昨晩は飛行機の到着が遅れハードマン博士邸での夕食会には間に合わなかった。残りの5人でお邪魔したのだが、このうち、女性は二人。ケニア人で笹川アフリカ協会会長のルース・オニアンゴ教授、元国会議員の農業専門家だ。そして、もう一人は、タンザニア人女性で現地プログラムの総責任者ジュリアナ・ルウェラミラ博士。そして、私のほかは、二人の常務理事。米国人のクリス・ドズウェルさんと東京事務局長でもある宮本正顕さんだ。
 
           <カーターセンターで開かれた笹川アフリカ協会の執行理事会>
     
皆で簡単な朝食の後、9時から笹川アフリカ協会の執行理事会が始まった。ルースさんの議長のもと、会議は順調に進み、予算や人事、規定改定などの審議が進む。昼食を挟んで、午後の議題は、今年の秋にアフリカのマリで開かれる笹川アフリカ協会25周年記念行事のこと。
午後の会議が終わると私は、ワシントンへ向かうべく、昨日着陸したばかりのアトランタ空港へ。同じ便でやはりワシントンに行くというクリスさんと一緒。
2時間足らずのフライトで着いたのはワシントン郊外のダレス空港。日本からの全日空直行便も到着する空港だ。クリスさんと別れて、私は一人、ジョージタウンのホテルへ。稲妻が光る雨模様だが、寒々しかったアトランタと違って空気が生暖かく、柔らかだ。


8時 ホテル出発
8時半 朝食
9時 SAA執行理事会
12時 昼食
13時 SAA執行理事会
17時55分 アトランタ発
19時52分 ワシントン着
久し振りのアメリカ出張 [2011年05月15日(Sun)]
5月15日(日曜日)
カンボジアから帰国して中2日で再び出張。今度の目的は、米国の2か所。
 
アトランタのカーターセンターで開かれる笹川アフリカ協会(SAA)の執行理事会とワシントンの世銀グループの国際金融公社(IFC)での協議、さらに、アメリカン大学での打ち合わせ。
品川からNEXに乗り、午前9時ころに成田空港に到着。チェックインカウンターもラウンジも、最近の閑散さがまるで嘘のような混雑。この時間帯は、アジア便に加えて、欧米行きの便も多く、フライトが集中するため、混雑することが多いのだが、それにしてもこの混みようにはびっくり。ゴールデンウイーク前後の観光シーズンが終わるのを待っていたビジネス客が、どっと押し寄せたということか。
定刻の10時45分に成田を発ち、シカゴへ。3時間半の待ち合わせでアトランタ行きに乗り換え。時差の関係で出発当日の午後3時に無事、アトランタに到着。
 
      <アトランタは生憎の曇り空>

夕食は、執行理事会メンバー全員がカーターセンター理事長のハードマン博士の自宅に招かれる。
夕食をごちそうになって驚いたのは、夕食が、チキン入りワイルドライスのメインディッシュの他は、ドレッシングのかからない野菜サラダ一品とパン、果物のみ、という超健康志向だったこと。口にこそ出さなかったものの、全員が「えっ」と内心は驚いたことであろう、
そう言えば、私の知り合いの米国人には健康に問題を抱えた人が多い。クリス常務理事も明後日ワシントンで会う予定のデカロさんも、ベトナムの手話辞書事業のウッディ博士もみんな糖尿病だ。積年のアメリカ式高カロリー食ではなかろうか。
それに対し、そう言えば、ハードマンさんは元々はお医者さん。ハードマン博士もローラ夫人もすらりとした体型だ。普通にアメリカ式の食生活をしていると、このような体型は維持できないかもしれない。それにしても、アメリカ人の家庭でここまで徹底した健康食をごちそうになったのは初めての経験だった。
ただ、デザートが、とても甘くボリュームもたっぷりなチョコレートケーキだったのはなぜ、、、?
                      <ハードマンさんの私邸にて>
     
10時45分 成田発
8時20分 シカゴ着
11時59分 シカゴ発
14時52分 アトランタ着
19時 夕食会
帰国へ 私の旅の工夫(8) [2011年05月12日(Thu)]
5月12日(木曜日)
                   <バンコク一高いバイヨークタワービル>

早朝5時、暗い中をホテルを出発、車で空港へ。高速道路からは、バンコク一の高層ビルであるバイヨークタワービルが朝焼けの空に聳えていた。304メートル。日本一高い横浜のランドマークタワーをも凌ぐ高さだ。果たして、このビルの耐震性能とは、、、、。
<側面にもう一つコンセント口が付いている優れもののアダプタープラグ>

さて、今回の私の旅の工夫は、「工夫」というより、最近漸く探し当てたアダプタープラグについて。
国ごとに形状の異なる電気のプラグに適合するため、様々なアダプターが売り出されているが、これまでの私の悩みは、コンセントに既に何らかの器具が差し込まれて使用中である場合に、その器具を生かしたまま、もう一本、持ち込んだ器具を使うためのアダプターがないこと。日本のようなトリプルタップが海外ではなかなか見当たらない上、各種あるアダプターも形状面での工夫は色々なされているが、二股コンセント的機能を併せ持ったものはなかなか見つからなかった。

                 <足を組み合わせて様々なプラグパターンを作る>

漸く発見したのがこれ。アダプター機能に加えて二股コンセントの機能も果たす優れもの。
こんなにシンプルな形だが、足を組み合わせて様々なプラグパターンを作り出し、海外で使われているプラグの様々な形状に対応する。それだけではなく、側面にもう一つコンセントがついているので、これさえあれば、例えば、ホテルの部屋で、フロアスタンドが一つしかない電気の差込口に繋がっている時にも、側面コンセントにフロアスタンドを繋ぎ明るさを確保しながら、アダプターにより日本式プラグの電源でパソコンを使う、といったことが可能になる。ちなみに、このアダプターは日本で発売されており、その意味するところは不明だが「チコぷら」という商品名が付いている。

                        <「チコぷら」の意味するところは不明だが、、、>

5時 ホテル出発
8時15分 バンコク発
16時25分 成田着
プノンペンを出発 バンコクへ [2011年05月11日(Wed)]
5月11日(水曜日)
                      <朝のトンレサップ川岸>
     
朝7時、ホテルを出て空港へ。今日のフライトもやはり異常な空き具合。このままでは、両国間の直行便も維持できなくなるのでは、と不安に駆られる。早く、両国間の国境紛争が終結することを祈るのみ。
11時前にバンコクに到着。ホテルに着いてそのまま部屋に入る間もなく、テレビ朝日バンコク支局西支局長と面談。夕方は、CIAT(熱帯農業研究センター)に出向中の日本財団職員で農業問題の専門家、間遠さんと会って、CIATプロジェクトについて打合せ。
そのあと、スリランカからの帰国の途中、バンコクに立ち寄っていた日本財団の職員、石井グループ長も合流して、障害者のための農業事業について打合せ。
その後は、朝日新聞アジア総局の藤谷総局長や古田記者も加わり5人で夕食。

                          <美しいプノンペンの朝>
     
     
7時 ホテル出発
9時40分 プノンペン発
10時50分 バンコク着
12時15分 テレビ朝日バンコク支局西支局長
17時 CIAT間遠さん
18時 石井グループ長
19時 朝日新聞藤谷アジア総局長
カンボジア陶器文化復活プロジェクトの現場に福村さんを案内する [2011年05月10日(Tue)]
5月10日(火曜日)
今朝は、カンボジアの陶器文化の復活を目指して進行中のコンポンチュナン・プロジェクトの現場へ行き、責任者の山崎さんや村人たちの慰労も兼ねて、懇談会をすることになっていた。
当初は私一人で行く予定だったのだが、チャリティー・コンサートのためのオーディションが中断され、時間が出来た福村さんと齊藤さんも同行されることになったので、ソルヤさんの車に乗り込み、3人でプノンペンの北西90キロのところになるオンドーンルセイ村を目指す。カンボジア第2の都市バッタンバンに向かう国道5号線は、カンボジアの大動脈なので舗装されているのは当然といえば当然だが、段々と幅工事が進み、スムーズな通行が可能になったのでソルヤさんによれば、2時間で余裕の行程だという。
                      <コンポンチュナンに向かう>
     
ただ、飛ばし過ぎないよう注意したり、コンポンチュナンに入ってから、途中で道を迷ったりしたので予定より少し遅れて、到着は10時過ぎ。村ではプロジェクトに参加する村人たちが集まり、今月末に予定された窯出しに向けて、カップやどんぶり作りに取り組んでいた。我々が作業所に入っていっても、脇目も振ってくれない。
東日本大震災で被災したために、益子からの専門家の到着スケジュールが延期され、村は、今は指導者不在の状態になっている。しかし、指導者不在だからといって、作業を中断するのではなく、自分たちだけで取り組んでいるのだという。今月末の岩見専門家の再着任までに、素焼きから本焼きまでの全工程を初めて自分たちだけでこなそう、というのだ。
                        <熱心に轆轤を回す女性たち>

責任者の山崎さんから作業の流れについて説明を受けた後は、仕事の邪魔をしては悪いので、そっと様子を観察する。
村人たちの作業がお昼休みに入るのを待つ間、山崎さんに、福村さんたちを作業所の対面にある一軒の民家に案内してもらう。この村に典型的な貧しい村人の家である。この地域では一般的な高床式の民家の前の庭では、少女が母親を手伝って椰子砂糖作りに精を出していた。
この家も、旧来型の素焼きの技術で土鍋を作っているのだが、素焼きの大きな鍋の値段は20円ほど。これだけでは足らないので、収入を補うために椰子砂糖を作っているのだ。一方、我々のプロジェクトで作られる、釉薬のかかった本格的な焼き物なら、一個少なくとも400円。土鍋の20倍以上の値段で売れ始めている。
この家の主婦は我々のプロジェクトに参加していなかったが、最近では、興味を示して作業を覗きに来たりしている。このような変化は彼女だけに限らない。これまでは、我々のプロジェクトに懐疑的で遠巻きに眺めるだけだった村人たちの中に、参加を希望する者が益々増えているという。
                                    <椰子砂糖作りをお手伝い>
     
昼休みになった。皆に手を休めてもらって、日本から持参してきたお菓子を振舞いながら懇談会をした。このために、山崎さんにアドバイスしてもらって、皆に気に入ってもらえそうな菓子を各種選んで来たのだ。人形焼のほか、雷おこし、ひよこ、落雁、サイダー飴等など。
日本財団のこのプロジェクトに掛ける期待、長期的な取り組みの方針などについて少し話した後、質疑応答を行った。プロジェクトも2年目に入り、次第に製品の評価も高まり、最近になって王室の意を受けてシソワット王子が見学に見えたり、黒木日本大使御夫妻からも注文が入るなど、ここへ来て、参加者たちの士気も目に見えて高まって来ているようだ。これまで他の村人や家族の中からさえも向けられてきた色んな批判や懐疑の目にも拘わらず、頑張って来たことが大きな成果に繋がり始めたことが誰の目にも明らかになってきたのだ。参加者のみんなの自信に満ちた笑顔が印象的だった。
プノンペン市内に戻り、福村さんたちを山崎さんの経営するアンテナショップに案内、このプロジェクトの試作品を何点も購入してもらった。私は、福村さんたちと分かれ、カンボジア盲人協会(ABC)へ。ブンマオ事務局長とチャリティーコンサートに向けた準備態勢の構築について協議。次いで、聾者人材育成プログラム(DDP)のチャーリー神父に会い、チャリティーコンサートをカンボジア障害者団体全体のためのものとして位置付けることで了解を得た。
 


8時 ホテル出発                
10時半 オンドルンセイ村 
12時 CJS山崎社長らと昼食
14時 NyoNyum木村編集長
14時半 ABCブンマオ事務局長
16時15分 DDPチャーリー神父
18時半 福村さんらと夕食
後半のオーディションは中止 [2011年05月09日(Mon)]
5月9日(月曜日)
朝8時半にホテルを出て、文化省へ。チャリティーコンサートに出演するカンボジア人メンバーを選抜するためのオーディションが行われるのだ。
会場となるのは文化省のホール。既にそこには、前回のASEANオーケストラのオーディションでもお世話になったパナーサストラ大学芸術学部長で文化大臣顧問のサムアンサムさんが集めてくれた25人のメンバーが集まっていた。
さらには白人の教授に引率されたシンガポール国立大学の学生たちが見物に来ていた。彼らは、明日、王立芸術大学の音楽学部と一緒に演奏会をするためにカンボジア訪問中なのだとか。
早速、一人ずつ舞台に立って担当の楽器を演奏するという形でオーディションが始まった。私は、オーディションを見物しながら、この後、会う予定の英国人でチャリティー活動のプロであるというウッドさんとの面談の段取りや、日本大使館訪問の時間、担当者の確認、昼食をとるためのレストランの予約などで、スマートフォンと携帯電話を手に、オーディション会場を出たり入ったりしていた。
                    <オーディションが始まった>

半分近いメンバーの演奏が終わったところで、休憩になったが、様子がおかしい。サムアンサムさんが王立芸術大学の音楽学部長となにやら深刻な顔で話し込んだまま、後半がスタートしない。サムアンサムさんが済まなそうな顔をして、なにやら福村さんに告げた。
何と、残りのメンバーが一人ずつのオーディションに尻込みし、全員一緒での演奏を聴いて選んでほしい、と言っているというのだ。そんなオーディションなんて聞いたことがない、と福村さんも呆れ顔。何故今になってそんなことを、とをという我々の問いに、サムアンサムさんが実は、、、と語り出したのは、王立芸術大学の音楽学部内部の主導権争いを巡る大変複雑な内部事情だった。
演奏家たちがオーディションを渋っているのは、今回のオーディションを自分のライバルが仕切ろうとしていると見た、別の派閥のボスが、どうやらヘソを曲げたのが原因らしいというのだ。結局、後半のオーディションは中止になり、福村さんたちは昼食を取りながらサムアンサムさんと善後策を協議することに。
 
                              <途中までは順調だったのだが、、、>

私は、漸く連絡がついた英国人のウッドさんを同じレストランに誘って、昼食を取りながらチャリティーの相談。ウッドさんはなんと自転車に乗って現れた。カンボジアの酷暑の中で自転車を漕いでいるのは、自転車を改造した三輪車タクシーの運転手くらいかと思っていたのでびっくり。さっきまで、警察に被害届に行っていたのだ、という。昨日、自宅にこそ泥が入り、パソコンが盗まれたそうだ。メールに返事がなかったのはそのため。それにしても、泥棒に入られたのはここ二週間で二回目だとか。恐らく犯人は同一人物ではなかろうか、という。
こそ泥といっても、武器が野放しといわれるカンボジアでは、犯人と鉢合わせになると危険だ。怪我がなかったのは何よりだが、何度も入られるような状況は早急に改善する必要がありそうだ。昼食の後、ウッドさんには引き続き、私のホテルに来てもらい、ロビーのカフェでチャリティーの段取りなどについて、更に協議を重ねた。
 
           <カンボジアの伝統建築様式を取り入れた文化省ビル>

午後5時前には、日本大使館に黒木大使を訪問。チャリティーコンサートに就き報告し、協力をお願いした。
大使は前回お話した例のカンボジア焼き物に興味を持っていただき、先日はご夫人と一緒に、コンポンチュナンの現場まで足を伸ばして頂き、大使館の什器用に御注文を頂いたとのことなので、そのお礼も申し上げたりして、遅い時間にも拘らず、一時間近くも色々お話させていただいた。
テロなどの万一の事態に備えてどこの国でも厳重警備の日本大使館だが、今回の震災の直後は、義捐金を供出するカンボジアの一般市民が大勢駆けつけた。中には、なけなしの収入の中から5ドルを差し出したバイクタクシーの運転手もいたという。UNTAC以来の日本政府による一貫したカンボジアに対する様々な支援が、一般市民にまで広く理解、評価されており、「これまで日本に助けてもらった、今は恩返しの時」と考えた市民が多かったのだという。
                        <厳重警備の日本大使館>

8時半 ホテル出発
9時 文化省オーディション
12時 サムアンサム学部長
14時 チップウッドさん
17時 黒木駐カンボジア日本大使
18時 川口書記官
プノンペンの日曜日 [2011年05月08日(Sun)]
5月8日(日曜日)
今日は日曜日だが、カンボジア伝統医療機構(CaTMO)のアドバイザー、高田さんに来てもらって打合せ。CaTMOは、カンボジア初の国立伝統医療学校を運営するために日本財団がカンボジア保健省と共同で設立した現地NGOだ。若手鍼灸師の高田さんにはこのプロジェクトのためにプノンペンに常駐し現地で頑張ってもらっている。
今回、以前から気になっていた「shabu-shabu」という看板を掲げたレストランに二人で初めて入ってみた。
                     <日曜日の朝の公園>
     
近年、高度成長が続くカンボジアでは国民の生活水準が目に見えて向上している。プノンペン市内では次々と新しいビルが建ち、小奇麗なショッピングビルやレストランが開店している。
明らかに、客層は日本人でも欧米人でもない。地元の比較的裕福な人たちだろう、老若男女で賑わっていた。
が、驚いたのは、日本では寿司が並ぶ回転ベルトに鍋料理の材料が並んでいたこと。そして、それぞれの席には小さな穴が開いて、下にはガスコンロが設えてありその上に一人分の鍋が置けるようになっていた。「shabu-shabu」の正体はこれだったのだ。

                <カンボジア式ヒュージョン料理?「回転鍋」>

午後からは、チャリティーコンサートの指揮をお願いする福村芳一さん、マネージャーの斉藤さんを滞在先のホテルに訪ね、明日から始まるオーディションやコンサートの運営体制などについて打合せ。
夜は、日本語とカンボジア語の同時通訳の第一人者でフリーペーパー「NyoNyum」を発行する会社CJS Inc.の社長の山崎幸恵さんと夕食を取りながら、山崎さんがプロジェクト責任者を務めるカンボジア陶器復興プロジェクトなどについて相談。

                                <美しい新市街の町並み>
             
                   
12時 CaTMO高田さん
14時 福村さん
18時 CJS山崎社長
再びカンボジアへ [2011年05月07日(Sat)]
5月7日(土曜日) 
今回は5泊6日でカンボジアという短い旅。主な目的は、10月7日に行うことになったカンボジア盲人協会のための準備。当初は前半をミャンマー出張に宛てるために時間を取っていたものだが、それが実現せず、カンボジア単独出張となったもの。
前回のミャンマー出張時に保健省OBで今は我々の置き薬事業を手伝ってもらっているニュントさんと、今年末に計画している置き薬開始式典の現場の下見にミャンマー西部のラカイン州に行くことで合意していたのだ。私が持っているミャンマーの1年の長期ビザが切れる5月24日までに行きたかったのだが、残念。

     
                <プノンペンに着いた>
     
日本とカンボジアの間には直行便がないので、バンコクまで飛び、プノンペン行きの便に乗り継ぐ。タイ国際航空の機内は空いていた。ビジネスクラスの乗客はたったの二人。この便はタイ人のビジネスマンやカンボジアの政府関係者、国際機関関係者などでいつもはほぼ満席なのだが、、、。週末とは言え、こんなことは初めての経験。もう一人の乗客も日本人。長引くタイ・カンボジア間の国境紛争のせいだろうか。
プノンペンに到着。東京を出るときの気温は17.5度だったが、ここでは33度。それでも、5月のプノンペンにしては例年に比べ気温が低い。
                               <プノンペンの新しい町並み>
     
10時50分 成田発
15時25分 バンコク着
18時15分 バンコク発
19時25分 プノンペン着
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