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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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国連平和大学の入学式に参加 そして、帰国 [2011年04月07日(Thu)]
4月7日(木曜日)
朝8時、ホテルをチェックアウト。荷物を全部持って、アテネオ・デ・マニラ大学へ。これから国連平和大学のアジア・キャンパス修士コースの5期生の入学式が行われるのだ。
入学式とは言っても、これまでのような大袈裟なセレモニーは取り止めることにした。この事業のアテネオ・デ・マニラ大学側の責任者であるクルス人文学部長と国連平和大学のカワガス教授が歓迎の挨拶しただけで、後は実務的なオリエンテーション的内容が中心。
私はその中で、日本財団グループの活動を紹介した。プレゼンテーションを終えて席に戻ると、クルス学部長が「日本財団の支援事業は本当に人々の役に立つ良い事業ばかりだ、私はそのような素晴らしい日本財団と仕事が出来ることを光栄に思っているんだ」と囁いた。
    
         <入学式で挨拶するクルス人文学部長>

中米コスタリカにある国連平和大学本校とフィリピンの有名私立校アテネオ・デ・マニラ大学の二つのキャンパスを結んで1年半余りの期間で国際平和学に関連した10以上の専門分野でマスターコースの習得を目指すこの事業も、発足して今年で早くも、5年目を迎える。今年も30人の定員に大勢の応募があった。その中から、10名の男性と、20名の女性が選ばれたのだが、うち、14名が日本人、残り16名の国籍は、インドネシア、韓国、ミャンマー、フィリピンなど10カ国に及ぶ。
休憩時間に、そのうちの何人かとは少し雑談することが出来たが、いずれも、将来は国際平和に貢献したいという意欲に燃えた、爽やかな若者たちばかりであった。来年以降、このプログラムをどのように実施するかはまだ白紙の段階だが、出来れば続けていきたいと考えている。
                                        <オリエンテーションに耳を傾ける第5期生たち>

入学式=オリエンテーションの午前の部が終わったところで、私は昼食に向かう一行と別れて空港へ。午後2時半の便で帰国。今回の出張の最後のフライトだ。
成田へ向かう機内はがらがら。成田空港に着いてみると、空港構内はこれまで経験したことのない空きようだった。
いつもは荷物を受け取る人で込み合う税関前のフロアーも殆ど空っぽの状態だ。地震の後、特に、原発事故が表面化して以来、日本を脱出する外国人が増えるとともに、日本に来る外国人が激減している、という報道を実感。

                                <成田空港は空っぽ>

     
8時 ホテル出発
9時 アテネオ・デ・マニラ大学入学式
10時 プレゼンテーション
11時半 アテネオ・デ・マニラ大学出発
14時25分 マニラ発
19時50分 成田着
WHO西太平洋地域事務局で伝統医療事業の打ち合わせ [2011年04月06日(Wed)]
4月6日(水曜日)

          <ホテルの部屋から見たマニラ市内>
 
早朝にホテルを出て、空港に。フィリピンに移動せねばならない。
3時間ほどのフライトでマニラへ。空港には、何とWHO(世界保健機関)の西太平洋地域事務局の車がお出迎え。ホテルにチェックインして部屋に入って間もなく、今度は、WHOの運転手がロビーにお出迎え。と言っても、徒歩5分の距離なので、二人並んで歩く。前回までは、総て自分一人で歩いて行ったものなのだが、今回は破格の待遇。WHOの西太平洋地域事務局における日本財団の位置づけがアップしたのかも。
   
                                      <WHO西太平洋地域事務局の本部ビル>

伝統医療専門官のモンゴル人女性、ナラントヤ博士など3人の担当者や上司のベケダム保健部門開発局長らと協議。WHO西太平洋地域事務局の協力を得て、ベトナムで来年早々から始める予定の置き薬事業について意見交換。また、インドネシアで今年後半に開催する予定のASEAN伝統医療会議の企画段階からのWHO関係者の参画へ協力を求められる。
協議を終えてホテルに戻ると、テレビでは上院の公聴会が生中継中。テーマは、何と、日本の原発事故のフィリピン市民への影響。そう言えば、マニラの大学では、数週間前のある雨の日、日本の事故による放射能が雨に含まれていて危険、と休校騒ぎがあった由。

                     <日本の原発事故を巡る上院の公聴会をテレビが生中継>

     
5時 ホテル出発
7時40分 バンコク発
11時55分 マニラ着
15時 WHO打合せ  
17時半 共同通信三井支局長
スカイトレインのプラットフォームでも日本支援を呼びかけ [2011年04月05日(Tue)]
4月5日(火曜日)
朝8時、ホテルを出てAPCDに向かう。朝のラッシュは車は禁物。スカイトレイン(BTS)で最寄り駅のビクトリーモニュメント駅まで行き、20分余り歩くコース。BTSの駅を出たところでAPCDのスタッフで盲人の若き日本人女性、堀内佳美さんに追いつく。見知らぬタイ人の若い女性が付き添っていたようなので人違いかと思ったのだが、タイ人の女性はたまたま彼女を助けていただけ。タイの人は本当に親切だ。障害者がいてもめったに声を掛けることもしない日本人とは違って、自然に手伝ってくれるようだ。
堀内さんと一緒に二人で歩道をAPCDまで歩く。自分ひとりのときには余り気にならなかった歩道の敷石の凹みや水溜りが意外に多いことに、堀内さんと一緒に歩いてみて初めて気づく。
                   <スカイトレインのプラットフォームでも日本支援を呼びかけ>

中国系マレーシア人でマニラで自分の会社を経営しているThomas Ngさんと合流、APCDのニノミヤ所長と彼の腹心の佐野さんも加わり4人で、現在検討中の新規事業「Inclusive Business」の進め方について意見交換。Thomasさんがアジア支部長を務める経営者団体WPOの年次総会との連携などを含む、色んな新しいアイデアが出て大いに勇気付けられる。 
打合せを終えて、一旦ホテルに戻り、テレビ朝日西支局長と二人で昼食。
夕方、CIATに出向しキャッサバ事業に従事している日本財団スタッフの間遠さんと落合い、キャッサバ事業の問題などについて協議。
その後、APCDのニノミヤ所長と佐野さんが加わり夕食を取りながら、障害者の農業経営の実態につき意見交換。Inclusive Businessには農業を加えることで意見が一致。素晴らしいプロジェクトが出来そうだ。
                    <OCHAYAという名前のタイのお茶スタンド 面白いのでパチリ>

8時 ホテル出発                
9時 APCD打合せ 
12時 テレビ朝日西支局長
18時 CIAT間遠さん
18時半 APCDニノミヤ所長らと夕食
障害者公共政策大学院(IDPP)ついに設置へ [2011年04月04日(Mon)]
4月4日(月曜日) 
 
                   <IDPPの調印式で会長のスピーチを代読>

早朝7時半。ASEAN事務局のラジャさん、アメリカン大学のアミタフ教授らと一緒に車に乗り込み、マヒドン大学サラヤ・キャンパスへ。3年かけて準備してきたASEAN障害者公共政策大学院の設立調印式に参加するためだ。
10時より、マヒドン大学サラヤ・キャンパスにおいて、関係機関の代表が一堂に会し、設立のための調印文書が交わされた。
参加者は、タイの元首相で、影の最大の国家権力であるといわれる枢密院のナンバー2でAPCD財団の会長でもあるタニン閣下と、マヒドン大学のピヤサコーン学長を中心に、アメリカン大学のグッドマン国際関係学部長、シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院のトゥミレス学院長補佐、米国立理工科学院院長のバックレー博士、国際視覚障害者教育評議会のマニ事務局長らが並ぶ。タニンさんらの挨拶の後、ASEANのスリン事務局長の特別顧問、ラジャさんがスリン事務局長の挨拶を代読。私も、日本財団笹川会長のスピーチを代読。引き続き(11時45分)記者会見が行われた。
 
                       <調印式の後の記者会見 内外の記者が集まる>

障害者の置かれた環境を改善するには、障害者自らが障害者行政や教育に参画することが必要であるが、そのためには高度な専門教育を受けた障害者の育成が不可欠である。しかし、ASEAN各国など途上国では、障害者がそのような高等教育を受けるための教育環境は整備されているとは言い難いのが現実だ。
我々の呼びかけに応じた以下の4教育機関が中心になって、ASEAN障害者公共政策大学院が設立されることになった。タイのマヒドン大学、シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院、アメリカン大学国際関係学院、米国立聾理工学院である。
さらに以下の3つの専門機関が協力する。APCD (Asia Pacific Development Center on Disability) 障害問題全般に関する助言、オン・キャンパス期間の障害者サポートなどを担当、IECVI (the International Council for Education of People with Visual Impairment)視覚障害者教育に関する助言、視覚障害者サポートなどを担当。COTELCO (the Center for Research on Collaboratories and Technology Enhanced Learning Communities)がインターネット教育に関する助言、サポートを行う。
学生の定員は25名、日本財団は企画・助成元として、本校の運営に必要となる経費全額を支援するほか、15名までのASEAN国籍の障害者学生に対し、必要経費(奨学金、旅費など)を供与する。
 
                          <調印を終えて全員で記念撮影>

修士号は当初は、アメリカン大学国際関係学院から供与されるが、今後、その他の提携大学ともdouble degree、 joint degree供与につき協議する方針である。修士号の正式タイトルはMaster of International Affairs in Comparative and International Disability Policy。尚、試験、授業はすべて英語で行われる。
募集開始は5月9日の予定(詳細はウエブサイト:http://aseanidpp.org/ 参照)
入学式、オン・キャンパス授業は7月18日から29日の予定。
昼食会の後、私とラジャさんは旧空港のあったドンムアン地区にある女性の地位向上協会へ。新プロジェクトのアイデアを巡って意見交換。ここでは、折鶴で象られた日本とタイの国旗を受け取る。日本の大震災の犠牲者の冥福と、一日も早い復興を祈って会員たちが作ってくれたのだという。
その後、一旦、APCDに戻り、ドリームチームのセミナーの最後の部分のみ傍聴。
夜は、指揮者の福村さん、音楽プロデューサーのケン・タンさんらを交えて、ASEANオーケストラについての打合せ。

                        <女性の地位向上協会で折鶴を受け取る>

7時半 ホテル出発
10時 IDPP調印式
12時 IDPP昼食会
14時 女性の地位向上協会
16時40分 IDPPドリームチームセミナー
19時 ASEANオーケストラ打合せ 福村さん
今夜は障害者公共政策大学院(IDPP)の前夜祭 [2011年04月03日(Sun)]
4月3日(日曜日)
 
        <マーティンさんのピアノが前夜祭を盛り上げる>

日曜日の朝だが、なぜか早く目覚めてしまう。朝食の後お昼まで、出張出発以来溜まっていたメールの返事を書いて過ごす。お昼の食事はフジテレビ江藤支局長と一緒。
その後、APCD(アジア大平洋身体障害者センター)主催のIDPP関係者への夕食会に参加。明日の調印式の当事者である3大学のうち、今夜遅くに遅れて到着予定のシンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院の関係者を除く関係3大学、即ち、ホストであるマヒドン大学とアメリカン大学国際関係学院、米国立聾工学院の関係者、ドリームチームのメンバー等を中心に40人ほどが集まった。
APCD理事でマヒドン大学名誉教授のプーンピット博士、タイ唯一の盲人の上院議員で、タイ盲人協会の元会長であるモンティアンさんらのスピーチのあと、皆で調印を祝って乾杯した。

                                       <挨拶するモンティアン上院議員>
 
私は一人感慨にふけっていた。私がこの構想を、最も信頼する専門家で、長年にわたる聾者大学生の支援事業(PEN-International)のパートナーである米国立聾工学院(NTID)のデカロ学院長に初めて打ち明け、彼の意見を求めたのは2009年の4月。たかだか、2年前のことに過ぎない。
当初、障害者の起業を支援することを考えて、ビジネススクールとして構想していたのだが、それを公共政策の大学院に変えるようアドバイスしてくれたのが、直後に来日した国際視覚障害者教育協議会(ICEVI)の会長でやはり長年にわたる視覚障害者のためのコンピューター教育事業(PEN-International)のパートナー、キャンベル博士だった。
翌月、シアトルに私が出張した際、お二人に来ていただきブレーンストーミングして生まれたコンセプトを元に作り上げたのがIDPPなのだ。
その時に、私は2011年中の発足を目指すとは言ったものの、何の成算もなかったのが本当のところ。よくぞ、実現に漕ぎ着けたものである。基礎作りを支えてくれたこの二人がいずれも事情があってこの場にいないことが最大の心残りであった。


           <挨拶に聞き入る参加者たち>

乾杯の後、会場では、タイで最も有名な盲目のピアニストであるマーティンさんらによる室内楽の演奏会が始まっていた。さらに、マヒドン大学の音楽学部の障害者学生たちによる楽器演奏や唱歌と続いた。誠にIDPPの前夜祭に相応しい、APCDのニノミヤ所長による粋な演出であった。   
誰もが明日のIDPP(障害者公共政策大学院)の調印式を前に、高揚したムードで会話を楽しんでいる中で、一番、達成感を感じていたのは事務方の3人の中心人物、APCDニノミヤ所長のアシスタントの堀内佳美さんと、日本財団スタッフの吉田稔君、マーティンさんのお嬢さんのエンさんではなかろうか。
IDPPの調印式については、最後まで、色んなこまごまとした変更が相次ぎ、事務方はてんてこ舞いであったと思うが、ようやく無事に明日の調印式を迎えることが出来た。会場で見かけた3人の顔には安堵の表情が浮かんでいた。
 
                                      <事務方の主役はこの三人 御苦労さま>

12時 フジテレビ江藤支局長
17時 ASEANラジャ特別顧問
18時半 APCD夕食会
バンコクのホテルでも地震募金 [2011年04月02日(Sat)]
4月2日(土曜日)
                            <首相官邸の荘重なビル>
 
朝一番のバンコク行きに乗るべく、7時半にホテルを出発。首相官邸など官庁街とカンボジアの最高学府、プノンペン大学の前を通って空港に向かう。長い間工事をしていた首相官邸の巨大なビルもほぼ完成したようだ。朝焼けの中に荘厳な姿を見せていた。 
一昨日、火事のために大渋滞したという道だが、今日は比較的スムース。しかし、ついこの間、初めて交通信号機がお目見えしたばかりのように思えるプノンペンの町だが、近年の経済発展の結果、道路には車が溢れるようになって来た。空港への道に限らず、渋滞は時を追ってひどくなる傾向にある。まだ、恐らくは地下鉄建設なんて思いもよらないのかもしれないが、今のうちから準備に取り掛かるべきかも。
 
                            <道路には車が溢れる>

途中、空港寄りのところに、大きな人だかりがして道路にまではみ出しているところがあった。大きな倉庫のような建物が真っ黒になっている。運転手のソルヤさんによれば、ここが、一昨日の火事の現場となった繊維工場の倉庫なのだとか。空港のロビーで読んだ現地の新聞の記事では、プノンペンの警察は、早々と、火災の原因を究明。それによると、漏電によるもので、全く、事件性はないとのこと。ほんまかいな。本当に、それなら良いが、タイミングが早すぎるところに一抹の不安を感じたのは穿ち過ぎか。
                       <一昨日の火事の現場は繊維工場の倉庫とか>

プノンペンの空港で開いた現地英字紙によると、このほど、エールフランスがバンコク経由のパリ行きの定期運航を開始したとのニュース。週3便に過ぎないが、カンボジアにとっては悲願の欧州への定期便。何と37年ぶりの欧州便なのだそうだ。カンボジアの経済に欧州企業も注目し始めたということだろうか。

                       <パリ行きの定期運航が開始されたとのニュース>

バンコクに着き、いつものホテルにチェックインしてみると、部屋の机には日本への募金を呼びかけるレターがおいてあった。
夜は、共同通信の沢井支局長に会い、明後日のマヒドン大学でのIDPP(障害者大学院大学)の調印式を取材していただく段取りなどについて打ち合わせ。

                         <ホテルの部屋にも日本への募金の呼びかけが>


7時半 ホテル出発
9時40分 プノンペン発
10時50分 バンコク着
18時半 共同通信沢井支局長
仕切り直しのカンボジア伝統医療機構理事会 [2011年04月01日(Fri)]
4月1日(金曜日)
朝食を食べながら、CaTMOアドバイザーの高田さん、日本財団の担当者の中嶋君と打合せの後、保健省本部の敷地内にあるビルで行われる理事会へ。
CaTMOとは、日本財団の財政支援により設立されたカンボジア初の国立伝統医療学校を運営する保健省の外郭団体「カンボジア伝統医療機構」の略称だ。
今年、2月中旬のカンボジア出張の際に行われた定例理事会で、予算を巡る議論が持ち越しとなり、急遽、臨時の理事会を開いて再度協議することになったもの。


        <ここでも日本の被災者のための募金が、、、>

会議の冒頭に、モナ副大臣から大震災に対するお悔やみの言葉を頂く。イムヤン事務次官からは、伝統医療学校の生徒たちから、日本の被災者のために募金しようとの声が自発的に上がり、皆でお金を集めたのだと、募金箱を示しながら報告があった。決して裕福とは言えない生徒たちからの志。本当に、有難い限りだ。
フンセン首相もつい先日、義援金を渡しにわざわざ日本大使館を訪れたとか。日本人の統率の取れた危機対応がカンボジア人を感服させたという。

                                     <カンボジア伝統医療機構(CaTMO)理事会が始まる>

理事会には、私がお願いして理事に就任していただいた前日本大使の篠原さん、ブンサンボ官房副長官のお二人がいつものように揃って出席。今回は、中島君と高田さんが入念に打合せ、事務局のプレゼンテーション資料から予算作りまでを指導してくれたお陰で、スムースに進行。新年度予算が原案通りに承認された。
                         <国連平和大学卒業生たちと>

夕食の前に、CSPOの弁護士で自らも障害者のジョン・ハニーさんに来てもらって、今年の10月にプノンペンで計画しているチャリティー・コンサートのことで相談。
その後、日本料理屋に移動し、国連平和大学のカンボジア人卒業生ら、カンボジア人の若者4人も加えて食事を取りながら色々意見を聞く。しっかりした考えと価値観を持つ、大変優秀な若者たちと話すことが出来て本当にうれしかった。
 
 
9時 CaTMO高田さん
11時 CaTMO理事会  
12時半 CaTMO理事会  
14時半 CJS山崎社長
17時 CSPOハニー弁護士
18時半 UPeace卒業生らと夕食
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