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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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今年最後、20回目の出張が終わった [2010年12月16日(Thu)]
12月16日(木曜日) 
今日は帰国の日。朝8時、森さんと一緒に、予約していたタクシーに乗る。
どうも今朝は一段と冷え込んでいるようだ。ダレス飛行場のあるバージニア側へ、ポトマック川にかかるキーブリッジを渡る。川面を見ると薄く凍っていた。
運転手曰く、今日はこのあと雪が降るらしいよ。雪が降ったら川面は一面真っ白だよ。
えっ、雪が降るんだって、まさか。


                   <気が付くと飛行場は一面真っ白に>

タクシーの運転手が言ったとおりだった。
我々二人は話し込んでいて気が付かなかったが、空港で飛行機を待つ間にもう、雪が降り出していた。定刻を暫く過ぎて、出発のアナウンス。ふと見ると、外は一面の銀世界。
一瞬、不安が頭をよぎる。昨年の丁度今頃、ワシントンは大寒波で空港閉鎖に追い込まれ、私は、予定を一日切り上げて、サンフランシスコ経由で帰国する羽目になったのだ。


                 <我々が乗り込む飛行機の頭にも雪が積もっていた>

飛行機に乗り込んで驚いた。飛行機の丸窓は雪に覆われ、殆ど外が見えないほど。これだけ飛行機の上に雪が積もると、翼のフラップが気温が一層下がる上空では凍結して動かなくなってしまうので、不凍液をまいて除雪しないと飛び立てないのでは。
思ったとおり、ほどなくして、機内アナウンス。急遽、機体に積もった雪を取り除く作業を行うことになったことが告げられる。そのため、出発は更に遅延。
結局、1時間半ほど遅れたものの幸い、飛行機は何とか離陸。


                 <機内の窓は雪に覆われ、外が見えないほど>


ついに、今年最後の出張が終わった。出発前は、余り気乗りのしない今回の米国出張であったが、予想以上に大きい成果の得られた出張だった。思い切って来てみて良かった。
数えてみると、今回が今年20回目の出張。1月以来通算で数えると、海外で過ごした日数は全部で142日。
過去5年間では最少。3年前のピークと比べると、30日以上減ったことになる。来年の目標は15回、日数で120日程度に減らすこと。何とか出来そうな予感。


                  <除雪作業の後も直ぐに雪が視界を塞ぐ>

7時 朝食
8時 ホテル出発
11時20分 ワシントン発
(翌17日)15時25分 成田着
アメリカン大学へ 3カ国を結ぶ遠隔会議でIDPP(障害者公共政策大学院)を協議 [2010年12月15日(Wed)]
12月15日(水曜日)

                 <歴史を感じさせるアメリカン大学のキャンパス>

朝9時半過ぎ、タクシーに乗ってワシントン市内北部のアメリカン大学に急ぐ。IDPP(障害者公共政策大学院)を協議するためだ。この事業のプログラムディレクターのデリック・コグバーン准教授が我々を迎えてくれた。昨年の今頃訪れた時は工事中だった国際関係学部の新校舎だ。
新築なった国際関係学部を見学する前にグッドマン学部長と挨拶。彼とは2年近く前の2009年2月、インド、ブバネシュワールでのBABAの会議で初めて出会い意気投合。その年の7月バンコクで再会した際、遠隔教育を多用する障害者大学院大学構想を打ち明けたところ、自分がスカウトして来たばかりのコグバーン准教授を、翌8月の専門家会議(http://blog.canpan.info/ohno/daily/200908/01)のメンバーに加えるよう推薦してくれたのだった。
正直言って、私はほぼ参加者への案内も終わっていた段階での専門家の追加には最初は抵抗さえ感じたのだが、グッドマン学部長の勢いに負けて、コグバーン准教授を招待リストに追加することに同意したのだった。
ところが、こうして最後の土壇場で専門家チームに加わった彼が、この分野での先覚的な研究者で、極めて有能な実務家でもあること、加えて、自らこの構想に大乗り気となり、是非プロジェクトディレクターをやらせてほしいと言ってくれたこともあって、今では、プロジェクトの実務責任者として、IDPP構想を実現する上で無くてはならぬキーパーソンになったのだから、人の縁とは不思議なものである。
そういう意味で、グッドマン学部長は私にとっては大の恩人だ。その彼が20数年務めた学部長を辞任し、一年のサバティカルの後は、一教授としての立場に戻るというのでびっくり。
グッドマンさんとの面談の後、コグバーン教授の案内で国際関係学部内部を見せてもらう。省エネ上の配慮など、極めて機能的に作られた校舎に感心。しかし、もう年末休暇が始まったとかで、学内は閑散。


                 <がらんとした国際関係学部の新校舎内部>

地下にあるプロジェクトルームに案内される。そこにいたのは、中国系インドネシア人女性のエカさんと米国人のネルソンさん。二人ともここの大学院生でこのプロジェクトのためのリサーチを手伝ってくれている。
会議室の壁にはプロジェクターが投射したコンピューターの画面。これはIDPPの学生が実際に授業で使うのと同じ画面だ。このシステムを使ってこれからIDPPプロジェクトの進展状況を討議する定例会議が開かれるのだ。
実際の授業が世界のあちこちに散らばる教授や学生を結んで行なわれるように、今回も、ここだけでなく、韓国、タイ、米国など3カ国、全部で6つの場所を結んでの会議。参加者は我々のほか、3人の専門家と4人のアシスタント、1人の手話通訳、1人のキャプショニスト(聴覚障害者のための同時字幕制作者)がインターネットを経由して参加。
手話通訳とキャプショニストが参加してくれているのは単なる実験のためではない。エカさんは聴覚障害者なのだ。彼女は、聾者専門大学として有名な米国のギャローデット大学出身。そのときは、日本財団の奨学金の受給生だった、今でも感謝している、と後で打ち明けてくれた。


              <IDPP設立準備プロジェクトの進捗について3カ国6か所を結んで会議>

インターネットでの会議の後、一緒に昼食を取り、その後、プロジェクトルームに戻り、韓国も、バンコクも今は深夜なので、コグバーン教授と我々だけで協議を続行。最後に、グッドマン学部長に挨拶してアメリカン大学を後にしたのは、午後3時過ぎだった。
夕方5時半、VNAHのカバントランさんがホテルに迎えに来てくれた。今日の午後、ベトナムから帰ったばかりと言う。彼とは10月末にASEANオーケストラの件などでハノイに行った際に会って以来。しかし、その時の彼は、最愛の娘さんが直前に交通事故に遭い、深刻な状況だと塞ぎ込んでいたのだったが、、、。
しかし、今日のカバントランさんは晴れ晴れとした表情。一時は果たして完治が可能か心配されたほどだった娘さんが何と、今では、元気に職場に復帰したのだという。お祝いを兼ねて、郊外の中華料理店へ夕食に連れて行ってもらう。娘さんのフオックさんも参加。初めて会ったお嬢さんは、議会図書館勤務の23歳。知的ではつらつとした娘さんだった。奇跡が起きて本当に良かった。
この数カ月というもの、何故か、日本財団の事業の関係者で20代の若い女性ばかりが立て続けに交通事故に巻き込まれるという事件が続いた。そのうち、ラオスとカンボジアでは二人が亡くなった。一人は農業、もう一人は伝統医療だが、日本財団から奨学金を受けて学び、卒業して一年という時点での突然の死であった。未来に希望を抱いて真剣に努力していた若者の死は本当に悲しい。


8時半 朝食                
9時半 ホテル出発
10時 アメリカン大学国際関係学院
17時半 VNAHカバントラン代表 夕食
置き薬プロジェクトの件で世界銀行へ [2010年12月14日(Tue)]
12月14日(火曜日)

               <夜半、ホテルの前の通りにはうっすらと雪が積もっていた>

時差があるので夜中の2時頃に目が覚めてしまう。カーテンを開けて、ホテルの前の通りを覗いてみると、通りにはうっすらと雪が積もっていた。しかし、どうやら粉雪は止んだようだ。安心して、再びベッドに潜り込むが4時前に再び目を覚まし、メールをチェック。
漸く8時、再び森さんと朝食を取りながら今日の一連の会議について打合せ。朝9時にタクシーに乗り込み、世界銀行本部ビルへ。外の空気は肌を突き刺すような寒さだが、空は快晴。気持ちの良い朝だ。
あっという間に、世界銀行本部ビルに到着。私が20年前に勤務していた当時の本部と同じ場所にあるが、建物は全面的に改修して荘厳な外観に。威圧的とさえ言えるビルになった。当時と最も変わったのが入館手続き。身元チェック、荷物チェックなどセキュリティー上の手続きが何倍も厳格になったのだ。その為、手間取り約束ぎりぎりの時間に中に入る。


                    <雪化粧したワシントンの朝>

東アジア大洋州局で保健部門の責任者、ウリベ博士に会う。今年9月、世界銀行の北京事務所を訪問した際、王さんとランゲンブルナーさんから本部の責任者であるウリベさんとの面談を勧められ、それ以来、ウリベ氏のアジア出張に合わせての面会を何度か試みたが双方の都合が付かず、果たせなかったのだ。
ウリベ博士はさすがに事前に十分資料に目を通していたらしく、我々の事業について良く承知していた。モンゴルやその他のアジア各地での置き薬方式による伝統医薬品配布事業を、非常に革新的で友好な手法であると評価すると発言


                    <世界銀行本部ビルの威容>

しかし、我々が世銀の北京事務所と相談してきた世銀による現地調査ミッションの派遣については否定的。世銀本来のエキスパティーズがある分野ではないので、WHO(世界保健機関)のような機関がその任に当たるべきとの意見。
ただしもし、WHOが中心となって諮問グループのようなものを設置するのであれば、そこに世銀が、国家レベルの政策面でのアドバイザーとして参加するのは可能とののことで、今後、ベトナムのように新規に置き薬事業を開始する場合、ゼロから第三者によるアドバイザー機関のようなものを作り、モニタリングさせる場合に、世界銀行の専門家の参加を検討することになった。
一旦、ホテルに戻り、昼食の後、再び森さんと一緒に世界銀行に戻り、今度は、民間財団担当のバスキーさんを訪ね、10月に行われた世界の有力民間財団の責任者と世銀総裁ら世銀幹部との初会合の様子を聞く。
日本財団には、笹川会長の参加を招請する連絡があったのだが、スケジュールが合わず、出席を断念した経緯がある。尋ねられるままに、日本財団の概要とポリシー、現在実施中の主たる事業に付き説明。是非、日本財団とも連絡を密にしていきたい、ということで、次回以降への参加につき協議。


                     <世界銀行本部ビルの内部>

その後、IFC(国際金融公社)に回り、昨年もお世話になった田中さんの紹介で、2つの部局で日本財団とIFCとの協力関係の可能性につき、それぞれの責任者であるブリディ局長、増岡局長らと意見交換。
その結果、具体的な計画で合意するまでには至らなかったが、いくつかのアイデアが生まれた。私にとっては、大変参考になるヒントが多く得られるなど、収穫大。IFCの二つの局での話が盛り上がったために、気が付くと予定時間を大幅にオーバーしていた。
夕食は岩竹さんのお世話で、19時の約束で、バンコク特派員時代以来のお付き合いのNHK米国総局樺沢記者や、家族ぐるみで親しくさせていただいているIFC世銀OBの菊地さんらを交えて、市内の中華料理店で取ることになっている。田中さん、森さん、私の3人が駆けつけたときには、19時半になっていた。皆さんごめんなさい。


                  <巨大なクリスマスツリーが飾られたIFC本部のホール>

8時 朝食                
9時 ホテル出発
9時半 世界銀行東アジア大洋州局保健部ウリベ博士 
14時半 世界銀行民間財団担当バスキー氏
17時 IFC(国際金融公社)田中氏
17時半 IFC(国際金融公社)ブリディ局長
18時半 IFC(国際金融公社)増岡局長
19時半 NHK米国総局樺沢記者 
 
ニューヨークからアセラ・エクスプレス(Acela Express)でワシントンへ [2010年12月13日(Mon)]
12月13日(月曜日)
丁度一年ぶりの米国出張。今回の目的は、ワシントンの世界銀行本部でのモンゴル置き薬事業に関するアセスメントの打診、アメリカン大学でのIDPP(障害者大学院大学)事業に関する打合せを主たる目的に、序でに、ワシントンではIFC(国際金融公社)も一年ぶりに訪問することにした。
昨年の丁度今頃にもワシントンに出向いたのだが、その際はワシントン地方は大雪に見舞われ、ダレス国際空港は一時閉鎖される事態になった。そのため、予定を一日繰り上げ、サンフランシスコ経由で帰国した記憶が蘇る。そこで、出発前には天気予報を繰り返しチェック。それによれば、寒波の来襲で一部降雪の予報だが、大事には至らなそう、ということで予定通り出発。


                <ニューヨークの街はクリスマスの飾りつけ>

今回は、ワシントンに行く前に、ニューヨークでNTID(国立聾理工学院)のデカロ学長と会って、来年から始まる新事業に関する協議を行うことにしたので、成田からはニューヨーク行きに乗り込む。約12時間のフライト、時差の関係で13日月曜日の朝11時過ぎに出発して、到着はその日の朝10時頃。
空港からは、タクシーでNTIDのデカロ学長と落合う予定のホテルに直行。早速、彼と二人だけでホテルの会議室に陣取り打合せを開始した。
日本財団は、過去10年間に渡って、PEN-Internationalを実施してきた。これはアメリカのニューヨーク州ロチェスターにある国立聾理工科学院(NTID)を中核に、途上国を中心にした各国の大学のうち、聾学生の支援技術の研鑽に関心のあるところをメンバーとする大学間ネットワーク事業である。
10年を経て、聴覚に障害を持つ大学生を支援するための共同研究事業として、各国で高い評価を受けるようになった。その結果、実施国の多くで、政府が直接乗り出すなど、自立化が可能になったとの判断から、日本財団としては、今年度一杯で一応の区切りをつけることにした。
来年度からは、この後継事業としてアジアの高等学校に焦点を当てた聾学生の支援のための学校間ネットワーク事業を始める構想である。デカロ学長とは、予め送ってもらっていた資料に基づき、新事業の基本思想や予算額などを協議した。
近くのイタリアンレストランで昼食を挟んで午後からはIDPP(障害者公共政策大学院)について協議。彼には、IDPPの件では、最初から相談に乗ってもらっている。今は、謂わば発起人の一人だ。
今年一杯でNTIDの学長を引退するデカロさんには、来年はIDPP設立準備を本格的に手伝ってもらう予定である。そこで、我々はそれなりのコンサルタント料金を支払うつもりでいたのだが、デカロさんはこの仕事はプロボノ(無償奉仕)で良いと言う。IDPPが本格的に発足して彼に何らかの役職に就いてもらことになれば、改めて報酬を考えねばならないが、それまでは、ありがたくプロボノでお受けすることにした。


                 <ペンステーション駅で発車を待つAcela Express>

打合せが終わったので、彼と別れ、ホテルの直ぐ近くにあるペンステーション駅に。3時発の列車Acela Expressでワシントンに向かう。ニューヨーク=ワシントン間はいつもは、飛行機での移動なのだが、今回は、飛行機より雪に強いと言うので、列車にすることにした。
ペンステーションは地下にある。日本の旅行代理店で予約してもらっているが、バウチャーを切符売り場で切符に替えねばならない。米国で列車に乗るのは初めてだが、欧州での経験では、列車の切符を買うのは一仕事。切符売り場は混んでいることが多く、想像以上に時間がかかるのだ。
果たして、切符売り場は長蛇の列。しかし幸い、ワシントン行きのAcela Expressの専用カウンターが別途設けられており、こちらは余り混んでいなかった。待合室も専用のものがあり、そこに案内され待っていると一応、発車の案内があり、何とか無事車内に。座席は指定ではなく、自由に先着順に好きなところに座るというシステム。


                 <これがアムトラック社Acela Expressの車内>

時刻表通り、午後3時ピッタリに発車。新幹線のようなスピードはないが、列車は順調に走り、2時間半ほどでもうメリーランドだ。ワシントンでは笹川平和財団米国本部の岩竹さんが駅に迎えに来てくれるということだったので、途中、彼の携帯に電話をするがなぜか繋がらない。
そうこうするうちに、ワシントン・ユニオンステーションに着いてしまった。予想以上に清潔でモダンな美しい駅でびっくり。構内で写真を撮りながら岩竹さんを探すがそれらしい人がいないので、タクシー乗り場に並んでいると、息せき切って彼が現れた。


           <大きなクリスマスツリーが飾られたワシントン・ユニオンステーション>

岩竹さんの車で、ワシントン市内最西端にあるジョージタウンのホテルに送ってもらう。昨年と同じホテルだ。一足先に、今朝東京から到着していたモンゴルでの置き薬事業の責任者、ワンセンブルウ理事長の森さんと合流する。彼には今年も、IFCや世銀での会議のために来てもらったのだ。
森さんと二人で歩いて、近くのベトナム料理のレストランへ。夕食を取りながら明日の世銀での会議の打合せ。食事をしての帰りみち、雪が舞っているのに気が付いた。外気温も下がってきたようだ。肌を刺す冷たさから判断して、明らかに零下を随分下回っている。マイナス5度は下るまい。


                 <ワシントンに着いた、 Acela Expressの先頭車両>

11時00分 成田発
09時30分 ニューヨーク着
11時 デカロNTID(国立聾理工学院)学長
15時 ニューヨーク(ペンステーション)発
17時47分 ワシントン(ユニオンステーション)着
19時 ワンセンブルウ森理事長
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