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大野修一(日本財団)
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帰国 (私の旅の工夫 3) [2010年07月17日(Sat)]
7月17日(土曜日)
早朝6時、暗い中をタクシーで空港に向かう。昨日以上の激しい雨だが私は車の中。今回も結局一度も傘を使わずに済んだ。こうして長かった10日間の出張も無事終わった。
帰りの航路は熱帯性高気圧のせいで雲の中を飛ぶことが多かったが、行程の終盤にさしかかり関東平野上空に近づいた時、雲の切れ間から富士山の山頂を見ることが出来た。


              <雲の切れ間から富士山の山頂が顔を覗かせた>

ところで、ここで、私の旅の工夫をもう一つご披露しよう。それは、緊急時の洗濯物の乾かし方である。それには、ホテルに備え付けてある二つのものが必要である。即ち、乾いたバスタオルと、ドライヤー。
先ず、浴室や洗面台で下着やワイシャツなどを洗った後、ドライヤーの熱風をあてて乾かすのだが、いきなりドライヤーの風をあてるのではなく、先ずその前に、乾いたバスタオルを使って水気を良く切っておくことがポイント。下着や靴下などはタオルの間に挟み、そのままタオルを絞るようにする。乾いたところが洗濯物に当たるように場所を2,3回変えて繰返すと、これだけで殆ど水分が取れてしまうので、そこで初めてドライヤーの熱風をあてて完全に乾かすのだ。
ワイシャツの場合は、この方法では皺だらけになってしまうので別の方法が必要だ。しかし、その場合もただ濡れたワイシャツを乾かすのではない。一旦、濡れたままハンガーにかけてしばらく置き、水気を少し切ってから、バスタオルでくるんだハンガーの上に掛けて置いておくと乾きが早い。そこで生乾きになったものにドライヤーをあてるのである。アイロンが備えてあるところでは、生乾きになったものにアイロンを当てるとパリッと仕上げることが出来る。このように、乾いたバスタオルを利用するのがポイントだ。


              <このようにすると靴下は数分で乾いてしまう>

6時 ホテル出発
8時10分 シンガポール発
16時15分 成田着
来年の開校に向けて動き始めた障害者公共政策大学院構想 [2010年07月16日(Fri)]
7月16日(金曜日)
朝起きてみると雨。昨日の飛行機から見た大きな積乱雲はやはり雨の予兆だったか。
私には、出張の都度いつも持ち歩いているにも拘わらず殆ど使わないものが二つある。その一つは、水着。もう一つは、雨傘。いつも持ち歩きながらもついぞ開いたことがない。外に出る時は晴れか、あるいは降るとしても車の中なのだ。今回は、その傘を遂に使うことになるのか、とスーツケースから取り出したのだが、やはり一日中使うことはなかった。
ホテル内で、APCD(アジア大洋州障害者発展センター)所長の二ノ宮さんとNHKシンガポール支局の有馬支局長と三人で昼食の後、二ノ宮所長とタクシーでシンガポール国立大学ブキティマキャンパスへ。リークアンユー公共政策大学院のロビーでジャカルタから駆けつけてくれたASEAN事務局のラジャ事務局長特別顧問と落ち合い、Tuminez院長補佐とのミーティングに臨む。
IDPP(Institute on Disability and Public Policy)=障害者公共政策大学院に関する協議だ。8月16日からの支援委員会コアチームミーティングの時間、場所などの段取り、キショール学院長への表敬訪問などを打合せ。Tuminez院長補佐自身もコアチームの新しいメンバーなのである。
さらに、来年発足時のIDPPとリークアンユー公共政策大学院の具体的な提携の可能性とその選択肢などについても助言をもらう。いきなり、修士号の共有と言う訳にはいかないが、共同研究の実施、学生間交流、教員の派遣などが可能とのことで、具体的な進め方について話し合った。
Tuminez院長補佐との協議の後、二ノ宮さんとリークアンユー大学院の担当課長のエレーヌさんの二人は、みごと難関を突破し昨日から始まった今年度の授業に参加しているインドネシア人視覚障害者のジョニーさんの授業受講サポートについて別途協議することに。
一方、私とラジャ事務局長特別顧問は二人だけで、ASEANと日本財団間の共同事業に関わる問題を協議するため席を変えて話合う。一時間ほどしたところへ、ラジャさんの奥さんのマーガレットさんが車で登場。ラジャさんの自宅は今もシンガポールにある。彼はASEAN事務局のあるジャカルタには単身赴任なのだ。
マーガレットさんは、ジャカルタから着いたばかりで我々との会議に直行してくれたラジャさんから洗濯ものなどの荷物を受け取り、交代に着替えを渡す。ラジャさんはこれからバンコク出張。家に帰る暇がなかったので、このまま、空港に向かうのだ。何という忙しさ。そんな中で、この障害者大学院プロジェクトのために駆けつけてくれたのは、彼自身のこの事業に対する共感と関心に加えて、当初からIDPPに全面的な賛意と支持を表明してくれているスリン事務局長の意向によるところも大きい。
昨年初めに、米国立聾理工学院のデカーロさんに初めて障害者大学院というアイデアを打ち明けたときも、その後、彼からの強い激励を受けて実現に向けてメモを纏め始めた時も、本当にいつ実現するのか全く定かでなかったIDPPであるが、今こうして多くの人の共感と支持を得て、来年秋の開校に向けて力強く動き始めている。


                <リークアンユー公共政策大学院のロビー>

12時 NHKシンガポール支局有馬支局長
14時 リークアンユー大学院Tuminez院長補佐
15時 ASEANラジャ事務局長特別顧問
17時半 APCD二ノ宮所長
シンガポールの今年の経済成長率は史上最高の予想 [2010年07月15日(Thu)]
7月15日(木曜日)
午前10時半、福村さんと一緒に空港に向かう。但し、福村さんは国内線でホーチミンへ、私は今回の出張の最後の目的地シンガポールへ。過去一週間一緒に旅した福村さんとも今日でお別れ。
シンガポールへ向かう機内で、シンガポールを代表する英字紙、ストレーツタイムズを開く。一面のトップ記事はシンガポール経済がいち早く、リーマンショックに始まった世界不況から抜け出たらしい、ということ。
しかも、シンガポールの今年の経済成長率は13-15%の予想。史上最高を記録する可能性が高い。これまでの最高は、1970年の13.8%。既に2007年、一人当たりのGNPではシンガポールは日本を抜き去っている。益々、彼我間の所得水準の差は拡大しつつあるということだ。
これには色々な要素が関わっているとは思うが、最大の要因がシンガポール政府の優れた舵取りにあることは間違いあるまい。参院選後ますます混迷する日本の政局を見るにつけ、両国間の政策実施能力のレベルの違いを思わずにはいられない。
機内アナウンスによると、シンガポールは31度。35度であったハノイより随分過ごしやすいのは有り難い。
ホテルにチェックインしようとして、一足先にバンコクから駆けつけてくれていたAPCD(アジア大洋州障害者発展センター)所長の二ノ宮さんと鉢合わせ。荷物を部屋に入れるのはポーター任せにして、タクシーに乗り込む。共同通信シンガポール支局の豊田支局長との約束の時間にギリギリ間に合う。スリランカ取材の件などを打合せ。


                   <シンガポール上空に大きな積乱雲>

10時半 ホテル出発
13時30分 ハノイ発
17時50分 シンガポール着
19時 共同通信 豊田支局長
ハノイの60年ぶりの猛暑は気温48度!? [2010年07月14日(Wed)]
7月14日(水曜日)
豪雨のため涼しかった昨日とは打って変わって今日のハノイは暑い。35度は下るまい。
ハノイの気候の厳しさはベトナム人の間では常識だ。夏が蒸し暑く過ごしにくいだけでなく、冬もあって、それが結構寒い。安宿に泊まると冷房は何とかあるが暖房が無く、寒さに音を上げたことが何度もある。とにかく夏が暑い。特に、今年は異常に暑くて、最近、路上での最高気温が48度(公式発表では39.5度)まで達したこともあったのだとか。60年ぶりの記録という。


             <今年はハノイ遷都1000年 街中で見つけた看板>

ハノイは今年が遷都1000年。そのため、9月からは色々な行事が計画されているようだ。市内のあちこちでハノイ遷都1000年を祝うポスターや横断幕を見かける。ベトナムニュースによると、市政府は1000年祭に向けて、9月1日までに、市内の18の総ての区に対し、緊急ごみ処理施設の建設費として1万ドルを供与することを発表。この施設は、1000年祭の後も「暫くは」稼動させる計画だとか。

             <ブンチャー屋さんの店先 上に乗せる焼き肉を準備中>

暑さの中を出かける。昨日会えなかったゴックさんに会うためだ。彼女はマニラに設置した国連平和大学アジア分校の一期生。今は、ハノイにあるある国際NGOで働いている。5歳の女の子の母親。旦那さんはロンドンに留学中、社会学の博士号を取るためだ。
私の希望で、ブンチャーという「ベトナム式冷やしそば」(これは私のネーミング)を食べながらお互いの近況報告。ここは彼女の職場の近くの大衆食堂。吹き抜けのスペースに客がぎっしり。人気店なのだそうだ。扇風機があるだけでクーラーはないが、フォーのような熱いスープに入っている訳ではないので暑い季節でも美味しく、食べやすい。
揚げ春巻きと焼き肉を、たっぷりの生野菜と一緒に、米で造った素麺のような細い麺に甘酸っぱいつゆをかけたり、つゆの入ったうつわに麺を入れたりして食べる。この店では後者、「冷やしつけ麺」といったところ。尤も、日本の冷やし中華のように氷などを入れて特に冷たくしてあるわけではなく、スープは常温だ。


               <ブンチャーは「ベトナム式冷やしそば」?>

ゴックさんと別れて、ハノイIL(Independent Living)センターへ急ぐ。障害者自立生活支援をしている当事者組織だ。代表のホンハさんと事務局長のトゥイさんが待っていてくれた。二人とも車椅子の障害者。昨日の大雨の話でひとしきり盛り上がる。彼女たちは、普段なら30分もかからない自宅からこの事務所に4時間かけて辿り着いたのだという。私が昨日見せてもらう筈だったトレーニングは大雨で参加者も講師も来ることが出来ず、来週に延期された由。このセンターに来る途中の道では水嵩は大人の腰の高さまで達したのだとか。
来月、バンコクで予定している障害者公共政策大学院(IDPP)のための会議の準備状況の報告と、実現に向けての意見交換などをして2時間余りも長居をしてしまう。


           <ハノイILセンター代表のホンハさんと事務局長のトゥイさん>

夜は、福村さんと合流。ホーチミンから駆けつけてくれた国立音楽院のフオン校長と3人で、文化省のティン国際局長を囲んで夕食。我々の方からは、オーディションなどASEANオーケストラの団員の選抜状況について報告。局長からはベトナム政府としての準備状況について聴取。ティンさんは成功間違いなしときっぱり。終始上機嫌。

12時 CBMゴックさん
14時半 ハノイILセンター訪問
19時半 ベトナム文化省ティン国際局長
3年ぶりの集中豪雨でハノイ市内は機能麻痺 [2010年07月13日(Tue)]
7月13日(火曜日)
これまで殆んど雨に会うことがなかった今回の出張だったが、今朝は違った。明け方、雷の音で目が覚めた。ものすごい雨が外の地面に叩き付けるよう降っている。
ホテルの部屋からは隣接する公園と大きな池が望めるのだが、池の周辺の道路から滝のように水が流れ込んでいるのが見える。このままでは池の水が溢れ出すのでないかと心配になるほど。
こんな豪雨がいつまでも続くはずがないとは思うのだが、この様子では、外に出ることも出来ない。昼前に来るよう言われていたハノイILセンターのホンハさんに連絡し、様子を聞いてみようとするが、携帯電話がさっぱり繋がらない。市内全域で、皆が一斉に携帯電話にかけようとしているからだろうか。
念のため、インターネットのメールアドレスにメールを送ってみる。しかし、いつまでたってもホンハさんからの返事はない。ホテルの部屋から外の様子を窺いながら、思案していると、昼食の約束をしていた国連平和大学卒業生のゴックさんから電話。今日12時の約束を明日に変更したいと言う。道路が冠水、交通マヒのため今も自宅にいるのだそうだ。彼女によると、市内は広範囲にわたり停電、自宅もオフィスもそうなのだと言う。


              <激しい雨が降り、道路からの水が池に流れ込む>

お昼前になって雨が漸く小降りになったので、ホテルの周りを歩いてみた。道路は水びたし、道路脇には一台の車が水没したまま置き去りに。道路脇の方が水かさが深いので、歩行者もバイクも車もみんな路肩を避けて道路の中央を使おうとしている。そのため、交通可能量は大幅減。
ベトナムニュースの記事によると、今朝の雨量は3時間の間に130ミリに達したと言う。そのため、市内の22箇所で道路が水没、場所によっては水の深さは1.2メートルにも達したと言う。市建設局の説明ではハノイ市内の排水能力をはるかに越える水量であった。しかし、この問題も年内には解決する見通しとか。300ミリの降雨にも耐えられるよう排水設備を拡大中なのだ。また、水没した家屋内で感電による死者が何人も出たので、安全のため市電力局は市内の電力線を16箇所に亘って停電させる処置を取ったのだという。


                    <ホテルの前の道路は大洪水>

停電のため真っ暗になった近所のレストランで食事をして部屋に戻り、再度、ハノイILセンターのホンハさんに電話するがやはり繋がらないので、メールを送る。
3時過ぎになって、漸くホンハさんから連絡が入る。車椅子運搬用の専用車が道路で立ち往生してしまい先程オフィスに着いたのだという。明日の午後に改めて訪問することにする。
来週から始まるASEAN閣僚会議の取材準備のためハノイ入りしていた、朝日新聞藤谷総局長からASEANオーケストラに関する資料のことでメールが入る。携帯電話で連絡を取ろうとするが相変わらず非常にかかりにくい。やっとの思いで連絡を取り、何とか会い、資料を渡す。藤谷さんによると、この豪雨でハノイ市内は3年ぶりの大洪水なのだとか。
結局、今日に予定していた昼間の訪問は総てキャンセル。夕食は、福村さん、共同通信三宅支局長と3人で食べる。三宅支局長も今日は支局に行くことが出来ず、一日、自宅での仕事だったのだそうだ。


         <市内の道路は至る所で冠水 翌日付のベトナムニュースの紙面から>


17時 朝日新聞藤谷総局長
18時半 共同通信三宅支局長
世界有数の不発弾の汚染国、ラオス [2010年07月12日(Mon)]
7月12日(月曜日)
朝8時、CIATアジア本部のレフロイ代表にホテルに来てもらって、朝食を取りながらキャッサバプロジェクトの今後の進め方などについて打合せ。
その後、チェックアウトして総ての荷物を積み込んで、自衛隊幹部OBが作ったNGOであるJMASのビエンチャン事務所へ。


           <JMASラオス代表の黒川さんから説明を受ける>

JMAS(Japan Mine Action Service)=日本地雷処理を支援する会は、ラオスの北部と南部の僻地で不発弾処理事業を行っているNGOだ。不発弾処理事業そのものは日本政府の資金によるものだが、日本財団は、ビエンチャン事務所の維持費用など日本政府が出せない部分を負担している。http://jmasvte.yolasite.com/
我々の訪問は、今回のASEANオーケストラのオーディションに当たり、なかなか連絡の来ない文化省をつついてもらうなどで大変お世話になったことで、お礼を申し上げるのが主たる目的だが、ついでに、ラオス代表の黒川さんから不発弾処理事業の説明をしてもらう。


              <JMASのラオスでの不発弾処理の様子>

ラオスは世界有数の不発弾の汚染国であると言われる。ベトナム戦争のさなか、米軍が落とした爆弾の量は2-300万トン、当時の人口一人当たりにすると約1トン。個数では約8000万個、クラスター爆弾の子爆弾を含むと約3億個にもなるといわれる。クラスター爆弾と言うのは、人員の殺傷を目的とする2-300個のボール大の子爆弾を中に包有する大型爆弾である。その非人道性が問題になり、2008年にオスロで禁止条約が結ばれた。その後、締結国の批准が進んだ結果、つい最近、条約が発効。8月には記念式典がビエンチャンで予定されている。

               <お寺が続くビエンチャンの町並み>

ラオス国内に落とされた約8000万個の爆弾のうち、2000万個ほどが不発弾として残されていると言われる。そのためラオスでは不発弾の爆発による事故が絶えない。過去11年間での事故は602件、死者は361人。黒川所長によるとつい最近も死亡事故が報じられたばかりと言う。
日本財団が支援して5年前に始まったJMASによる処理事業の中心地は、ラオス国内でも最悪の不発弾汚染県であるシエンクアンである。ここでは、1000人の作業員が処理に追われているがJMAS以前の時期の処理分も含めて、これまでに処理できたのは80万発、汚染面積の0.2%に過ぎない。このままでは、シエンクアン県だけで5000年かかる計算だ。


          <ビエンチャンの「凱旋門」はラオス人にも人気の観光地>

JMASラオス事務所訪問を終えて、空港へ。時間があったので、ビエンチャンは初めてという福村さんのために、JMASラオス事務所スタッフの森川さんが同乗しビエンチャンの町を案内してもらう。プノンペン同様、空港へ向かう束の間の市内見学だ。「ビエンチャンもこじんまりとした良いところですね」と福村さん。
午後2時半発のラオス航空機でハノイへ。定刻通り4時前にハノイのノイバイ国際空港に到着。のんびり静かなビエンチャンから着いた目には、いつもは活気のある町と思うハノイの猥雑さが煩わしく思える。
今年はベトナムがASEANの議長国。来週に迫ったASEAN外相会議を告げる大きな看板があちこちに掛る。最近建ち始めたばかりの高層建築の写真を配し高度成長をアピール。


          <来週に迫ったASEAN外相会議を告げる大きな看板>

8時 CIATアジア レフロイ代表
10時 JMAS訪問
14時30分 ビエンチャン発
15時50分 ハノイ着
18時半 NHK山田支局長
ASEANオーケストラ、ラオスのオーディション会場、国立文化会館は中国製 [2010年07月11日(Sun)]
7月11日(日曜日)

              <オーディションの会場となった国立文化会館>

朝8時、ホテルのロビーでラオス政府文化省のスラサートさんと落合い、彼の運転する車でオーディション会場に連れて行ってもらう。韓国の起亜自動車製の小型車だ。聞いてみると自分の車だと言う。若手の公務員が買える値段ではないはずだが、、、はて。彼の奥さんはパリ在住。フランス国籍を持つラオス人と聞いて納得。
ほどなく、オーディションの会場に到着。
この国立文化会館は2006年11月、日本財団の企画・助成による障害者音楽祭の会場となったところ。http://blog.canpan.info/ohno/archive/159中国政府の寄付によるもので、きらびやかな金の装飾がついたラオス伝統様式の堂々たる建物だ。まだ比較的新しい建物のはずだが、何故か、大規模な修理の最中だった。


    <オーディションに参加したベトナムへの留学生>

午前9時になり予定通り、オーディションが始まった。今回オーディションに集まったのは6人。男性4人、女性2人。バイオリンが3人にチェロ、フルート、サックスが一人づつ。うち、3人はベトナムのハノイにある音楽院に留学中の学生たち。現在は学校が休暇中なので里帰りしているのだという。ラオスからベトナムへの音楽留学生は全部で13人、今日の3人はベストメンバーなのだそうだ。
残りの3人のオーディション参加者のうち、2人は国立音楽学校の先生たち自身。もう一人は、国防省に席をおくバイオリニストであった。6人の参加者それぞれに、自分の得意な曲を自由に弾いてもらう。しかし、彼らのレベルは、国立音楽学校の先生も含めて、どれも芳しいものではなかった。


            <ビエンチャンの市場 色とりどりの野菜、果物が並ぶ>

オーディションを終えて、文化省のスラサートさんと今後の段取りなどを協議。総ての作業を終えて国立文化会館の外に出てみると、まだ正午前であった。福村さんと、食事の場所を探して市内の市場を探検するが、朝市は終わりに近づいていたらしく、市場の中の食堂は粗方店じまい。
そこで、地元の人の集まるというショッピングビルへ。今日は日曜日である為か、さすがにビエンチャンにしては珍しく若者で込み合っていた。我々は、ビルの中のフードコートで簡単なランチで昼食を済ませることが出来た。
この後、午後は特に予定もない。そこで、我々はタイとの国境を見物することにして、メコン川にかかるタイ・ラオス友好橋に出かけた。オーストラリア政府の援助で建てられたという橋の上で写真を撮っていると、空模様があやしい。スコールが来る前にと早々にホテルに引き揚げることにする。


               <メコン川の向うはタイ 嵐の予感>

しかし、結局、雨は降らなかった。ホテルで一休みした後、食事に出かけることにする。メコン川の川岸のラオス料理のレストランで、ロマンチックな夕やけを見ながら福村さんと二人で食事。ゆっくりした時間が流れる。

              <メコン川の美しくロマンチックな夕暮れ>

8時 ホテル出発
9時 オーディション
12時半 市内視察
18時半 夕食
カンボジアでのオーディション [2010年07月10日(Sat)]
7月10日(土曜日)

    <オーディションの会場となったPannasastra大学>

朝8時、ホテルを出てオーディション会場となった大学へ。文化芸術省国際局長のソートさんが迎えてくれる。学生数1万8千のカンボジア最大の私大、パナサストラ大学だ。
今回のオーディションをソート局長と一緒にお膳立てしてくれた当大学の芸術学部長、サムアンサム博士の司会でオーディション開始。整列した参加者を前に、私からASEANオーケストラの設立の経由と準備状況などを説明。
審査するのは福村さんとホーチミンの国立音楽院オーケストラのコンサートマスターのトアンさん。彼は、このために国際定期バスで7時間かけてホーチミン市から駆けつけてくれたのだ。
今回のオーディションの様子は以前からの打合せどおりにバンコク支局長の江藤さんを始め、フジテレビのクルーが撮影してくれたのだが、たまたま居合わせた朝日新聞の藤谷アジア総局長、共同通信のハノイ支局長の三宅さんらも取材。日本のメディア3社が取材に駆けつけたのには、カンボジア側関係者もびっくり。


                 <整列したオーディション参加者たち>

サムアンサム学部長らが集めてくれたメンバーは最終的に12人。うち、女性は4人。楽器はバイオリンが一番多く、5人。残りは、フルートが2人、ビオラ、チェロ、クラリネット。普段オーケストラでは使わないサクソフォーンやエレクトーンまで含まれていたのには福村さんも苦笑い。
演奏が始まった。うーむ、これは困ったぞ。福村さんの方を見ると、彼も腕を組んで聞いているだけで、殆ど、サイトリーディングの指示を出さない。いきなり出された譜面を見てすぐさま演奏するサイトリーディングを指示されるのは有望な人だけということを、ミャンマーの経験で知っている私は、心配になって来る。
どうですかと、尋ねる私に福村さんは「全然だめです。ミャンマーの方がまし」と一言。


               <オーディションの様子はフジテレビが取材>

サムアンサム学部長に拠れば、1970年代までは王立バレー団もあるなどクラシック音楽も盛んであったが、その後の政治動乱のなかで多くが失われてしまったのだと言う。
もっと経験の豊富なプロがいるにはいるが、彼らは安定的な職場を手放すわけには行かないために欠席。ベトナムに行くには1週間以上時間を空ける必要があり、そんなことをすると帰って来た時には仕事が無くなってしまう、というのだ。
オーディションを終えて、フジテレビの撮影スタッフたちと近くのカンボジア料理のレストランで早めの昼食。プノンペンには近年、本当にお洒落なレストランが増えたがここもその典型。


                               <とても洒落た美しいレストラン>

食事を終えて、空港へ。時間があったので、プノンペンは初めてという福村さんのために、空港への途中、少し遠回りをする。30分ほどの即席の市内見学。「プノンペンがこんなにきれいなところとは知らなかった」と福村さん。
プノンペンからの飛行機は、ビエンチャン経由、ハノイ行きのベトナム航空機。
ハノイに帰るという共同通信の三宅支局長と一緒になる。
1時間余りのフライトでビエンチャンに到着。6時半、我々がチェックインしたホテルにラオス政府文化省のスラサートさんが、明日のオーディションの関連書類を持って来てくれ、3人で打合せ。


    <ホテルの横を流れるメコン川の夕暮れ>

7時半 ホテル出発
8時 オーディション
12時 昼食会
15時45分 プノンペン発 
17時05分 ビエンチャン着
18時半 文化省Soulasathさん
プノンペンへ 福村さんと合流 [2010年07月09日(Fri)]
7月9日(金曜日)         
午前11時、ホテルにCIAT間遠さんに来てもらいCIAT事業の進め方について協議。そのまま、日経新聞の高橋支局長との面談に同席してもらう。その後、私はプノンペンに向かうため空港へ。
空港からプノンペンにいるフジテレビの江藤支局長に電話。私とは現地で合流する予定の福村さんが、プノンペンに無事到着、撮影チームがその様子をビデオカメラに収めたことを確認。


     <プノンペンの王宮の建物群>

プノンペンに着き、ホテルにチェックインした私は明日のオーディションの件で、文化芸術省Soth国際局長ら関係者とひとしきり電話。段取りの確認を済ませた後、バンコクから別件の取材で来ていた朝日新聞の藤谷アジア総局長と会い、明日のオーディションの取材を打合せ。
藤谷さんを送りにホテルの玄関に出たところで、テレビクルーと食事を済ませたばかりの福村さんとばったり。明日のオーディションを手伝うため、陸路でホーチミンから駆けつけたコンサートマスターのトアンさんを紹介される。暫し、打合せ。


11時 CIAT間遠さん
12時 日経新聞 高橋支局長
13時半 ホテル出発
18時10分 バンコク発
19時25分 プノンペン着
20時 朝日新聞 藤谷アジア総局長
21時 福村さん、トアンさん
シリントーン義肢装具士学校の理事会でマヒドン大学へ [2010年07月08日(Thu)]
7月8日(木曜日)

          <マヒドン大学シリントーン義肢装具士学校の理事会>

いつものように、タニットさんに迎えに来てもらいマヒドン大学シリントーン義肢装具士学校の理事会へ。マヒドン大学の構内は相変わらずあちこちで工事中。そのため、理事会のたびに道順が変わるので、一人でタクシーで行くのは断念している。
シリントーン義肢装具士学校の理事会が始まる。責任者である医学部長だけでなく、前任の医学部長で今はマヒドン大学総長のピヤサコール博士がいつものように出席してくれる。そのためかこの理事会の会場は医学部長室などのある中央管理棟。荘重な内装にマヒドン大学の歴史を感じさせる。
       

          <合意文書に調印するマヒドン大学ピアサコール学長ら>

今回の理事会のテーマは10人の第1期生を迎えて始まったばかりの国際コース。10人の内訳は、パキスタン人6名、ベトナム人2名、ネパール人2名。本来は、日本財団が支援しているジャカルタの義肢装具士学校の教員となる予定のインドネシア人1名が入学の予定であったが、ちょっとした手違いにより実現しなかったのは残念。
国際コースの開講を機会に、研修を担当するリハビリテーションセンターを所管する保健省とマヒドン大学とで合意文書に調印。
理事会の後、シリントーン義肢装具士学校新校舎の建設現場へ。


                  <義肢装具士学校新校舎の建設現場>

6月中旬に着工したばかり。元は大規模なディスコテック。総工費1.5億円を投じて改修中。マヒドン大学が購入して、カルテなどの保管庫などとして利用していたもの。
二階建ての建物で総床面積は3000平米。完成予定は11月下旬。建設費はマヒドン大学が全額負担。
また、同じ敷地内の反対側には6億円を投じて建設中の医学部学生寮がほぼ完成していた。国際コースの学生は全員ここに入れる予定。


                  <ほぼ完成した医学部学生寮>

次いで、アジア大洋州障害者発展センター(APCD)へ。8月中旬に予定しているIDPP(障害者公共政策大学院大学)のドリームチームミーティングの会場となるので設備を下見するため。
障害者用に特別に設計された研修棟は15室。収容人員は33名。各室に冷房、トイレ・シャワールームが完備されているが、問題は、シングルルームが一つも無いこと。また、バスタブ付は5室のみ。車椅子の人の中にはシャワーは使いにくいのでバスタブ希望者もいる。
ドリームチームは付き添いや、手話通訳なども含めると全員をAPCDに収容しきれないことは明らか。そこで、APCDから車で15分ほどのところにあるホテルを併用することにして、そちらも下見。こっちは、入り口も、客室内もバリアーだらけなので障害者には不向き。


             <アジア大洋州障害者発展センターの設備を下見>

9時 ホテル出発
10時 マヒドン大学到着 田澤博士打合せ
10時半 シリントーン義肢装具士学校理事会
13時半 アジア大洋州障害者発展センター
14時半 ホテル視察
18時半 読売新聞若山支局長
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