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大野修一(日本財団)
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帰国へ (私の旅の工夫---2) [2010年06月21日(Mon)]
6月21日(月曜日)
いつものように早朝、暗いうちにホテルを出て空港へ。8時の成田便で帰国。
ところで、5月8日付ブログで紹介した私の旅の工夫の続きを一つ。
旅に持ち運ぶには、機能さえ同じなら何でもコンパクトなものの方が良い筈だが、私が普段、出張に持って出ているもののうちで、ちょっと珍しい折りたたむことの出来るものを少し集めてみた。


         <折りたたむことの出来るちょっと珍しいもの---写真@>

それらを拡げて使う時は、写真@のようになる。先ずは、左下から。携帯用の折り畳み箸、一人でテークアウトの食事をするときなどに重宝する。黒いケースは箸入れ。その右上の一番長い金属性の棒の先にフォークのようなものが付いたのは、何と携帯用孫の手。シアトルのホテルで見つけて購入したもの。その次は、右下から左上の方に向かって、いずれも折り畳み式のボールペン、はさみ、爪切り。
ボールペンは短く出来るので胸ポケットなどに忍ばせておくと、入国書類などを書くときに慌てないで済む。はさみと爪切りは、旅には意外と必要になるものだが、最近は大きいと機内持ち込みを禁止されることもあるのでやっかい。その点これらはいずれも小さい上、折り畳んでしまうと原型が分らなくなるのでうるさいチェックに掛らずに済む利点もある。写真Aは、これらの5点を折りたたんだ時の姿。


         <折りたたむことの出来るちょっと珍しいもの---写真A>

更にケースにしまうと、写真Bのようになる。
これらの他にも、折り畳める傘や、レインコート、手提げバックなどもいつもスーツケースの底に忍ばせている。

         <折りたたむことの出来るちょっと珍しいもの---写真B>

5時45分 ホテル出発
8時10分 シンガポール発
16時15分 成田着
ジェナスティン社社長トーマスさんの夢 [2010年06月20日(Sun)]
6月20日(日曜日)
朝8時、一人でホテルを出てプノンペン空港に向かう。
プノンペン空港の待合室ではいつものように、現地で発行されている英字紙、Cambodia Dailyに目を通していて、カラー写真付きの不思議な記事に目が停まった。ビルの前に赤い布で全身をすっぽり覆われた銅像。これは、同紙によればこういうことであった。
暫く前に、新しく発足したばかりの汚職取締り機構のビルの前にフンセン首相そっくりの銅像が建ち話題になった。それは、かねてからフンセン首相は、自分の写真や銅像などの作成や展示を嫌い、明示的に厳禁しているからだ、という。これに対し、同機構の担当責任者は当初、容疑を否定していたが、当局の追及にフンセン首相像を作っていたことを認め謝罪した、というものだ。近年、政権基盤が盤石で向かうところライバルなしのフンセン首相だが、個人崇拝を良しとしないのはさすがの見識というべきか。


                     <フンセン首相の銅像は禁止>

空港の売店で、捜していたThe King Never Smilesを見つけ購入。2006年にエール大学出版から出版されたが、タイ国内では発禁とされ今でも読むことはできない本だ。
王室を神聖不可侵なものと考えるタイ政府の姿勢は徹底しており、インターネットからもこの本に関する記事はアクセス出来なくしてしまったというほど。また、別の著者が書いた書籍がこの本を引用していたという理由だけで、チュラロンコン大学など国立大学での販売を禁止されたという。
シンガポールに向かう飛行機の中で、この本を開いて驚いた。印刷場所はシンガポールとなっていたからだ。シンガポールのチャンギー空港に着き、まさかと、空港内のブックストアを覗いてみてみると、何と、真正面の棚で堂々と売られているではないか。自らも国民には政治上の完全な自由は認めず、検閲制度を持つ国であり、通常は周辺国との関係に神経をとがらせるシンガポールがこの本に関してはどうしたことだろうか。良く味わいながら読むことにしよう。


                  <タイ国王の苦悩を描いた「発禁本」が棚に並ぶ>

夕方、ホテルのロビーでASEAN事務局のラジャ特別顧問と落ち合い、バンコクで頼んでいた原稿を受け取りASEANオーケストラなど懸案事項の進め方を相談。そこへ、ジェナスティン(Genashtim)社のトーマス・ヌン(Thomas Ng)社長がワインを一瓶抱えて登場。空港に奥さんを迎えに行くというラジャさんと別れ、二人で彼の義弟が経営するという中華料理店へ。
外のテーブル席で、持ち込んだワインで食事をしながらジェナスティン社が障害者をスタッフに使いながら展開している英語のオンライン・トレーニング事業(Epic Online http://www.genashtim.com/epic/japanese/need-answer.html )の今後の展開について話し合う。最近、障害者の社員の一人を解雇したという。そして入れ違いに、数人の障害者を新たに雇ったのだという。今では総勢40名の社員のうち12名が障害者だ。
障害者だからという甘えももたれ合いも要らない。優秀でやる気がある障害者なら何人でも雇いたい。彼らの可能性は無限大だ、といつもながらに熱く語るトマスさんの話は止まらない。あっという間に時間が経つ。
8月にバンコクで開く予定の障害者大学院(IDPP)の専門家会合での再会を約束して別れたのであった。


                  <ジェナスティン社トーマス・ヌン社長>

8時 ホテル出発
10時15分 プノンペン発
13時10分 シンガポール着
17時 ASEAN ラジャ特別顧問
18時 ジェナスティン社トーマス・ヌン社長
国立伝統医療学校を政府機関からNGOに改組 [2010年06月19日(Sat)]
6月19日(土曜日)
新首相官邸を左に見ながら保健省へ。やっとほぼ完成した国立伝統医療学校のビルはその直ぐ裏手。
新首相官邸はあと、二か月ほどで完成と聞いているが、完成間近の巨大な新官邸の姿からは、政治的混迷を続けるタイとは対照的に政治の安定とそれに伴う経済の高度成長で自信を深めるフンセン首相の顔が目に浮かぶ。何しろ、ASEAN10か国中で最も高い経済成長を続けているのはカンボジアなのだ。ここ数年でプノンペンの町は新しい高層ビルが立ち並ぶ街に変身、街並みもすっかり美しく生まれ変わった。

    
                <急ピッチで建設が進む巨大な新首相官邸>

さて、定刻の10分前に国立伝統医療学校に着いてみると、モナオーク保健副大臣以下、新理事会のメンバーが、私以外全員揃い着席して待っているではないか。今回が初めての理事会。
と言うのは、元々は保健省の直轄の学校として発足したのだが、色々問題があったので、昨年の終わりに訪問した際に当方から保健省に提案して、NGOへの衣替えを提案。幸い、公務員の兼業禁止の通達が出たタイミングと重なり、保健省側もNGO化に同意。引き続き保健省の施設を使わせてもらうが、5人の理事からなる理事会の下で、一応、保健省からは独立したNGOとして運営されることになったのだ。


                <保健省伝統医療センタービルもほぼ完成>

5人の理事の構成は、モナオーク保健副大臣、インヤム保健事務次官、サンボ内閣府副長官と、篠原前大使と私。サンボさんと篠原大使には昨日のKizunaに続く、ふたつ目のNGOへの出馬を厚かましくお願いし、快く同意いただいたもの。
お陰様で、カンボジア人三人と、日本人二人であると同時に、保健省側二人対、保健省以外三人という絶妙なバランスでの理事構成が実現した。NGOの名前はカンボジア伝統医療機構(CaTMO)という名前。アドバイザーとして現地に駐在する鍼灸専門家の高田さんのデザインで洒落たロゴも出来上がった。


                        <大物揃いのCaTMO理事会>

今回の理事会で、今年度の事業計画も承認されたが、それによると、昨年の定員50名を一気に今年からは100人に増員。今年から設置された基礎コースは10カ月、730時間。これに対し、上級コースは、6か月394時間。
対象となるのは既に伝統医療治療師として開業している人たち。地方からの人には距離に応じて交通費や食費の補助が与えられるとはいえ、開業している人にとっては収入減。それでも、希望者は多いという。それは、卒業試験に合格すると、カンボジア初となる保健省の認定証が得られるからだそうだ。
カンボジアでは、これまでは伝統医療師に対する国家レベルの認定制度が無く、開業していても果たして本物の知識を身につけた伝統医療師なのか、そうでないのか区別が付きにくかったという。卒業生でカンボジア伝統医療協会を設立。将来は、このメンバーが中心になって置き薬などの事業が導入されていくことになる。


10時 CaTMO理事会
12時 保健省伝統医療関係者昼食会
15時 教育省Vanna次長
ラジオによる教育実験放送いよいよ開始へ [2010年06月18日(Fri)]
6月18日(金曜日)
地方の中学校の教員志望者に対する奨学金事業を担当するNGO、「ESC”Kizuna”」の理事会へ。
カンボジアでは中学校の教員は高校卒業者の中から選抜し、各県にある中等教員養成学校で2年間トレーニング、合格した者が採用される仕組みである。ところが、プレアビア、コッコン、ストゥントゥレン、モンドルキリ、ラタナキリの5つの県は独自の中等教員養成学校を持っていない。そのため、これらの県では中学校の教員志願者は遠く離れた首都のプノンペンにある中央教員養成学校でトレーニングを受けなくてはならない。
この間、先生の卵たちには、政府から月額2.25米ドルが生活費補助として支給されるのみである。彼らには寄宿舎が与えられるものの、給食は無く外食か自炊をする必要がある。月間の補助が約200円では、いくら物価の安いカンボジアとはいえ、到底、生活して行く事は出来ない。そこで、この間の食費補助として、月額15ドルの奨学金事業を始めて7年になる。

               <雨季のカンボジア、猛烈なスコールが街を襲う>

「ESC”Kizuna”」のトップは名誉会長のブンサンボさん。フンセン首相の外遊にいつも同行する専属通訳兼首相補佐官である。日本語の「絆」という言葉からとったKizunaの名付け親でもある。最近、ブンサンボさんは内閣府副大臣に昇格。日本で言えば官房副長官に相当するポストだそうだ。
もう一人のカンボジア人理事は、教育省の教員養成局長のレンセンハックさん。教員養成学校に指揮命令する立場の人だけに大変心強いメンバーだ。
今回の理事会から二人の日本人がKizunaの新しいメンバーに加わった。カンボジア語が堪能で、首相や国王とも昵懇の名大使と言われた篠原前カンボジア大使。彼はKizunaの名誉顧問。監事に就任してもらったのはJICAの専門家の河本さん。彼女は、日本財団がミャンマーで展開する学校建設事業の前責任者だ。こうして、益々豪華メンバーになったESC”Kizuna”の理事会が開かれた。
今回の理事会のテーマの一つは、かねてから懸案であった教育用ラジオ放送プログラムのこと。BBC(英国放送協会)の協力による英語放送シナリオが現在作成中で、この10月からは放送がついに始まる予定だ。着想を得てから4年以上経っただろうか。日本財団のモンゴルの置き薬事業で大活躍中の、NGOによる国際協力のプロ中のプロ、森祐次さんにここでも助っ人に来て頂き、数年来の構想が漸く陽の目を見ることになった。
取り敢えず、初年度の対象校はストゥントゥレン、プレアビア、プノンペンの3県の15校、1600人の生徒が、毎週4回流されるラジオの英語教育番組による実験授業を受ける予定。


               <篠原前大使も加わったESC”Kizuna”の理事会>

Kizunaの理事会を終えて、ブンサンボ内閣府副大臣を案内して、カンボジア義肢装具士学校(CSPO)の新校舎建設現場へ。篠原前カンボジア大使も一緒だ。
もともとは、カンボジア内戦のあと、イギリス人が中心になって結成された国際NGO「カンボジアトラスト」によって作られた学校。日本財団はその初期からカンボジアトラストを通じて財政的な支援を続けてきた。CSPOは、今では周辺の各国から留学生を受け入れるまでに成長したが、手狭になったために新校舎の設立を支援することになったもの。この秋に予定している落成式にはフンセン首相の出席をお願いしたいと言ったところ、ブンサンボさんが自分が先ず現場に行って見てみたい、というので現場見学になったもの。
新校舎はプノンペン郊外30分ほどの場所というが、最近はプノンペンでも急に車が増え、交通渋滞が頻繁に起こるようになったので、予定通りに着けるか気を揉んでいるとブンサンボさんが教えてくれた。今日は、カンボジアは皇太后の誕生日で休日。明日からの土、日と合わせると三連休なので郊外に出かけた人も多いから安心だよと。確かに、いつもよりは通りは空いているようだ。


                    <CSPO建設現場を視察する一行>

社会福祉省から提供された敷地は4200平米、そこに、2500平米の平屋の校舎と、実習所を兼ねたクリニック、宿舎ビルが建設中。
休暇で不在のマイク・スコット校長に代わり、校長代理のカンボジア人女性、シサリーさんが案内してくれた。彼女は、元々はCSPOの研修生。特に、優秀だったのでオーストラリアのラトローブ大学に留学、教員資格を取って帰国、幹部候補生としての訓練を積んできた。さらに昨年まで、日本財団の支援で作られたもう一つの義肢装具士学校であるスリランカ義肢装具士学校(SLSPO)に教員として派遣され戻って来たばかり。スコット校長らの信頼は厚く、彼女が校長に就任する日は近い。将来、CSPOは全員カンボジア人で運営される予定だ。
CSPOの視察を終えて帰途、サンボ内閣府副長官と篠原大使にクメール焼き復活プロジェクトの製品を見てもらうためにNyoNyumショップに案内。篠原大使には大変気に入って頂き、早速お買い上げいただいた。サンボさんにはサンプルとして進呈。


         <NyoNyumショップで陶器を物色するサンボ内閣府副長官>

10時 ESC理事会
12時 ESC昼食会
15時 CSPO建設現場視察 
16時半 NyoNyumショップ訪問
18時半 日本財団関係者夕食会
ASEANオーケストラの件で文化芸術省Soth国際局長を訪問 [2010年06月17日(Thu)]
6月17日(木曜日)
早朝6時にバンコクのホテルを出て、空港へ。間遠さんと一緒に、7時50分発のプノンペン行きに乗り込む。いつものように機内ではタイの代表的英字紙、The Nationをもらって目を通す。と、面白い記事を発見。タイ証券取引所の新会頭の談話なのだが、彼の名前が面白い。何とチャランポーン。尤も、紙面に載ったご本人の顔写真からは至ってまじめな性格が窺われるのだが、、、。笹川会長の最近のブログ(http://blog.canpan.info/sasakawa/archive/2450)の追加ネタにどうだろうか。

      <タイ証券取引所の会頭の名前はチャランポーン>

プノンペンに到着して早速、文化芸術省Soth国際局長に連絡、私のホテルに来てもらいASEANオーケストラの件で協議。作曲家で私立大学の音楽部長のサマンサムさんも加えたお二人に、先ず、私からASEANオーケストラ構想の概略を説明、そのためのオーディションでの協力を依頼した。
すると、二人は既にASEANオーケストラのこれまでの経緯を熟知していると打ち明け、逆に、幻となった「ASEAN伝統音楽オーケストラ」のことを教えてくれた。
確かに、4月にハノイで会ったベトナム文化省のタン副大臣からは、「韓国政府からASEAN伝統音楽オーケストラの提案があったが、サミットの公式行事は日本財団の企画を採用することにした。韓国の提案は10月中旬のハノイ遷都1000年祭の方に回す」と言われた記憶がある。
でもこの「ASEAN伝統音楽オーケストラ」が幻となってしまったとはどういうことだろう、と訝る私に二人は代わる代わる、以下のような話をしてくれた。


      <ASEAN+1伝統音楽オーケストラの立派なDVDとパンフレット>

韓国政府は一年ほど前ベトナム政府に、「ASEAN+1伝統音楽オーケストラ」を提案。各国の作曲家に2曲づつの作品の制作を依頼、全額を韓国政府の負担で80人の伝統楽器奏者を韓国を含む11ヶ国から呼び集めて、これまで既に、韓国国内で4回のコンサートを実施してきた。今年は、ベトナム政府にASEANサミットの記念行事としてのコンサートの開催を呼びかけたのだという。
但し、今回は韓国としては資金負担は一切せず、ハノイまでの旅費は各国が負担、ベトナム国内での宿泊費等はベトナム側が負担する、という提案であったという。ところが、日本財団の提案を受けて、ベトナムは結局、韓国提案を棚上げにしてしまったのだという。
なぜそんな内幕まで知っているのかと尋ねた私に、二人は実は、「ASEAN伝統音楽オーケストラ」のカンボジア委員であると自己紹介。そちらがなくなってしまったので、今度は日本財団の企画の実現に力を貸そうと言ってくれたのだった。


      <これが12世紀に途絶えた幻のクメール焼き>

その日の午後、間遠さんを誘って、ロシアンマーケットと呼ばれる市場の裏で前回の出張の際に見つけた骨董品店に、幻のクメール焼きの本物の壺を買いに行ってみた。余り保存状況が良くないが本物とみられる壺が無造作に棚に並べてあった。値段はいずれも数千円。本物なら、12世紀以前のものだ。本来ならばこのような価格ではありえない筈なのだが、今のカンボジアではクメール焼きのことを知る人も少なく、関心がないためかこの程度。幻のクメール焼き復活プロジェクトのサンプルにと2点ほど購入。

      <私が今回買い求めた焼き物プロジェクトの作品>

次いで、山崎さんが最近開いた良質のカンボジア製品を展示販売するNyoNyumショップへ。一階はフリーペーパーNyoNyumの編集部。日本出張中で不在の山崎さんに代わって編集長の木村さんが出迎えてくれた。
二階のNyoNyumショップは、現在クメール焼き復活プロジェクトの試作品のショウルームを兼ねている。前回来た時は指導者である岩見さんらが作った数点の見本が置かれていただけだったのだが、3回目の窯出しを経て、今では大小たくさんの作品が並べられていた。どれも、想像していたよりはるかに良い出来だ。どれを買うか、選択に迷うほど。結局、2,3点のみサンプルを購入するつもりが5点も買い込んでしまう。


      <NyoNyumショップにはクメール焼きプロジェクトの作品が並ぶ>

6時 ホテル出発
7時50分 バンコク発
9時05分 プノンペン着
10時半 ESC山田代表
11時 カンボジア伝統医療機構(CaTMO)高田アドバイザー
12時 文化芸術省Soth国際局長
15時 クメール焼き骨董店
16時 NyoNyumショップ、焼き物ショウルーム訪問
18時 NyoNyum木村編集長と夕食
置き薬事業に対するタイ保健省の期待 [2010年06月16日(Wed)]
6月16日(水曜日)
昨日、バンコクに到着したとたん保健省のパタラポンさんから電話が入った。本日の2時からの予定になっていた保健省との置き薬事業に関する打合せを、朝の8時からにしてもらえないかとの要請だった。保健省の前保健サービス支援局長で本事業の実行委員長のスパチャイ博士と、現保健サービス支援局長で前の伝統医療発展局長のナラ博士らがわざわざ出向いてくれるというので、ホテルのティールームで朝の協議となった。
タイ保健省は保健サービス支援局長と伝統医療発展局の二つの局の共同事業として、日本財団の支援により、伝統医薬品の配置事業を試験的に実施してきた。モンゴルで実施しているのと同じ日本の置き薬方式を採用し、2009年の1月から実験を開始、これまでにタイ全土の4県、12か所で1400世帯に設置している。


              <タイ政府が作ったおしゃれな置き薬の箱>

実は、この実験の開始に当たっては2008年6月の日本財団とタイ保健省の調印式の様子を、NHKが取材してくれたのだが、その中で、タイの専門家のコメントを求める場面があった。その人は、「医療費がタダのタイではこのような事業は成功しないだろう」という大変辛口のコメントをしていたのである。
これには、若干の背景説明が必要だ。2002年にタクシン政権は、それまで冷遇されていた農民など低所得層に対する支援策の一環として「医療費30バーツ政策」を導入した。これは、たとえ保険に加入していなくても、一回の医療費が30バーツ=約100円で受けられるというものだ。その後、2006年のクーデターでタクシンを追い出した軍事政権は人気取りに走り、個人負担を一切無料のただにしてしまった。
しかし、その結果は財政負担の急増だけでなく、全国の病院がタダの治療を求める患者で溢れかえる事態になった。2007年、日本財団がWHOとの共催で行った置き薬事業に関する国際会議に参加して、置き薬の現場を視察したのが、当時保健サービス支援局長のスパチャイ博士だ。彼は、自己責任、自己負担の原則に基づく置き薬事業のモンゴルでの成功に刺激を受け、自国での実施を決意、日本財団に協力を要請してきたのである。


             <キットの中身は20種類の伝統薬とマニュアル>

自らは近代医学を学んだ内科医であるが、保健省の伝統医療発展局に働きかけ、ふたつの局にまたがる実行委員会を組織、自らが委員長に就任。その後、スパチャイさんは保健省を退任、タイ最大の私立大学の副学長に転じたが、置き薬事業の実行委員長はそのまま留任し、昨年の富山訪問時には団長を務めるなど、文字通り中心になって活躍してくれている。
タイには、ヘルスボランティアと呼ばれるユニークな制度がある。文字通り無給の名誉職であるが全国に約100万人、保健省と組んで活動をしている。今回の置き薬事業では、地域住民に対する指導と、薬の補充、代金の徴収などはこのヘルスボランティアに任せられている。

      <置き薬プロジェクトのロゴ付き上着を着たヘルスボランティア>

当初は一部に懐疑論もあるなかでのスタートであったが、始めてみたところ、利用者からは大変好評で、周辺の未実施地域からも実験に参加したいとの要望が相次いでいるという。公立の病院に行けばタダで治療が得られるとは言っても、そのためにはわざわざ出向かねばならない。交通費もかかるし、時間もかかる。大混雑のなかで待つので、時には一日仕事になってしまう。ならば、多少のお金がかかっても、副作用もなく安全で、市販薬よりは安価な置き薬を使った方が良い、と考える人の方が遥かに多かった、という訳だ。
スパチャイたちによれば、タイ保健省は、来月の省内会議で大臣にこれまでの実験の結果を中間報告するという。そこで、全国展開を視野に、実験規模を1万世帯に拡大する方針を説明、承認を得る予定だ。そして、今後さらに実証データを集め、2,3年のうちに国家保健計画に盛り込みたいという。
日本財団としては、タイは途上国の中では所得水準も高く、医療サービスの面では東南アジアではシンガポールと並ぶ先進地域に位置付けられていることから、タイを支援の優先対象国であるとは考えていない。しかし、このプロジェクトでは当初の段階から、有名大学の専門家により、しっかりとした学術データが集まりつつある。得られた実証データは公表し、周辺諸国の保健行政に役立ててもらおうということなので、引き続き協力していこうと考えている。


           <遠くの病院より便利、有料でも使う、と語る患者>

夜は東南アジアでのキャッサバ事業に今春から参加してもらっている間遠さんが合流、NHKの大橋記者と会食。彼は、日本財団が20年以上にわたり支援しているアフリカでの農業事業に従事してきた農業専門家だが、この度、日本財団に転籍し、キャッサバ事業を指導しているCIAT(国際熱帯農業センター)に出向してもらうことになった。バンコク市内のCIAT事務所を拠点に、カンボジアなど周辺国を回ってもらう予定だ。

8時 保健省医務サービス局ナラ局長
11時半 朝日新聞 藤谷総局長
14時半 フジテレビ 江藤支局長
19時 NHK大橋記者
奇跡の復活を遂げたThe Nation編集副主幹カビさん [2010年06月15日(Tue)]
6月15日(火曜日)
帰って来たばかりのバンコクへ。今回は、バンコクで保健省と伝統医療事業の打合せをした後、カンボジアのプノンペンへ行き、国立伝統医療学校と、中等教育支援のNGOの二つの理事会に出るのが主たる目的。
もともとは、ミャンマー・モン州での置き薬事業の開始式典がこの頃に予定されていると言うので、それに併せてプノンペンでの二つの理事会の日程をセットしてもらったのだが、ミャンマーの式典の方は延期になったのでその分をカットし、短めの出張としたもの。


          <賑わいを取り戻したバンコク市内シーロム通り>

到着地バンコクの天気は曇り、気温は33度と機内アナウンス。
前回、2週間前のバンコク行きの際はガラガラだった成田からの飛行機も今回は満席。さすがに、ビジネスマンの業務出張は戻りつつあるのかも。空港に着いてみると、まだ以前ほどの混雑ではないにしても多少は人が増えた様子。
いつものホテルにチェックイン。前回は15%にまで落ち込んでいた客室稼働率も、ボーイによれば50%まで回復したとか。
私が定宿にしているホテルの向かいのホテルには騒乱の際、ロケット弾や小型砲弾が撃ち込まれ、騒乱取材のために宿泊していた外国報道陣も地下室への避難を余儀なくされた、と聞いていたが、修理が済んだのかそれらしき跡もない。


           <砲弾が撃ち込まれた向かいのホテルも平静>

夕方、ASEAN事務局のラジャさんと、タイを代表する英字紙、The Nationの編集副主幹のカビさんと夕食。カビさんとの食事は丁度一年ぶり。
彼には、一昨年7月21日にバンコクにあるアジア太平洋地域障害者支援センター(APCD)で日本財団の企画・助成で開かれた、視覚障害者次世代リーダー国際会議に講師役で来てもらい、アジアの未来を語ってもらった。その時、カビさんは、全員盲人の聴衆と言うのは全く始めての経験で、その準備などを通じて生まれて初めて障害者問題に真剣に向き会わされた、学ぶことの多い貴重な体験だったと言ってくれた。
そこで、昨年5月には、当時、検討を始めたばかりだったIDPP(障害者公共政策大学院)の構想についてコメントをもらおうとして、ラジャさんも加えたこの三人で、しかも今回と同じ場所で一緒に食事をしながら話し合ったのだった。
ところが、何と、その2カ月後の7月に彼は倒れ、突然、首から下は完全な麻痺状態に陥ってしまった。病名は急性骨髄炎。疲労のために細菌が髄膜に入り込んだのではないか、との話だったが、正確な原因は分からずじまい。
最初の2週間は完全麻痺が続き、手も足も全く動かない。当時、カビさんは働き盛りの54歳。彼は有力英字経済紙The Nationに自分のコラムを持つだけではなく、タイ字紙にも寄稿、一時は、毎週一度、The Nationの時事評論の一こま漫画も書いていた。更には、料理評論まで手懸け、講演に世界を駆けまわるという才人だ。The Nation紙はウエブサイトでカビさんへの激励を呼びかけるキャンペーンを張って元気づけようとしたが、誰もが本音では、彼は再起不可能ではないかと考えていたのではなかろうか。


     <急病に倒れたカビさんへの激励を呼びかけるThe Nationのサイト(当時)>

少し足を引きずりながらも杖も持たず現れたカビさんを見て思わず、「杖も持たないなんて」と叫んで駆け寄った私に彼は、「同情されたくないので杖は家に置いているんだ」とにやり。今も毎日、リハビリを続けている、と言うカビさんだが毎週月曜日のThe Nationのコラムには完全復帰。今は、入院時の経験に基づく医療や病院をテーマにした本の執筆中だとか。これが終わったら、他にも3本のテーマで書く構想があるのだという。溢れるほどのアイデアとエネルギーは寧ろ以前より増大したのかも知れない。
この日、私たちにも壮絶な病院での体験を、ユーモアたっぷりに力を込めて語ってくれた。それによると、毎日絶望しそうになりながらも、執念で、一時間ずつ2回のリハビリを続けたところ、5週間後になんと足の先を数ミリ動かすことが出来た。その後は、仕事に復帰しこの体験を文字にしたい、伝えたいという一念でリハビリに励んだところ、2ヵ月半で杖をついて何とか歩けるところまで回復したのだという。是非、麻痺になったまま諦めている大勢の患者に自分の体験を話し、激励したいと、今は求められればどこへでも出向き、話しをして回っているのだとか。
私からは、一年前に話したIDPP(障害者公共政策大学院)の構想がその後順調に進展し、リークアンユー大学院との提携にまで進んだことなどを説明、8月に開く第二回の関係者会合(Dream team meeting)への参加を要請したところ、力強い返事が返って来た。「障害者のために役立ちたい。絶対出席するから日時と場所を教えてほしい」と。



11時00分 成田発
15時35分 バンコク着
18時45分 The Nation 編集副主幹カビさん
シンガポールに出来たカジノ・リゾート・ホテル [2010年06月03日(Thu)]
6月3日(木曜日) 
今回私は、いつも利用するホテルが国際会議に伴い割高料金になっていたため、マリーナスクエア地区にある別のホテルを利用したのだが、ホテルの窓から最近部分開業したばかりのカジノ・ホテルの威容が見えた。
最終的に完成すると2560室になるというジャンボなホテル。60階建てのホテル棟三つでてっぺんに空中庭園を支えるという全くもってユニークな構造。ジャンボジェットが4機駐機できるという広大なサイズの屋上庭園にはレストラン、ナイトクラブ、庭園プールが設けられ、建物内部にはカジノの他、博物館、劇場やショッピングモール、国際会議場、レストランやバーまでが出来るという極めて豪華なカジノ・リゾートなのだ。約5000億円と言う総工費はラスベガス最大のカジノに次いで世界で2番目なのだそうだ。6月末に予定される全面オープンに向けて、追い込み工事が行われていた。

          <マリーナ地区に出来たカジノリゾート・ビル>

シンガポールでは、アミューズメントパークで有名なセントーサ島にもカジノが開業したばかり。シンガポール政府の思い切ったカジノ誘致政策には東京都の石原都知事も注目しているという。日本で実現すると、競艇などの公営ギャンブルにも大きなインパクトを与えること必定。
カジノの利用は外国人観光客を優先で、外人客には不要の入場料をシンガポール国民に限りチャージするのだとか。その上、二ノ宮さんによると、政府内にはカジノに入り浸りになった人を救済するための部署まで出来たのだとか。何とも用意周到な政府である。
カジノ・ホテルを横目に見ながら空港へ。帰国の途に就く。

    
5時45分 ホテル出発
8時10分 シンガポール発
16時15分 成田着
リー・クアンユー公共政策大学院と障害者大学院設立で合意 [2010年06月02日(Wed)]
6月2日(水曜日)
朝10時、ASEANのラジャ特別顧問の奥さまのマーガレットさんの紹介で、シンガポール聾唖者協会専属の手話通訳タンさんに会い、シンガポールの手話通訳を取り巻く環境についてヒアリング。
APCD(アジア大洋州障害者発展センター)の二ノ宮所長、朝日新聞塚本支局長の三人で昼食をとったあと、二ノ宮所長とシンガポール国立大学のブキティマ・キャンパスへ。


          <ブキティマにあるリー・クアンユー公共政策大学院>

リー・クアンユー公共政策大学院の副院長のスタブロス・ヤヌーカさんに会う。障害者公共政策大学院大学(IDPP)の設立に向けての準備を話し合うためだ。彼と会うのは昨年6月、今年4月に続き、今回で三回目。最初に会った際は、戸惑いもあったのかIDPPの構想に対してやや慎重な口ぶりだったが、次第に積極姿勢が強まり、今回は諸手を挙げての大歓迎といった雰囲気。
我々が通された会議室には、既に、先方から提案のあった協力趣意書(Letter of Intent)の調印式の準備がしてあった。協力趣意書に調印の後、初対面の特別コース担当の院長補佐、トゥミネス教授も加わり会議が始まった。
この8月から始まる新学期に、聾、盲、肢体障害、それぞれ一名程度の学生をモニター生としてリー・クアンユー公共政策大学院に受け入れてもらうとともに、障害者公共政策大学院大学(IDPP)の設立準備委員会のコアチームに5人目のメンバーとしてトゥミネスさんが加わること、また、 IDPP設立後は、リークアンユー公共政策大学院の監修のもとでスクーリングを行うことについても確認を得た。
トゥミネス院長補佐からは、8月中旬にバンコクのAPCD(アジア大洋州障害者発展センター)で開催予定のIDPP設立準備委員会への参加への約束ももらうことが出来た。バンコクの後は、コアメンバー5人はシンガポールに移動し、リー・クアンユー公共政策大学院を表敬訪問することでも合意。


         <障害者公共政策大学院設立協力趣意書に調印>

会議の後は、事務の担当責任者であるエレーヌさんの案内で大学院構内を視察。障害者問題のプロである二ノ宮さんは、車イスへの配慮がどこまでなされているかトイレや階段などを細かくチェック。その結果、大学院の建物そのものは、歴史のある建物をリノベーションしたりしたため段差の多い構造となってはいるが、障害者用スロープ、専用のエレベーター、車イス用のリフトなどが設置されており、車イス利用者でも移動に支障がないよう配慮がなされていることを確認。また、障害者用のトイレも設置されていた。
一連の作業を終えてエレベーターを出たところで学院長のキショールさんにばったり。我々二人の自己紹介に気さくに応じてくれたキショール院長は、本件についてはASEAN事務局長のスリンさんからのレターももらっているし、アメリカン大学のグッドマン学部長からも聞いているので良く承知していると言ってくれた。


         <大学院のカフェ入口には車イス用のスロープも>
    
9時 APCD二ノ宮所長打合せ
10時 シンガポール聾唖者協会タンさん
13時 朝日新聞塚本支局長 
15時 リークアンユー大学院訪問
19時 共同通信豊田支局長
二ノ宮さんと合流してシンガポールへ [2010年06月01日(Tue)]
6月1日(火曜日)
朝9時、農業専門家の間遠さんと会う。彼はバンコクに着任したばかり。アフリカでの農業指導事業での経験をひっさげてCIAT(国際熱帯農業研究センター)のキャッサバ支援事業に加わってくれることになったのだ。朝食をとりながらミーティング。
その後、福村さんと一緒にフジテレビ江藤支局長らと会い、ASEANオーケストラの取材の件を打合せ。
打合せを終えると早々に、私はシンガポールに向かうべく空港へ。外は太陽が照り付け気温は36度。昨日見たばかりのセントラルワールドの横を抜ける。


          <放火に焼け落ちたセントラルワールドの裏手の様子>

今日も空港はガラガラ。バンコク市内は、私自身が目撃したように、実はとっくに平静さを取り戻し、騒乱の痕も殆ど見られない。とはいえ、一旦悪化したイメージを払拭し、海外からの観光客、旅行客を取り戻すのには時間が掛るということか。
APCD(アジア大洋州障害者発展センター)の二ノ宮所長と空港内のラウンジで合流。シンガポール国立大学のリークアンユー公共政策大学院での会議に参加してもらうのだ。日本に帰る福村さんに代えて、これからは二ノ宮さんとの二人旅。


         <いつもは長蛇の列のパスポートコントロールも閑散>

夜8時前にシンガポールに到着。
シンガポールに着いて間もなくASEAN事務局のラジャさんに電話。実は、昨日彼から電話が掛り、急用でどうしても会いたいのでシンガポールに着いたら連絡してほしいと言われていたのだ。夜9時半、二人だけでホテルのロビーで話しあう。


9時 CIAT間遠さん
11時半 フジテレビ江藤支局長
14時 ホテル出発
16時25分 バンコク発 
19時40分 シンガポール着
21時半 ASEAN事務局ラジャ事務局長特別顧問
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