騒乱の爪あと残る?バンコクへ [2010年05月31日(Mon)]
5月31日(月曜日)
<緑と仏教寺院に囲まれたヤンゴンは美しい街> 朝7時45分ホテルを出て、タクシーで空港に向かう。ヤンゴン市内は緑が美しい。福村さんが呟いた。「大野さん、私は初めて来たミャンマーが好きになりましたよ」 一時間ほどのフライトで再びバンコクに。やはり、空港の中はがらがら。いつもは長蛇の列の入国検査なのに今日は並ぶ人は殆どなし。市内のホテルに向かうタクシーもディスカウントに応じたほど。 <バンコク空港はがらがら> 暴徒に占拠されていたルンピニ公園の前に建ついつものホテルに投宿。顔見知りのボーイによると今日のホテルの稼働率は15%とか。別の従業員は、騒乱のさなかは外に出ることも出来ないまま、自宅に帰らず2週間もホテルに缶詰め状態だった、と打ち明けた。この間、当然ホテルは閉鎖されていたのかと問うと、それがずっと営業していたのだという。「そんな。宿泊客なんていなかったでしょうに」というと、騒乱を取材するためのジャーナリストたちが20名ほど、ずっと泊っていたのだとか。 丁度、このホテルの前の大通りを隔てた反対側に建つ別のホテルには客室に銃弾が撃ち込まれ一時は宿泊客を全員地下に避難させたことがあったが、こちらのホテルではそんなことも無く全員無事だったと言うが、、、。 ところがホテルの部屋に入り、窓から眼下に広がるルンピニ公園を見てみると、どこにも騒乱の後が見られないではないか。政府は急ピッチで清掃と修復を進めているとは聞いていたが、それにしてもこれはどうしたことであろう。少しくらいは、何か痕跡くらいが見つかる筈と目を皿のようにして捜すが、何も発見することは出来なかった。 <暴徒が集結していたルンピニ公園は元通り> そこで、急に思い立って町中に出てみることに。約束のある夕方まで暫く時間がある。赤シャツグループによる略奪や放火など破壊行為が一番ひどかった報じられていたサイアムスクエアまでスカイトレインに乗って行ってみよう。 先ずは最寄りのサラデーン駅へ。駅までの道には何の変化も無い。シーロム通りもいつものように賑わっていた。ここでも騒乱時には爆発騒ぎがあった筈なのだが、その痕跡はどこをどう見てもない。電車に乗り込む。次の駅はラチャダムリ。ここまで何の変化も無し。そしていよいよサイアム駅へ。スクンビット線と重なるところを過ぎて間もなく電車はセントラルワールドの脇を通る。 ここでようやく騒乱を物語る場面に遭遇。ショッピング客でにぎわっている筈のセントラルワールドの建物が醜く焼け落ちた姿を晒して建っていた。これはひどい。 <焼け落ちた姿を晒すセントラルワールド> セントラルワールドの脇をあっという間に通り抜けた電車はサイアム駅に滑り込んだ。スクンビット線とのインターチェンジ、スカイトレインの駅では一番賑やかな中央駅である。駅の正面に広がるショッピングモール、サイアム・パラゴンの前の広場では、中央にロープが張られ何やら広場のタイルを修理している。暴徒が剥がしたタイルの修復が行われているのであった。 しかし、このような場面はこの一角だけ。その後、パヤタイの先までスカイトレインに乗って行ってみたが町は平和そのもの、何も変化は見られなかった。 <暴徒が剥がした路面タイルの修復が進む> 7時 エルウィンさん 7時45分 ホテル出発 9時50分 ヤンゴン発 11時45分 バンコク着 19時 共同通信 沢井支局長 |