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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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「ASEANオーケストラ」サミット第2日の夜の公式行事に決まる [2010年04月19日(Mon)]
4月19日(月曜日)

          <正面玄関からみた保健省の建物>

朝は、先ず保健省へ。副大臣のシュイエンさんを交えて、昨年のバンコクに次いで第2回目となるASEAN伝統医療会議のハノイ開催を協議。ベトナムでは今年はASEANの議長国としてASEAN関係の国際会議が集中しているのだが、ASEAN伝統医療会議にはベトナム側も力を入れているらしく、スリン事務局長の出席も考慮して、ASEANサミットの最終日から3日間の日程を予定。

          <保健省でシュイエン副大臣らと会議>

会議の後、保健省伝統医療局のメンバーらと昼食。その後、いよいよ、文化省へ。約束の時間より早めに着いたので、予定の会議室には誰もいなかった。暫し待つうちに、最初に登場したのは国際局長のDr.ティン。次いで現れたのがタン次官。あれよあれよと思う間もなく、ティン国際局長が、せかせかと早口の英語で次官と自分の自己紹介を始める。それによると、タン次官は即断即決の人。今朝、首相と一緒に米国訪問から帰国したばかり、とか。
そのころになって、御付のスタッフがぞろぞろと席に着き、通訳がベトナム語と英語の通訳を始めようとするが、国際局長はそれを制止。タン次官も流暢な英語で、いきなり「ASEANオーケストラの提案に感謝する。ついては、これをサミット第2日の夜の公式行事にしたい。演奏会場は、サミットが開かれる国立会議場ではなく、国立オペラ劇場にする。そちらの方が、このような文化行事にふさわしい」と切り出した。これには、ラジャさんも私もびっくり。ああでもないこうでもないと、昨日も三人で作戦を練っていたのは全くの無駄骨だったのだ。総ての心配は杞憂だった。望みうる最善の回答がいきなり示されたのだ。
そしてその後、ハノイ以外の開催地などロジスティックなことを暫し協議しただけで会議は終了。次官は、「これから、首相に報告してくる。ベトナム政府は各国首相に招待状を出すが、スリン事務局長からも各国首脳が参加するよう促して欲しい」と言い残して立ち上がり、我々3人と握手、国際局長と急がしそうに部屋を出て行った。

       <フランス殖民地時代の香り、国立オペラ劇場>

文化省次官との会議を終えて、外に出た我々は満面の笑みでお祝いの握手を交わした。「大成功」である。時間を見るとまだ午後4時前だったが、ラジャさんと私は、直ちに祝杯を挙げることで合意。フオンさんを誘うと、「これからまだ2つの用件があるので」と断られた。そこで、二人でホテルの隣のカフェでビールで乾杯、二人だけで祝杯を挙げたのだった。調子よく飲んでいると、保健省のマイ博士から携帯に電話。ラジャさんの出発の時間だったのだ。慌てて、カフェを飛び出したラジャさん。果たしてバンコク行きの飛行機には間に合ったのだろうか。
夜行便で帰国の私は、一人で残ったビールを飲み干したあと、暇つぶしに、以前から気になっていたカフェの隣の「100円ショップダイソー」を覗く。店内は日本と殆んど同じ品揃え。ただ、値段は総て3万ドン。日本円にすると150円ほどか。個々の品物には、made in Chinaなどとタグがついていたのに、店の外に出てみてびっくり。「日本の優良品の店」という意味の看板がベトナム語で大書されていた。それもそのはず、ここでは、150円は決して安物の値段ではないのである。


        <ベトナムでも100円ショップダイソー>

9時30分 保健省シュイエン副大臣
12時半 保健省伝統医療局長と昼食
14時半 文化省タン副大臣面談 
16時半 祝杯
21時 ホテル出発
23時30分 ハノイ発
(20日)6時55分 成田着


ファットゥと言う名前の不思議な果物 [2010年04月18日(Sun)]
4月18日(日曜日)

     <日本財団のロゴが付いた自立生活センターの車イス運搬車>

朝9時45分、ラジャさんと一緒にタクシーでハノイ自立生活(IL=Independent Living)センターへ。IL センターは日本財団の支援で昨年から始まった重度障害者の自立生活支援運動の拠点。6階建ての新築ビルを借りきって、ホンハーさんを中心とするハノイの重度障害者たちが自分たちで運営している。障害当事者による障害者への啓蒙活動や、障害者サービスの要となるPA(Personal assistant)講習、介護サービスの提供などが活動の中身だ。ASEANで障害者フォーラムを立ち上げることになり、ASEAN事務局の最高幹部の一人であるラジャさんに自立生活運動とは一体どんなものか見てもらうことにしたもの。
センターの入り口には、日本財団のロゴが付いた自立生活センターの車イス運搬車が停まっていた。私がこの車を見るのは初めて。苦労して日本から持ち込んだ新車である。日本では通常生産しない筈の左ハンドルの車に、電動式のリフトを付けてベトナムまで輸送するという割の合わない仕事を引き受けてくれたのは日産自動車だが、メーカーとの交渉から始まり、無事通関してセンターに引き渡されるまで、一年以上かかったので皆の喜びもひとしお。
ILセンターの事務室には、日曜日にもかかわらず代表者のホンハーさん、事務局長のトゥイさんらが待っていてくれた。パワーポイントなどを使って、ラジャさんのために活動の様子を詳しく説明してくれた。ラジャさんも感心してさかんに頷いていた。

    <自立生活センターではホンハーさんたちが活動を説明してくれた>

午後、タクシーでASEANサミット会場に予定されている国立会議場へ。ホーチミン国立音楽院のフオン院長と合流。この場所に来た目的は明日、文化省で相談する予定のASEANオーケストラの演奏会場としてこの会議場内部のホールを利用する可能性があったための下見。フオン院長から文化省に予め頼んであったので、係の人が特別に内部を案内してくれる。
この「ASEANオーケストラ」とは、昨年11月、ホーチミン市で開かれたホーチミン国立音楽院付属オーケストラのコンサートに、ラジャさんと一緒に招待された際の雑談から生まれたアイデア。史上初めての試みとして、ASEAN各国の音楽家から成るオーケストラを編成し、ベトナムでのASEANサミット開催に合わせてクラシック・コンサートを開催しよう、というもの。その時のコンサートの指揮を務めた福村芳一さん、ホーチミン音楽院院長のフオンさん、ASEANのラジャさんらその場に居合わせた我々の間では、夢の企画に大興奮し盛り上がったのだった。

          <国立会議場の正面入り口階段>

早速、ラジャさんからスリン事務局長に話してもらったところ、是非やろうということになった。彼の夢である、コミュニティーに根ざしたASEAN作りに繋がるからだ。また、駐ASEANのベトナム政府代表も大賛成。今年、ASEAN議長国となったベトナム政府としては、自国の誇れるものをアピールしたいという動機がある。というのも、ASEAN地域には、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピンなど、オーケストラを持つ国も少なくないものの、楽団員の多くが欧米から来た外国人であることが多いのに対し、ベトナムには自国民で構成されるオーケストラが5団体も存在し、しかも、団員は殆んど自国民という事実があるからだ。
指揮者を務めるのは日本人の福村芳一氏。彼は現在、国立ホーチミン音楽院の音楽監督だが、90年代にはベトナム政府の要請によりベトナム国立交響楽団の再建を手掛け、文化功労勲章を授与された経歴を持つ、ベトナムでも大変人気の音楽家。シンガポール、タイ、フィリピン等、ASEAN各地でオーケストラを指揮した経験もあり、今回の指揮者として最も適任だ。


         <国立会議場中最大のホールは3500人収容>

この会議場のメーンホールの収容人員は3500人。このような大きな会場で念願のASEANオーケストラが演奏出来るかもしれないと思うと身震いする思い。ところが、専門家のフオンさんは、「ここの音響効果はいまいち。国立オペラ劇場にはかなわないわよ」と、クールに一言。
そこで、フランス植民地時代の香りが漂う国立オペラ劇場にも足を延ばし、急遽、手配してもらいその内部を見学することが出来た。内部をひとしきり見て回ったあと、外に出て隣接するカフェでコーヒーを飲みながら作戦会議。明日の文化省での会議には、ASEANサミットの文化行事の総責任者を務めるタン次官自身が出席してくれるという。ベトナム政府も真剣に考えてくれているものと思われるが、果たして、どんな結論になるのか。外務省にも伝えておくと支持を約束してくれた駐ASEANのベトナム政府代表は、果たしてどこまで信じてよいものか。ラジャさんもさすがに今回は自信がなさそうだ。
すると、フオン院長が、バッグから不思議な果物を取り出した。「実は今朝、今回の会議の成功祈願にお寺に行ってきたのよ。そこでもらった神聖な果物、ファットゥと言うのよ。このままでは食べれないんだけれど、縁起ものなので一つづつどうぞ」と。冷静に見えたフオンさんも、実は神頼みするほどの心境だったのだ。


         <ファットゥと言う名前の不思議な果物>

曇り空のハノイは4月と言うのに肌寒い。この寒さで、シンガポールでの行き過ぎた冷房で風邪がぶり返した私は絶不調。VNAHのハイさんは精が付くからと夕食にヤギ肉を食べようという。ベトナムでは日本のうなぎのようにヤギ肉が元気の出る食べ物と考えられている。しかし、なかなかヤギ肉を食べられるところは見つからず、結局、すっぽんを食べることに。

10時 自立生活センター訪問
12時30分 保健省マイ博士
16時 国立会議場視察
19時 VNAHのハノイ所長
アイスランドでの火山噴火によりロンドン行きは欠航 [2010年04月17日(Sat)]
4月17日(土曜日)
8時ホテルを出発、チャンギー空港へ。9時ロビーでラジャさんと合流。空港内のテレビは、アイスランドの火山噴火によりヨーロッパ各地の飛行場が閉鎖され、ヨーロッパ発着の多くの便が欠航、というニュースを伝えていた。チャンギー空港でも6,000人もの乗客が足止めを食っている、という。我々が待っていた第3ターミナルでは、ヨーロッパ行きの便が余りないからか普段の様子と余り変わりはなかったが、一便だけあったシンガポール航空のロンドン便は欠航。ラジャさんは上司であるスリンASEAN事務局長の出張のことを気にしていた。スリンさんは明後日からバンコク経由でロンドン行きの予定だと言う。

   <ロンドン便の欠航を示すチャンギー空港の掲示版>

ヨーロッパでの騒ぎをよそに、我々の乗り込んだハノイ行きの飛行機は定刻の12時半にハノイ空港に到着。空港には、土曜日にもかかわらず、保健省伝統医療局のマイ博士が、同僚のフオンさんと一緒に迎えに来てくれた。ホテルに着いて、明後日の保健省での会議について打合せ。
夕方18時、ベトナム障害者支援組織(VNAH)のハノイ所長、ハイさんが自分の運転する車でホテルに来てくれる。ラジャさん、NHKハノイ支局山田支局長と4人で夕食。

8時 ホテル出発
10時 シンガポール発
12時30分 ハノイ着
14時 保健省伝統医療局マイさん
18時半 NHKハノイ支局山田支局長 
ヤンゴン市内での爆発事件を隠し撮りした映像 [2010年04月16日(Fri)]
4月16日(金曜日)

      <日本の青春もの映画が上映中>

シンガポール人ながら、ミャンマーで手広く事業を行い、シンガポールとミャンマーの間を行ったり来たりしているウイルソンさんと会い、昼食をご馳走になりながらミャンマー情勢について意見交換。今日は、フィリピン人の奥さんでやはり、ミャンマーの国際機関で働いているキャサリンさんも一緒。
そう、4月中旬の今は、仏教国のお正月。ミャンマーのみならず、カンボジア、ラオス、スリランカなどでも数日間の公休日に入る。前後に有給休暇を取り、一週間かそれ以上の休みを取る人も少なくない。


     <ヤンゴン市内での爆発事件を隠し撮りした映像(その1)>

ウイルソンさんと別れてホテルの戻りテレビをつけると、ヤンゴン市内での爆発事件のニュース。パソコンのメールには、ウイルソンさんから転送された、現場の生々しい写真を何枚も含むメッセージが送られてきた。反体制系の団体が流しているものらしい。
不安定な政情が続くミャンマーや、タイとは対照的にシンガポールは美しく平和だ。しかし、そこは超合理主義による切捨ての社会でもある。障害者に対するシンガポールの「先進国」にあるまじき冷たい姿勢はこれまで批判を受けて来た。世界初の障害者問題の大学院大学IDPPがシンガポール国立大学のエリート機関、リークアンユー公共政策大学院との提携で生まれることの意義は大きい。


    <ヤンゴン市内での爆発事件を隠し撮りした映像(その2)>

12時 マッコム社ウイルソン社長
16時 丸紅シンガポール支店訪問
18時半 共同通信シンガポール支局豊田支局長 



リークアンユー大学院と障害者公共政策大学院設立に向けた協議 [2010年04月15日(Thu)]
4月15日(木曜日)
今朝一番の予定は、IDPP(障害者公共政策大学院)のモニター学生として、リークアンユー大学院に今年入学する予定の聾者の若者ウ・ウェンさんをラジャさんに紹介すること。ところが、昨夕、シンガポールに着いて以来、何度も連絡を試みているのだが、肝心のラジャさんとの電話が繋がらない。
シンガポール人のラジャさんは、ジャカルタに事務局があるASEANのスリン事務局長の特別顧問に就任して2年になる今も、勤務地のジャカルタと自宅のあるシンガポールを行ったり来たりの生活。今回は、シンガポール国立大学のリークアンユー公共政策大学院での仕事にあわせて、昨日の内にジャカルタからシンガポールに入る、との話であった。ところが、携帯電話が掛からないだけでなく、メールにも返事がない。今朝早く起きて、携帯メールにも、パソコンのeメールにも返事が入っていないのに気がつくと、俄かに心配になって来る。
ウ・ウェンさんとの会合は、最終段階で決まったので、彼にはまだ具体的な場所も時間も、連絡できていない。約束の時間が迫るが、電話もメールも来ない。気を揉んでいたところ、ラジャさんとあっさり電話がつながる。何事も無かったかの如く、会合場所に現れた。いつも、ギリギリで決まるスケジュールで動き回っている彼には特別のことではないらしい。
前回同様、タイのチェンマイからわざわざこのために来てもらった手話通訳のファリントン夫人が、ウ・ウェンさんのアメリカ手話を英語に訳してくれる。


     <リークアンユー公共政策大学院の美しいキャンパス>

ウ・ウェンさんたちと別れて、ラジャさんと二人だけでの昼食の後、シンガポール国立大学リークアンユー大学院へ。副院長のスタブロス・ヤヌーカさんに会う。彼と会うのは昨年6月以来、二回目。前回は、我々のIDPPの構想に対してやや慎重な口ぶりだったが、今回は、大変好意的。ASEAN事務局長のスリンさんやアメリカン大学国際関係学院のグッドマン院長からの働きかけの結果、キショール院長からは前向きに協力すると言う方針が出されたためのようだ。
ヤヌーカ副院長と、この秋の新学期に、聾、盲、肢体障害、それぞれ一名程度の学生を受け入れてもらうための、英語力の検証方法について協議、通常のTOEFL基準ではなく、障害者のタイプに応じた特別の試験方法を用意してもらうことになった。これら学生については、厳しい入学基準をもつリークアンユー公共政策大学院に、通常の学生同様の厳格な選抜プロセスを経て入学、公共政策学の基礎を学んでもらう。そして、在学中はモニターとしてIDPP設立後のスクーリング時のサポートサービスなどの充実に向けてアドバイスしてもらい、IDPP設立後はIDPPにシフトして、第一期生の学生になってもらう予定である。また、リークアンユー公共政策大学院の教授陣からは一人、IDPP設立準備委員会に加わってもらうことを要請、快諾を得ることが出来た。また、IDPP設立後は、リークアンユー公共政策大学院の施設でスクーリングを行うことについても原則的な了承を得た。

    <モダンでクリーンなシンガポール国立図書館>

ゼロからスタートするIDPPにとって、定評のあるリークアンユー公共政策大学院とこのような提携関係をもつことは信用を獲得し、評価を高める上で大きな意味を持つ。こうして、昨年初めまでは夢のような構想に過ぎなかった世界初の障害者問題専門の大学院大学IDPPは、来年秋の設立に向けてまた貴重な一歩を進めることが出来た。
その後、シンガポール国立図書館へ。企業情報サービス部副部長のジョンソンさんに会う。彼は大変なアイデアマン。いつものように、IDPP構想の進捗状況を話し、色々励ましと助言をもらう。IDPPの構想を思いついた時から密かに狙っていた図書館の空きスペースが埋まってしまったと聞き、少しがっかり。でも、リークアンユー公共政策大学院の施設を使わせてもらうことになりそうなので、まあいいいか、、、。夜は、3人で意見交換しながら食事。


     <図書館内部には欧米の大学の分校も入る>


9時半 ウ・ウェンさん面談
12時半 昼食打合せ
14時 シンガポール国立大学リークアンユー大学院訪問
15時半 シンガポール国立図書館訪問
19時 ASEAN事務局長特別顧問ラジャさん
ASEAN事務局との共同事業の打合わせでシンガポールとハノイへ [2010年04月14日(Wed)]
4月14日(水曜日)
日本財団は、2008年6月にASEAN事務局との間で包括的な業務提携協定を結び、障害者対策など5つの分野で、協力して共同事業を実施することになった。ASEAN事務局側はスリン事務局長の特別顧問のラジャさん、日本財団側は言い出しっぺの私が一応、取りまとめの窓口。
これまで、ハンセン病元患者の尊厳回復キャンペーンや、伝統医療のASEAN地域会議の実施など、いくつかの共同事業がスタートしているが、5年間で5億円の事業を実施していくという当初の目標と比べると、様々な事情が重なり、実施テンポは遅れ気味である。
今回は、この共同事業の加速、推進を図るため、準備中のいくつかの事業に関して基本的な骨組みを急ぎ取決めるべく、事務局長特別顧問のラジャさんと話し合って一緒に出張することにした。
具体的には、先ずはシンガポールで、国立シンガポール大学のリークアンユー公共政策大学院との間で、昨年初めから準備してきた障害者問題を専門に取り扱う公共政策大学院構想(IDPP)について話し合い、ハノイではベトナム政府との間で合意されている第2回ASEAN伝統医療会議と、昨年11月に我々の間で急に浮上したASEANオーケストラの相談をする予定。

三方の都合を調整した結果、間に週末を挟む日程になったので、シンガポールでの仕事を終えた後、早めにハノイに行き、ベトナムで実施中の重度障害者のためのIL(Indepemndent living=独立生活)運動の本部をラジャさんに案内することにした。

    <シンガポール特有のココナツのジャム?「カヤ」>

昼前の成田発の全日空機で約8時間、ほぼ定刻にシンガポール・チャンギー空港に到着。いつものホテルにチェックイン後、すぐ裏のスーパーへ。娘の好物の「カヤ」を買い求める。「カヤ」は、シンガポール独特のココナツを原料にしたジャム(?)。トーストなどにつけると軽やかな甘みに、ココナツの香りが心地よい。
夜は、夕食をとりながら、朝日新聞シンガポール支局の塚本支局長と面談。前回の1月末の出張の際には、成田発の飛行機の故障でシンガポール到着が大幅に遅れ、急きょキャンセルせざるを得なかったもの。


11時05分 成田発
17時20分 シンガポール着
19時 朝日新聞シンガポール支局塚本支局長 
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