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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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帰国へ [2010年02月07日(Sun)]
2月7日(日曜日)
長かった10日間の出張が終わった。しかも、1月初めから続いた海外出張もこれで一段落。次は、3月初めからの出張まで暫くはお休み。溜まっているブログも纏めてアップしないと。

5時半 ホテル発
8時15分 バンコク発
16時 成田着
バンコク都知事のスクムパン王子主催のBABA閉会式 [2010年02月06日(Sat)]
2月6日(土曜日)
朝8時半、私の滞在するホテルにASEAN事務局長ラジャ特別顧問と日本財団の担当者千葉君に集まってもらって3人で、日本財団とASEAN事務局との連携協定に基づく、障害者関連事業の進め方について協議。
そのあと、3人でタクシーに乗り、国際障害者協会アジア太平洋地区事務局(DPI/AP)に向かう。ASEAN障害者フォーラム構想について事務局長のサワラクさんたちと協議するため。ところが道路の異常な渋滞でにっちもさっちも行かなくなる。このままでは、DPI/APにいけたとしても、大遅刻。それどころか、その次に予定しているアジア大平洋身体障害者センター(APCD)もそれ以上の遅刻になってしまう。そこで、急遽APCDに行き先を変更。そこに、DPI/AP事務局長のサワラクさんたちにも来てもらい協議することにする。
アジア大平洋障害者センター(APCD)では、所長に就任したばかりの二ノ宮さんと部下の佐野さんが土曜日にもかかわらず出勤してくれていた。
無事、DPI/AP事務局長のサワラクさんたちも合流して打合せを終えてのち、ラジャさんと別れる。二ノ宮さんさんたちと我々だけで昼食ののち、ホテルに一旦戻る。
着替えをして、バンコク都知事スクムパン王子の居城であるスアンパッカード宮殿へ。ここで、日本財団グループの支援事業参加者を対象にしたセミナー、BABA(Building a Better Asia)の閉会式が行われるのだ。スクムパン知事は知事に就任する前から、BABAの運営委員会であるアカデミックコミティーの委員長を務めてくれている。今回は、彼の好意でこの歴史あるスアンパッカード宮殿で閉会式が行われることになったのだ。


     <スアンパッカード宮殿で開かれたBABA閉会式のレセプション>

私はスアンパッカード宮殿には、これまでアカデミックコミティーの会合などで何回かお邪魔しているが、その度に、ここの厨房でつくられる正統(?)のタイ王宮料理を堪能してきた。王宮料理と言っても、決して華美なものではないのだが、とにかく上品な味わいが素晴らしい。今回もその料理が食べられると楽しみにしてきたのだ。
料理が運ばれ、夕食会が始まって程なくして、ようやくホストのスクムパン知事が現れた。知人の結婚式に呼ばれていたので、遅くなったのだとか。
スクムパンさんは王族であるが、現与党である民主党の政治家になるまではチュラロンコン大学の教授であった。普段は無口とも言えるほど口数が少ない。政治家としては異例のはにかみ屋というのが定評である。


        <修了証を参加者に手渡すバンコク都知事のスクムパン王子>

そのスクムパンさんが今夜の閉会式では、彼としては異例の長口舌を振るってBABA参加者を激励してくれた。そのあと主催者を代表して私が挨拶。最後に、スクムパンさんが修了証を参加者に手渡して終了。参加者はこの一週間の合宿式セミナーでの共同生活を通じて親しくなった仲間たちとの別れを惜しみ、最後の夜を遅くまで楽しんでいた。

     <参加者の中には私が誘ったスリランカ人のヒンズー僧、クルッカル師の姿も>
  
  
8時半 ASEAN事務局長ラジャ特別顧問打合せ
10時半 アジア大平洋障害者センター(APCD)訪問
19時 BABA閉会式・レセプション
ユニークなフォーラムBABA [2010年02月05日(Fri)]
2月5日(金曜日)

       <バンコク市内の移動にはスカイトレインが便利>
 
今回の出張のタイミングは、今週から始まった日本財団グループの支援事業参加者を対象にしたセミナー、BABA(Building a Better Asia)に合わせたもの。私は、今日の午後開かれる運営委員会であるアカデミックコミティーのメンバーである。また、明日の閉会式では主催者を代表して挨拶することになっている。
アカデミックコミティーの前に、2件の用件が入っていた。
先ず朝一番には、カンボジア、ラオスなどで実施中のキャッサバ農法指導事業の責任者であるティン博士と会い、今年から始まる新体制のもとでの事業実施方針などにつき意見交換。
そのあと、昼食を摂りながら、フジテレビバンコク支局の江藤支局長と、ベトナムでの事業に関する取材計画などにつき協議した。


         <コミティーの会場はスリナム領事館>
  
そして、スカイトレインに乗って向かった先は何故か、スリナム領事館。南米の小国がタイ外務省の支援で持つ領事館であるが、タイの元外務大臣で現在はASEAN事務局長であるスリン博士の好意で、今回のBABAアカデミックコミティーの会場として使わせてもらったもの。
5カ年計画の最終年度である今年の2回分の開催に向けて意見交換。アメリカン大学のアチャルヤ教授は、BABAのようなユニークなフォーラムは、5年の期間が満了しても、是非続けるべきで、日本財団が仮に支援しないなら、他のドナーを見つけてでもやるべきだと力説。欧米的価値観ではなくアジアの知恵がベースになっていること、参加者の多様性などが他に例を見ない特長なのだそうだ。
米国の首都ワシントンDCにあるアメリカン大学からは、国際関係学院のグッドマン学部長も遠路遥々参加してくれていた。グッドマン学部長とは昨年暮れにワシントンでIDPP(障害者のための公共政策大学院大学)構想のための会議で会ったばかり。来週には、シンガポール大学リークアンユー大学院のキショール院長と会うことになっていると言うので、IDPPの話をしてもらうよう頼む。


            <BABAアカデミックコミティー>

9時 CIAT(国際熱帯農業研究所)Tin博士
12時 フジテレビバンコク支局江藤支局長
14時 BABAアカデミックコミティー
18時半 BABAアカデミックコミティー夕食会
国立伝統医療学校は新年度からはNGO主体に [2010年02月04日(Thu)]
2月4日(木曜日)

      <国立伝統医療学校の三階建て新校舎 大幅に遅れながらもついに完成>

基本的な考え方を巡って紛糾している国立伝統医療学校の新年度予算の問題を協議するため保健省へ。先ずは、国立伝統医療学校を訪れ、校長のポル博士らに挨拶。
私は、昨年12月にもここを訪れ、イムヤン次官ら保健省幹部らと、来年度予算について協議、2時間ほどの会議で何とか先方の理解を得ることに成功、今後の協力を約し友好裏に握手して別れたばかり。しかしながら、その後、保健大臣の意向を受けて、モナウーク副大臣から再協議の申し出があったもの。
一昨日の高田さんとの打合せを踏まえて、当方から最終的な解決策として、新たにNGOを設立しそこに運営責任を負わせる、という新提案を伝えてもらった。それに対し、副大臣の同意が得られたと聞いて、今日は挨拶だけで済むと気楽なつもりでやって来たのだが、、、。


           <モナウーク保健副大臣と直談判>

果たして、隣接する保健省ビルの副大臣室に入ってみると、モナウーク副大臣からは、いきなり、白紙撤回の提案。そこで私は、新提案の趣旨とそのメリットを再び詳しく丁寧に説明。具体的な運営委員会の構成やメンバーのイメージまで明示して、その狙いを解説。一時間以上かけて話し合った結果、漸く合意に至った。
直ぐに、国立伝統医療学校に戻り、長時間化した会議に心配して待っていたポル校長や、プンレイ伝統医療局長らに、会議の首尾を報告した。新提案が受け入れられたということで、ほっとしたと同時に、NGOを主体とする新体制に一抹の不安も隠せないようであったが、私はこれからバンコクに向かわねばならない。


         <国立伝統医療学校幹部たちと 右端は高田さん>

高田さんには、今後の進め方を相談するために、空港まで付き合ってもらうことにする。一緒にホテルに戻り、チェックアウト。そのまま、空港に向かう。車の中で、NGOの設立に向けた段取りなどにつき相談。
国立伝統医療学校は、日本財団の資金協力で昨年から始まったカンボジア初の伝統医学を教える学校である。カンボジアでは、クメール帝国の流れをくむ立派な伝統医学が存在するのだが、その伝承は、主に地方で活躍する伝統医療師の世襲などによる継承にまかされ、その体系化と知識の整理が遅れている。この学校は、そのような現状を踏まえ、ゆくゆくは、ミャンマーのマンダレーにある国立伝統医療大学のような本格的な高等教育機関に育てていくことを目指して始まったもの。何とか、新NGOのもと一日も早く安定した運営体制を確立してもらいたいものである。


       <東洋のプチパリと言われた趣を取り戻した?プノンペン>

空港で高田さんに別れを告げる。午後5時、ほぼ定刻にバンコクに着陸。ついに10便ぶりにして初めて遅れることなく目的地に到着。共同通信バンコク支局沢井支局長に電話して、予定通り到着したことを連絡、夜の面会を確認。
気のせいか今日はビルの谷間に沈む夕日がやけに美しい。思わず、高速道路を走る車の中でカメラを取り出しパチリ。運転手が「バンコクは初めて?」と聞く。バンコク訪問は100回以上なのだが、、、。


       <バンコク 高層ビルが作るスカイラインに傾く夕日>


10時 国立伝統医療学校訪問
10時半 モナウーク保健副大臣面談
11時半 国立伝統医療学校打合せ
12時 高田さんと昼食打合せ
13時15分 ホテル出発
15時40分 プノンペン発
16時50分 バンコク着
19時 共同通信バンコク支局沢井支局長
イムセティ教育大臣を表敬、ラジオ教育放送事業の開始を報告 [2010年02月03日(Wed)]
2月3日(水曜日)

        <プノンペンに増えて来たおしゃれなクメール料理店>

今日は、昨夜歓迎会をしたばかりの松島さんを紹介するべく、ラジオ教育放送事業のパートナーであるBBC(英国放送協会)が設立したNGOであるBBC World Service Trustの事務所へハミルトン代表を訪ねた。
ハミルトンさんは、私と3年前に初めて構想として話し合った教育放送が、紆余曲折があって当初の計画よりスタートが大幅に遅れたとはいえ、ここに至り、漸く松島さんという責任者の赴任にまで漕ぎ着けたことを大変喜んでくれた。
これから放送内容の作成に着手し、予定通り進めばこの秋にも第一回目の放送がスタート出来ることになりそうだ。
その後、日本大使館に篠原前大使の後任の黒木大使を表敬。教育放送事業とクメール焼き事業を中心に日本財団の事業活動を報告。大使は、特に、クメール焼きの話に興味を持たれたようだった。

       <骨董店の棚に無造作に並ぶクメール焼きの本物と偽物>
  
夕方の教育大臣との面談まで、少し時間が出来たので、日本財団の田中担当と私は、ロシアンマーケットと呼ばれる市場の近くにある骨董店を視察。クメール焼きの本物が売られていたという噂の真偽を確かめることにした。確かに、ある店のガラス戸棚の中にいくつかの本物の壺が偽物らしき壺と一緒に売られているのを発見。値段を聞いたところ、何と本物も偽物も同じ値段であった。店主もクメール焼きに関してはあまり知識も興味もない様子であった。

        <こちらは岩見さんたちが作った焼き物の試作品>

最後に、教育省へイムセティ教育大臣を尋ねた。篠原前大使に紹介していただいて、就任直後に会って以来2回目。今回は、友人と言うブンサンボ首相顧問に頼んで無理やり時間を作ってもらったもの。BBCのハミルトンさんにも加わってもらい、ラジオ放送教育事業の開始を報告し、教育省としてのサポートをお願いした。ESC絆の山田代表、ラジオ事業の企画案を全面的に作ってもらったワンセンブウの森さんも一緒。教育省からもレンセンハク教員訓練局長ら関係者が陪席。レンセンハク氏はESC絆の会長でもある。ついに、事業を遂行する万全の体勢が整った。長年の夢が漸くスタートに漕ぎ着けたことで私は感無量。

            <イムセティ教育大臣を表敬する一行>

10時 BBC World Service Trustハミルトン代表と面談
11時半 ESC絆訪問
14時半 日本大使館黒木大使表敬
15時半 クメール焼き骨董店視察
17時 教育相イムセティ大臣表敬
18時15分 夕食
盲人マッサージSeeingHandsへニカさんを訪問 [2010年02月02日(Tue)]
2月2日(火曜日)
私は今日は朝から大忙し。あちこち移動しながら6つもの面談をこなし、最後は日本財団が奨学金事業など、カンボジアでの中等教育支援事業を行うために設立したNGOである「ESC絆」のラジオ教育放送担当者として赴任した松島さんの歓迎会に臨んだ。
先ず、朝一番は昨年初めに始まった国立伝統医療学校の鍼灸講師の高田さんと面談。明後日に予定されている保健省のモナウーク副大臣らとの会議に向けての方針を協議。次年度予算に向けての双方の方針の喰い違いをどう乗り越えるか頭が痛い。
そのあと、義肢装具士学校を運営する英国のNGOカンボジアトラストのカンボジア代表のスコットさんと面談。新校舎の建設がようやくスタートしたと知り一安心。今秋の完工時には笹川会長ら立ち合いで竣工式を行う方針を確認。国立伝統医療学校の予算問題についてもアドバイスをもらう。
次いで、CJS社に向かい山崎社長を拾って、聾者用の手話辞書作成事業の助成先であるDDP(Deaf Development Program)の本部へ行き、責任者のチャーリー牧師を山崎さんに紹介。近所のレストランで食事を摂りながら3人で話す。山崎さんのエステ・マッサージ開業計画を説明し、聾者の女性を雇用したいと協力を求める。聾者サイドの希望で美容研修がスタートしており、その卒業生の職場確保に好都合と歓迎される。
一旦、山崎さんと別れ、私一人でABC(カンボジア盲人協会)本部へ。旧知のブンマオ事務局長に面談。ここでも、山崎さんのエステ・マッサージ開業計画を説明し、盲人マッサージクリニックチェーン「Seeing Hands」の現状の問題点と山崎さんの計画の狙いを説明し協力を求める。盲人のブンマオ氏自身が「Seeing Hands」を創業した本人であり、彼の理解を得ることが盲人マッサージ師のリーダー的存在であるニカさんを引き入れる前に最優先の課題と考えていたからである。幸い、「Seeing Hands」の現状の問題点に関しては彼自身も私と同じ問題意識をもっていたことが判明、私の考える打開策としてのエステ・マッサージ構想の狙いをたちどころに理解してくれた。


     <日本留学して指圧をマスターしたニカさんは盲人マッサージのリーダー>
 
これで、障害はなくなったので、山崎さんと再び一緒に「Seeing Hands」に向かい、ニカさんと面談、彼女に山崎さん自身の口からエステ・マッサージ開業計画を説明してもらった。時々英語の混じるクメール語のやり取りがしばらく続いた後、「ニカさんがOKしてくれた」と山崎さんがにっこり。現在のクリニックのお客さんも無視できないので暫くは掛け持ちで週に数回という勤務になりそうだが、ピカ一の腕を持つニカさんが参加してくれることで山崎さんの山崎さんのエステ・マッサージ室は成功の可能性が高くなったと言えそうだ。
ニカさんとの話し合いもそこそこに、今度は文化芸術省へ。先般、日本訪問の際、日本財団の笹川会長からクメール焼き復活事業のことを説明され興味を持ったというセンソト国際局長を訪問。計画の概要を説明。文化芸術省としての理解と支援を要請した。センソト局長は何と大学で考古学を専攻したとかで、このプロジェクトをわがことのように喜んでくれた。この際に判明したことは、クメール焼きのまとまったコレクションはカンボジア国内では無いとのことであった。


              <文化芸術省の建物 国際局長を訪問>


9時 国立伝統医療学校高田講師と打合せ
10時 カンボジアトラストのスコット代表と面談
12時 DDP(Deaf Development Program)のチャーリー牧師と面談
14時 ABC(カンボジア盲人協会)ブンマオ事務局長訪問
15時 盲人マッサージSeeingHandsのニカさん面談
16時半 文化芸術省 センソト国際局長訪問
18時半 ESC絆松島さん歓迎会
焼き物の里、コンポンチュナンへ日帰り [2010年02月01日(Mon)]
2月1日(月曜日)

    <コンポンチュナンでは牛車が活躍 素焼の壺をプノンペンへ運ぶ>

朝日新聞バンコク支局の山本記者を案内して、プノンペンから北西へ走ること2時間弱、コンポンチュナンへ。町の入り口には大きな瀬戸物の壷が。ここは、瀬戸物の大産地。スラエトマイ郡にある焼き物の村の一つ、オンドーンルセイ村。この村の人口は約1500人、300世帯の村。過半の世帯が陶器作りに従事していると言う瀬戸物の里。


    <窯業の街コンポンチュナンの入り口に立つ素焼のオブジェ>

ここが「幻のクメール焼き復活プロジェクト」として始まった窯業指導事業の現場なのだ。ここでは岩見さんを中心に北村さん、田村さんと30代の若者を加えた3人の日本人が滞在し、村人たちに本格的な瀬戸物製造を指導中。岩見さんは45歳と比較的若手ながら、東京で個展を開くほどの益子焼の専門家。多忙な身でありながら、素焼製作技術しか知らないカンボジアの人たちに釉薬を塗った本格的な陶器製作を教えるために駆けつけてくれたのだ。

    <初めての窯出し 村の女性リーダー、パウさんと岩見さん>

カンボジアは今では、窯業技術が廃れてしまい素朴な素焼の壺などをここコンポンチュナンを中心に生産するほかは、釉薬を塗った食器など本格的な陶器は殆どすべて、ベトナムや中国、タイなど近隣の国からの輸入に依存している。
しかし、カンボジア国内に、陶器製作に適した陶土や釉薬の原料となる長石が無い訳ではなく、コンポンチュナン周辺には豊富に存在することが知られている。それどころか、近年になって明らかになって来たのは、アンコール朝を生み出したクメール帝国時代には、極めて高度な陶器を製作する技術があったという事実である。
アンコールワット遺跡などから出土するこれらの陶器が「クメール焼き」である。何故か、12世紀をピークに廃れてしまい、これまではその存在すら余り知られていなかったのだが、1970年代になって研究が進んだ。その後、ポルポト時代には資料が散逸するなど中断を余儀なくされたが、最近になって注目を集めるようになっている。クメール焼きは、黒や茶色など素朴な色合いの中に力強さを持つという点で、日本の益子焼にも通じるものを感じさせられる陶器である。
日本財団としては、岩見さんたち益子焼の専門家の指導によって、失われたクメールの伝統を取り戻すとともに、日本の優れた窯業技術を伝えることによって、カンボジアの陶器製作の近代化を支援し、カンボジアの貧しい人々の所得向上と産業の発展に資すことを期待して、彼らの活動を支援することにしたのである。


      <パウさん達を取材する朝日新聞山本記者>

この事業のもう一人の立役者が、クメール語の通訳第一人者であると同時に、フリーペーパーNyoNyumの発行人でもあるCJS社社長の山崎幸恵さんだ。日本財団に岩見さんたちの活動の話を持ち込んだ張本人であると同時に、本事業の責任者として主に製品の販売を担当することになっている。既に、山崎さんの尽力によって、プノンペン市内の日本料理店の什器や、キャッサバを原料とする焼酎の容器としての引き合いなどが寄せられているという。
プノンペンに戻って、山崎さんとCJS社の新社屋に立ち寄る。大通りから入って直ぐのところに建つクメールコロニアルスタイルの一軒家。その二階部分に新しく開設されたカンボジア産品を扱うブティークの奥には、大きなダイニングテーブルを中心とするショウルームスペースが設けられている。ここでは将来、クメール焼きが展示販売される予定なのだ。
また、その一角には盲と聾の障害者女性を雇用してのエステ・マッサージを開業する計画がある。明日はそのために私も山崎さんに付き合うことになっている。女性事業家としての山崎さんの手腕に期待。
夜は、韓国焼肉の店で「ESC絆」の名誉顧問に就任していただいた篠原前カンボジア大使らと会食。


     <コンポンチュナンの売店に並ぶのは殆ど素焼のものばかり>

7時 ホテル出発
9時 コンポンチュナン到着 窯だし見学
13時半 プロジェクト事務所訪問
16時 NyoNyum新社屋訪問
18時半 篠原前カンボジア大使
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