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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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再び、飛行機が遅延 プノンペンでの夕食会に遅刻 [2010年01月31日(Sun)]
1月31日(日曜日)
今日はカンボジアへ移動。今度こそは定刻通り飛んでくれるのだろうか。到着後すぐに、フンセン首相特別顧問のブンサンボさんとの夕食が予定されている。朝日新聞の記者さんを紹介することになっているのだ。
ところが、予定の時間になっても搭乗口に飛行機の姿はない。結局、出発は45分の遅れ。前回のトルコ出張の分を含めると、何と9本連続の遅延。ついていない。
気を取り直して、現地の新聞を読むと興味深い記事を見つけた。何と、ホームレスが前年比で倍増したとのこと。シンガポールにもホームレスがいるのだ。しかも、その85%がシンガポール国籍者。面白いことに、人種別内訳も添付。それによると、マレー系60%、インド系が20%とか。中国系は殆どいないようだ。華人間の相互扶助が機能しているのか。それとも、、、、。
人種に関する記事がもう一つ。人種を超えた結婚の割合が過去10年で倍増しているのだそうだ。最新のデータでは16.4%にまで上昇。しかし、ここでもマレー系やインド系の間では3-4組に1組にまで増えている異人種間結婚が中国系では12組に1組以下というデータが。華人の人口が多いので、同人種間で相手を見付け易いからではないか、と解説してあった。
プノンペンには一時間近く遅れて着いたため、夕食会には30分ほど遅れて参加するはめに。


        <シンガポールの誇るチャンギー空港>

17時 シンガポール発
18時 プノンペン着
18時45分 ホテルチェックイン
19時半 ブンサンボ首相顧問らと夕食
シンガポールは障害者対策後進国? 聾者の若者の嘆き [2010年01月30日(Sat)]
1月30日(土曜日)

     <整備されたシンガポールの町並み>
 
今朝の仕事もキャンセルになったので、のんびり起きてホテル裏の屋台のようなレストランで朝食。午後からは、シンガポールで唯一残ったの仕事、聾の若者であるウ・ウェンさんとの面接だ。アメリカ手話と英語の通訳のため頼んだ米人女性ファリントンさんは、何と、タイのチェンマイから日帰りで駆けつけてくれる手はずになっている。これをしくじっては大変だ。
ところが、聾者のウ・ウェンさんも、通訳のファリントンさんも、私も三人はいずれも、互いに面識なく今回が全くの初対面。勿論、耳の聞こえないウ・ウェンさんとは携帯電話で連絡するわけにはいかない。しかも、ファリントンさんの携帯はタイ専用でここでは使えないという。万一、お互いが行き違ってしまうと大変だ。慌てて二人にメールを送り、今日の私の服装を連絡。
彼らが到着するより先に約束のホテルに着いておいた方が良かろうと、早めに出発。20分以上早く、約束の場所に到着してあたりを見回すがそれらしき人の姿は見当たらない。幸い、人通りは多くなくこれなら見逃すこともあるまいと一安心。
ほどなくして、こちらを見て会釈した初老の女性が手話通訳のファリントンさんだった。彼女によると、面談手配などを頼んでおいた日本財団スタッフの吉田君が、予め私の顔写真を届けてくれていたのですぐ分かったとか。吉田君自身が聾者なので、彼はいつも細かな点にも気がついて良くやってくれる。
直後、ウ・ウェンさんが登場。こうして三人は無事落ち合うことが出来たのだった。
ウ・ウェンさんはまだ30代、シンガポールでは聾者にとっての教育環境が不十分と、アメリカに渡り、2002年にはニューヨーク州ロチェスターにあるロチェスター工科大学(RIT)を卒業したシンガポール人の若者だ。RITは日本財団が長年にわたって支援している世界の聾教育のための大学間連絡組織PEN-Internationalの事務局NTIDのある大学。
彼はRITの卒業後もアメリカに残り、聾者のためのソーシャルワーカーとして各地で仕事をし、昨年4月に帰国したという。ところが、アメリカの優れた大学で健聴者に交じって学士号をとり、職歴も加えて帰国したウ・ウェンさんに彼の母国は冷たかった。彼に相応しい仕事が見つからなかったのだ。見かねた友人が助けの手を差し伸べ、友人の経営するレストランでキッチンマネジャーをしているというが、彼の学歴や経験を生かせる職場からは程遠い。
シンガポールは優秀な官僚の指導により急速な経済成長を遂げ、国民所得は日本を凌ぎ、美しく整備された都市環境のもとで人々は幸せに暮らしている筈なのだが、その合理主義の行き過ぎが海外から批判されることがある。障害者は弱者として保護されているとはいうものの、少数の例外的存在として時に切り捨てられる傾向が無いわけではない。
その故にこそ、我々は障害者のための公共政策大学院大学(IDPP)を敢てシンガポール国立大学のリークアンユー公共政策大学院に提案しているのだ。シンガポールのイメージチェンジとなること請け合いだからだ。
このIDPPの設立に向けて、今年は、3名ほどの障害者をリークアンユー公共政策大学院に送り込む計画なのだが、ウ・ウェンさんはその有力候補なのだ。


   <シンガポールは障害者にとっては住みにくい国と語るウ・ウェンさん>

    
  
14時 ウ・ウェンさん面談
出発便大幅遅れで再び波乱の出張? [2010年01月29日(Fri)]
1月29日(金曜日)
出発の朝、いつものように品川駅からNEXに乗り込む。今回の出張の行き先はシンガポール、カンボジアとタイ。
今月は海外出張が続き今回で4回目。しかも、3か国10日間と私にしては長期間。しかし、このあと2月一杯は、海外出張はお休み。さあ、気力と体力を整えていざ出発。
と張り切って出かけたのだが、初日から躓いた。成田発のシンガポール便が、機体不調で滑走路から引き返す事態に遭遇したのだ。幸い、故障はすぐ修理出来たようで、なんとか、2時間ほど遅れただけで出発となったのだが、シンガポール到着直後に予定していた朝日新聞シンガポール支局長の塚本さんとの面談はキャンセルに。
おまけに、出発直前に入った連絡によると、明日30日の午前に予定していたASEAN事務局長特別顧問のラジャさんとの面談も、彼が急きょマニラに行くことになったとかで中止になっている。この結果、4つ予定していたシンガポールでの仕事のうち、二つがなくなってしまったのだ。しかし、悲劇はこれで終わらなかった。
気温29度のシンガポールに着き、ホテルにチェックインしたのは8時半。早速、ホテルの部屋でメールをチェック。すると、更なる中止の知らせが待ち受けていた。明日の夜に予定していたWilson氏との面談も、彼のミャンマーでの仕事が長引いているとの理由で急遽キャンセル。
即ち、シンガポールで予定していた4つのミーティングの内、3つがなくなってしまったのだ。急遽、他の人と会おうとも考えてはみたものの、今は金曜の夜の9時過ぎ、しかも明日からは週末なのでは手の打ちようもない。
一瞬、明日の午後に予定のウ・ウェンさんとの面談までもキャンセルになるという悪夢のような可能性が頭をよぎる。


      <バレンタインデーの飾りと並んで「迎春」の文字が>

気を取り直して、ホテルの裏手にあるスーパーへ夕食の買出しに出る。バレンタインデーの飾りと並んで、「迎春」と書かれた漢字の飾りが目についた。お正月の飾りが残っていたのではあるまい。ここシンガポールも華人の国。中国式の旧正月、所謂「春節」を祝ってのものであるに違いない。
今年の旧正月は2月14日、バレンタインデーと重なった。バレンタインデーは最近は中国でも「情人節」として若い恋人たちにとって特別の日になりつつある。家族の行事である正月とどっちを優先するのかな。


     <シンガポールのスーパーも中国式正月「春節」の飾りつけ>
     

10時55分 成田発
19時30分 シンガポール着
雪に祟られた出張から無事帰国 [2010年01月25日(Mon)]
1月25日(月曜日)
定刻よりは遅れたとは言うものの、幸い、欠航の憂き目にあうことも、乗り継ぎに失敗することもなく、雪に祟られた出張から無事帰国。成田到着は定刻より一時間遅れの午後5時であった。今月はあと一つ、29日からは4回目、今月最後の出張が待っている。10日間と長期間の出張なので、時差を早めに克服し、体調を整えておかねば。

    <トルコの朝食はチーズの種類が豊富 右から5皿全部チーズ>


    <トルコからドイツに向かう機内より@雪に覆われたバルカンの山々>


     <トルコからドイツに向かう機内よりA 厚い雪雲の上にも尚も雲>


     <雪にけぶるフランクフルト上空>

 
17時00分 成田着


イスタンブールでも奨学金授与式・記念講演会 [2010年01月24日(Sun)]
1月24日(日曜日)

     <雪の朝 ホテルの窓から>

朝9時半、ホテルをチェックアウト。京子さんと一緒に会場へ。幸い、昨夜以降、雪は降らなかったようだが、道路際などにはかなりの雪が残り歩きにくい。
会場となるイスタンブール工科大学の講堂の前の下りの坂道にも15センチほど雪が積もっていた。タクシーはスリップしないよう、のろのろと進む。帰りは上り坂だ。果たして、無事帰れたのだろうか。


     <イスタンブール工科大学講堂に集まった学生たち>

無事奨学金授与式・記念講演会が始まった。こちらは悪天候にもかかわらず60人ほどの参加者が集まった。京子さんに頼んで、アンカラの時とは順番を逆にしてもらい、ますは、奨学金授与式から。そのあと、私が前座の日本財団紹介をやり向坂さんにバトンタッチしたところで5分間の休憩。
私は、高坂さんご夫婦にご挨拶をして、中座することにする。お土産の食品買いをムラットさんに手伝ってもらう。出発の時間までまだかなりの時間があったが、何があるとも限らない。一人タクシーで空港へ向かうことに。


     <日本トルコ中央アジア友好協会のムラットさん>

当初予定していた便では、フランクフルトでの乗り継ぎ時間が一時間少々とギリギリ。そこで予定時間より4時間早く出る一本前の便に空席を見つけたので、そちらに変更。
すると、今度はイスタンブールでの出発までの時間は余りない。ところが、パスポートコントロールが大混雑。気がつくと搭乗時間を既に大幅オーバーしているではないか。焦る気持ちを鎮めながら順番を待つ。何とか、出発予定時間15分前にゲートに到着。ところが、今度は搭乗時間になっても搭乗のアナウンスはない。30分ほど遅れて機内へ。しかし悪天候の故か、離陸まで誘導路で半時間以上待機。


     <イスタンブールのあちこちにある城壁跡>

結局、フランクフルトの到着は1時間遅れ。機内では乗り継ぎを予定している乗客が心配そうにスチュワーデスに相談する姿がちらほら。こちらは、成田便までたっぷり時間があるので、お気楽。一便繰り上げて本当に良かった。
フランクフルトの気温は0度。小雪がぱらつく。結局、成田行きの便も翼に着いた雪の除雪とかで誘導路で立ち往生させられ、出発は一時間遅れとなったのだった。
今回の出張で乗った飛行機は7回、この総てが遅れるという異常事態。昨年暮れのワシントン以来、雪には振り回されっぱなし。


     <回教寺院も寒そう>

9時半 ホテル出発
10時 奨学金授与式・記念講演会
13時50分 イスタンブール発
16時40分 フランクフルト着
20時45分 フランクフルト発
雪の中、アンカラへ日帰り [2010年01月23日(Sat)]
1月23日(土曜日)

     <アンカラ空港は雪景色>

朝8時過ぎ、ムラットさんがニッポンホテルに来てくれた。迎えの車に乗り込むと。特別講師の向坂さんご夫妻の姿があった。向坂さんは、大手企業の役員OBが中心になって作った中間法人ディレクトフォースのメンバーだ。ご本人は新日鉄のご出身。
会員を大学の講師として派遣したり、中小企業へコンサルタントとして紹介する事業を行っているディレクトフォースには、ご縁があって、これまで5回ほど講師の派遣をお願いしている。トルコへは、最初に、会員一号で今は代表の立場にある丸紅の元副会長の松村さんをご紹介いただいて以来のお付き合い。理論中心の大学教授の講義にはない、企業経営者としての体験に基づく話が聞けると、学生の評判も上々だ。
アンカラに向かうべくイスタンブール空港へ。霙交じりの強い風が吹きつける悪天候。昨日の天気予報にあったように、これからは次第に風が強まり吹雪になるのだろうか。ムラットさんは、飛行機が飛ぶのか心配しているようだ。しかし、幸いイスタンブール空港に着いてみると、飛行機の発着には差支えがない様で、定刻より少し遅れたものの飛行機は無事離陸した。
アンカラ空港に着いてみると、イスタンブール以上の雪野原。しかし、一足先に着いていた筈の京子さんの姿が無い。ムラットさんに電話が入る。ボスポラス海峡をはさみ対岸のアジア側に住む京子さんが利用するのは、アジア側にあるもう一つのイスタンブール空港なのだが、何とそこは今朝は早朝から大変な嵐のため全便欠航状態なのだとか。空港再開の見通しが全く立たないのでアンカラ行きは断念し、今日のうちに私と同じホテルに宿をとり、そこで我々の帰りを待つ、ということに。

     <雪に煙るアンカラの回教寺院>

会場のホテルに到着。アンカラ大学助教授の杉山さんが待っていてくれた。杉山さんの経歴も山口京子さんに劣らずユニークだ。
19歳で考古学者を志してトルコに渡り、楔形文字を専攻。今はアンカラ大学の日本語の先生だ。アンカラに住んで21年、トルコ人と区別がつかないほどの流暢なトルコ語を喋る。40歳にして、近々トルコ人の人類学者の女性と結婚の予定とか。
彼も山口さん同様、JATCAFA(日本トルコ中央アジア友好協会)の設立当時からのメンバーだ。アンカラの責任者としてお手伝いいただいている。我々の事業の大変心強い身内である。
午後1時。25人ほどの学生を前に、講演会が始まる。私が前座に日本財団の紹介をした後、向坂さんによる鉄鋼業から見た日本産業発展史の特別講義。講義の後も学生たちからの質問が相次ぐ・


   <匂坂さんの講演に耳を傾ける学生たち>

その後、奨学金授与式を行って直ぐ、慌ただしく空港へ。会場の外に出てみると、心配していた空模様は好転。雲が切れて青空がのぞき、太陽も顔を出した。
良かったと喜ぶ我々に、ムラットさんは、いやいや、500キロ離れたイスタンブールの天気も良くなっていないとまだ安心できません、と慎重。
果たして、アンカラ空港に着いてみると、我々が乗る予定のイスタンブール行きの飛行機は出発が一時間近く遅れる見通しとか。やむなく、空港のカフェで待機する。
しかし、その後、遅れは次第に長くなり、最終的に我々がアンカラを飛び立ったのは定刻2時間遅れの夜7時。


     <午後には日が射した>

イスタンブール空港に着いてみると、雪はやんでやいるものの、空港は一面雪の原。滑走路すらも雪の下に埋もれている。
ニッポンホテルに到着したのは9時過ぎ。我々を待ちかねていた京子さんとやっと合流。彼女によるとイスタンブール市内は夕方にかけて大変な悪天候。猛烈な吹雪に襲われたのだとか。道理で、イスタンブール行きの飛行機がアンカラで待機していた筈である。
9時半、漸くホテルの直ぐ近くのレストランで遅い夕食に有り付く。行き帰りの道は雪が積もり滑りやすくなっていたので皆、気をつけて慎重に歩く。ホテルの部屋に戻ったのは深夜12時だった。
明日は、イスタンブールでの講演と奨学金授与式だが、私には帰国の日でもある。式が終わったら、午後には空港に向かわなくてはならない。慌ただしく荷造りをする。
窓の下を見下ろすと、雪のつもった歩道に街灯のランプの黄色が優しい。しかし、このままでは夜半に向けて気温が下がると凍結するのが心配だ。空港の滑走路の雪はどうなったのだろうか。明日の飛行機の運航に差し支えないよう、ちゃんと雪かきをしてくれたのだろうか、等と心配しながら眠りに着く。


    <夕食への道は雪でぬかるみ>

8時10分 ホテル出発
10時15分 イスタンブール発
11時20分 アンカラ着
12時 杉山助教授と昼食会  
13時 奨学金授与式・記念講演会
19時 アンカラ発
20時 イスタンブール着
21時半 夕食
WHOで伝統医療の事業について協議 [2010年01月22日(Fri)]
1月22日(金曜日)

        <WHO(世界保健機関)本部 先日までの雪が残る>

昨晩同様丸山さんの車に乗せてもらいWHOへ。伝統医療調整官Zhang博士、中国政府衛生部から出向中の張博士、アルメニア人の専門家サミュエルさんらを交えて会議。
私の方からは、8月にバンコクで開催したASEAN伝統医療会議以降の動きを報告。即ち、ベトナム政府からの第2回ASEAN会議主催の申し入れと、置き薬事業試験計画、さらに、ラオス政府との置き薬事業の準備状況、10月のモンゴル保健大臣からの置き薬事業全国展開の申し入れ、12月のワシントンでの国際金融公社との協議、1月の北京での世界銀行事務所での協議、タイの置き薬事業の全国1万世帯への拡大計画、など。
Zhangさんからは、今年5月のWHO総会の場において、タイやモンゴルでの置き薬の事業を報告する場を設けないかとの提案。
2時間足らずの時間ながら、内容的には充実した会議を終えて、再び、丸山さんにお世話になり空港へ。1時半のイスタンブール行きに乗らねばならない。しかし、ここでも飛行機の出発は30分遅れ。どんよりとした曇り空。まだまだ雪が降りそうだ。


     <レマン湖も霞むどんよりとした空>

機内で開いたトルコの英字紙に拠ると、黒海の北、ロシアからの寒波がイスタンブールに迫っているとかで、吹雪の中、気温はマイナス5度まで下がるなど、週末にかけてここ数日の天気は大荒れとの予想。今回は、イスタンブールからアンカラに日帰りするなど、大変タイトなスケジュールを組んでいる。空の便の遅れは大問題になりかねない。昨年暮れのワシントンに始まり、2週間前の北京でも40年振りの降雪とかだった。どうも、この冬は雪に振り回されそうだ。やれやれ。

    <雲海の上には青空が広がっていた>

トルコ行きは暫くご無沙汰していたので3年ぶりか。
イスタンブール空港には、中央アジアからの留学生に対する奨学金事業の実施団体JATCAFA(日本トルコ中央アジア友好協会)から責任者のブルゴスキ京子さん、ムラットさん、お二人の顔があった。ムラットさんは一時間後に到着する特別講師の向坂さんを出迎えるため残り、私と京子さんはタクシーに。
京子さんは、日本財団の職員OGだ。日本に留学していた旧ユーゴスラビアのマケドニア出身のご主人と東京で知り合い結婚。マケドニアで数年暮らした後、経営学の教授であるご主人がトルコの大学で教鞭をとることになったため、イスタンブールに住むことになった。
日本財団が中央アジアからの留学生に対する奨学金事業を始めて6年。最初は、トルコのある財団に暫定的に管理してもらっていたが、より日本とトルコ中央アジアの文化的な繋がりのある事業内容にするため、京子さんや杉山さんにお願いしてJATCAFAを設立して頂き、奨学金事業を移管したのだ。
トルコ人は日本びいきである。私が今回始めて泊まることになった中流ホテルの名前は何とニッポンホテル。ビジネスセンターやバンケットルームにもサクラルームなどの名前が付けられていた。設立当初の日本資本の名残りとか。今は日本語を喋るスタッフはゼロだが、清潔で気持ちの良いホテルだった。


     <イスタンブールのニッポンホテル>
 
9時15分 ホテル出発
10時 WHO伝統医療調整官Zhang博士面談
14時 ジュネーブ発
18時 イスタンブール着
19時半 JATCAFAブルゴスキ京子さん打合せ
吹雪のイスタンブールへ出張 [2010年01月21日(Thu)]
1月21日(木曜日)
今月に入って3回目の出張は、中央アジアからトルコへの留学生に対する奨学金の授与式に、ジュネーブのWHO(世界保健機関)行きを合わせたもの。
この奨学金事業は立ち上げの初期には、様々な問題があったので頻繁に出向いていたが、ここ数年は現地での実施機関として設立したJATCAFAの山口さんたちのお陰で順調に進んでいたため、安心して任せっぱなしにして久しく足が遠のいていた。
昨年、日本に来てくれた山口さんたちとは、私の出張ですれ違いになってしまったが、今度こそはトルコに行きますと約束をしたのだ。タイミングが悪く他の出張と重なったためどうしょうかと迷ったが、約束でもあり、WHO訪問と合わせて、四泊五日で強行することにした。


     <スイスアルプスの雄姿>

成田からの飛行機は定刻に出発。時差を調節しようと食事も取らず真っ先に寝てしまう。数時間眠って目覚めると、「向かい風が強く到着は遅れる模様」と機内アナウンス。1時間程の短い時間でジュネーブ行きに乗り継がねばならないので、気を揉むが、幸い30分ほどの遅れで、夕闇迫るフランクフルトに到着。滑走路は雪かきがなされているものの、脇のほうには雪が残る。いやな予感。そう言えば、何年か前にも冬のヨーロッパで吹雪など悪天候による空港閉鎖に翻弄されたことがあったっけ。
ジュネーブ便の出発ゲートに急ぐ。案の定、ジュネーブ行きの出発は大幅遅れの19時とか。
濃霧の中、ジュネーブに到着したのは1時間以上遅れた20時になってしまった。WHOの伝統医療専門官の丸山さんが迎えに来てくれていた。彼女の車でホテルへ向かう。外の気温は1度。ここでも道端には残雪が残る。本当は、丸山さん馴染みの日本料理店で夕食の予定だったが、遅くなってしまったので、ホテルのバーでとてもシンプルなサンドイッチを齧りながら打合せ。


    <WHO(世界保健機関)本部玄関ホールに立つ笹川良一の胸像>

12時20分 成田発
17時00分 フランクフルト着
19時 フランクフルト発
20時 ジュネーブ着
21時 WHO丸山さん打合せ
帰国へ [2010年01月17日(Sun)]
1月17日 
四泊五日の短い出張は終わった。三泊三日の北京行きに続いて2回目の出張だが、短い旅は気楽だ。しかし、今月はあと二回の出張が控えている。風邪をひかないよう体調を整えねば。

     <おまけの写真@ チェンライで食べた北タイ料理>


     <おまけの写真A 中国風のヤオ族の家>


8時15分 バンコク発
16時00分 成田着
コンケンで幻のクメール焼き探し [2010年01月16日(Sat)]
1月16日(土曜日) 

     <コンケンの国立博物館の立派な玄関>

朝9時、アジア大洋州障害者発展センター(APCD)所長の二ノ宮さん、カンボジアから駆けつけてくれたNyoNyum発行元のCJS社長の山崎さんと3人で車に乗り込む。まず向かった先は、コンケンの国立博物館。クメール焼きの展示場所を受付で尋ねるが埒が開かない。
自分たちで、二階に上がって探すと果たして有った。しかし、展示品の説明書きには「12世紀ごろの焼き物」とあるだけでクメールとかカンボジアとかの文字は一切見当たらない。「面白いねえ、タイ人としてはクメール=カンボジアのものとは認めたくないのでしょう」と二ノ宮さん。


     <ロイエトの中心部にある美しい湖>

「ロイエトの方に行ってみましょう」との二ノ宮さんの言葉に促されて車に乗り込む。途中で休憩したりしたため、2時間ほどかけてロイエトの町に到着。暫く、ロイエトの街を、以前二ノ宮さんがクメール焼きの複製を見つけたという土産物屋を探して歩き回る。ロイエトは、中央部に噴水のある湖を持つ美しい街だ。
途中で空腹になったので、この辺りの名物料理と言う炉端焼き風のチキンを食べて腹ごしらえ。素朴な料理だが美味しかった。
     

<昼食は魚とチキンの炉端焼き(?)>

次いで、コンケンと同じような規模の国立博物館に立ち寄る。ここでも、コンケンの国立博物館と同じようにクメール焼きの陶器が展示されていた。かなり大型の壺もある。クメール焼きコレクターの二ノ宮さんは大興奮。しかし、ここでもクメールともカンボジアとも一切説明はなし。カンボジア贔屓の山崎さんは「ひどい」と憤る。
博物館を出て間もなく、遂に、二ノ宮さんが以前立ち寄ったという土産物屋を発見。ところが、ここには以前会った筈の、クメール焼きの複製どころか焼き物、陶器の類は一切ない。店主は「今はもう扱っていない」とにべもない。

    <ロイエト博物館でクメール焼きを眺める二ノ宮さん>

一同がっかりとしながらも気を取り直して、コンケンへ戻る。運転手が土産物屋へ案内してくれる。かなり広い店内は薄暗く、我々以外の客の姿は見えない。「あった、あった」との声。駆けつけてみると、果たして、我々の探し求めていたクメール焼きの複製をいくつか手にした二ノ宮さんの姿。
店員が、これかいとばかり、あちらからも一つ、こちらからも二つと集めてきた。我々は、コピーの産地を知りたいので、店員に尋ねると、タイの陶器の産地であるスコタイだと言う。「そんな筈はない、カンボジアのどこかでは」と二ノ宮さんが尋ねると、店員は「カンボジア製だなんてとんでもない」と言い張る。タイでは、カンボジア製品=粗悪品とのイメージがあるので侮辱と取ったらしい。結局、産地を確認するのはあきらめ、サンプルにいくつかコピーを購入。
偽物の産地こそ判明しなかったが、サンプルは入手できたし、博物館では本物を見ることもできたし、何より、タイ人がクメール焼きを無視していることもよく分かるなど興味深い発見が出来たので三人とも満足してバンコク行きの飛行機に乗り込んだのであった。


9時 ホテル出発
9時15分 コンケン博物館
9時45分 コンケン出発
11時45分 ロイエト到着
14時 ロイエト博物館
16時15分 コンケン到着
20時05分 コンケン発
21時05分 バンコク着
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