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大野修一(日本財団)
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ASEAN伝統医学国際会議始まる [2009年08月31日(Mon)]
8月31日(月曜日)
朝9時15分。ASEAN伝統医学国際会議が始まった。参加者は約200人。うち、タイ側の参加者が約半分。残りの約100名は、ASEAN10カ国の代表団、及び、オブザーバー参加の、日中韓、とインド、スリランカ、ネパールの6カ国である。


    <初の伝統医学国際会議は地元マスコミも注目>

(8月30日の記述からの続き) 1970年代の後半に入り、このような潮流が大きく変化した。そのきっかけとなったのが、1978年にWHOがアルマータ宣言。この中で、初期治療(Primary Health Care)における薬草の活用を呼びかけたことに呼応し、早速、タイ保健省は第4次健康開発長期計画(1977−81)で、初期治療(Primary Health Care)における薬草の活用を打ち出した。
その後、1979年にはシルラート病院に、伝統医療師や学者、医師が集まりタイ式伝統医学の復活と促進をテーマにタイ式伝統医療会議が開かれた。また、1986年には保健省保健計画局などが主催して、タイ式伝統医療発展セミナーが開かれた。
そして、1989年には、保健省の一部局としてタイ式伝統医療医薬品発展協力センターが設置された。1993年にはこの組織は部レベルに格上げされ、タイ式伝統医療研究院(Institute of Thai Traditional Medicine, ITTM)が設立された。そして、2002年には保健省内に、新しく、専門の組織として、タイ式伝統代替医療開発局(Department for the Development of Thai Traditional and Alternative Medicine, DTAM)が設立された。
シルラート病院の有名な教授で、タイ国民の健康増進と医療コストの軽減の観点から、タイ式伝統医療の活用を訴えたウアイケツシン(Dr. Ouay Ketusingh)教授の呼びかけによって、1982年には、タイ式伝統医学振興財団(Foundation for the Promotion of Thai Traditional Medicine)が設立された。そして、この財団によって、タイ式伝統医療を西洋式近代医学で補完、補強した新しい伝統医学(Applied Thai Traditional Medicine)を教える教育機関として、3年制の伝統医療学校が設置された。
さらに、1987年に改正された医療行為規制法(Practice of the Arts of the Healing Act, 1987)では、資格試験に合格したこの学校の卒業生には、初めて聴診器や血圧計などの医療器具の使用が認められるようになった。しかし、彼らといえども、患者に処方できるのは伝統医学の生薬やマッサージなどの伝統療法に限られた。

     <笹川会長と談笑するスリンASEAN事務局長>

そして、今日では、国民の医療サービスにおける、タイ式伝統医学に基づく生薬や伝統医療技術の活用は、タイ政府の一貫した政策となっている。その理由は、以下の5つ。
1.WHOの呼びかけ
WHOはUNICEFとともに、1978年、アルマータ宣言を発表。その中で、2000年までに達成することが目標とされているHealth for Allを実現するために、Primary Health Care (PHC) を加盟各国の包括的保健衛生制度の中の重要な要素として位置づけ、その促進のための、国家計画、実施戦略、行動計画を策定することを呼びかけた。具体的には、コミュニティーや個人の主体的参画と、伝統医療知識に基づく薬草や民間療法など既存のあらゆる有用な資源の活用である。
2.近代医療コストの高騰
タイでも近年医療費の膨張が大きな問題になっている。近代医薬品は高価なものが多いが、単純な病気であれば、国産で安価な生薬でも十分効果が期待できる。また、病気になったあとで治療にコストをかけるより、伝統医学が重視する健康増進や病気の予防に注力する方がトータルの医療コストを下げることが出来る。
3. 近代医学の限界
近代医学の有効性は疑うべくもないが、一部の薬品では深刻な副作用があったり、慢性疾患(高血圧、糖尿病)には必ずしも有効ではない、などの限界がある。
4.タイ式伝統医学の経済効果
過去10年来の世界的な生薬や、医療マッサージブームによって、タイの伝統医学に基づく、生薬や、医療マッサージの経済効果、雇用創出効果が注目されるようになった。
5.インドや中国における伝統医療の活用
両国では、伝統医学を国民保健制度にうまく組み込むことに成功。それが、大きな刺激となった。

西洋式近代医学と並んでタイ式伝統医学が拡がりつつあるが、過去60年余り、忘れさられていたことによって、現在の生薬や医療技術の品質には一部に問題があり、その改善が急務になっている。

    <開会式でスピーチするスリンASEAN事務局長>

このような背景のもとに、日本財団の呼び掛けに応じて、ASEAN事務局とタイ保健省が協力して開かれたのが今回の会議である。ASEAN事務局との合意では、今回を含めて5年間5回にわたり、ASEAN加盟国回り持ちでこの会議を開くことになっている。
今回の会議では、ASEAN事務局長は事務局のスタッフからの報告には勿論のこと、日本財団が何らかのかたちで保健省と組んで実施中または実施を検討中の国々、即ち、タイ、ミャンマー、カンボジア、ラオスの各国から、日本財団との協力事業に対する言及があるなど、日本財団一色の会議になった。
尚、私は、タイ保健省の全医務サービス支援局長スパチャイ博士と組んで、プレゼンテーションを行った。


  <日本財団との業務提携協定を説明するASEAN代表>

8時50分 笹川会長・スリンASEAN事務局長会談同席
9時15分 ASEAN伝統医学国際会議開会式 
16時 日本財団事業プレゼンテーション
18時半 スパチャイRangsit大学医学部長らと夕食会
タイ初の伝統医学国際会議 [2009年08月30日(Sun)]
8月30日(日曜日)
何と今月3回目のバンコク行き。今回の出張の主たる目的は、昨年6月に日本財団がASEAN事務局と締結した戦略的パートナーシップ協定に基づく、共同事業第二弾としての、ASEAN伝統医療促進国際会議の第一回会合をタイ保健省と組んでバンコクで執り行うに際してのもの。明日の開会式典において笹川会長は、タイ保健大臣、スリンASEAN事務局長とともに挨拶を行うことになっている。
ところで、タイ伝統医学とは何か。以下は、タイ保健省の資料に基づく、タイ伝統医学解題である。


            <王宮前広場から見た王宮>

━タイ伝統医学(TTM)とは、タイ特有の文化、行動様式、仏教哲学などに基礎を置く人間の健康と病気の治療に関する知恵と技術の集合である。そこでは、治療、薬の処方、マッサージ、仏教儀式、瞑想、その他超自然や宇宙の力を活用するための儀式などが用いられている。インドや中国を始めとする諸外国の伝統医学を取り込み、タイの風土に適合するよう改良している。
タイの伝統医療の歴史は長い。既に、スコタイ王朝(1238-1377)以前から薬草を用いていた記録がある。スコタイ期の碑文に拠れば、当時、タイ全土に102の病院があったという。
その後、アユタヤ王朝のナライ大王(1656−1688)の医師団がタイ伝統医学の初の公式医学書「ナライ大王の医薬教書」を編纂。ビルマ族にアユタヤ王朝が滅ぼされた後、バンコクに興ったチャクリ王朝では、ラーマ1,2,3世が伝統医学の復活に注力。1,000種以上の生薬の処方やマッサージの解説、病気の説明が刻まれた大理石板がワット・ポーなどの2つの寺院に納められた、という。
そして、ラーマ5世(1868-1910)の時代には医学生のためにタイ伝統医学初めての教科書など3冊の専門書が作られた。今でも、これらの文献は、タイ政府食品医薬品庁(FDA)が認定するタイ伝統医学の教科書とされている。
一方、近代化の過程で、西洋医学がラーマ3世の頃から、宣教師や西洋人の医師によってタイにもたらされた。そして、1888年にはタイ初の西洋式の病院と、医学校として、シルラート病院(現在のマヒドン大学シルラート病院医学部)が開設された。シルラート病院医学校では、当初は、西洋医学と並んで伝統医学も教えられていたが、1916年に伝統医学教育は廃止された。
廃止の理由とされたのは、@タイ式伝統医学と西洋式近代医学は互いに整合性がなく、両方を教えると学生が混乱してしまう、Aタイ式伝統医学は医師の主観的な判断が重視され、客観性を欠く、B指導法も古典文献の丸暗記に限られている、などであった。シルラート病院医学校での伝統医学教育の廃止は、特に、知識人層を中心とする国民の間でタイ式伝統医学に対する関心を低下させることになった。
その後、医療基本法(1923年)と医療行為規制法(Practice of the Arts of the Healing Act ,1936年)が導入されるに及び、タイ式伝統医療師の側の誤解もあって、大多数の伝統医療師は無資格となり、おおつぴらには医療行為が出来なくなってしまった。
そして、資格を取った少数の伝統医療師にとっても、公的機関での伝統医学に基づく医療行為は行われなくなったことから、活動の場は自らの私設施療院に限られ、その相手は、西洋式医療サービスが届かない、遠隔地に住む、貧しい人々に限られてしまうこととなった。
1970年代の後半に入り、このような潮流が大きく変化する訳だが、その説明は明日に回そう。

         <ASEAN伝統医学国際会議>

10時30分 成田発
15時05分 バンコク着
19時 笹川会長・マヒドン大学ピアサコール学長会談同席

香港経由で帰国 [2009年08月24日(Mon)]
8月24日(月曜日)

9時 ホテル出発
11時05分 ハノイ発
13時55分 香港着
15時 香港発
20時20分 成田着
ハノイIL(自立生活)運動センターで記者会見に臨む [2009年08月23日(Sun)]
8月23日(日曜日)

     <ハノイIL(自立生活)運動センターに集まった現地マスコミ>

あすからここで開かれる重度障害者自立生活(IL)運動の当事者カウンセラー講習会のために日本から来ていただいたDPIアジアパシフィックの中西会長と朝食を取りながら打合せ。ホーチミンでのILセンターの開設に向けて意見交換。そのあと、ハノイ自立生活運動センターへ。地元メディアとの記者会見に臨む。

          <中西会長らと記者会見に臨む>

本来の私のハノイ訪問の目的だった、ILセンター用の介護車両の引き渡し式は、又しても車の通関が間に合わず、やむなく、シンボルとして段ボールで作った巨大な鍵を運転手さんに渡して終了。
メーカーである日産自動車の協力により、やっとの思いで、左ハンドルの車両に電動リフトを据え付けてもらい、日本から船便で送り出して既に何カ月もたつ。労働福祉省からとっくに、免税での輸入のための特別許可をもらっているのだが、ハノイの税関を通すのに手間取っている。財務省の許可など次々に新たな手続きを要求されるなど、信じられないほど手続きが煩雑なのだ。
ホテルとILセンターとの往復の際、中西さんたちは車いすのままでの移動のためにレンタルしたマイクロバスへの乗降に一苦労。アルミ板で作ったスロープは今にも滑り落ちそうで大変危険。一日も早く、電動リフト付きの介護車が引き渡されるのを祈るばかりだ。


     <俄か作りのスロープは今にも滑り落ちそうで大変危険>

8時 DPIアジアパシフィック中西会長
9時半 ホテル出発
10時 ハノイ自立生活運動センター
15時 記者会見

ハノイへ移動 [2009年08月22日(Sat)]
8月22日(土曜日)

       <ハノイ郊外のモダンな新街区>

日本財団の担当者、横内さんとホーチミンの空港で合流、一緒にハノイへ。空港から市内への移動の途中は新開発の街区だ。狭い路地が続く旧市内とは趣を異にし、ここは道路も広く、建物も新しくきれいだ。ただ、電線が乱雑に多数もつれるように配線されていたりするところはベトナム式(?)

      <なぜか、乱雑な電線の束>

ニュータウン開発計画の大きな看板もあちこちに見られる。あと数年の内にハノイも大きく変貌することであろう。

      <ニュータウン開発計画が進行中>


     <ここでも韓国資本が不動産開発に進出>

9時 ホテル出発
11時30分 ホーチミン発
13時30分 ハノイ着
19時 NHKハノイ支局山田支局長
DRD (Disability Resource and Development)のイエンさん [2009年08月21日(Fri)]
8月21日(金曜日)
朝、旧知の若手ジャーナリストチャングエンさんと待ち合わせ。昼食を取りながら、ベトナムでの広報戦略を相談。現地マスコミへのアプローチの仕方などをアドバイスしてもらう。彼自身は、アメリカのペプシコと広報コンサルタントを結んでおり、毎月ミニマムの定額報酬を得ていると言うのでその額を尋ねてみると、3000ドルと言う回答が帰ってきた。うーむ。
彼からのメールには、私の今回の面談先にDRD (Disability Resource and Development)の一つがイエンさんだと知っているとの件があったのでその訳を尋ねてみると、二人はNPOの研究会での知り合いで、私のことや日本財団のことが話題になったときに彼女から私の訪問のことを聞いたのだそうだ。
彼と別れ一人で、DRDに着いてみると、日本領事館から来ているはずの森さんの姿が見えない。暫くしてやって来た。私がウエブサイトの情報を教えたときにそこに含まれていた住所に行ったところ、移転前のアドレスだったとか。DRDは変化し続けているのだ。

     <イエンさんからDRDの活動分野の説明を聞く>

森さんも加わったところで、イエンさんから、活動状況を聞く。
DRDは特定の障害の分野に限らず、車椅子の人、盲人、聾者などあらゆる分野の人を対象に。活動している。イエンさん自身も障害者。普段は車椅子で生活している。
DRDの活動対象は下肢の障害者だけに留まらず、盲人、聾者にまで及んでいる。ハノイで我々が始めた重度障害者の自立生活支援(IL)運動をホーチミンでも始めるなら全面的に取り組みたい、とイエンさんは熱く語るのだった。


     <DRDのオフィスのスタッフはみな障害者>

11時 チャングエンさんと打合せ
13時半 DRD訪問

SaoMaiコンピューターセンター訪問 [2009年08月20日(Thu)]
8月20日(木曜日)
ホーチミン市へ移動。ここでは日本領事館の草の根無償事業の担当者の方々と一緒に、障害者団体DRDと盲人コンピューターを訪問することが目的。ただ、私の前の職場の先輩で、ホーチミン領事館の郷倉領事は、衆議院選挙の在外選挙投票と重なりご一緒してもらうことは出来なくなった。その代わり、森さんとファットさんが手分けして同行していただけるという。
ホテルチェックインの直後、VNAHのタインさんに案内してもらって、盲人のコンピューター専門家フックさんが所長を務めるサオマイコンピューターセンターへ。フックさんとは、ついこのあいだ盲人コンピューター専門家として参加してもらったバンコクの会議で障害者大学院について話し合ったばかり。
ただ、私は、これまで彼の主宰するコンピューターセンターへは行ったことが無かったので今回、領事館の担当官をご紹介するついでに行ってみることにした。


     <サオマイセンターについて説明するフックさん(左)ら>

彼については、本年5月13日付けのブログで次のように紹介している。
━17歳で、ベトナムで初めての盲人大学生になった。
ちょうどその時、イタリア政府の支援でホーチミン市立技術大学が盲人用コンピュータートレーニングを始め、自分はそれに通い始めコンピューターに夢中に なった。そして、コンピューター指導員の資格を得、米国にも2カ月短期留学し、2001年にベトナム初の盲人用コンピューターセンターである「サオマイ・ コンピューターセンター」が設立されたのを機会に大学を中退し、センターの専従指導員となった。ただ、来年には国立社会科学大学に戻り、学士号を取ろうと している。
サオマイ・コンピューターセンターでは、フックさんの能力が認められ、理事、副理事長、と昇格し今は理事長となった。センターの従業員は32名、内、フル タイムが12人、盲人も8人いる。資金不足でいつも苦労している。将来は、コンピュータープログラミングやコンサルタント業などの収益事業で自立できるこ とを目指している。最近、盲人の職場確保の一環として、カフェを開業している。(http://blog.canpan.info/ohno/archive/539)

       <サオマイセンターでのコンピューター指導>

ここ、サオマイコンピューターセンターでは、盲人のためにコンピューター指導をするほか、ソフトウエア製作の請け負いもやっている。また、二階には小規模ながら本格的なデジタル音源制作装置を備えたシンセサイザースタジオがあり、盲人に作曲や編曲技術を指導していた。ついでに、彼自身が歌うポップスを聞かせてもらった。電子音楽の美しさもさることながら彼の歌声の素晴らしさに吃驚してしまった。
領事館のファットさんは、センターの活動の様子に感銘を受けたようであった。ファットさんとは、サオマイセンターで別れ、私とタインさんは彼が仲間と経営するカフェ、ルシオラ(蛍の意)に連れて行ってもらった。予想外に洒落たカフェであった。

        <カフェ、ルシオラの洒落た入口>

おりしも、テレビ局が取材に入っているところであった。これなら心配ないかもしれない。夜には、盲人の音楽バンドが生演奏するので聞いていかないか、と誘われたが、それは今度にすることにして、ルシオラカフェを後にした。

          <テレビ局の取材中>

9時 バンコク発
10時30分 ホーチミン市着
13時 ホテル出発
13時半 SaoMaiコンピューターセンター訪問
15時半 ルシオラカフェ訪問
18時 VNAHタインさんと夕食
ワンセンブルウの森理事長と打合せ [2009年08月19日(Wed)]
8月19日(水曜日)
伝統医薬品の置き薬事業をモンゴルで進めている現地NGOワンセンブルウの森理事長は、プロジェクト作りのプロである。元々は、モンゴルでの置き薬事業を作ってくれたのも森さんであり、そのまま、こちらがお願いして事業推進の責任者になってもらったのである。
彼の知恵と専門ノウハウを今度は、私がコンセプトを作り、事業パートナーとしてイギリスのBBCの傘下NGOにお願いし承諾を得ながら、現地での実行プラン作りが進まず立ち往生したままになっている、カンボジアでのラジオ放送による中学校の現場での英語教育支援事業に役立ててもらうことをお願いした。
彼はそのため、今月の初めから現地入りして、精力的に現地調査に取り掛かり、実行案作りに注力してくれている。そこで、本来は私がカンボジアに出向くべきところであるが時間が無いので、中間報告と打合せのため彼にバンコクに出て来てもらうことにした。


9時 カンボジア英語教育プロジェクト打合せ
12時 NHKバンコク支局大橋記者と昼食
14時 盲人用医療マッサージ教育セミナー
19時 セミナー講師陣と夕食
タイ式医療マッサージ資格を盲人に [2009年08月18日(Tue)]
8月18日(火曜日)

     <盲人用医療マッサージ教育セミナー始まる>

本日は、盲人用医療マッサージ教育セミナー第一日。保健省医務サービス局のビシット副局長は、タイの伝統マッサージの歴史の上でも、タイの盲人教育の上でも歴史的な日だ。日本財団がタイ保健省と伝統医療を中心にいくつもの事業を支援してくれていることに感謝したい、と挨拶。盲人の上院議員、モンティアンさんも忙しい国会日程にも拘わらず、挨拶に駆けつけてくれた。

     <モンティアン上院議員も駆けつけてくれた>

盲人の実業家でタイ盲人連合会長のペチャラットさんの顔も見える。思い起こせば、一年以上も前から、我々は、タイ保健省やタイ盲人連合に対し、伝統医学の一分野としてタイが誇る医療マッサージの国家資格を盲人にも開放することを、日本の筑波技術大学の先生らと協力して支援したいと、持ちかけていた。当初は、タイ保健省の伝統医学局にアプローチしていたのだが、曖昧な回答ばかりで芳しい返事が得られなかった。その後、バンコクにある国際機関APCD(アジア大洋州障害者支援センター)から日本財団に転じた千葉君の調査の結果、直接の担当部署が、置き薬事業の担当部局である医務サービス支援局であることが判明。協議を進めた結果、漸く、この第一回ワークショップを開くところまで漕ぎ着けた。
50人以上の参加者を前にスピーチしながら、私としても、感慨ひとしおであった。つい、二年ほど前までは、タイ保健省との接点は殆どなかったが、今では、伝統医療局と医務サービス局では、局長レベルから担当者まで、日本財団の存在は強く認識されるまでに至ったのではないだろうか。


     <50人以上の参加者が耳を傾ける>

9時 盲人用医療マッサージ教育セミナー
19時 テレビ朝日 西バンコク支局長面談
バンコクへ、ASEAN事務局長の突然の登場 [2009年08月17日(Mon)]
8月17日(月曜日)
今回は、8月、2回目のバンコク行き。目的は、盲人用医療マッサージ教育セミナーでの挨拶。そして、ベトナムに移動、ホーチミン市と、ハノイで障害者関係の仕事。ただ、ハノイでの重度障害者支援事業のための介護車両の引き渡し式は、本来予定されていた本物の車両が間に合わず、形式的なものに。

       <バンコク上空は雷雲>

バンコクまで順調に飛んでいた飛行機は、バンコク上空で足止め。とは言ってもそこは飛行機、手前で旋回しながら時間を稼ぐ。その理由は、バンコク上空に巨大な積乱雲発生で進入が危険なため。地上は大変な大雨とか。
結局、定刻より30分も遅れて到着してみると、バンコクでの雨は上がっていた。「晴れ男」の面目躍如。
自分のホテルに向かう時間なく、直接、ASEAN事務局長特別顧問のRajaさんが滞在中のホテルへ。そこで、タイ健省のアンチャリーさんを交えて、ASEAN地域伝統医療会議の打合せ。いよいよ今月末に迫り、プロトコル面での問題が続出。アンチャリーさんの顔にも明らかに疲れが見える。
私のプレゼンや、日本財団の扱い 外交慣例などの扱いを議論してなかなか話が終わらない。漸く、一応の区切りを付けたところへ、突然、予告もなしにASEAN事務局長のスリンさんが現る。バンコクの自宅に帰る途中だとか。
スリンさんの開会式出席を心配していた、アンチャリーさんにラジャさんが、自分でスリンさんに念押ししたら、とけしかける。大丈夫きっと行きますよ、とスリンさん。
我々の遅い夕食の席に誘うと、スリンさん、飲み物だけならと同意。イスラム教徒なので酒は飲まないスリンさん、疲れた表情でネクタイを外し、ジュースで寛ぐ。
しかし、さすがは政治家 スリンさんが来ていることに気がついて話しかけるホテルスタッフと気さくに談笑。
私は、この機会を幸いと、 伝統医療会議の打合せと、障害者大学院会議構想の進行状況について報告。

 
     <ホテルスタッフと談笑するスリンさん>

10時30分 成田発
15時05分 バンコク着
17時 タイ保健省伝統医療局Dr. Anchaleeさん
19時半 ASEAN事務局長スリンさん
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