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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ASEAN障害者問題公共政策大学院の設立を目指して [2009年07月31日(Fri)]
7月31日(金曜日)
東南アジアに障害者のための大学院大学が必要ではないかというアイデアを私が持つようになったのは2,3年前。その後、インターネットを活用した遠隔教育を中心にすべきであるなどの、アイデアが少しづつ積重なって行ったとは言え、余りにも大きなアイデアであるために、どこから着手したら良いのか、考えあぐねているうちに時間ばかりが経っていた。
ことし、4月にモスクワで我々の聾教育事業Pen-Internationalの責任者で米国国立聾理工学院(NTID)元院長のデカロ教授と相談したところ、彼の全面的な支持を得て、私の構想は実現に向けて、漸く具体的な動きを始めた。
帰国後、東京にやってきた、我々の対盲人コンピューター教育事業On-Netの責任者、国際盲人教育協議会事務局長のキャンベルさんに相談。彼からも、貴重な助言を得るとともに、基本的な支援を約束してもらった。
盲、聾の二大分野での教育の世界的権威からお墨付きを得たことで、私の意欲は一挙に高まり、5月のシアトル出張の際に、デカロさん、キャンベルさんにシアトルに集まってもらい、私が作っていた「基本構想メモ」の改訂に向けたブレーンストーミングを行った。その時の議論から、この構想の実現に向けて協力を仰ぐべき専門家、関係者を集めての会議を8月初めにバンコクで開催する、というアイデアが浮上。その後、人選と、呼びかけを経て今回、その会議を実施することになったものだが、開催一週間前になって、デカロさんの奥さんが急病で入院する事件が起こり、デカロさんはバンコクに来れなくなってしまった。
明日から始まる専門家の本会議を前に、今日は少人数で会議の進行などについての打合せを行った。参加者は、日本財団石井課長、担当の吉田君、国際盲人教育協議会事務局長のキャンベルさんら。

13時 準備会合
19時 朝日新聞アジア総局柴田総局長離任パーティー

バンコクだけに連続8泊とは! [2009年07月30日(Thu)]
7月30日(木曜日)
今回の出張は私にとっては極めて異例。目的地はバンコク、しかも8泊。これまでのバンコク出張は、殆どは、カンボジアやラオス、ミャンマーあるいはスリランカなどへの出張との組み合わせ。時には、中継地として一泊だけ、あるいはゼロ泊で空港内に留まるだけで次の目的地に行くことも。しかし、今回は、バンコクに缶詰で会議三昧。
主たる目的は、ASEAN障害者問題公共政策大学院の設立に向けた専門家会議。そのための準備会合と本会議、中核メンバーだけでの打合せ会合で計5日間。そのあとは、昨年実施した視覚障害の次世代リーダー会議のフォローアップ会合に参加、そして、カンボジアでの新事業のための打合せなどの予定。
昼過ぎまで財団で仕事をしたあと、東京駅へ。NEXに乗って成田空港へ。
現地時間の23時40分、日本時間の翌31日深夜2時前にバンコクに到着。


15時 財団出発
19時05分 成田発
23時40分 バンコク着
今回も香港経由で帰国 [2009年07月12日(Sun)]
7月12日(日曜日)

9時 ホテル出発
11時05分 ハノイ発
13時35分 香港着
16時 香港発
21時15分 成田着


ベトナム初の障害者法設立に向けたワークショップ [2009年07月11日(Sat)]
7月11日(土曜日)
日本財団の助成により、昨日から始まっていたベトナム初の障害者法設立に向けたワークショップに出て、スポンサーの立場で挨拶するためにハノイに立ち寄った。

     <障害者法ワークショップ会場>

日本財団は、画期的なこの法律が名実ともにベトナムの障害者のための基本法となるよう、今年と昨年の二回、社会福祉省の副大臣を責任者とする研修団の海外派遣を支援してきた。これにより、ベトナムは、アメリカと日本、中国の障害者法の適用の現状をつぶさに観察することが出来たのではなかろうか。
何より、まだまだ貧しく財源にも限度があるベトナムがいち早く障害者基本法の施行に踏み切るという決断をしたことは高く評価すべきなのではなかろうか。東京に日本財団を訪ねてきた際に、研修団の団員と話してみて、彼らがいかに真剣にこの問題に取組もうとしているか分かり感心したのだが、今回の、ワークショップに出てみて、その感を深めた。

     <障害当事者の立場からの障害者法の原案にコメント>

障害者基本法は来年の施行を目指して、現在、第三稿が出来上がったところということだが、それを公開し、このワークショップには障害当事者を招いて、彼らの批判に耳を傾ける社会福祉省の職員の姿に感銘を受けた。
ワークショップの後、久し振りにILセンター本部を訪問。昨年、下見に訪れて以来。看板も掛かり、机やコンピューターなどの備品も入り、すっかり、活動拠点らしくなっていた。内部を案内してくれるハノイILセンター代表のホンハーさんも嬉しそう。ホンハーさんには8月のバンコクでの障害者大学院大学専門家会議にも出てもらう予定。


       <ハノイILセンターの本部ビル>


      <取材を受けたテレビ番組の録画をみせてもらう>

9時 ベトナム障害者法ワークショップ
13時 共同通信 小宮支局長
14時半 ILセンター訪問
18時半 NHK山田支局長
障害者のための大学院大学構想を相談 [2009年07月10日(Fri)]
7月10日(金曜日)
朝8時、ASEAN事務局長特別顧問のラジャさんとタイ保健省伝統医療研究所のプラモート所長と副所長のアンチャリー博士の四人で、8月末にバンコクで開催する予定のASEAN伝統医療会議について協議。基本的な会議の準備はホスト国であるタイの保健省伝統医療局が仕切ってくれているのだが、従来のASEANベースの公式国際会議ではなく、日本財団が昨年6月にASEAN事務局と締結した5項目の戦略提携協定に基づくものだけに、これまでの慣例では処理しきれないものが次々出てくる。例えば、ASEANそのもののロゴではなく、ASEAN事務局のロゴを用いること。タイ外務省のASEAN担当部局を通さず、直接、ラジャさんと連絡すること、等々。
次いで、アメリカン大学のグッドマン国際関係学部長と、障害者のための大学院大学構想につき話合う。基本的な授業は総て、インターネットを活用、サイバー上で行うことを説明したところ、彼の学部につい最近移動してきたばかりの教授が、情報通信を用いたDistant javascript:;Learningの専門家で、しかも、障害者の問題に最近、力を入れている、と聞き紹介してもらうことに。
午後、アジア太平洋障害者支援センター(APCD)の二ノ宮さんに会う。彼も、障害者のための大学院大学構想の大変熱心な支持者。8月の障害者のための大学院大学構想を議論するための専門家会議を手伝ってもらえることになる。
そのまま、空港へ。ハノイ行きの飛行機に乗り込む。


8時 保健省伝統医療研究所プラモート所長らと協議
10時 アメリカン大学グッドマン学部長
13時 APCD二ノ宮さん面談
15時 ホテル出発
17時50分 バンコク発
19時40分 ハノイ着
BABAコミティーのスクムバン委員長はバンコク知事 [2009年07月09日(Thu)]
7月9日(木曜日)
BABAアカデミックコミティーとは、日本財団グループの事業に関連した30代のアジアの若者の中から選抜された人を対象にするセミナー事業BABA(Building a Better Asia)の選考委員会のことである。委員長は元テュラロンコン大学政治学の准教授で王族出身のスクムバン王子だ。彼は、昨年末の都知事選挙に出馬、見事当選したのだが、今も、委員長を引き受けてくれている。
これまで、彼の関係で、バンコクで選考会議を行う限りは、いつも、王子の持つ小振りながらエレガントな王宮、スアンパッカード宮殿の会議室で開かせてもらっていた。会議終了後の楽しみは、王宮の料理人が作る本格的なタイ料理。決して華美ではないが何しろ美味だ。
彼が都知事に就任して初めて開かれる今回の選考会議は、さすがに、スアンパッカード宮殿とはいかず、宮殿から道路を隔てたところにあるホテルの会議室となったのだが、彼は、会議冒頭の短時間ながら、わざわざ顔をだして挨拶してくれた上、今日の夜は、スアンパッカード宮殿で夕食会を開催してくれるという。残念ながら、私は、フジテレビの青木支局長との約束があるので、欠席のお詫びを申し上げた。
今回の会議にオブザーバーとして参加してくれたアメリカン大学グッドマン学部長と、昼の食事の際に、障害者大学院大学の構想を話すと、大変興味を持ってくれ、明日朝、別途時間を作って話し合うことに。


8時半 ホテル出発
9時 BABAアカデミックコミティー
19時半 フジテレビ青木支局長
一人バンコクに異動 [2009年07月08日(Wed)]
7月8日(水曜日)
朝8時、CSPOの弁護士John Honneyさんと朝食を取りながら、障害者大学院大学構想につき相談。8月のバンコクでの専門家会合を説明し出席を依頼、快諾を得る。
BBCハミルトンさん、ESCの山田さんと三人で、ラジオを用いた教育放送の構想について協議。来年初めころのスタート方針を確認。そのために、ワンセンブルウの森理事長に出馬願い、カンボジアで現地調査と、事業計画作りを手伝ってもらうことにする。
ここで、私はカンボジアにあと数日残り、キャッサバ畑を見に地方に行くことになっている日本財団の新担当者、田中さんを置いて一人バンコクに移動することになっている。空港に急ぐ。空港ビルに入った途端、大粒の雨が襲う。いつも、「晴れ男」の私は、お陰で殆ど傘を使わずに済んでいる。


     <空港に着いた途端、大粒の雨が>

8時 CSPO John Honney氏
9時半 ESC山田さん
11時半 BBCハミルトンさん
13時 日本大使館松尾書記官
13時半 ホテル出発
15時30分 プノンペン発
16時40分 バンコク着
18時半 NHK大橋記者
篠原駐カンボジア日本大使の残念な辞令 [2009年07月07日(Tue)]
7月7日(火曜日)
午前中、日本大使館で篠原大使にお目にかかる。いつも、日本財団の活動に大所高所からの暖かいアドバイス、ご支援を頂いている。今度の笹川会長の訪問について報告、大使との面談の時間を頂きたいとお願いしたところ、帰国辞令が出ており、その頃にはご帰国、と打ち明けられる。
篠原大使はお人柄と見識から、在カンボジアの日本人、日本企業関係者から果ては、マスコミ関係者まで深く敬愛、慕われていた。カンボジア語が堪能で、在カンボジアの外交団のなかでもフンセン首相の信頼が最も厚いと言われる。単純なローテーションに基づく異動人事は残念としか言いようがない。


     <CSPOで新校舎の打合せ>

午後、丸紅タイ現地法人の内藤副社長らと落ち合い、一緒にCSPO(カンボジア義肢装具士学校)に行く。内藤さんには、数年前、カンボジア盲人協会(ABC)の本部ビル建設の時に、土地探しから頭金の立て替えまで、大変お世話になった。
お陰で、ABCのビルは、高品質の使いやすい建物として高い評価を得ているのみならず、アフターサービスの良さが信頼を勝ち得ている。今回、CSPOの新校舎建設の話が持ち上がった時、カンボジアトラストの責任者のメアリーさんの方から、丸紅を指名してきたのもそのためである。
CSPO側の要望を最大限設計に生かしながらも、コストをどうやってミニマイズするか、英国人弁護士でカンボジアトラスト幹部のジョン・ハニーさんらと設計図を基に協議。ハニーさん自身、片足は義足。手にも障害のある身体障害者だ。
CSPOでの協議の後、プノンペン師範学校での奨学金事業(ESC)の理事会へ。理事会の後、ESC事務スタッフのカンボジア人のお二人も交えて日本食レストランで食事


10時 篠原大使面談
12時15分 高橋氏加藤氏
14時 丸紅タイ会社内藤副社長
15時 CSPO訪問
16時半 ESC訪問
17時半 ESC理事会
19時 夕食会
カンボジアの常識 [2009年07月06日(Mon)]
7月6日(月曜日)
朝からいろんな人に会う。プノンペン師範学校での奨学金事業(ESC)と組み合わせる形で始めようとしているBBC(英国国営放送)と共同のラジオ英語放送の事業が足踏みしているのを何とか打開するためだ。しかし、なかなか、上手くいきそうにない。
午後3時、この春に始まったばかりの国立伝統医療学校へ。校長のポルさんや、鍼の主任教授として日本から行ってもらった高田さんらを訪ねて、状況を確認。保健省側から、新たな事業として、伝統医療の医薬品の公定制度導入への協力を求められる。日本で言えば、日本薬局方のようなもの、いわゆる、ファーマコピア作りへの支援要請である。ほかの国では、西洋医薬品のファーマコピアがあるところで、伝統薬のファーマコピア作りとなるのが一般的だが、カンボジアでは近代医薬品のファーマコピアはまだない。伝統医学の活用に熱心な日本財団の支援があれば、近代医薬品のファーマコピアに先んじる形で、伝統医薬品のファーマコピアを先ず作りたいということであった。基本的には異存はないので、来年度の、国立伝統医学校事業のひとつのコンポーネントとして、他の、人材育成やラボラトリー支援などと合わせる形での検討を提案する。


     <国立伝統医療学校の事務室にて打合せ>

そのあと、授業中の教室を覗かせてもらう。最前列はお坊さん。生徒の中には、既に、伝統医として成功している人も多数含まれているので、一方的な授業と言うより、カンボジア伝統医学の系統化の場となっているようだ、とは高田さんの観察。

   <学校の教室には様々な背景の人たちが>

ただ、問題なのは、本来ならとっくに出来上がっていないといけない学校や伝統医学研究所が入るビルの建設がストップしていること。かろうじて、一階のいくつかの事務室と、二つの教室などは内装が出来上がっているので使用して授業が行われているのだが、外観はまるで未完成。
原因は、政府が、ある建設業者に土地を供与し、その見返りとして保健省敷地内に建物を新築させると言う契約を結んだものの、建設業者が受け取った土地が、折からの不動産ブームの沈静化で思うように売れず、その結果、建設工事の資材購入がストップしたためとか。
状況は理解できるが、日本なら契約は契約として業者は完遂する責任が追及されるところが、カンボジアではそうでないようだ。そう言うことなら仕方がない、というのがお役人の判断のようであった。


     <学校の一階玄関はまだこの状態>


     <学校の2,3階部分はこの通り>


8時 JICA河本さん
11時 ESC山田さん
12時 JICA小川さん
15時 国立伝統医療学校訪問
18時半 NyoNyum木村編集長
この数年で町並みが一新されたカンボジアへ [2009年07月05日(Sun)]
7月5日(日曜日)

     <プノンペン市内には新しいビルが続々>

今回の出張は私には珍しく、成田から若い同僚と一緒。カンボジアで実施中の師範学校での奨学金事業とキャッサバ事業の新担当、田中さんと一緒に成田から出発。
私の出張の目的は、元々は、日本財団グループの事業に関連した30代のアジアの若者の中から選抜された人を対象にするセミナー事業BABA(Building a Better Asia)の選考会議アカデミックコミティー。それに合わせて、プノンペン師範学校での奨学金事業(ESC)の理事会を開いてもらうことにしたのは、9月に予定している笹川会長とカンボジア首相のフンセン氏との会談を控えて、CSPO(カンボジア義肢装具士学校)の新校舎建設問題の調整、などカンボジアでいくつか片付けて置きたい仕事があったから。最後にハノイに立ち寄り重度障害者事業のワークショップで挨拶することになっている。車いす運搬用車両の引き渡し式も計画していたが、通関が間に合わず直前になって、こちらは断念。


     <本格的な高層ビルも建ち始めた>

空港からホテルへの道すがら、カンボジアは初めてという、田中さんにプノンペンの町を案内する。改めて、ここ数年でのプノンペンの町の変貌を実感する。つい数年前に初めてエスカレーターが入ったビルが出来て大騒ぎしたことがまるで嘘のよう。

     <ガラスの表面に雲が映る>

カンボジアは、2005年から3年連続で10%を超す高度成長を記録。ASEANの中で最も高い成長を続ける国になっている。その、背景になるのが、何といっても政治的安定と、それによって韓国をはじめとする外資が入ってきたことは疑いない。昨年初めころまではカンボジアでも不動産ブームで、一般庶民までが地価の高騰を論じていたものだ。さすがに、それは今は静まっているが、シアヌークビル沖合の海底ガス田の開発も予定されるうなど、カンボジア人の表情は明るい。特に、隣の大国タイとの国境での小競り合いは、カンボジア側にもともと国際法廷での支援があるうえ、タイの国内政情からタイ側が歩み寄る姿勢を見せていることもあって、これまでタイ人には馬鹿にされていたと感じている一般のカンボジア人のプライドをくすぐっている。

     <新しいビルが立ち並ぶ通り>

10時30分 成田発
15時05分 バンコク着
18時10分 バンコク発
19時25分 プノンペン着
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