3月28日(土曜日)
<ホテルの窓から見下ろす雪の朝のウランバートル>
朝起きると、窓の外は昨夜から降り始めた雪が積もって白くなっていた。遅めの朝食を取り、モンゴルでの伝統医療事業のために日本財団が設立したNGO[ワンセンブルウ」の四輪駆動車に乗りこむ。10時半に出発。同行者はワンセンブルウの理事長の森さん、プロジェクトマネージャーのオユンさん、経理担当のアディアさんの3人、専門委員ボルト博士らは一足先に現地入りし、住民検診や研修会を開いているはずだ。ウランバートルの市域を出たところで、高さ40メートルの巨大なチンギスハーン像(2006年に建立)に別れを告げ、一路、350キロ離れたヘンティ県へ。ヘンティ県はチンギスハーン生誕の地と言われる。 <ウランバートルの新しいシンボル、巨大なチンギスハーン像>
この道を行くのは何年振りだろうか。道路が飛躍的に良くなっているのに驚かされる。道中は、雪が降ったり止んだり。一時は猛烈な吹雪に襲われる。 <視界が悪化するほどの雪の中を進む>
途中で昼食に立ち寄ったレストランでトイレをたずねる。レストランの内部には無いので外に回るように指示される。
裏に回ってびっくり。30メートルほど離れた辺りに、深く穴を掘り、両側に板を渡して、それを掘立小屋式囲ったかたちのトイレがポツンと建っていた。外気温は氷点下15度くらいか。
ふと、便壺の中をみると、壺の中央の底から突き出すように柱のようなもの立っているではないか。外に出て、ワンセンブルウのスタッフたちに、トイレの中に柱が立っているが何のためか、と質問するが意味が通じない。暫く、やり取りをしているうちに、彼らは腹を抱えて笑いだした。それもその筈。柱のように見えたのは、気温が異常に低いために、凍った糞便が自然に積み重なって出来た「柱」だったのだ。 <郊外のレストランでは野外トイレが一般的>
3時過ぎにムルン郡の郡センターに到着。郡センター(ソムセンター)というのは、郡の文字通り中心地のことだが、実態は郡役所や、銀行、郵便局などを囲むように、学校や住居がパラパラと並んでいるに過ぎない。このセンターの総世帯数は506世帯とか。
郡センター病院のエンフトール院長の案内で、病院の内部を見学。そのあと、別棟になった伝統医療クリニックを見せてもらう。昨年7月に地元出身の国会議員の寄付で出来たという。
この郡では4年前から置き薬が475世帯に配布されている。当初の半年くらいは、置き薬は殆ど利用されなかったという。県庁所在地まで車で30分ほどなので、置き薬に不慣れな住民達は県立病院に行くことが多かったという。しかし、置く薬事業のおかげで住民の間に伝統医療に対する理解が進んだ結果、最近では郡センター病院に来る患者の4人に一人は伝統医療に基づく治療を受けるようになった、という。
16時、県庁所在地であるウンドゥルハーンに到着。県庁横のホテルにチェックインしたあと、県庁に。バイカル保健局長に会う。ヘンティ県は、モンゴルでも早くから伝統医療の利用を推進してきたユニークな県である。16年前には県立伝統医療センターを設立。県内の19人の医師のうち、6人は伝統医学を専攻した専門家である。バイカル保健局長自身も伝統医療の専門家。保健局長に就任する前は、長らく県立伝統医療センターの所長を務めていた。自らセンターの設立にも関わったという。
県立伝統医療センターは、現在、年間の外来患者数は、県外からも含め3000人を超す。入院設備も備えており、通年で700人の患者が入院するという。しかし、設立当初は来院する患者数も少なく年寄りばかり、行政のサポートも不十分でうまくいかなかった。そこで、西洋医学で内科を専門としていたバイカル医師自身が、伝統医学に転じ、県内の伝統医学活用の促進に乗り出したのだ。
ヘンティ県にある8つのソム(郡)のうち、我々の置き薬配置事業はムルン郡など、2つの郡で実施中。バイカル局長は、遊牧民の生活方式にマッチした優れた方法だと力説していた。
<ウンドゥルハーンの町にて>
ウンドゥルハーンの町で我々が投宿したのは、県庁脇に立つ市内「随一」のホテルの筈だが、部屋の水洗トイレの蓋ははずれ、シャワーのドアも壊れていた。モンゴル人は全てに鷹揚である。細かいことは気にしない。水洗トイレがあり、シャワーがあるだけマシ、ということを翌日には痛感させられることになった。10時半 ホテル出発
15時15分 ムルン郡中央病院訪問
16時、ウンドゥルハーン着
16時半 ヘンティ県伝統医療病院視察
18時15分 ヘンティ県の伝統医療病院長らとの夕食会