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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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波乱万丈の出張終わる [2008年12月07日(Sun)]
12月7日(日曜日)
早朝、シンガポールのホテルを出て、帰国の途に。無事、予定通りに成田に到着。
今年最後の出張は、長く疲れる出張であった。結局、今回の出張で乗った飛行機はミャンマーでの国内線を入れて、11回、そのうち、出発時のまま変更しないで済んだフライトは最初の成田発バンコク便のみ。あとは全て、途中で変更や急遽予約手配したもの、ということになった。


6時半 ホテル出発
8時30分 シンガポール発  
16時20分 成田着
最後の駄目押しハプニング [2008年12月06日(Sat)]
12月6日(土曜日)
カンボジアでは、午前中、保健省に行き、新任のモナウーク保健副大臣に面談。伝統医療を担当する副大臣なので挨拶するとともに、ミャンマーの保健省伝統医療局長との打合せに付いて報告しておきたかったためである。ただ、アポイントの申し入れをした時にはうっかり、今日が土曜日であることを失念。大変失礼なお願いになったが、快く、執務室で面談に応じてくれた。
伝統医療に大変理解があり、これまでの日本財団とカンボジア保健省との関係も正しく理解してくれており、非常に友好的な会談であった。ただ、副大臣は英語が苦手とかで、私とは彼女が専らフランス語で答え、私は専ら英語で話す、という奇妙な会話になってしまった。
午後からは、中学校の先生の卵に対する奨学金事業ESCの理事会に出席。新しく設立したESCのオフィスを訪ねるのは、私は初めて。名誉会長のブンサンボ首相補佐官もわざわざ、やって来てくれた。


     <奨学金事業ESCのオフィスにて>

理事会を終えて、私はプノンペン空港に急行。本来なら、もっと遅い便でバンコクへ出て日本に帰るところだが、バンコク空港の情況が不安定なので、安全策としてシンガポール経由にしたもの。

     <プノンペン空港でもクリスマスツリー>

そして、シンガポール空港についたとたん、駄目押しのように更なるハプニングが。何と、機内持ち込み用のカバンの取っ手が壊れてしまったのだ。これでは、不便極まりない。已む無く、空港内の売店で、高価なブランド物のカバンを買う羽目に。全く、何と言う出張だろうか。

     <カバンの取っ手が壊れる>
  
10時 保健省
13時半 ESC理事会
18時10分 プノンペン発
21時10分 シンガポール着
飛行機が大幅遅延 [2008年12月05日(Fri)]
12月5日(金曜日)
ハプニングと土壇場でのフライトの変更が相次ぎ、東京の日本財団スタッフに大変迷惑をかけた今回の出張であったが、ハプニングはまだ私を待ち受けていた。ジャカルタ発シンガポール行きのフライトが大幅に遅延。そのため、このままではプノンペンへの乗り継ぎが出来なくなる、という事態になったのだ。
結局、別のフライトに振り替え、一旦チェックインした荷物も積み替えてもらうということで、何とか予定通り、カンボジア入りに成功。


8時 ホテル出発
11時40分 ジャカルタ発
14時15分 シンガポール着
16時20分 シンガポール発
17時15分 プノンペン着
タイ情勢、ASEAN事務局にも波及 [2008年12月04日(Thu)]
12月4日(木曜日)
素泊まりしただけのシンガポールのホテルを出て、ジャカルタへ。ホテルにはいつものようにカンボジアトラスト・カーソンさんが待ち構えていて、私が欠席したスリランカでの義足学校の理事会の説明を受ける。その後、我々のジャカルタでの義足学校プロジェクトのために、新しくカントリーディレクターに就任してくれたピーターと技術専門家のマルコを紹介される。ピーターはこれまでオックスフォード大学の歴史学の教授をやっていたという人。何と、もっと直接、人の役に立ちたいと、学者としてのキャリアを投げ打ってインドネシアにやってきたという。マルコはフィンランド人。懐かしいフィンランド語を聞く。
14時半、ASEAN事務局に行き、事務局長特別顧問のラジャさんと打合せ。ようやく、彼も事務局内に自分のオフィスを持ち、ジャカルタに腰を落ち着ける覚悟を決めたようだ。


     <事務局長特別顧問のラジャさん>

モーレツに忙しそうにしている彼の話によると、バンコク空港の閉鎖でタイのチェンマイで予定されていたASEAN首脳会議に代えて、急遽ジャカルタでASEAN外相会議が行われることになり、そのための準備でてんてこ舞いなのだという。タイ情勢はASEAN事務局にまで波及していたのだ。
夜は、たまたまジャカルタに来ていた笹川平和財団の関理事長も加わり、タイ料理のレストランでラジャさんらと食事。何とイスラム教国のインドネシアでも、あちこちにクリスマスのイルミネーション。


     <ホテルロビーのクリスマスツリー>

7時半 ホテル出発
8時50分 シンガポール発
9時25分 ジャカルタ着
11時 カンボジアトラスト・カーソンさん
14時半 ASEAN事務局長特別顧問ラジャさん打合せ
19時 笹川平和財団関理事長 

バンコクの波紋はここにも [2008年12月03日(Wed)]
12月3日(水曜日)
朝食を取りながらエルウィンさんと打合せの後、シャン州で学校建設事業をやってもらっているNGOセィダナーの和田さんとスーさんに会う。昨日、保健省の伝統医療局から貰ってきた伝統医薬品の置き薬事業で使われる箱入りセット5つを手渡すためだ。シャン州の学校建設現場で日本財団独自のパイロット事業をやる計画でそのための見本として、保健省に掛け合って貰い受けてきたものだ。
ひとしきり説明して置き薬セットを手渡した後、一緒に昼食。そこで、スーさんがつい先週、結婚したことを聞く。気の毒なことに、披露宴に招くはずであったセィダナーの元スタッフの日本人でバンコクに住んでいる伊藤さんも、プノンペンの河本さんも、バンコクの空港閉鎖騒ぎのため、ミャンマーに来ることが出来ず、寂しい披露宴になってしまった、という。バンコクでの騒ぎはバンコク空港経由のフライトに依存しているミャンマーでも大きな影響を受けたのだった。事実、和田さんの知るある日本人グループはヤンゴンに閉じ込められてしまい、彼女にお金を借りて別の便のチケットを買い帰国する羽目になったとか。バンコクの波紋はここにも広がっていた。


     <緑と貧しさが同居するヤンゴン@>

     <緑と貧しさが同居するヤンゴンA>

今日は、ヤンゴンを発ち、シンガポールに移動しなくてはならない。元々のプランでは含まれていなかったジャカルタ行きが入ったためだ。ASEAN事務局でラジャさんと会わねばならない。シンガポールの空港ではフライトの案内板にバンコク行きの便のキャンセルを告げる表示があった。まだ、バンコク空港は完全には正常化していないのだ。


8時 エルウィンさん
11時 セィダナー和田さん
14時 ホテル出発 
16時40分 ヤンゴン発
21時15分 シンガポール着
ネピドーへ日帰り [2008年12月02日(Tue)]
12月2日(火曜日)

     <地元のレストランで朝食>

ネピドー行きの朝一番の飛行機に乗るため、朝5時半に国立伝統病院の車で、ホテルを出発。途中、地元式のレストランで朝食。いつもはモヒンガーというミャンマー式ソーメンが朝食の定番なのだが、今回はナンディー。私は初めて食べるものだが、味はうまい。値段は一食50円ほど。

     <朝食はナンディー、一食50円>

この空港からの国内線は、乗ってみるまで不安だ。私自身そういう経験は無いが、予約していても、軍人や政府の役人が優先され、民間人はいつキャンセルされるか判らないという。
第一、チェックインすると渡されるボーディングカードには座席番号はあるものの、ボーディングの時間もフライトナンバーもゲートナンバーも何も記載されていない。そもそもふたつあるにはあるゲート(というより単なる戸口)には全く案内は出ず、英語のアナウンスさえない。そのためミャンマー語を解さない我々外国人は、ミャンマー語で何かアナウンスがある度に、ひたすら、窓口の係員に訪ねるしかない。それも、返ってくる返事はミャンマー語か英語ではYesかNoのみ。乗り遅れるのではないかと、いつもひやひや。
さて、ネピドー空港に着いてみると、こちらに向かってニコニコ顔で手を振る人がいる。マンダレー国立伝統医療大学の若手スタッフのタインゾーリンさんであった。彼は、富山大学に留学したこともあり日本語が片言ながら話せる。前回、マンダレーで会ったきりであったが、彼は私のことを覚えていてくれたようだ。


     <伝統医療関係者大会が始まる>

保健省で10時から伝統医療関係者大会が始まる。8年前から、ヤンゴンで毎年開かれているこの大会には一度出てみたいと考えながら、これまで私にはそのチャンスがなかった。今回は、初めて新首都のネピドーで開かれることになったもので、うまく私のネピドー訪問とタイミングが合ったので実現。
ミャンマーは東南アジアの中では、伝統医療を最も有効に保健行政において活用している国ではなかろうか。全土14の州総てに、伝統医療の専門病院が設けられている。このうち、ヤンゴンと第2の都市マンダレーには50床の総合病院がある。人口5500万人のミャンマーには、全土に5800人の伝統医療師がいるという。最近の調査によると、国民の86%が伝統医療を利用している、という結果が出ている。
今回の大会はミャンマー全土から集まった伝統医療師300人を含む、総勢450人もの大規模なものであった。保健大臣は勿論、軍政ナンバー3のティン・アウン・ミンチョー第一書記が冒頭に挨拶。軍政も伝統医療の活用に力を入れているのが良く判る。


     <軍政ナンバー3のミンチョー第一書記が挨拶>

大会のオープニングの後、ミンチョー将軍はロビーの伝統医薬品メーカーの展示品を丹念に見て回った後、大勢のMPに囲まれて去っていった。
その直後に、伝統医療局長の部屋で打合せをしていると、保健大臣チョーミン博士の応接室に呼ばれる。大臣は大役を終えたばかりでぐったりした様子。聞いてみると、過労からか腰痛が出たとのこと。伝統医療が一番有効な分野だが、伝統医療で治療しておられるのかは聞きそびれた。
来年早々に開始する予定の、伝統医薬品配置事業の打合せを終えて、私一人、伝統医療局長の部屋でミャンマー料理の昼食をご馳走になり、保健省を辞去。
ヤンゴンに向けて、「政府関係者専用道」を走る。この道路は片側2車線の立派な舗装道路。実は、まだ建設中で一般には開放されていない。それを、片側のみ政府関係者限定で開放しているもの。一般のルートでは私自身の経験では片道10時間ほども掛かってしまう。今回は、交通量が圧倒的に少なく、路面もスムースということで、5時間ほどでヤンゴンに到着。
ホテルの部屋でさっと着替えて、ヤンゴン在住のシンガポール人、ハウさんと会う。ネピドーに日帰りなんて信じられない、と言われる。旧知の元対外経済担当大臣のエーベルさんとハウさんの電話で久し振りに話す。


     <「政府関係者専用道」を走る>

5時半 ホテル出発
8時 ヤンゴン発
9時 ネピドー着
10時 伝統医療関係者大会
11時 保健大臣面談
11時半 ティン伝統医療局長
13時 ネピドー出発
18時半 ヤンゴン到着
19時 ウイルソンハウ氏
ヤンゴンへ [2008年12月01日(Mon)]
12月1日(月曜日)

飛行機の出発が夕方なので、マスコミ関係者などに連絡を取ってみたが、うまく行かないので、ホテルでこのブログの下書きなどをして過ごす。夕方の便で、シンガポールを出発、ヤンゴンへ。
ヤンゴンのホテルに着いて間もなく、元ミャンマー外務省ASEAN局長で今は、笹川平和財団の顧問格のエルウィンさんが現れ、今回のスケジュールなどの確認。通信事情の悪いミャンマー政府との連絡をスムーズにする上で彼の存在は貴重だ。


16時 ホテル出発
17時55分 シンガポール発
19時20分 ヤンゴン着
20時半 エルウィンさん
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