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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ハノイ一泊のあとシンガポール一泊 [2008年11月30日(Sun)]
11月30日(日曜日)
ハノイのホテルに一泊の朝、比較的ゆっくりと空港へ。シンガポールに到着。ホテルへ。日曜日、一、二の知人に連絡してみるが不在。一人、スーパーで惣菜を買って来て、ホテルの部屋で夕食。ホテルのロビーには大きなクリスマスツリーが飾られていた。早めに就寝。

     <シンガポールでもクリスマスツリー>

10時半 ホテル出発
13時45分 ハノイ発
18時15分 シンガポール着
陸路でカンボジアへ脱出 [2008年11月29日(Sat)]
11月29日(土曜日)

     <タイ・カンボジア国境>

朝6時、まだ外は暗い中、ホテルへ迎えに来てくれたCIATの車に乗り込む。結局、タイでの仕事を切り上げ、早めに帰国することにした日本財団の千葉君も一緒。
車は、バンコク郊外で高速道路を出て一般道路に入るが、舗装の行き届いた道をスムースに進み、3時間半ほどであっけなく国境の町、アラヤプラテートに到着。ここまでは240キロほどの距離。心配した混雑も無くここまでは至ってスムース。
しかし、ここでCIATの車と別れ、タイ側、カンボジア側それぞれの国境管理のポイントを通過せねばならない。その間、100メートルほどは徒歩で越えなければならない。私は、カンボジアのビザを持っていたが、持っていなかった千葉君は、先ず、カンボジア・ビザ取得のための手続き。

     <これがカンボジアビザの窓口>

タイ、カンボジア両国は現在、プレアヴィハール寺院を巡り軍事的な衝突事件を起こしているが、ここでは、そんな気配は微塵も見られず平和そのものであったのには一安心。
30分ほど待たされたがビザが取れたので出発。我々のスーツケースは、担ぎ屋のおにいさんに頼む。タイの出国手続きの窓口は、大勢の人で大混雑。ここで、40分以上もかかってしまう。
さらに数十メートル歩いて、カンボジアの入国窓口へ、こちらはなぜか空いていた。こうして、無事、カンボジア側の町、ポイペートへ。ここで、千葉君がシエムリアップで旅行代理店を営む日本人の友人に頼んで手配していた車に迎えられる。


     <荷物はこのようにして担ぎ屋さんに>

ポイペートのレストランでカンボジアスタイルのサンドイッチ、パンパテを買って車の中で食べながら出発。フランス語の名前で呼ばれるこのサンドイッチは、ベトナムではバインミーと呼ばれるフランスパンに、生野菜やレバーパテを挟んだもので、私の大好物。

     <ポイペート側から見た国境>

ポイペートからは一転、未舗装の道が続く。しかし、舗装工事が進みつつあり、道路の表面は平らに慣らされていたので、比較的スピードが出る。
150キロほどの道を3時間ほど掛けて、3時前に無事シエムレアップに到着した。ここは、アンコールワットの町である。日本人の旅行客を乗せた何台もの大型バスとすれ違う。アンコールワットを目と鼻の先にしながら見学を楽しむ余裕はない。カンボジアには何十回と訪れている私だが、アンコールワットは数年前の日帰り出張の際、数時間垣間見たのみ。うーん、残念。
カフェでお茶を飲んで暫く休憩して、空港へ。ハノイ行きの飛行機に無事乗り込み、ハノイへ。そのまま、日本へと乗り継ぐ、千葉君と別れ、私は市内のホテルへ。明日は、シンガポールだ。


   <カンボジア側は未舗装の道が続く>

6時 ホテル出発
9時半 アラヤプラテート到着
11時半 ポイペト到着
15時 シエムレアップ到着
18時45分 シエムレアップ発
20時30分 ハノイ着

タイの人々の優しい心根 [2008年11月28日(Fri)]
11月28日(金曜日)
朝、NHKの黒川さんから電話をもらう。心配してくれてのこと。チェンマイ、プーケット両国際空港出発の飛行機は満席。現地新聞報道によれば12万人が足止めを食っているという。11万人の1%の千人が脱出しようとしただけで、飛行機何機分の席が必要になることか。しかし、黒川さんの話では、カンボジア経由で脱出に成功した人がいる、という。
千葉君から、カンボジアの第二の町シエムリアップからなら、ハノイ行きチケットが一枚手に入りそう、との情報。ミャンマーに行こうという私にとっては、ハノイは全く逆の方向。千葉君自身は、私と一緒にスリランカに行き、その後、南インドに向かう予定であった。しかし、テロもありインド行きは停止するが、すぐには帰国せずバンコクで仕事を続ける、というのでこのチケットを米国に行くハウラーさんに譲ることに。しかし、ハウラーさんはバンコクからベトナム、日本経由で行くことにする、という。
一方、私はカンボジアのプノンペンからシンガポールに抜けるルートを第一に考え、チケットを入手しようとあちこちトライしてみるが、フライトは総て満席、しかも、ウエイティングリストの受付まで断らざるを得ないほど、だという。そこで私は、このチケットを自分自身が使うことにし、ハウラーさんにCIATの車を使わせてもらえないか相談したところ、快諾してもらう。そこで、ハノイから先のルートをトライ。ようやく、2泊3日の行程ながら、ハノイ→シンガポール→ヤンゴンのチケットを確保。
更に、ホテルのキャンセル、手配などに手間取り、結局丸一日かけて行程変更に伴う諸手配を完了。夜、約束の時間に少し遅れて、APCDの二ノ宮さんたちが待つレストランへ到着。モンティアン上院議員も遅れて参加。皆で、食事をしているところへ、モンティアンさんにかかってきた電話によると、今夜この地区で反政府勢力と政府支持派の間で武力衝突、との噂があるという。
そこで早めに引き上げホテルに戻ると、私の部屋は夜のベッドメイキングの最中。顔馴染みの客室係の女性は、しきりに、申し訳ないと空港閉鎖のことを謝る。聞いてみると、彼女自身も本来はシンガポールで研修を受けるはずだったとか。お互い大変だね、というと、自分のことより、お客様に迷惑を掛けたことに対し、同じタイ人としてお詫びする、という。
ビジネスセンターで変更後のEチケットをプリントアウトしようとするが、帰国便を探す宿泊客が詰め掛け、ビジネスセンターは大賑わい。順番を待っているうちに、ビジネスセンターの営業時間が終了する10時になってしまう。ところが、係りの女性は、時間は気にしなくても良い、という。何より、こんなことで皆さんに迷惑を掛け申し訳ない、とかいがいしく世話を焼いてくれる。おまけに、失敗したプリントアウトの料金まで差し引いてくれた。改めて、タイの人々の優しい心根に感激。

18時半 モンティアン上院議員らと夕食
スリランカ行きを中止 [2008年11月27日(Thu)]
11月27日(木曜日)
早朝起きてテレビを付けると、どこも、バンコク空港閉鎖より、インドのムンバイで起きたテロ事件を報じていた。そこへ、トリンコマレーへ同行してくれる予定の、スリランカの現地NGOセワランカのウデニさんから電話が入る。バンコク情勢を心配してのもの。
彼と相談した結果、仮に、翌28日に空港閉鎖が解除されたとしても、トリンコマレー行きは事実上無理と判断、スリランカ行きを断念。トリンコマレー行きキャンセルを通知。SLSPO(スリランカ義肢装具士学校)の件でカーソンさんからもメールが入る。こちらの状況を説明し、コロンボ行きキャンセルを快諾してもらう。
スリランカ行きは断念したが、この時点では、その先のミャンマー行きはまだ、楽観していた。というのも、スリランカからの先の当初の予定は、月曜日の深夜の便でバンコクに戻り、早朝のヤンゴン行きに乗り継ぎ、ヤンゴンには月曜日の朝に到着する、というもの。スリランカ行きを中止した以上、バンコクで週末は待機し、月曜朝のヤンゴン行きに乗れば良い、と考えていたからである。


     <これがタイ保健省伝統医療局のオフィス>

今朝は予定通り、保健省の伝統医療局へ。盲人用マッサージの国家資格などの件を打合せ。国内出張のためいないはずの伝統医療局長のナラさんも飛行場閉鎖のため、出張がキャンセルになったと顔を出す。会議を終えて、近くのタイ料理レストランで昼食。医務局長のスパチャイさんも同席し、賑やかな食事となった。この時点でも先行きを楽観していた私は、保健省の皆さんに、バンコクで楽しく週末を過ごすことになりそうです、と冗談半分で挨拶していた。
午後、再び保健省伝統医療局の美しいオフィスに戻り、アンチャリーさんらと午前の会議の続きを再開。その後、アンチャリーさんに生薬エクスポの時に紹介してもらったタイ伝統処方に基づく風邪薬が良く効いたので、追加購入のため街角の薬屋さんに立ち寄る。


     <タイ伝統医薬品を並べた街角の商店>

夜は、キャッサバ事業のパートナー、CIAT(国際熱帯農業研究センター)のハウラー博士と会食。彼はオランダ人だが、台湾出身の夫人を始め、彼の家族は今は米国にいる。冬休みは米国で過ごすのだという。ハウラー博士とは、数年前にカンボジアから一緒に陸路でタイに抜けた仲。そうか、その逆を行けば、カンボジアに脱出は出来るわけだ。しかも、CIATはこのルートに習熟した運転手付きの専用車を持っているではないか。
しかし、この時でも私自身は先行きを楽観していた。ニュースに拠ると、武力制圧の噂も出ているという。そうなれば、むしろ今のような膠着状態は一挙に解決に向かうはず、と考えたからである。
結局、タイ政府は27日夜、スワンナプームとドンムアン両空港に非常事態を宣言。空港当局はスワンナプーム空港の29日夜6時までの閉鎖を発表した。一方で、代替手段として、バンコクの南東140キロにあるウアタパオ海軍基地にある飛行場の臨時使用を決定。
土曜日の夜まで空港閉鎖となると、完全正常化まで数日はかかるといわれているので、月曜早朝のバンコク→ヤンゴン便が果たして予定通り運行されるのかは怪しくなった、と言わざるをえない。
そうなると、週末をのんびり待機してさえいれば、週明けにはヤンゴンへ出発できるという算段がなりたたなくなる。ここに至り、流石の私も不安になってきた。さて、どうしたものか。


     <タイ保健省伝統医療局の美しい庭園>

10時 ホテル出発
11時 保健省伝統医療局
12時半 保健省関係者と昼食
14時 保健省伝統医療局会議
19時 CIATハウラー博士 
しかし、先行きを楽観 [2008年11月26日(Wed)]
11月26日(水曜日)
昼、朝日新聞のアジア総局長、柴田さんから今回の騒ぎの背景についてのレクチャーを受ける。午後、以前からアポイントを取ってあったADB(アジア開発銀行)OBの森田さんとお目にかかるべく、昨日から電話をしているのだが、なぜか繋がらない。結局、面談を断念。
夜は7時から、フジTVの青木支局長と食事の約束。しかし、「民主市民連合(PAD)」による空港の占拠騒ぎがだんだんエスカレート。青木さんがレストランに姿を見せたのは、夜の9時を30分近く廻ってから。
青木さんから、アヌポン陸軍司令官が、PADには空港閉鎖の解除を求める一方、首相には退陣と総選挙の実施を求めたのに対し、ペルーからタイ北部チェンマイ空港に到着したソムチャイ首相は、バンコクに戻らず現地で緊急閣議を開く模様、と聞く。しかも、非常事態宣言発令の噂もある、などと教えてもらう。空港当局は27日午後6時までの空港閉鎖を決定。
明日の夜には、スリランカに向けて出発せねばならないが、空港が夜まで閉鎖となると、スリランカ行きを中止せねばならない。取り敢えずは、ホテルの部屋を一泊余計に確保できるか、フロントで聞いてみる。
スリランカでの予定では、現地時間明後日の明け方に到着、午前中はSLSPOの理事会に出た後、車で6時間ほどかけて東部の港町、トリンコマレーに行く予定だ。トリンコマレーはつい最近まで、政府軍と反政府のLTTEとの間で激しい戦闘が続いていたところ。2年前の津波の被災地であるこの場所で、日本人シニアボランティアにひもの作りを指導してもらうプロジェクトの開始するかどうか、現地の治安情勢を判断するのが目的。ただ、これは、どうしても今行かねば成らないという話ではない。


12時 朝日新聞アジア総局柴田総局長
19時 フジテレビ青木バンコク支局長

落ち着かない夕食 [2008年11月25日(Tue)]
11月25日(火曜日)
今日は、日本財団の障害者事業担当者の千葉君と、APCD(アジア太平洋障害者開発センター)での会議に出席し、今年8月に行った盲人次世代リーダーのためのアジア国際会議のフォローアップに付き議論。参加者は、APCD関係者の他、日本財団が支援する盲人用コンピューター教育プログラムON−Netの責任者ラリー・キャンベルさん、タイ上院議員の盲人モンティアンさんら。
夜は、NHKアジア総局の黒川カメラマンや大橋記者と夕食。ところが、お二人の携帯電話にひっきりなしに電話が入り、落ち着かない。というのも、5000人規模のデモ隊がスワンナプーム空港に侵入した、というのだ。デモ隊のターゲットは、ペルーで開かれていたAPEC首脳会議から帰国する予定のソムチャイ首相。彼の帰国を阻止することが目的の由。
しかしその時点では我々は、空港閉鎖は首相の帰国まで、即ち一二日、遅くとも週末までには終わるはず、と楽観的に見ていた。


14時 APCD(アジア太平洋障害者開発センター)
17時 NHKバンコク支局大橋記者黒川カメラマン
バンコク空港閉鎖、波乱の出張 [2008年11月24日(Mon)]
11月24日(月曜日)

今年19回目の出張。2週間の出張なので日数では14日間。今年の出張はこれが最後となる見通しなので、年初からの累計は丁度150日。昨年は、20回の出張で海外滞在の延べ日数は165日だったので、今年はそれよりも15日間、2週間ほど短くなった。しかし、出発の段階では今回の出張が大変な波乱の出張となるとは知る由も無かった。
今にして思えば、波乱の予兆は出発前に起きていた。もともと、この出張は、バンコクのマヒドン大学で実施中の義肢装具士学校の理事会と、同じくスリランカの義肢装具士学校の理事会がこの時期に相次いで行われるのに合わせ、9月に予定しながらビザの問題で流れていたカンボジア保健省の伝統医療関係者を、ミャンマーの国立伝統医療大学に案内し、両者間での提携の話を進めることにあった。
ところが、先ず、マヒドン大学の義肢装具士学校の理事会が延期になり、次いで、カンボジア保健省関係者のミャンマー行きがまたしてもカンボジア内閣改造に伴う手続き的な問題で流れてしまった。このため、私は出発直前になって、大幅にスケジュールの見直しを迫られ、バンコク滞在を削減し、ジャカルタ行きを加えるなどの変更を行った。
結果的には、今回の出張では出発時の成田→バンコク便を除き、日本で予約した総ての便10本を、途中で解約、経路を変更して取り直すことになった。


10時50分 成田発
16時05分 バンコク着
18時半 日経新聞三河バンコク支局長
帰国 [2008年11月10日(Mon)]
11月10日(月曜日)

早朝、ホテルを出て帰国へ。思えば、10月18日からの3週間というもの、殆ど海外に出ずっぱりだった。いささか、疲れた。北京新空港のライトがまぶしい。

<北京新空港の正面エントランス>

6時半 ホテル出発
8時45分 北京発
13時05分 成田着
WHO伝統医療サミット最終日 [2008年11月09日(Sun)]
11月9日(日曜日)

日本財団の笹川会長、笹川記念保健財団の紀伊国理事長一行は、帰国のため早朝にホテルを出て空港へ。私は九華山荘へ行き、中嶋君と合流。WHO伝統医療サミットは本日が最終日。中医と呼ばれる中国の伝統医療の診療所見学などが予定されている。しかし、中嶋君からタイ保健省のナラ伝統医療局長らが私と話がしたいと言っていると告げられる。
タイ保健省とは、モンゴルで日本財団が展開している置き薬方式をそのまま、タイ国内でも医療コスト軽減のための実験プロジェクトとして実施することになり、医務局と伝統医療局がジョイントで実施母体となり準備中である。しかし、ナラ局長の話というのは、その件ではなく、ASEAN事務局と話を進めている伝統医療国際会議のことであった。また、タイ盲人協会や国立筑波技術大学と検討中の、視覚障害者に対するタイ伝統医療マッサージ国家資格取得のための医学教育カリキュラム策定支援事業についても、説明を求められた。
そのあと、今回の会議でお世話になったWHO本部伝統医療担当官丸山さんから呼び止められ話し込む。そうこうしている内に、伝統医療の診療所見学が始まってしまい、こちらは断念。
夜は、共同通信水野記者らと会食。


6時半 笹川会長ら出発
12時 タイ保健省伝統医療局長
14時 WHO本部伝統医療担当官丸山さん
18時 共同通信水野記者


笹川会長がWHOの会議でスピーチ [2008年11月08日(Sat)]
11月8日(土曜日)

     <笹川会長がスピーチ>

昨日同様、笹川会長らと車に乗り込み、九華山荘へ。午前は、WHO伝統医療サミットを傍聴。午後、2時半からは笹川会長が日本財団の伝統医療事業での取り組みにつき、英語でスピーチ。民間財団関係者としては唯一。しかし、WHOの伝統医療部局の責任者のチャンさんに拠れば、日本財団の扱いは、資金協力者としてではなく、伝統医療事業でのWHOとの事業パートナーとしての取扱いであった由。
会長のスピーチの後は、国際貿易センターで開かれていた伝統医療展を視察。ホテルに戻り、夜はサンケイ新聞の伊藤中国局長らと会食。



8時ホテル出発
9時 WHO伝統医療サミット
14時半 笹川会長スピーチ
15時半 伝統医療展示会視察
18時半 サンケイ新聞中国総局伊藤総局長ら
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