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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ボストン・キャリアフォーラム第一日目 [2008年10月31日(Fri)]
10月31日(金曜日)
私にとっては、このボストンでの集団就職見合いの場「キャリアフォーラム」に参加するのは初めての経験だが、日本財団では、海外事業に活用出来る即戦力を求めて、数年前から、国内採用と併行してこのボストン・キャリアフォーラムに参加し、人材採用を行ってきた。
ボストン・キャリアフォーラムは米国を中心とする海外の大学・大学院の卒業生の採用を希望する日本の企業など「買い手側」と、日本の企業への就職を希望している日本人を中心とする留学生という「売り手側」の集団お見合いの場である。今回の参加企業は172社、参加学生の数は2日間累計で約9500名という大規模なものである。


     <広大なボストン・キャリアフォーラム会場>

昨年は、大学・大学院卒業予定者計105名が一時面接に臨み、最終的に10名を選抜し、日本での最終面接に送り込んだが、今回からは対象を大学院卒予定者に絞ることとし、書類選考で38名を選び、人事担当の財団スタッフが一時面接を行い、17人に候補者を絞り込んでくれた。前田常務と私は、この17名に対し今日と明日の二日間で面接を行うことになった訳である。
面接してみて、改めてこんなに多数の高学歴の優秀な若者が、国際協力事業の資金的支援・助成業務という地味な仕事に興味をもってくれていることに驚かされた。結局、さんざん悩んだ末に男女2名ずつの4名を第2次面接合格者とし、4人をボストン市内のチャイナタウンの中華料理店での夕食に招待し、内輪の懇談会を開催した。


11時 来春採用第2次面接(第一日目)
20時 第2次面接合格者との夕食懇談会
ボストンへ10月3回目の出張 [2008年10月30日(Thu)]
10月30日(木曜日)
今月は出張が相次ぎ、これが10月3回目の出張。今回の出張の目的地は米国、目的は二つ。先ず、ボストンに行き、ボストン・キャリアフォーラムという来年の採用予定者を選抜するための2次面接をおこなう。次にダラスに廻り、笹川アフリカ協会の理事会に出席する。6泊7日の比較的短い出張だが、6泊のうち機内泊が2回。おまけに、前回の10日間の出張から、中一日置いただけの出張。しかも、帰国後は翌日に再び、中国出張が控えている、という少々きついスケジュールだ。
昼過ぎまで財団で仕事をし、人事担当の前田常務と一緒に社有車で成田へ向かう。

17時55分 成田発
20時28分 ボストン着
ASEAN事務局長スリン博士が講演 [2008年10月28日(Tue)]
10月28日(火曜日)
本日はBABA第二日目。午前中の目玉はASEAN事務局長スリン博士による講演。彼は、3年前の秋、北京で行われた第1回のBABAにタイの元外務大臣という立場で講演に来てくれて以来、BABAが気に入ってくれて毎回すべて参加してくれている。それは、今年の初めにASEAN事務局長という多忙な身分になってからも変わることなく、2月のインドで行われた第3回目のBABAも「何ヶ月も前に約束していたから」と参加してくれた。そして、金融危機が生じ、以前にも増して忙しくなった今回も、一昨日まで同じ北京でASEM会議に参加したあと、バンコクへ戻り、今朝到着の夜行便でBABAだけの為に北京にやって来てくれたという訳だ。これには参加者全員感激。たまたま、今日はスリン博士の誕生日ということで講演の後、サプライズのバースデーケーキと相成った。

     <スリンASEAN事務局長の隣は原洋之助東大名誉教授>

当初の計画では私は会期中の一週間総てとは行かないまでも、数日間は傍聴するつもりであったが、急遽、今月末からボストンで行われる日本財団の来年採用予定者の海外面接を行うことになったので、今日の午後のフライトで帰国することにした。帰国の際、やっと新空港を利用することが出来た。噂に違わず、広い広い。それにしても、香港やソウルなど、極東に相次いで開港する新空港を見るにつけ、このままでは日本の成田を始めとする各空港は、ますますアジアのハブ空港からは遠い存在になった、と感じざるを得ない。


     <広大なスケールの北京新空港>

8時半 ホテル出発
10時 BABA(スリンASEAN事務局長講演会) 
14時50分 北京発
19時15分 成田着
日本財団グループ事業参加者OBセミナー始まる [2008年10月27日(Mon)]
10月27日(月曜日)
昨日、別の便で日本から到着していた日本財団の尾形理事長らと一緒に、日本財団グループ事業参加者OBセミナーの会場となっている北京大学国際交流会館へ。主催団体であるシンガポールの団体IRCのラジャ理事長、ASEAN館長の陳振亜さんが迎えてくれる。IRCのラジャさんとはASEANのスリン事務局長補佐官のラジャさんその人である。彼は、スリン博士とは若い頃から一緒にしてきた間柄で、今年の初めスリンさんがASEAN事務局長になったのに伴い、補佐官に就任したもの。ラジャさんとは、このBABAセミナーが3年前にスタートした当初からコーディネーターとして手伝ってもらっている。彼を通じて、スリンさんはBABAにはゲストスピーカーとして毎回参加。今回も、今日多忙なスケジュールをやり繰りして、明日、北京に来てくれるという。
開会式には北京大学を代表して、副学長のミン教授が出席してくれた。彼は北京大学内の共産党組織のトップであり、共産党中央委員候補でもあるという大変な実力者である。このような立場の人が北京大学構内で開催されているとは言え、北京大学が主催するわけでもない行事に出席するのは極めて異例なことだ。


     <BABA開会式には北京大学トップが出席>

そんな彼がこのBABAには一回目からいつも歓迎の挨拶をしてくれるのは、日本財団が奨学金プログラムなど様々な事業を通じて、北京大学と強い信頼関係を築き上げていることにある。4年前にこのBABAの基本構想を初めてミン教授に説明したのは、彼が早稲田大学の名誉博士号を授与されたために来日した際であったが、ミン先生はすぐさま、「大変結構な趣旨だ」と、北京大学の施設の提供を約束してくれたのである。

     <活気に満ちたセミナー>

開会式の後、午後、担当の本多さんと二人で広い北京大学構内を迷いさまよった挙句、やっとの思いで国際関係学院に到着。パン前学院長や、許副学院長と会い、東大と北京大学との間で昨年から始まった修士課程の留学生事業について打合せ。早急に東大側担当教授を北京に呼んで意見交換の場を持つことで合意。
国際関係学院での協議を終えて、BABAの会場に戻り、今度は私が講師になって日本財団グループについてプレゼンテーション。参加者は何らかの形で、日本財団を始め、東京財団、笹川平和財団などの日本財団グループの財団の事業に参加している訳だが、グループ組織の全体像は勿論、日本財団などの広範な事業の全体像を理解出来るチャンスは少ないと思うので、前回のインド、ゴアでのリトリートからこのような講義を設けることにしたのだが、短時間で全体像を分かりやすく説明するのは容易ではなく、私は担当の本多さんに作ってもらったパワーポイントの資料を使いながらも悪戦苦闘。
国際関係学院幹部との夕食会のあと、夜はBABA参加者と尾形理事長の懇談会。
大変中身の詰まった一日であった。


7時15分 ホテル出発
8時30分 BABA参加者記念撮影
9時 BABA(日本財団グループ事業参加者OBセミナー)
14時 北京大学国際関係学院関係者協議
16時 BABA(日本財団についてのプレゼン)
18時 国際関係学院夕食会
20時 BABA(参加者との尾形理事長懇談会)
アモイで乗り継ぎ北京へ [2008年10月26日(Sun)]
10月26日(日曜日)
早朝にホテルを出て空港へ。そこで、ばったり平和大学卒業生の一人ネパール人のN君と一緒になる。彼も、北京でのBABAに参加するので一緒の飛行機で北京へ行く途中だったのである。彼と、待合室でだべっているとあっという間に時間が経ってしまい、出発のアナウンスに慌てて駆け出し、ようやく飛行機に乗り込む。マニラ発北京行きの中国国際航空便は直行便かと思っていたら、福建省のアモイ経由。一旦、飛行機から降ろされた後、再度同じ飛行機に乗り込み北京へ。
北京では、オリンピックにあわせて建設されたばかりの新空港かと思いきや、国内線用に転用された旧国際空港であったのにはがっかり。


6時半 ホテル出発
9時00分 マニラ発
11時00分 アモイ着
11時55分 アモイ発
14時35分 北京着
18時 共同通信 水野記者
平和大学アジア分校一期生と懇談会 [2008年10月25日(Sat)]
10月25日(土曜日)
本事業の担当の日本財団職員本多さんは、明後日から北京で開かれる日本財団グループ事業OBを対象にした合宿セミナーBABA(Building A Better Asia)の 担当でもあり、今朝日本に帰国する笹川会長一行と一緒にここを発ち、BABAの準備のため一足先に北京へ入ってもらうことに。私は、一人マニラに残り、卒業したばかりの一期生有志との懇談会に臨むことにした。本事業をより良くするため、当事者自身の率直な意見を聞かせてもらうためである。
急な案内であったにも拘わらず、昼食会を兼ねた懇談会には、何と総勢20名が集まってくれた。(一期生の様子は次のウエブサイトでは動画で見られる http://mofla.tv/movie/video/watch/eee97c04134e740fb5ed23d23d01b685?kw=PRGR&page=1)


     <卒業生たちと>

11時 卒業生との昼食会
15時 卒業生有志との懇談会

国連平和大学卒業式に臨む [2008年10月24日(Fri)]
10月24日(金曜日)
早朝に香港のホテルを出て朝一番のマニラ行きの飛行機に乗り込む。9時半にマニラに到着した私を出迎えてくれたのは、何と、国連平和大学のマレスカ学長。車の中でなら、ゆっくり話しが出来るからとわざわざやってきてくれたのだった。
ホテルに着いたあともチェックインした荷物はそのままにして、尚ロビーで、マレスカさんと色々話し込む。その後、スリランカから駆け付けてくれたセワランカ財団のハルシャ会長と、中国の大連から東京経由で前日にマニラ入りしていた笹川会長との昼食ミーティングに同席。
そして、3時前にホテルの車に乗り込み、アテネオ・デ・マニラ大学へ。国連平和大学の卒業式に臨む。


     <来賓の私たちも礼服に>

昨年4月に始まった国連平和大学アジア分校事業も漸く、一回目の卒業生を生み出すのだ。これは、英語特訓付き1年半の国際平和学のマスターコースのプログラムである。学生は、マニラのアジア分校とコスタリカのサンホセにある本校と二つのキャンパスで平和学を学んだ後、アジア開銀やFAO、ASEANなどの国際機関やNGOで3ヶ月のインターンを経験することになっている。アジア分校事業の定員は毎年30名、総てアジアからの学生である。授業料は勿論、航空運賃、住宅費、食費などの基本的な生活費まで供与されるフルスカラーシップが全員に供与される。入学資格で最大のポイントは、4年制大学の新卒ではなく、数年間の実務経験が必要であること。日本の海外青年協力隊経験者が毎年、数名含まれているのは嬉しい限りである。
一期生の中には60年代の人も二人。尤も、卒業後も社会に貢献する意欲に満ちた、精神的にはまだまだ「若い」お二人である。
一期生全員と私は、昨年4月の入学式と、そのあと、サンホセの本校でも会っており、特に、メールを交換するまで親しくしている人も何名もいる。彼らの、充実した誇りに満ちた顔を見てこちらまで感動させられた卒業式であった。


     <卒業記念ディナーにて>

8時00分 香港発
9時25分 マニラ着
13時半 セワランか財団ハルシャ会長
14時45分 ホテル出発
17時 国連平和大学卒業式
19時 卒業記念ディナー

Independent Living [2008年10月23日(Thu)]
10月23日(木曜日)
香港での予定が流れたお陰で、ハノイでは一泊して香港行きの飛行機を乗り継ぐだけの予定が香港行きの飛行機を遅らせたため、半日だけ、仕事をすることになった。
義足の配賦事業などで長年に亘る日本財団のベトナムでの事業のパートナーNGOであるVNAHのハノイ事務所長のハイさんに同行してもらって、不動産を見に行く。これは、来年4月から始まる予定のIL(Independent Living)という重度障害者の自立活動支援事業の本部拠点となる場所を、資金援助者である日本財団に是非見て欲しい、という先方の強い要請があったためだ。
3ヶ所の事務所ビルなどを較べて見て、実施主体となる障害者団体Bright Futureの代表のホンハーさんたちが一番気に入っているという6階建てのビルが最適である、と判断する。但し、6階建てのビルのうち、3階分は第三者にまた貸しすることを検討してもらうことにする。


     <IL事業が入居を予定しているビル>


     <トイレの使い勝手もチェック>

三ヶ所の不動産物件を見る際、私とハイさんは、VNAHの車で移動するのだが、ホンハーさんは車椅子を降り、特注の黄色い3輪スクーターを自分で颯爽と運転。日焼け予防の帽子にサングラス、誇りよけのマスクでスクーターに跨ったホンハーさんは、まるで月光仮面。ILの事業が始まれば、車椅子ごと運ぶことの出来る特製車両が導入される予定なので、こんな苦労もなくなる筈。
昼食は、予てより懸案だったVNAHのハイさんをNHKの山田支局長に紹介するため3人で取る。


     <ホンハさんは月光仮面?>



9時 IL事業予定地視察
12時 NHK山田支局長
16時半 ホテル出発 
19時10分 ハノイ発
22時00分 香港着
キャッサバ国際会議第三日 [2008年10月22日(Wed)]
10月22日(水曜日)
キャッサバ国際会議第三日の今日は、午前中は日本財団が現在支援しているラオスとカンボジアでの事業を中心にした発表が行われる。それに先立ち、尾形理事長から日本財団としての挨拶をしてもらう。
午後からは、近郊のキャッサバ畑の見学会であるが、私は参加せず、尾形理事長と萩原君を送り出した後、ホテルにとって戻し、空港へ。ハノイ経由でフィリピンのマニラで行われる国連平和大学の卒業式に向かわねばならない。
本来は、ハノイ経由で香港に入り、ASAEN事務局長のスリン博士と日本財団笹川会長の会談に立ち会う予定であったのだが、スリン事務局長が、急遽北京で行われることになった金融危機の緊急対策のためのASEAN−EU首脳会議出席のため、流れてしまった。この会議のお膳立てにずいぶん前からラジャ補佐官と一緒に注力していた私としては残念だが、緊急首脳会議とあってはやむを得ない。


8時 CIATキャッサバ国際会議(第三日)
14時 ホテル出発
15時30分 ビエンチャン発
16時00分 ハノイ着
19時 VNAHハイ所長 
中国でのバイオ燃料原料への需要が急増 [2008年10月21日(Tue)]
10月21日(火曜日)
今日も、午前中はキャッサバ会議を傍聴。熱の篭ったプレゼンテーションと活気のある質疑応答が続く。今日午前のプレゼンテーションの中で最も会場内の注目を集めたのは、中国広西壮族自治区にある広西亜熱帯作物研究所のティエンさんが行った、中国のバイオ燃料に関する報告であったろう。そもそも、ラオスは勿論、ベトナムでも、中国からのバイヤーの積極的な買い付けが、キャッサバ価格高騰の最大の要因になっているというのは、この場に居たキャッサバ専門家の間では周知の事実である。それにしても、中国での需要見通しがそれほど大きいとは、というのが聴衆大半の感想ではなかったろうか。
ティエン氏によると、中国ではエネルギー需要の急増の結果、政府はバイオ燃料の増産を政策目標としているが、その基本方針は、@食糧確保と競合しないこと、A原料作物を多様化すること、であるという。そして、彼の研究所が行ったバイオ燃料の原料別製造コスト比較に拠ると、キャッサバが、サトウキビ、とうもろこし、小麦、ジャガイモ、サツマイモを圧倒的に引き離す形で最も有利との結果が出た、という。
中国では既に昨年末の時点で、ガソリン消費総量のうち、約4分の1がE10と呼ばれるバイオ燃料10%混合ガソリンによって占められている。ガソリンの代替としてのバイオ燃料の需要は、2020年までに現在の3倍に拡大する見通しである。
中国でのキャッサバ生産は気候上の理由から、広西のほか、広東、福建、海南、雲南などの各省に限られており、キャッサバの増産に関する中央政府レベルでの国家戦略はない。しかい、各省ではバイオ燃料などの製造のためのプラントの増設計画が目白押しであり、広西でも今後5〜10年の間に、処理能力20万トンクラスの大規模プラントを5ヶ所程度建設する計画があり、既存工場での増産分も含むと、原料としてのキャッサバ需要は120万トンから150万トンへ増大するものと見られる。
中国全土では、現在国内生産の1.5倍に相当する1200万トンのキャッサバを輸入しているが、今後、更に1200万トンの需要増の見通しである。このうち、500万トンは増産で賄うとして、輸入需要の増加は700万トンとなる。
彼のプレゼンが終わると質問を求める手が会場のあちこちで挙がった。通常、この手の国際会議では、オープニングが終わると、会場内では次第に空席が目立つようになるものだが、この日も会場は一番後ろまで、熱心に耳を傾ける参加者でぎっしり、という状況であった。

      <熱の篭った会議が続く>

午後、会議を抜け出し、昨日ポントン村へ案内してくれた伝統医療研究所のシーダラ副所長と、保健省のサベンボン医務局次長をそれぞれ訪問、ラオスでの常備薬配置事業への伝統医薬品の活用策について話しあう。
ラオスでは、伝統医療は1993年と2003年に打ち出された、国の基本医薬品政策の中の13主要項目の一つとして明確に位置付けられている。また、2003年には、伝統医薬品の活用と、資源の保護に関する総理大臣指令が出されている。
また、国が定めた基本医薬品リストには21の生薬製剤が含まれている。正式に登録された医薬品のうち、伝統医薬品が116品目、そのうち、55品目が国産品となっている。国内の4つの県に薬用植物保護区が設置されている。
特に、地方の村落部に住む貧しい人々にとって、近代的な医療や医薬品は手の届くものではなく、伝統的な医療祈祷師や薬草などが比較的安価で手の届く医療サービスとして機能しているのが実態である。政府は、伝統的な医療祈祷師に対する再訓練や、薬草についてのパンフレット作り等の施策を実施してきているが、専門知識のある人材の不足や、財源難などから有効な活用策が打ち出されていないのが実態である。昨年8月のモンゴルでの伝統医療国際会議に出席した際、日本財団が遊牧民のために展開している伝統医薬品の配賦事業を視察した保健副大臣は、ラオス政府がアジア開銀の資金援助などを得て地方で進めている医薬品配賦事業に、もっと安価な伝統医薬品を含めることを検討したいと、我々日本財団に協力を求めてきている。


   <サベンボンさんとシーダラさん(前日ポントン村訪問時)>

保健省から戻り、ホテルの部屋で着替えた後、キャッサバ国際会議の歓迎レセプションに出席。ここで、日本財団が奨学金を支援している中米ホンデュラスにあるパンアメリカン農業大学(通称Zamorano)から派遣されラオスのルアンプラバンの農業高専でインターンしている女学生2人に会う。11月には半年間の研修を終え、帰国する途中、日本財団に立ち寄る予定である。再会を約す。レセプションを終えて、空港へ日本からバンコク経由で到着する日本財団の尾形理事長と財団職員でキャッサバ事業担当の萩原君を出迎える。


     <キャッサバ会議歓迎レセプション>


9時 CIATキャッサバ国際会議(第二日)
13時半 保健省伝統医療研究所訪問
15時 保健省医薬品管理局訪問
18時 キャッサバ会議歓迎レセプション
20時半 ホテル出発
21時10分 尾形理事長出迎え

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