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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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帰国 [2008年09月10日(Wed)]
9月10日(水曜日)

5時45分 ホテル出発
8時15分 バンコク発
16時20分 成田着
国立大の薬学部はフランス企業が全面支援 [2008年09月09日(Tue)]
9月9日(火曜日)
朝一番に、駐カンボジア日本大使である篠原さんとのアポイントを取り付け、大使館へ。大使館でESCの山田さんと落ち合い、大使室へ。篠原大使とは、4年前にカンボジアで知り合って以来、日本財団の事業を通じて、懇意にしていただいている。当時、篠原さんは公使として大使館ナンバー2の要職にあったが、クメール語の専門家としても有名であった。何より、その温かい人柄とカンボジアを愛する姿勢にカンボジア政府関係者、日本人報道関係者など広範な層に大変人気があった。
初対面の私自身もたちまちにして彼のファンの一人になった。そして、その後篠原さんがタイのチェンマイ総領事になられたあとも数回現地でお目にかかり、色々仕事の相談に乗っていただいている。
今回は、山田さんの紹介がてら、日本財団のカンボジアにおける事業の現状と今後の計画について報告した。篠原大使からは、内閣改造後のカンボジア政権事情、新内閣人事などについて教えていた。

     <旧知のピルム副大臣と>

大使館を出たところで山田さんと別れ、保健省へ。旧知のピルム副大臣に会う。彼とは、カンボジアに来るたびにしょっちゅう会っている間柄だが、総選挙後では今回が初めて。改造後の内閣で彼がどのようなポジションに着くのかが気になっていたが、保健大臣への昇格こそなかったものの、副大臣としては引き続き留任することになったと聞き、一安心。ただ、伝統医療分野の担当からは外れる由。

これまで彼と会うときは、伝統医療研究センターのプンレー所長と二人のことが多かったが、今回は、官房長や、担当局長ら大勢の部下が同席。伝統医療に関するこれまでの協議の流れを、副大臣自らが、部下に解説してくれるなど、一種の引継ぎ式になった。その席で初めて引き合わされたのが、国立医科大学の女性の薬学部長。彼女の発案で急遽、薬学部を見学することになる。

     <近代的な国立医大薬学部の内部>

副大臣との会議に同席した国立伝統医療研究センターのプンレー所長が途中、私に耳打ちしたところによると、これまで薬学部は保健副大臣からの指示にも拘わらず、伝統医療研究センターとの協力には消極的だったのだそうだ。薬学部を訪問してみて、その理由がよく分かった。薬学部は、フランスのある製薬メーカーから全面的な支援を受け、財政的に自立していたのである。薬物分析のラボラトリーには近代的な装置が整然と並び、粗末な設備しかない国立伝統医療研究センターとは好対照であった。案内役の若手研究者もこの企業の支援でフランス留学から帰ったばかりである、という。さらに、薬学部長自身も(資金の出所は知らないが)フランス留学組であった。

     <薬学部の設備は一級品>

特に気になったのは、このフランス企業はエイズなどの支援に加えて、カンボジアの伝統医薬品の研究に支援をしており、既にカンボジア国内で採取したと言う1,000種類もの薬用植物の標本が整然と、整理されていた。しかも、これらは、総て、化学的な成分分析の為に、フランスの本部に送られているのだと言う。それを得意気に話す薬学部スタッフの頭の中には、先日バンコクの生薬博覧会で見たタイ保健省役人が持つ情報流出に対する警戒心は、全く存在しないもののようであった。
国立医科大学薬学部訪問を終えて、一旦ホテルに帰り、簡単な昼食を一人で取った後、今年2月の障害者音楽祭でお世話になった英国生まれの現地NGOであるEpic Artsのハナさんに会いに、いつものカフェFriendsへ。途中から、雨が降り出したと思う間もなく大変なスコール。びしゃびしゃになる寸前にカフェに飛び込む。


     <思う間もなく大変なスコール>

ここは、ストリートチルドレンの支援、更正を行っているNGOが経営する喫茶店。働いているのは総て元ストリートチルドレンだ。ASEAN事務局との提携で計画中の、アジアの障害を持つ舞台芸術家ネットワーク事業について、基本コンセプトをすり合わせる。ハナさんと分かれて、ホテルに戻り、荷物をまとめチェックアウト。飛行場へ急がねばならない。近年、日本のODAで下水設備の整備が進み、以前と比べるとかなりマシになったが、それでも大雨の結果、あちこちで道路が水浸し。何とか無事、バンコク行きの最終便に乗り込む。

9時 日本大使館篠原大使
10時半 保健省ピルム副大臣面談
11時半 国立医科大学薬学部訪問
14時 EpicArtsハナさん
17時 ホテル出発
19時45分 プノンペン発
20時50分 バンコク着
首相補佐官ブンサンボさんと夕食 [2008年09月08日(Mon)]
9月8日(月曜日)
ホテルのロビーでESC山田さん、JICA河本さんと落ち合う。山田さんが代表を務めてくれることになったESC(Education Support Center)は、日本財団が数年前に始めた、カンボジアの過疎県の中学校教員の卵に対する奨学金事業を担当するNGOである。現地人をトップにしたNGOを改組し、今年設立したばかりの組織である「ESC」の長を引き受けてもらうことになった山田さんはJAL(日本航空)OB。飛行場管理のスペシャリストとして、昨年まで、ラオスのビエンチャンの空港管理会社の副社長として活躍していた人である。日本財団が企画・助成する当事業を意気に感じ、参画してもらうことになったもの。
もう一方の河本さんは、日本財団がミャンマーで展開する学校建設事業の責任者として昨年まで現地で大活躍してくれたあと、JICAの専門家に転じ、現在はカンボジアで学校建設などの事業を担当している。今回は、山田さんに、再発足したばかりの奨学金事業の様子を聞くと共に、日本財団が企画・助成する事業のベテラン経験者の河本さんを紹介するのが目的で、お二人に同時にきてもらうことにしたもの。また、私としては、ミャンマーで始めようとしている伝統医療事業について、日本財団の学校建設事業との連携について、河本さんの意見を聞かせてもらうことも目的の一つ。
昼食を取りながら、3時間近くお二人と話し合ってから、急いでいつものソルヤさんの車に乗り込み、プノンペン郊外のCARDI(カンボジア国立農業開発研究所)へ。農林プロジェクト部長のソピアップさんと面談。彼がカンボジア側の責任者を務めてくれているキャッサバ農法改良事業の来年度の予算方針について協議。話し込んでしまって、研究所職員送迎の最終バスに乗り遅れたソピアップさんを同乗させて、ラッシュアワーのプノンペン市内に戻る。


     <ソピアップさん>

ホテルの部屋に急いで戻り、着替えを済ませてロビーに降りると、丁度そこへブンサンボ首相補佐官が到着。旧知のブンサンボさんは、フンセン首相の専任通訳兼補佐官として首相の外遊にはいつも同行する超多忙な身分だが、カンボジア国民のために支援事業を展開する日本財団を高く評価し、いつも親身になって我々の相談に乗ってくれる。山田さん担当の奨学金事業では、当初から、無償の名誉会長になってくれたほど。彼が名誉会長になるに当たっては、フンセン首相の特別認可が必要だったが、そのお陰で、ESCの設置許可は、他のNGO関係者がうらやむほどスピーディーに実現した。
私は、プノンペンに来るたびに連絡を取り、彼がカンボジアに居る限り、殆どいつも夕食を一緒に取りながら、相談に乗ってもらっている。彼の身分は外務次官相当であり、本来ならばExcellency(閣下)と呼びかけないといけないのだが、「いいよいいよ」といつもニコニコ。今回も、気さくに一人で車を運転してやって来たので、私は、彼の車で、レストランまで送り迎えしてもらった。


     <カンボジア国立農業開発研究所>

12時 ESC山田さん、JICA河本さん面談
16時 CARDI(カンボジア国立農業開発研究所)訪問
19時 ブンサンボ首相補佐官と夕食
生薬博覧会(Herbs Expo)へ [2008年09月07日(Sun)]
9月7日(日曜日)

     <生薬博覧会の会場、国際展示場>

朝10時、一人でホテルからタクシーに乗り込む。行き先は、バンコク郊外の国際展示場。本日が最終日となるHerbs Expo(タイ生薬博覧会)の見学が目的だ。
タイ保健省が主催するこの博覧会は、タイ古来の生薬や伝統医療技術をテーマに、5年前から毎年開催されているものである。医療・製薬従事者、学術専門家、政府関係者、NGO関係者に加えて、一般大衆にも公開されている。暫く前にその噂を耳にして以来、何とか見学してみたいと思っていた。


     <生薬博覧会の内部>

その会場となる国際展示場に着いてみて、先ずは、広大な会場のスケールにびっくり。しかし、驚くのは会場の広さだけではなかった。内部も、熱気に溢れ熱心に見学する人の波。案内してくれたタイ保健省伝統医療局のアンチャリー博士によると、何と、5日間の会期における見学者総数は昨年実績で、既に20万人を超えたという。
会場内の展示を見て廻ったあと、あるブースで行われていた薬草を中心とした健康食の体験試食、次いで、伝統薬の展示即売場でアンチャリーさんが薦める風邪薬などを買い込んだ。

     <健康食の体験試食コーナーも>

会場を後にする前に、展覧会に関する英文資料を入手しようとすると、驚くべき答えが返ってきた。伝統医療、医薬品に関する貴重な情報が海外に流出するのを恐れて、一切、英語の資料は作らないし、タイ語文献であっても専門性のあるデータや文献は渡せない決まりになっていると言うのである。伝統式タイマッサージに関する資料の海外流出をタイ保健省がとても警戒している、との話は聞いていたが、ここまでとは。
資料の入手は断念し、ホテルに戻り、急いで荷造りをしてチェックアウト。空港に急ぐ。プノンペンへ向かう。


     <伝統式タイマッサージ体験コーナー>

10時半 タイ生薬エクスポ見学
15時 ホテル発
17時30分 バンコク発
18時45分 プノンペン着
ASEAN事務局長とサイクロン被災地へ [2008年09月06日(Sat)]
9月6日(土曜日)
朝早く、ASEAN事務所に集合、空港へ向かう。貴賓室でスリン博士を待つ間、ミャンマー外務省の儀典官と話してみると、元の在日ミャンマー大使館の公使で私も会ったことのある人であった。
9時過ぎ、バンコクからタイ国際航空の定期便で到着したASEANのスリン事務局長と合流。飛行場の隅から国連食料計画(WFP)のヘリコプターに乗り込む。ヘリコプターは20人乗り。我々5人以外の大半がASEAN加盟各国のテレビ、新聞の記者たちだ。皆、若い。ここでもスリンさんは人気者。気さくに話しかけ、記念撮影に応じる。


     <国連のヘリで出発>

上空から見た被災地はすでに水も退いており、左程サイクロンの爪あとらしきものも見えない。ただ、やしの木の林はなぎ倒された木が折り重なるように倒れていた。


     <サイクロンでなぎ倒された林>

30分ほどのフライトで、ASEAN基金による救援現場であるセイジー村に到着。村人たちの歓迎の踊りと歌に囲まれる。村長さんの話によれば1300人のこの村では67人が死亡、17人の子供たちが孤児になった、という。
スリン博士を先頭に徒歩で村を一周。全壊して敷石だけが残る仏教寺院の跡地では再建作業が始まっていた。敬虔な仏教徒が多いミャンマーでは再建は先ずお寺からということのようだ。
日本同様に青いビニールシートが、被災した民家の屋根を覆っているのがあちこちに見られる。しかし、これらの家々を見て不思議に思うのは、そもそも、この程度の部分的な被害で良く済んだものだ、ということ。竹で編んだ隙間だらけの家は風が通り抜ける分、強風に耐えられたのかも知れない。



     <被災した家をビニールシートで補強>

再び、ヘリコプターに乗り込み別の村に向かう。トーエー村というこちらは、先ほどのセイジー村よりは被害が大きく、全799戸中、600戸が被災したと言う。しかし、片づけが進んでおり、被災した住宅などの姿は殆ど見られなかった。むしろ、政府が立てた被災者用仮設住宅が整然と並んでおり、そこにすむ住民の顔には笑顔が浮かんでいた。「仮設住宅」と言っても、もともと住んでいた粗末な竹の家よりはずっと立派な家なので、彼らは満足しているのかもしれない、などど不届きな事を考えた。しかし、スリン事務局長によれば、彼が2ヶ月前に来たときは、ここの住民の表情は暗く絶望感に溢れていたのだそうだ。それが、今は皆笑っているじゃないか、とスリンさんはとても嬉しそうだった。


     <政府が立てた被災者用住宅>

村では、我々を歓迎してささやかながら昼食の用意がされていたが、イスラム教徒のスリンさんはラマダン中なので食べない、という。気が付いたら、ジャーナリストの連中は要領よく食べ、スリンさんと行動を共にしていた私は食べないまま、再びヘリに乗り込む羽目になってしまった。


     <被災者の家族の表情には微笑が>

予定時間を大幅に上回った3時過ぎにようやくヤンゴンに帰着、スリンさんと一緒にパトカー先導でホテルに戻る。そのまま、伝統医療事業基本文書調印式に臨む。ネピドーから駆けつけてくれた保健省伝統医療局長のティン・ニュントさんと来週ミャンマー入りする佐竹先生の受入れや、来年からはじまる伝統医療事業につき慌しく協議。
そのまま、私は自分のホテルにとって戻り荷物を積んで空港に。これからバンコクに向かわねばならない。


7時45分 ホテル出発
8時 ASEAN事務所出発
9時 ASEANスリン事務局長と合流
9時半 サイクロン被災地(セイ・ジー村)訪問
15時半 伝統医療事業基本文書調印式
17時半 ホテル出発
19時45分 ヤンゴン発
21時30分 バンコク着
伝統医薬品メーカーFAME社の工場を見学 [2008年09月05日(Fri)]
9月5日(金曜日)
今日もテイン・チョウさんの案内で、民間の伝統医薬品メーカーを訪問する。今回の訪問先は、ミャンマー最大の民間伝統医薬品メーカーのFAME社。先ず、建物の規模の大きさに驚いた。
こちらは、創業1994年と新しいが、従業員総数250人。うち、博士号を持っている人が10人もいるという。生産品目数は60品目。韓国、台湾、シンガポール、マレーシア、タイ、など7カ国に輸出しており、近々日本にも輸出を開始する計画であると言う。
ここも、品質管理の国際標準であるISO9000を取得済み。工場内部は日本のメーカーともそれほど遜色ない印象を受けた。


     <FAME社は伝統医薬品の民間トップメーカー>


     <管理の行き届いた工場内部>


     <見学者も白衣を着用>


     <巨大な根は豊胸薬の原料とか>


     <製品は周辺各国に輸出>


8時半 ホテル出発
9時 伝統医薬品メーカー(FAME社)工場訪問
12時 少数民族文化村訪問
17時 現地NGO(セイダナー)和田さん
ASEANのサイクロン支援事務所へ [2008年09月04日(Thu)]
9月4日(木曜日)
朝、ミャンマー外務省元ASEAN局長エルウィンさんがホテルに来てくれ、朝食を一緒に取りながら、サイクロンの被災地の様子、ビザ問題、今後の伝統医療次行の進め方など、色々と相談する。
そのあと、一緒に別のホテルの一室に設けられたASEANのサイクロン被災救援のための臨時オフィスにアニシュ・ロイ代表を訪ねる。明後日の朝、バンコクから到着するASEAN事務局長のスリンさんと落ち合って被災地に向かうための段取りと、日本財団が拠出した資金の使途について協議。
結局、スリンさんの提案による伝統医薬品キットの被災民配布は準備の関係で今回は行わないこととし、外務副大臣提案の仮設住宅支援に切り替えることにする。ホテルに戻り、協議の結果をネピドーの保健省伝統医療局長のティン・ニュントさんに伝える。彼もほっとした様子。彼は明後日保健大臣と一緒にヤンゴン入りする由。


     <ホテル内に設けられたASEAN臨時事務所>

ネピドー入りを中止したため一日半の空白の時間が出来てしまったので、国立伝統医療病院のテイン・チョウ事務局長の案内で、民間の伝統薬製薬工場を視察することにする。ミャンマー最大の民間メーカーは明日訪問の段取りと言うことで、今日は別のところへ連れて行ってくれるという。テイン・チョウさんは、盛んに「小さい会社なので」と釈明するが、行ってみるとどうしてどうして。ミャンマーの一般的な企業イメージからは、一歩も二歩もぬきんでた優良企業であった。
訪問先のウ・タ・イン社は、従業員45名の小ぶりの企業。創業は1946年と古いが、生産している製品は麻痺症状を和らげるためのマッサージ薬をメインに、最近追加されたと言う栄養ドリンクの2種類のみ。だが、既に品質管理の国際標準であるISO9000を取得しているのだと、説明役の女性が誇らしげに言う。聞いてみると、何と彼女が社長さん、創業者の孫であると言う。さすがに、内部は極めて清潔で整然としており、品質テストもしっかり行われているようだ。


     <きちんと衛生管理のされた民間工場内部>

保健省のテイン・チョウさんによれば、ミャンマーの伝統医薬品はヤンゴンとマンダレーにある2つの国営工場の生産シェアは30%に過ぎず、70%は民間企業によって生産されていると言う。ただ、ISO9000を取得しているのはここと明日訪問する予定の最大手企業の2ヶ所のみの由。やはり、案内してくれるのは民間企業の中でもベストの2つ、ということのようであった。

     <しかし、箱詰め作業は人手で>  


     <テイン・チョウさんと食べたミャンマー式昼食>  

8時半 ミャンマー外務省元ASEAN局長エルウィンさん
10時 ASEANミャンマー援助事務所アニシュ・ロイ代表
14時 ホテル出発
14時半 伝統医薬品メーカー(ウ・タ・イン社)工場視察
ミャンマーのサイクロンNargis被災地へ [2008年09月03日(Wed)]
9月3日(水曜日)
バンコク経由でミャンマーに向かう。私の海外出張の場合、出発直前まで日程が決まらなかったり、大きく変わったりすることは決して珍しくは無いが、今回の出張は別格だった。
ミャンマー南部を襲ったサイクロンNargisの被災救援のためのASEAN基金に出援したのがきっかけで、ASEAN事務局長のスリン博士から、サイクロンの被災地に一緒に行こうとのお誘いがあったのは1ヶ月以上前。以前からミャンマー保健省と協議を進めてきていた伝統医療支援事業の基本合意文書調印式のタイミングが近い、どうせならカンボジア保健省幹部のミャンマー視察旅行を併せて、日本のマスコミの皆さんにも同行してもらって、、、と欲張ったのがいけなかった。
スリンさんにも頼みASEAN事務局や日本のミャンマー大使館、ミャンマー保健省まで巻き込んで色々手を尽くしてみたが、結論的には失敗。カメラマンの長井さんが射殺されて間もなく一周年というデリケートなタイミングにミャンマー側は異常に神経質になっていたようだ。結局、入国ビザが間に合ったのは、伝統医薬品の専門家でプロジェクトに対する助言を頂くべく同行をお願いしていた佐竹教授のみ。以前から一年有効のビザを手に入れていた私の他は、ミャンマーに入れるのは佐竹教授だけとなってしまった。
そして、直前にスケジュールを調整した結果、最終的には佐竹先生には、先ずは日本財団国際グループで伝統医療事業を担当する中嶋君と一緒にカンボジアに行って現地での協議に参加して頂き、そのあと私と入れ違いにミャンマー入りしていただくことになった。結果的にカンボジア政府代表団やマスコミ関係者も含む大デレゲーションの筈が、私の今回のミャンマー行きは一人旅となってしまったという訳だ。
夜7時前、バンコク経由でヤンゴン国際空港に到着してみると、何と国立伝統医療病院の事務局長のテイン・チョウさんが待っていた。彼は、ミャンマー保健省伝統医療局のヤンゴン駐在代表のような立場で、私の前回のミャンマー訪問時もヤンゴンでのアレンジを一手に引き受けてくれた人だ。今回の、ビザ問題などに起因する不首尾を詫びるティン・ニュント伝統医療局長のメッセージを伝えるために来てくれたもののようだ。最終的に、伝統医療支援事業の基本合意文書調印式は新首都のネピドーではなく、ティン・ニュント伝統医療局長自身がヤンゴンに出向いてくれて、ASEANの臨時オフィスで行うことを確認。


     <とてもかさばるミャンマーの紙幣>


     <古い建物が多いミャンマー市内>


     <タクシーは日本製中古車が人気>


     <バスも日本製中古、車体右側の出口はお手製>


     <街角のレストラン>


10時50分 成田発
15時25分 バンコク着
17時50分 バンコク発
18時45分 ヤンゴン着
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