CANPAN ブログ検索
Loading
  • もっと見る
« 2008年07月 | Main | 2008年09月»
プロフィール

大野修一(日本財団)さんの画像
大野修一(日本財団)
プロフィール
ブログ
<< 2008年08月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            
ブログ内の検索は
  こちらから ▼
Google 
カテゴリ
最新記事

コメント

トラックバック
犬山城 (01/18)
月別
リンク集
http://blog.canpan.info/ohno/index1_0.rdf
http://blog.canpan.info/ohno/index2_0.xml
成田到着 [2008年08月27日(Wed)]
8月27日(水曜日)

6時35分 成田着

夜行便で帰国へ [2008年08月26日(Tue)]
8月26日(火曜日)
午前中は、昨日のアカデミックコミティーの続き。今後の運営や選抜基準など昨日の会議で積み残した問題を協議。そのあと、ASEANのスリン事務局長の特別補佐官に就任したラジャラトナム氏と、ASEANと日本財団の5分野業務提携協定に基づく具体的な事業の準備についての打合せを行った。

8時半 ホテル出発
9時 アカデミックコミティー(2日目)
11時 ASEAN事業協議
18時半 日経アジア社笠置社長
22時40分 シンガポール発
アカデミックコミティーで協議 [2008年08月25日(Mon)]
8月25日(月曜日)
今年の10月(中国)と来年2月(インド)に開く予定の、日本財団グループの事業参加者OBを対象とするセミナー(第4回、5回)の参加者を選抜する選考委員会(アカデミックコミティー)に出席。日本財団、東京財団、笹川平和財団など日本財団グループの関係者のほか、タイのチュラロンコン大学や、北京大学の教授などが参加、70名近い応募者の中から2回分、計40名の参加者を選抜した。


  <アカデミックコミティーでの議論が続く>

8時半 ホテル出発
9時 アカデミックコミティー

シンガポールに移動 [2008年08月24日(Sun)]
8月24日(日曜日)

13時 バンコク発
16時25分 シンガポール着
バンコクに戻る [2008年08月23日(Sat)]
8月23日(土曜日)

13時50分 ビエンチャン発
14時55分 バンコク着

国立ラオス伝統医学研究所を訪問 [2008年08月22日(Fri)]
8月22日(金曜日)
最初に保健省に行き、ドゥアンサバン副局長と面談。彼とは昨年カンボジアでの会議で会って以来の再会。前回、副大臣と会ったときに話題になったラオスの過疎地5000ヶ村に対する医薬品セット配置計画について意見交換。これは、世界銀行とアジア開発銀行の資金援助で始まった、77種類の近代医薬品を村毎に配置するというプロジェクトだが、その後は資金不足で配置が遅れている、という。そこで、ドゥアンサバン氏としてはその一部10種類ほどを、ラオス伝統医学に基づく生薬で置き換えたい、という。しかしながら問題は、ラオスの生薬は下痢止めと虫下し以外はまだ、錠剤化が進んでおらず末端での利用に不便ということ、また、薬剤原料となる薬草などについての供給能力に不安があり、人工栽培の研究を進める必要がある、などの点であった。

  <ラオス保健省伝統医学研究所>

保健省を辞し、国立伝統医療研究所でシダラ副所長と面談。彼は、昨年8月のモンゴルでの国際会議に副大臣と参加してくれており、日本財団がモンゴルで展開する「置き薬事業」も熟知している。挨拶の後、クリニックと製薬工房を併設していると言う伝統医療研究所の中を案内してもらう。1976年創立の研究所とのことだが、所員は総勢32名。診断設備、製造設備ともに貧弱で規模も小さい。税金で運営されているのを幸い、細々と活動しているという印象。
ハンガリーの大学で薬学の博士号を取ったというシダラ副所長の考えは、ラオスでも伝統医薬品の活用を図るべきで、日本財団方式の置き薬事業をラオス国内3箇所でテストしてみたいと言う。伝統医薬品活用のメリットは、彼によれば、@近代医薬品よりも安価である、A国産化により貴重な外貨の節約になる、B原料採集など仕事の機会が創出される、というもので慢性疾患など病気によっては近代薬品よりも伝統医薬品の方が有効である場合もある。ただ、誤った服用を防ぐための利用の手引きの作成やトレーニングの実施などの準備が不可欠、との意見であった。
研究所訪問の後、市内の市場を覗いてみると、そこには乾燥した葉や根などの薬草をうずたかく積み上げた薬種店がいくつも店開きしており、庶民の間では伝統薬品が良く利用されているというシダラ副所長の説明も頷けた。

     
      <市内のマーケットの薬草店>
    
9時 ラオス保健省訪問
10時 国立伝統医療研究所訪問 
12時 JMAS田川代表面談
16時 CIATルフロイ代表面談   
久し振りのラオス [2008年08月21日(Thu)]
8月21日(木曜日)
バンコクで、二つの面談を済ませて、ラオスへ向かう。昨年4月に訪問以来一年半ぶりと、久し振りのビエンチャン。この間、昨年7月にはカンボジアでのメコン流域五カ国伝統医療会議を開催。次回会合をビエンチャンで開くことで合意。さらに、昨年8月にはモンゴル・ウランバートルでのWHOと共催した伝統医療会議にラオス保健省副大臣ら幹部を招いた。そして、ラオスでの伝統医療支援の要請を受けた。しかし、その後ラオスでの国際会議を中止せざるを得なくなった。
この間、私自身は事情説明や釈明などでビエンチャンに行くべきとは考えていたが、どうしても都合がつかず、足が遠のいていた。今回漸く、時間をやり繰りできたのとASEANとの共同事業を報告し今後の協力を依頼する必要があり、ビエンチャンへ行くことにしたもの。



      <ビエンチャンの街中には仏塔が鎮座>


12時15分 フジTVバンコク支局青木支局長
15時 CIATハウラー博士
17時半 ホテル出発
20時 バンコク発
21時10分 ビエンチャン着
ASEAN伝統医療国際会議について相談 [2008年08月20日(Wed)]
8月20日(水曜日)
ハノイを発ち、バンコクへ。空港へ向かう車の中から、道端に並ぶ屋台に毛が生えたような洋品店を眺めていて、軒先からハンガーにかけてつり下げられているたくさんの女性もののブラウスの袖が異常に長いのに気が付いた。ふと、私の乗る車の横をバイクですり抜けて行った若い女性がこのようなブラウスを着ているのに気付く。バイクのハンドルを握る手の甲の部分をブラウスの袖がすっぽり覆っているのだ。ベトナムの女性、中でも北の女性は東南アジアでは例外に色白だ。また、色白こそが女性美の基礎的条件であるとも聞く。そのため、ノースリーブのブラウスを着ていても、バイクに乗るときなどには二の腕から指先まですっぽり覆う長い手袋をしている女性も多い。マスク姿も見かけるが、これも主眼は埃除けというより、日焼け防止だと聞いたことがある。そこで、慌ててカメラを出して伴走する女性ドライバーの姿をパチリ。


<日焼けを嫌うベトナム女性の運転ファッション@、手の甲を覆う長い袖>


<日焼けを嫌うベトナム女性の運転ファッションA、二の腕からの長い手袋も>


<日焼けを嫌うベトナム女性の運転ファッションB、伝統的編笠スタイルも>

午後一時過ぎにバンコクに到着。夕方からは、タイ保健省の伝統医療研究所プラモート所長らとASEANとの共催で来春行う予定の伝統医療国際会議を協議することになっている。いつものように、ホテルに迎えに来てくれるものと思い込んでいた私は、時間になってもプラモート所長らが一向に現れないので彼の携帯に電話。すると、向こうは保健省で待っていると言う。勘違いを詫びた後、これからそちらに急行する、と申し出るが、夕方のラッシュアワーが始まっており時間が掛かりすぎるので、結局双方の中間地点にあるタイ料理のレストランで落ち合うことに。副所長のアンチャリー博士らも加わり賑やかに食事をしながら協議。

11時15分 ハノイ発
13時05分 バンコク着
17時半 タイ保健省伝統医療研究所プラモート所長面談

聾者用の中高等教育事業の調印式 [2008年08月19日(Tue)]
8月19日(火曜日)
朝9時前にVNAH(ベトナム障害者支援協会)のハノイ所長トアン・ブイさんと一緒に、ベトナム文部省(教育訓練省)に向かう。日本財団がベトナム文部省に協力して始まることになった聾者用の中高等教育事業に関する基本文書がまとまり、これから調印式が行われるのだ。
会場に着いてみると、30人分ほどの席と立派なパネルが用意され、グエン・ビン・ヒエン副大臣以下、文部省特殊教育部局の幹部が勢ぞろい。対するこちらは、日本財団からは私一人、コーディネートしてくれたVNAH(ベトナム障害者支援協会)のトアン・ブイ所長とフオンさんの計3名のみ。事業の実務的な責任者であるウッドワード博士やホアンさんらは都合がつかず欠席。


     <副大臣と基本合意文書にサイン>

調印式の後は、文部省(教育訓練省)によって昼食会が用意されていた。席上、副大臣から今度の事業に向ける文部省としての期待を込めたスピーチがあった。今度の事業のモデルとなったベトナム南部ドンナイ省での中高等聾教育事業が米人のウッドワード博士らの提唱、日本財団の財政支援で始まったのは1999年。教育の手段としてローカルの手話を全面的に活用するアプローチは、それまでのベトナム聾教育にはなかった画期的な方式。それまでベトナムの聾の若者は、殆ど高校卒業レベルに達することなく中途半端なままで教育を終えてしまっていたが、ドンナイ省でのこの学校からは大勢の高校卒業国家試験の合格者が出たばかりか、大学に進学するものまで現れ、ベトナム政府が仰天。ついには、日本財団に同じような手話メソッドでの聾教育支援を要請してきたもの。
但し、それまで広く行われてきた口話法による聾教育の発想しかなかった文部省幹部が我々の手話メソッドを完全に理解するまでの道のりは決して平坦ではなかった。ドンナイの現場訪問ツアーから始まり、日本財団の提携先である米国の専門教育機関への視察旅行、ウッドワード博士らによる技術的な説明、交渉など3年がかりであった。
口話法による聾教育は、ベトナムに限られたものではなく、日本の聾学校でも今も広く行われているもので、つい最近になって、教育特区の枠組みの中で品川での実験的取り組みが始まったものに過ぎない。
ベトナムでのこの新しい動きは、日本の聾教育の現場にもプラスの影響を与えてくれる可能性すら秘めているのだ。


     <清潔感漂う義肢装具士学校(VIETCOT)>

午後は、かねてから行ってみたいと思っていたVIETCOTと呼ばれるベトナム義肢装具士学校へ。校長のタインさんらが迎えてくれ学校内を案内してもらう。タインさんとは初対面だが、彼は日本財団が支援するタイのシリントーン義肢装具士学校への短期出向から帰ったばかり。自分は、予てから日本財団のこの分野での支援については熟知しており大変高く評価している、と極めて友好的なムード。教室内部を見学して驚いたのは、極めて清潔、整然としており機械類のメンテナンスも大変良好であったことだ。私はこれまでアジア各国のリハビリセンターや義肢装具士学校を見てきたが、これほどまで綺麗に片付いたところは初めての体験。97年に設立されたVIETCOTは3年前まではドイツのGTZ(ドイツ技術協力公社)の支援により運営されていた。ドイツ流の機能主義とベトナム人の優秀さの融合の良い事例ということかと感心。

      <人形はドイツの置き土産?>

2005年のGTZによる支援期間終了とともに、VIETCOTはベトナム政府労働社会問題省(MOLISA)に移管され、現在はMOLISA所管の労働社会問題大学の一学部としての位置づけになっている。設立以来の卒業生は113人、大半がベトナム全土のリハビリセンターで活躍している、という。VIETCOTの教員は総勢11名。そのうち、国際ライセンスの最上級資格である1級保持者が6人もいる、というのには驚いた。最近では海外からの留学生の受入れを行っており、北朝鮮からの学生も各国からの学生に混じって熱心に実技研修を行っていた。
その後、果物をご馳走になりながら色々と意見交換。あっという間に2時間近く。急いで、近所ではあるが別の敷地にある労働社会問題大学を訪問。副学長のゴック博士に挨拶した。

 
      <北朝鮮からの訓練生の姿も>


9時半 ホテル出発
10時 文部省(教育訓練省)調印式
14時 ベトナム義肢装具士学校(VETCOT)訪問
16時 労働社会大学訪問
17時半 NHKハノイ支局訪問
聴覚障害者の高等教育事業などで東南アジア [2008年08月18日(Mon)]
8月18日(月曜日)
今回の出張の目的地は、ハノイ、バンコク、ビエンチャン、シンガポール。主な仕事は、聴覚障害者の高等教育事業に関する基本合意書の調印式(ハノイ)と、日本財団グループの事業参加者OBを対象とするセミナーの選考委員会(シンガポール)への出席。それに合わせて、ハノイの義肢装具士学校訪問や、ASEANとの共同事業に関する打合せ(シンガポール)を行うとともに、この間の日程を利用して、バンコクと、ビエンチャンに立ち寄り、タイ保健省、ラオス保健省との伝統医療事業に関する協議を行う。また、キャッサバ事業や、ラオスの不発弾処理事業など、実施中の事業の担当責任者と面談する。

18時15分 成田発
21時50分 ハノイ着
| 次へ
ブログパーツ レンタルCGI