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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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岸田ひろ実さんを案内してマンダレーへ [2016年11月02日(Wed)]
11月2日(水曜日) 
朝、7時。私と市川さんの二人は、MILIのチョースワミンさん運転のワンボックスカーでダウンタウンのホテルを出発、理事長と岸田さんたちが宿泊しているホテルへ。
そこから、車2台に分乗し、総勢8名でヤンゴン空港に向かった。内訳は、日本財団側が尾形理事長、中嶋課長と高木職員、当地駐在の田中職員、私の5名。そして、市川さんとミライロの岸田ひろ実さん、奈美さんのお二人。
そのうち、岸田さんのお母さんのひろ実さんだけが車椅子。お嬢さんの奈美さんはミライロ社の創立メンバーのお一人、現在は広報部長だ。
そもそも、なぜ、今回、このメンバーでミャンマーに行くことになったのかというと、そのきっかけは、今年の2月6日に安倍首相夫人をミライロの垣内社長に紹介した日の夕食会の席上での日本財団の尾形理事長の言葉だった。
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<さすがにこの時間の道路はガラガラ>

その直前まで私は理事長と、マンダレーの視覚障害者用のマッサージ学校の視察に行ってもらう日程を相談していたのだが、垣内さんに昨年11月にミャンマーで障害者学生たちにしてもらった講演が好評だったと理事長に話したところ、「ならば、今度は岸田さんたちにも、自分と一緒にミャンマー行っていただくことにしよう」となったもの。
出来ればもっと早いタイミングでのマンダレー行きを考えていたのだが、講演で多忙な岸田ひろ実さんの都合と尾形理事長の都合を付き合わせたところ、11月まで待つしかなかったという次第。奇しくも11月というのは、垣内さんを一年前にご案内したのと同じ時期。ミャンマーでは雨期が明け、涼しい時期が始まるタイミングだったのだが、、、。
そして、この話を朝日新聞のベテラン記者で旧知の市川さんにお話ししたところ、興味を持っていただいて、今回、同行取材していただけることになった次第。
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<車椅子の岸田さんたちと飛行機に乗り込む>

空港の国内線ターミナルで今回の岸田さんの講演の通訳をお願いしているミャンマー人女性モンさんと合流する。
モンさんは、今回、理事長一行に東京から同行した日本財団の高木職員が、以前、彼女が担当しているニューワールド養護学校をビデオ撮りに訪れた際に担当していただいたベテランの通訳さん。
2ヶ月前に、今回の講演の通訳を打診したところ、岸田さんの話しに涙を浮かべて感激、「是非やらせてください」と言ってくれた。その後、岸田さんの雑誌や新聞のインタビュー記事は勿論、垣内さんの著書まで読み込んで、今回の通訳の準備をしてくれたという。そのせいか、いきなり、初めて会ったとは思えないほどの打ち解け様。
モンさんがてきぱきと交渉してくれたこともあって、国内線に乗り込む際には心配された車椅子に関するトラブルも無く、我々は飛行機に優先搭乗することが出来た。
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<とても丁寧に扱ってくれた>

マンダレー空港にはこの事業の責任者を務めるアウンミン博士が迎えに来てくれていた。早速、マッサージ学校に向かう。予定より30分ほど遅れて学校に到着。この立派な校舎は日本財団の資金で建てたものではなく、アウンミンさんが理事長を務めるミンスエ財団の好意で借りているもの。
2階に上がると、学校を運営する日本ミャンマー伝統医療振興財団の理事たちを始め、2期生の学生たち21名が待ってくれていた。
この学校は今年の1月に20名の一期生を迎えて開校した。1月16日に開かれた開校式は、当初、尾形理事長に出席してもらう前提で準備していたのだが、理事長の都合が悪くなり直前になってキャンセル、私が代理で出席した。今回は、その埋め合わせにと、理事長を案内することにしたもの。
早速、アウンミンさんの司会で歓迎式典が始まった。アウンミンさんがこの事業の背景を説明するスライドを用意してくれていた。
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<無事マンダレーに到着>

ミャンマーの伝統医学理論に基づく医療マッサージ教育を、視覚障害者の生業支援の一角として始めてはどうかというアイデアは、3年以上前に、私とミャンマー政府保健省の元伝統医療局長で、今も、日本財団のミャンマー事業のアドバイザーとしていつも頼りにしている、ティンニュント博士の会話から生まれた。その後、ヤンゴンでGenkyというマッサージクリニックを経営するビジネスコンサルタントの西垣さんに相談したり、ジュネーブのWHO本部の専門家にも相談した。
ティンニュント博士の助言で彼の後任の伝統医療局長で、その前は国立伝統医療大学の学長だったアウンミンさんを責任者に起用することになった。当初は、ヤンゴンでの事業展開を考えていたのだが、今はマンダレーで開業医をしているアウンミン博士の提案で、学校の開設地は彼の地元のマンダレーに変更。幸い、彼が理事長を勤める現地の民間財団から、破格の条件で建物をそっくり借り受けることが出来た。そうして今年はじめの開校に漕ぎつけた次第。
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<マッサージ校で歓迎式典に臨む>

スライドによるプレゼンテーション、尾形理事長の挨拶に続いて、岸田ひろ実さんがスピーチ。前もって、岸田ひろ実さんのインタビュー記事の英語訳をアウンミンさんには送ってあったので、彼女のことは皆よく知っている。岸田さんは、ミライロ社には視覚障害者の営業マンがいて、頑張っている。皆さんも、しっかりマッサージの勉強をして社会に貢献して行ってほしいとエールを送った。
それに答えて、学生たち全員で、自分たちがこの日のために作ったと言う歌をギター演奏つきで披露してくれた。モンさんが歌詞の内容を岸田さんのためにウィスパリング通訳、岸田さんは感激して涙ぐむ場面も。
式典の後、近所の中華レストランで昼食の後、これからシャン州の薬草栽培の現場に向かうという理事長、中嶋課長、田中職員らと別れ、我々6名はバガンに向かうべくマンダレー空港に戻った。途中、一時間ほど回り道をしてもらって通訳のモンさんの案内でマンダレーを超駆け足観光。
夕方6時半、夕闇に包まれたバガンのホテルに到着
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<歌をギター演奏つきで披露してくれた>

06時 ホテル出発
07時 ホテル出発
08時35分 ヤンゴン発
09時45分 マンダレー着
11時半 盲人マッサージ学校
12時半 昼食
16時55分 マンダレー発
17時25分 バガン着
19時 夕食
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