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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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観光を兼ねたバリアフリー状況視察 [2016年06月11日(Sat)]
6月11日(土曜日)
611Cathedral.jpg
<とても、良い天気だが、、、>

朝10時、昨晩、空港に迎えに来てくれたフェルナンドさんとホテルのロビーで落ち合う。ガールフレンドのカテリーナさんも一緒だ。
垣内さん、井原さん、東井さんらミライロ社の3人と日本財団の担当職員の桔梗君にガイドさんも入れて、全部で8人。Setedisが差し向けてくれたバンに乗り込む。
これから、キト市内のバリアフリー状況の視察に向かうのだ。
良い天気だが、とても涼しい。少し肌寒いほど。今の気温は15度くらいか。ガイドさんによると、日が昇ってくれば23度くらいにはなるそうだが、、、。
ガイドさんは我々を通常の観光客と思っているらしく、早速、観光地としてのキトの「売り」を滔々と説明し始めた。それによると、キトはユネスコの世界文化遺産、それも第1号なのだという。
611Barrier2.jpg
<市内のバリア状況を視察>

キトは、新市街と旧市街に分かれているが、このうち、教会や修道院などの古い街並みが残る旧市街が「キトの市街」という登録名で、1978年にユネスコの世界文化遺産が始まった時に、最初のグループとして指定を受けているのだそうな。
また、エクアドルの独立やシモン・ボリバルにまつわる話もしてくれたが、ずいぶん複雑な話だった。我々にはシモン・ボリバルの大コロンビア計画と言っても、そこにエクアドルが占める位置などはなかなかピンと来ないのだが、エクアドルはもともとは、大コロンビア計画の中では「南部地区」(Distrito del Sur)と呼ばれていた地区。そして、キトは原住民によって作られた古都をルーツとする「南部地区」の中心地だったのだ。
現在のベネズエラ、コロンビア、エクアドル、パナマを一国にまとめたグラン・コロンビアの一部にすぎなかった。しかし、1830年に、フローレス大統領の下で赤道直下という地理的な理由から「赤道」という意味を持つエクアドル共和国として独立。キトが首都となったのだという。
611dog.jpg
<盲導犬を発見>

そんな訳で、キトは歴史の詰まった美しい街である。しかし、今回、車椅子の垣内さんと動き回ってみて初めて気がついたのは、この街が車椅子ユーザーにとって極めて住みづらいところであるということ。
古都の例に漏れず、市内の至る所に、古い石畳み。表面が凸凹で車椅子には難儀な代物。荘厳あ建物の前は、階段や段差があるのが普通。フェルナンドさんが盛んにバリアフリー化の遅れを恐縮する。
しかし、それ以前にキトにはバリアフリー化を推進する上で、基本的な問題があることに気がついた。これは、私が35年前に初めて来た時には全く気がつかなかったことである。
それは、ここが、非常に急な坂の多い街である地いうこと。それも、坂の急峻さが並大抵ではない。車が登れる限界スレスレと言って良いほどの傾きなのである。
我々が最初に向かったのは旧市街の中心地に建つバジリカ教会だった。
611steep2.jpg
<信じられないほどの急な坂道>

バジリカ教会はネオゴチック形式の立派な教会だが、実はそれほど古いものではなく、100年ほど前に出来たものに過ぎないということで、ガイドさんは先を急ごうとした。
ところが、カテリーナさんが教会の中はバリアフリーだというので、急遽、中に入ってみることになった。しかし、入口には、チケットを買った人がバーを押して入る形式のゲートが設置されていた。カテリーナさんは、「こんなのは前はなかったんだけど」と困惑。しかし、戸惑う我々を尻目に、係官が垣内さんを車椅子ごと軽々と抱え上げてバーを跨ぐことで、この問題を解決(?)。
旧市街で、カトリーヌさんお勧めのアイスクリームを食べにカフェに入ったり、エクアドル名物のチョコレート屋さんに入ってお土産を買ったりした後、遅い昼食をとってからホテルに戻った。
ホテルに戻る途中、垣内さんの様子がおかしいのに気がついた。急な坂を自分で車椅子を動かしての移動をあまりにも長い間、それも、極めて急な傾斜を移動しているうちに、疲労困憊してしまったのだった。
611barrier.jpg
<人力でバリアーを乗り越える>

しかし、今日の夕方は、昨日、ガレーゴスさんのご自宅での昼食会でご一緒した野田大使から、公邸での食事にご招待いただいていたのだ。明日の早朝というよりも、今夜の深夜遅くといった方が良いようなタイミングで、我々は、ワシントンへ出発することになっており、ご辞退することも一時考えたのだが、それも失礼かと思い、伺うことにしていたのだ。
垣内さんの様子を見て、やはり、ここは断って出発まで体を休めておくべきだった、あるいは、せめて午前の市内視察をもっと早めに切り上げておくべきだったと反省したのだが後の祭り。我々は、ホテルに戻って少し休んだだけで、再び、車に乗り込み、日本大使公邸に向かった。垣内さんはまだ疲れが取れていないようだった。
しかし、野田大使は素晴らしい方だった。真剣に、垣内さんの話や、Bmapsのことに耳を傾けていただき、大いに話が弾んだ。そのせいもあったろう、垣内さんも少しずつ元気を取り戻し、公邸を辞する頃にはいつものパワフルな笑顔が戻った。とても充実した時間だった。
611Ambassador.jpg
<野田大使と記念撮影>

10時 ホテル出発 市内視察
14時 昼食
17時20分 ホテル出発
18時 野田日本大使主催夕食会
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