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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ネピドー新空港は今もガラガラ [2013年06月12日(Wed)]
6月12日(水曜日)
130612morning.jpg
<朝5時にホテルを出発 外は雨>

今日は、ネピドーに飛行機で往復。前回の出張時にドタキャンされた国境省での調印式が主たる目的だが、併せて、保健省に伝統医療局長を訪ね打合せの予定。
早朝4時半に起床。ただ、現地の時間で4時半と言っても、日本では朝の7時。昨夜は早く寝たし、日本から来たばかりの身には大した問題ではない。
朝5時、日本財団の担当者の中嶋君と二人、車でホテルを出て空港へ向かう。途中、ティンニュントさんの自宅に寄り、彼を乗せてヤンゴン空港の国内線乗り場へ。そこで、エルウィンさんと合流。4人でネピドーへ。
ミャンマー航空のネピドー行きの機内に席を占めたとたん、飛行機が見慣れないスマートなものであることに気が付いた。機内の冊子によれば、ブラジル製のエンブラエル機だ。途上国の飛行機に良くあるような使い回しの中古機ではなくて、どう見ても新品だ。(後で調べてみると、昨年末に米国のGEキャピタルが新型のエンブラエルE190を国営ミャンマー航空に2機リースとの記事を発見。やはり、納入されたばかりの新型機だった)
130612carrousel.jpg
<人影もまばらな新空港の荷物受け取り場>

隣に座った中嶋君が、昨日、ミャンマー南部のコータウンでが滑走路を外れ藪に突っ込んだ事件が発生しましたね、と教えてくれる。こちらは、中国製のMA60型の話。同じ飛行機はインドネシアでも同じ日に着陸トラブル。同型機は、5月にシャン州のモンサでもオーバーラン事故を起こしていることから、ミャンマー政府は運航禁止を決定したという。
急ピッチで進むミャンマー政府の中国離れ、西側接近を象徴するかのようなエピソードではないか。あっという間に、ネピドー新空港に到着。私にとっては、これが2回目。しかし、昨年7月に初めて行った際は、笹川会長と一緒で往復とも貴賓室に案内されたので一般のスペースを利用するのは今回が初めて。
ネピドー新空港は中国政府の支援によって建てられたもの。しかし、開港から一年半以上経った今もガラガラ。荷物受け取り場は人影もまばらだった。
130612emptyhall (2).jpg
<豪華な新空港の中央ホールもガラガラ>

国境省の調印式は午後からなので、先ずは、保健省伝統医療局へ行く。トゥナインウー局長以下幹部が待ち構えていた。先ず、置き薬配布事業の進捗と今後の計画について確認。さらに、第三者機関による事業モニタリングについて、当方の考え方を説明。また、10月に予定されているASEAN地域伝統医療会議について。第5回目の今年はミャンマーが主催国。当方の希望時期を伝える。
更に、今年の11月に開催される東南アジア地域運動競技会のために使用する救急車用に保健省の要請を受けて、日本財団が寄贈した車両26台の改造状況について確認。実際の救急車用車両を保管してあるという保健省の研究所敷地内の車庫に後で案内してもらうことに。
保健省を出て、教育省へ。つい先だって、カンボジアでのラジオによる英語教育放送に、ミャンマー教育省から派遣されたニュンニュン調査部長を訪ねた。ミャンマー側としての感触を非公式に打診。今後の進め方についての意見を聞かせてもらった
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<日本財団が寄贈した中古車が救急車に改造されていた>

その後、教育省の近くにある保健省の研究所へ行くと、伝統医療局のトゥナインウー局長らが、待っていてくれた。敷地内のガレージに案内され、既に、救急車用に改造が終わった車を見せてもらった。1台のみは状態が悪く、廃車にせざるを得なかったが、残りの25台の車の改造は完了。日本財団のロゴマークをボディーに残したまま、患者を運び込むためのストレッチャーや、屋根のサイレンなどの装備を加えられて救急車用に改造された車両が並んでいた。
日本財団はミャンマー政府などに、今年中に更に90台以上の車を寄贈する予定である。これらの車は、東南アジアのオリンピックとも呼ばれるスポーツの祭典「第27回 シーゲーム」の終わった後は、ミャンマー全国に分散は位置される予定である。
救急車の中に配置されたカーバッテリーを見るとSONNY made in Thailand と書かれていた。日本のソニーならSONNYではなく、SONYのはず。Manufactured under standard quality of Japanという文面も何やら怪しげ。
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<なぜかSONYではなくSONNY>

救急車を確認した後、レストランに行き、トゥナインウー局長も交えて皆で夕食。その後、地方政府公務員のシンガポール研修の調印式に臨むため国境省へ。教育訓練部のテインテー部長が出迎えてくれて、2階の調印式会場に案内される。
既に、私と署名の交換相手となる教育訓練局のサンシュエアウン局長のほか、省内の各局長に加えて10人以上の幹部が顔を揃える。更に、外務省からも副大臣が参加、国営新聞社のカメラマンまで来て、想像以上に大げさな式典の準備が出来ていた。
間もなく、中央にしつらえられた大臣席に国境大臣のテッナインウィン中将が着席して式典が始まった。大臣のスピーチの後、私が挨拶。それを緊張に顔を引きつらせたテインテー部長が英語に訳す。予め原稿を渡してあったので、それを訳したものを準備しているので淀みない。私はスピーチの一部変更しようと思っていたのだが、かちんかちんの彼を混乱させてはまずいと考え、原稿をそのまま読み上げた。最後に調印文書に双方が署名、それを交換するという手順で式典は無事に終了。
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<国境省の調印式会場中央にしつらえられた大臣席>

国境省での調印式を終えて、我々は飛行場に直行。ガラガラの国内線カウンターで搭乗手続き。向こうに国際線用のチェックインカウンターが並んでいるが、人っ子一人見当たらない。中国政府からの借款でこの立派な空港が開港してから1年半、ところが国際定期便の就航はまだない。ミャンマー政府は空港利用料を半額にディスカウントし利用を促すが、それに応じた航空会社はまだないという。
ヤンゴンに戻り、ホテル近くの日本料理店へ。ヤンゴン出張中の森グループ長、間遠ヤンゴン事務所長ら私も含めて、何と総勢7人もの日本財団国際グループのメンバーが集まっていた。
130612checkincounter.jpg
<国内線カウンターで搭乗手続き 向こうに見えるのは国際線カウンター>

05時 ホテル出発
07時10分 ヤンゴン発
07時50分 ネピドー着
09時 保健省伝統医療局長トゥナインウー局長
11時 教育省 ニュンニュン部長
12時 保健省研究所訪問車両確認
13時半 国境省との調印式 
17時00分 ネピドー発
17時55分 ヤンゴン着
19時 日本財団関係者と夕食
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