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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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ネピドー到着は大幅遅れ アウンチー労働・社会福祉大臣を30分待たせる [2011年12月13日(Tue)]
12月13日(火曜日)
朝6時半。まだ、薄暗い市内を抜けて、陸路でネピドーへ向かう。
ミャンマーでは最近まで新車の輸入が厳しく制限されており、ヤンゴン市内では、日本製などの中古バスが、中にはかなりのおんぼろまで含めて、真っ黒な排気ガスを吐き散らすように走っているのを目撃していたので、きれいな紫とピンク色の大型バスを見てびっくり。
バスの車内にはYutongのロゴ。河南省に本部を持つ中国のバスメーカー、宇通客車社製、何と新車のようだ。座席の間が若干狭いが、これまでの陸路によるネピドー行きでは普通だった、座席のスプリングが飛び出しそうな老朽中古車と較べると、月とすっぽん。乗り心地は上々だ。
ただ、ネピドーへ向かう高速道路のコンクリート製の路面の仕上がりが悪く、波打っているため、大型バスではスピードが出せないらしく、たまに通る乗用車に次々に追い越される。確かに、これではネピドー到着までには大分時間がかかりそうだ。
3時間以上走ったところで漸く、トイレ休憩。バスを降りてみてびっくりした。これまでいつも利用していた掘っ立て小屋を大きくしたような「ドライブイン」に代わって、小奇麗な建物と、トイレ、大型駐車場を持つ先進国並みのモダンなドライブインが出来ていた。
<バスは宇通客車社製の新車だった 近代的なサービスエリアの前で>

ただ、当初の予定では間もなく、ネピドーに到着する時間の筈だが、ここで、漸く半分強の行程だという。さすがのニュント博士も、まずいと思ったらしい。先ほどから携帯電話で引っ切り無しに電話をしているが、「大丈夫、保健省には連絡済み、心配ない」といつもの楽観的姿勢は変えず。
私も、調印文書は保健省のアウンミン伝統医療局長と私がサインさえすればよいので、何とでもなると静観。ただ、笹川会長も今回初めて会う、アウンチー労働・社会福祉大臣との午後1時からの面談さえ遅れなければ、調印式は遅れても構わない、とニュントさんに伝える。
しかし、結局、ネピドーのホテルに到着したのは12時過ぎ。何と、3時間の予定のところが、5時間半も掛かってしまったことになる。ホテルには、アウンミン局長以下、伝統医療局の幹部が待ち構えており、レセプション脇の会議室で慌しく調印文書を交わす。
部屋へのチェックインは後回しにして、直ぐにホテル内のレストランで局長らと昼食。ところで、労働・社会福祉省へは、ここから5分ですか、10分くらいかかりますか、と尋ねると返ってきた返事に仰天。「20分以上は掛かります」とこともなげにミン局長。
それは大変と、大慌てで食事を済ませ、マスコミ関係者など労働・社会福祉省へは同行しない人を除くメンバーを急かして、再び、バスに乗る。が、20分経ってもなかなか労働・社会福祉省には着かない。
何しろネピドーはやたらと広い。三権分立としても、せめて行政機関だけでも集中させれば良いものを、省と省の間は何故か大きく離されている。このときほど、端から端まで40キロという、この人工都市を設計した人間を呪ったことはない。
<驚いたことにネピドーの無料市内地図が出来ていた 上端と下端間は40キロ>

途中、道を間違いそうになったりしながらも、漸く15分遅れで、労働省に着いたと思ったら、正面玄関のひさしに、バスの屋根の外に出っ張って取り付けられたクーラーが激突。白い煙が上がる。おまけに、着いてみると、ここは労働省の建物ではあるが、大臣の執務室は、もう一つの担当省である社会福祉省の建物にある、と言われて再びバスへ。
何と、初対面の大臣を30分以上待たせることになってしまったのだが、そこは温厚な人柄で知られるアウンチー大臣。何事も無かったように、にこやかに我々を受け入れてくださった。
彼は、現政権とスーチー女史との関係修復の立役者。新政権を代表する形で、スーチーさんと面談し、彼女の心を解きほぐし、大統領との面談に漕ぎ付けさせた。ミャンマー市民によると、それもアウンチー大臣の人徳のお陰とか。納得、納得。
<荘重な与党USDPの本部建物>

障害者関連の事業など日本財団としてのミャンマーにおける今後の事業の構想などにつき話し合って、社会福祉省を辞去。次いで、ミャンマーの政権与党であるUSDP(連邦団結発展党)の党本部へ。
ネピドーでは新国会議事堂の建物の大きさが目を引くが、党本部の建物も、大きさこそ議事堂と較べるとはるかに小さいが、省庁など官庁の建物とは比較にならないほど荘厳で豪華な建物。
党総書記のテウーさんがにこやかに我々を迎えてくれた。渡辺さんとは特に昵懇の総書記だが、農業大臣の時代から笹川会長とも親しい間柄。中央委員に就任した前保健大臣で笹川会長とは特に親しいチョウミン博士の姿も見えた。大変、和やかな雰囲気のもと懇談。
接見の間には、ここでも、巨大な油絵が掛けられていたが、それは芸術的なモチーフには余り似つかわしくない空港や道路、鉄橋、鉄道などを描いたものであった。国づくりにかける与党の意気込みを示すものであろうか。テウー総書記は、民主化に向けた新政権の決意を繰り返し力説。
<大きな油絵の前でUSDPの党幹部と記念撮影>

最後に向かったのは、現地ではNATALAと略称で呼ばれる国境地域少数民族・開発省(以下、国境省と省略することにする)。軍服姿で現れたテインフタイ大臣は、ミャンマーの民族衣装ロンジー姿の笹川会長にびっくり。初めてお目にかかるテインフタイ大臣は、会談の間中、終始笑顔を絶やさず、軍人とは思えぬにこやかな物腰が印象的だった。
日本財団が現地NGO「セィダナー」を通じてシャン州で実施してきた学校建設事業が、来年で第2次五カ年計画が終わる満十年を迎えることから、その後を踏まえて意見交換。この席には、「セィダナー」側からも、白木代表ら幹部が同席した。
<ロンジー姿の笹川会長と軍服姿のNATALA大臣>

国境省訪問の後、笹川会長らは、今夜はネピドーから3時間以上離れたマンダレーに宿泊するべく出発。明日午前、マンダレー郊外にあるハンセン病施設を視察するためだ。また、同行記者団の一部の方々は、マンダレーの周辺の置き薬事業の現場などを視察するため、日本財団の担当者、中嶋君の案内で、一足先ににマンダレーに出発している。
私は、渡辺さんらやマンダレーに行かなかったマスコミ関係者らとネピドーに残る。夕食は、渡辺さんが設けたテウー総書記との内輪の夕食に同席させていただく。
ホテルのフロントでミャンマーの地理について雑談しているうち、何とネピドーの無料市内地図が出来ていることを発見。普通の国なら当たり前のことだが、軍事国家として、何でも秘密が当たり前だったこれまでのミャンマーでは考えられないこと。これまでは、だた、太い黒い線で道が一筋書いてあって、その周辺に役所の名前だけが記されているという粗末な一枚図のゼロックスコピーしかなかったことを思うと、誠に驚くほかない。


6時半 ホテル出発
9時55分 途中休憩
12時10分 伝統医療事業合意文書調印式
12時20分 昼食
13時30分 アウンチー労働・社会福祉大臣
15時 テウーUSDP総書記
16時20分 テインフタイ国境省大臣
19時 テウーUSDP総書記と夕食会
21時15分 マスコミ関係者との懇談会
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