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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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福村芳一さんのミャンマー国立文化大学でのオーディションは無事終了 [2010年05月30日(Sun)]
5月30日(日曜日)
エルウィンさんの案内でヤンゴン郊外、30分ほどのところにある国立ヤンゴン文化大学へ。エルウィンさんはミャンマー政府の外務省や文化省に働きかけ、文化大学の協力の下、卒業生などのネットワークを使って、西洋楽器の経験の豊富な人にオーディションへの参加を呼びかけてくれた。その結果、40人ほどの名前が挙がった。
こうして、日曜日の今日、ヤンゴン郊外のヤンゴン文化大学でオーデションを行うことになったのだ。


<国立ヤンゴン文化大学の構内>

この大学の創立は1993年というから歴史は新しい。なぜか。1980年代の末、ミャンマー最高学府であった国立ヤンゴン大学など大学生を中心に反政府運動が燃え上がった。これを抑え込んだミャンマー軍事政権は、何と、その後数年間にわたって全国の大学を閉鎖。90年代に入って再開したものの、ヤンゴン大学の場合は、ヤンゴン東大学、ヤンゴン西大学などと、ばらばらに分割したうえ、地理的にもヤンゴン郊外の場所に分散配置してしまったのだ。
この国立ヤンゴン文化大学もそのようにして新設された単科大学。国立の芸大としては、他にはマンダレーにあるマンダレー文化大学があるのみとか。学生総数は373人、絵画、彫刻、舞踊など4つの学科があり、音楽学科には85人の学生が学んでいるという。日本のように洋楽と邦楽が別コースになっておらず、全員がミャンマー古典音楽も西洋音楽も学ぶ。
オーディション会場は大学キャンパス内の階段教室であった。外はとても暑いのに冷房はないので窓は開けっ放し。大きな扇風機が何台か風をおこすのみ。しかし、日曜日のキャンパスは静かで外からの騒音はない。
エルウィンさんからは今日の参加者は40人、と説明を受けていたのだが何故か集まっていたのは20人ほど。ASEANサミットの各国元首の前で演奏するための団員探しという話がはっきりするにつれて怖気づく人がでたようだ。
その上、当日集まっていた人の中からも、急に辞退する人が出たりして、結局、17人を対象に行うことに。ビオラが一人、チェロが二人、フルートが二人の他は全員バイオリン。うち女性は、フルートの二人のみであとは全員男性。若い人が圧倒的に多い。先ず、各自好きな曲を一人ずつ数分間弾いてもらう。福村さんが、これはと思った人にのみ、譜面を渡してその場で演奏してもらう。サイトリーディングというやり方だ。


          <ヤンゴン文化大学で行われたオーディション>

突然、爆弾でも落ちたのかと思うような激しい雷鳴が轟いたかと思うと、地面に叩きつけるように雨が降り出した。余りにも雨音が大きいうえ、窓は開け放してあるので、演奏の音が良く聞こえない。オーディションを中断するのかと思い、福村さんの様子を伺うが、彼はちらっと外の方に眼をやっただけで、何事も無いようにオーディションを続けた。
結局、17人のなかから6人を選び、譜面を渡して30分ほどの練習時間を与え、再度ひとりずつ課題曲を演奏してもらう。うち、2人については再々度の演奏を求めて念のため比較。「よしっ、OK.サンキュー」という福村さんの声で、オーディションは終了した。時計を見ると12時になっていた。
殆ど全員が若く技術的には未熟な点もあったが、素人の私には、そのうちの数人にはきらりと光るものを感じた。私がそう言ったところ、福村さんは「いや、全然駄目です。まともなレベルに達しているものは一人もいない」とにべもない。「えっ。駄目ですか」と私。「でも、大丈夫。しっかり、使って見せます」と自分に言い聞かせるように福村さんは言った。
オーディションを終えて、参加者には食堂で昼食が振る舞われた。我々は別の会議室で大学関係者と昼食。食事を終えて外にでてみると、雨はすっかりあがっていた。車に乗りこみ大学の正門をでると、表の国道に向かう一本道を楽器ケースを抱えて歩いている若者たちの姿があった。我々のように車で直行すればヤンゴンから半時間ほどの行程とはいえ、大半の学生たちが利用するのは路線バス。これだと、片道だけで一時間半もかかってしまうのだとか。
福村さんは、車を止めさせると窓を開けて、「サンキューベリーマッチ」と大声で叫んだ。にっこりと笑顔で礼をする若者たち。福村さんが小声でつぶやいた。「かわいそうな連中。ちゃんとした指導者さえいれば、、、」
オーディションの参加者は40人と聞いていたので、私は、早朝から夕方まで一日がかりの仕事となることを想定。予備の時間も入れて、帰りの飛行機は、明日の夕方の便を予約していた。ところが、人数が半分以下になった上、段取りも思いのほか順調に進んだことから、僅か3時間。午前中一杯で済んでしまった。
そこで、福村さんと相談して、明日のフライトを夕方の便ではなく早朝の便に繰り上げることとした。バンコクで明日の夜、共同通信の沢井支局長らにお目にかかることが出来る。ミャンマーでは、軍事政権の政策によるものなのか一般的な国際携帯電話が使えない。そこで一旦、ホテルに戻った私は、ホテルの部屋の電話を使って日本や、タイに電話したりして、小一時間ほどかけてフライトの予約変更に漕ぎ着けた。


            <シュエダゴンパゴダはデートコース>

そのあと、ヤンゴンは初めてという福村さんを案内して、市内見学に出かけた。案内役の私は、ミャンマーにはこれまで20回近く来ているのではないかと思うのだが、観光の経験は殆どない。そこで、行き先はシュエダゴンパゴダとインダー湖、それから英国植民地時代に建てられた名門ホテルであるストランドホテルに限定。この内、ストランドホテルは私自身今回が初めてというから心もとないことこの上もない。
途中、車の駐車場でお釣りにもらったお札は信じられないほど擦り切れ、ボロボロに汚れたものであった。これほど汚いのは、随分以前、アフリカのどこかで受け取ったことがあるが、アジアの国では初めて。カンボジアのリエル札にも小額紙幣の中には随分汚いのを見たことがあるが、ここまでひどいのはない。記念にと写真に取る。


            <信じられないほどボロボロのお札>

8時15分 ホテル出発
9時 ヤンゴン文化大学でのオーディション
12時 関係者昼食会
15時 市内見学 シュエダゴンパゴダなど
19時 セイダナー・ヤンゴン事務所和田さん
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