CIATキャッサバ国際会議が始まる [2008年10月20日(Mon)]
10月20日(月曜日)
<キャッサバ国際会議が始まる> 朝、私が泊まっているホテルの裏手にある別のホテルでCIATキャッサバ国際会議が始まる。私は、この会議のスポンサーである日本財団の代表者として、開会式のステージに招かれ、お祝いの短いスピーチ。日本財団としての正式のスピーチは、明後日、尾形理事長が行うことになっている。 私の隣の席に座ったのは、ラオス農業省ナンバー3のブントン事務次官。私の後で挨拶した次官は、日本財団のキャッサバ事業を、ラオス政府の農業基本政策目標に合致した素晴らしい事業である、と最大級の賛辞。 彼とは、5年前この事業を始める直前に、農業省に副大臣を表敬した際に初めて会って以来。あの時、副大臣はキャッサバの事業には気乗り薄で、どうせなら、キャッシュクロップ(換金作物)をやってもらえないかとまで、おっしゃった。 当時、キャッサバは既に、ラオスの隣国である中国やベトナムでは大ブームが始まりつつあったのだが、そのことはラオスでは余り知られておらず、このような副大臣発言となった。私は、彼に対し、日本財団の事業は政府の行うODA(公的開発援助)とは異なり、ラオス経済の底上げを狙ってのものではなく、貧困県で飢えに苦しんでいる零細農民の生活環境改善が目標であること、その点では、キャッサバは極めて効果的な作物であると確信していること、などを説明した記憶がある。 その後、ラオスでも、中国やベトナム、タイなどからのバイヤーがキャッサバを求めて出没するようになり、原油価格の高騰やそれに続く穀物価格の急騰により、キャッサバが極めて収益性の高い作物であると認識されるに至った。ブントン事務次官は今日の挨拶の中で、「キャッサバは政府の農業の4大基本目標、即ち、食糧自給の推進、商業生産の拡大、焼畑農業からの離脱、森林保護、に則した作物であり、キャッサバはラオスにおいては、作付面積で第5位、収穫量で第4位という重要な作物である」と述べた。 今回の、キャッサバだけをテーマにした国際会議は、我々のキャッサバ事業の実行組織であるCIAT(国際熱帯農業研究センター)の主催で6年ぶりに行われたもの。資金面では、日本財団が全面的にサポートしている。 CIATのアジア代表であるルフロイ博士によれば、今回の会議には80人ほどの参加者を想定していたが、蓋を開けてみると最近のキャッサバブームを反映して、学術専門家、政府関係者だけではなく、民間企業などからも参加希望が相次ぎ、結局120人になったという。それも、会場の制約から120人で受付を打ち切ったというのが実情とか。 <ビエンチャン近郊のポントン村> キャッサバ会議のオープニングのあと、お昼前に会場を抜け出し、ホテルへ。ラオス保健省のサベンボン医務局次長や伝統医療研究所のシーダラ副所長らが乗り込んだ車が迎えに来てくれた。保健省が、世界銀行やアジア開発銀行などの資金援助を受けて、数年前から進めているという、僻地村落での常備薬配置事業の現場を視察するためである。これから80キロほど離れた、ビエンチャン州ポルホン郡のポントン村というところに向かう。 <途中で立ち寄ったヘルスケア・オフィス> 途中、ポルホン郡の保健省の出先機関であるヘルスケア・オフィスで案内役の担当官が乗り込む。更に半時間ほど走ってポントン村に着き、案内されたのは雑貨屋を営む初老の女性の自宅。今の片隅にガラスの扉が付いた木製のキャビネットが置かれていた。中には、様々な薬のビンが詰まっていた。ヘルスケア・オフィスから付いてきた係りの人の話に拠ると、風邪、頭痛、下痢などの症状に対応した27種類の薬が入っているのだと言う。これらの薬は我々がモンゴルなどで実施している置き薬事業とは異なり、伝統薬ではなく、近代医薬品である。 <薬の入った木製キャビネット> この村での事業開始は2007年から。この家の持ち主である婦人によれば、5日間の研修を受けさせられて薬の管理の仕事を任せられているのだと言う。補充のための薬は毎月彼女が取りに行っている、という。彼女が選ばれたのは村長の指名だとか。仕入値段に25%の手間賃を乗せて販売しているのだと言う。雑貨屋としての収入を補うものであり、彼女はこの仕事に満足しているようであった。 <仕組みを説明する女性> ビエンチャンのホテルに戻ってきて、キャッサバ会議に参加するためアフリカの笹川グローバル2000の現場から駆けつけてくれた間遠さんとミーティング。 そこに、遅れてCIATのティン博士も加わり、食事を取りながら話し合う。 9時 CIATキャッサバ国際会議(第一日) 13時 ホテル出発 保健省事業現場視察(ビエンチャン州ポントン村訪問) 18時 笹川アフリカ協会間遠さん 19時 CIATティン博士 |