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大野修一(日本財団)
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引き続き ICEVI/WBU総会 [2012年11月16日(Fri)]
11月16日(金曜日)
今日も朝からICEVI/WBU総会。先ず、9時から大ホールで行われた全体会合3「雇用問題」を傍聴。1000人近い聴衆を前に、ILOの在バンコク代表ら4人のパネリストが報告。パネリストの一人は、私の友人で障害者を雇用してユニークなビジネスを展開するゲナシュティン社社長のトーマス・ヌン。
スカイプを使った英語の個人授業サービスなどを提供する彼の会社の総勢70人ほどの社員のうち、40人は障害者だ。社長秘書も車椅子の障害者。驚くことに、彼はファイリピン南部の島の自宅からインターネットを使ってサポートする秘書嬢とは今まで一度も会ったことが無いという。採用面接さえスカイプで済ませた由。
大変ユニークな彼の経験と、将来のビジョンは、視覚障害者の雇用問題に革命的な一石を投じるほどのものだった筈だが、彼に与えられたプレゼンの時間は15分ほどと短く、従来型の繰り言を長々と喋るパネリストもいたりして、残念ながら期待したほどのインパクトは与えられなかったように感じた。
また、このような大人数の会議には有り勝ちだが、私語に忙しく耳を傾けていない人も少なからずいた。中には、どういう訳か、毛糸玉を出して編み物をしながら隣に座る人とお喋りに忙しい、明らかに視覚障害者ではない外国人参加者もいたりして、私は呆れてしまった。
年に一度おこなわれる国際会議の中には、参加者が膨大になって、議論の場が形式的なものになったり、本来の目的を外れて、参加者同士の旧交を温める社交の場と堕しているものもあるのではないかという批判も、残念ながら必ずしも的外れではないように感じた。
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<日本財団の支援事業をテーマにしたパネル>

11時からは小ホールで開かれた、日本財団がICEVI(国際視覚障害者教育協議会)と連携し、2006年から、インドネシア、ベトナム、フィリピン、カンボジアなどアジア各国で展開している高等教育支援プロジェクトを紹介するパネルを傍聴。
昼食は、視覚障害者用のコンピューターソフトとして最近注目を集めているNVDAを開発した、オーストラリアの2人の若者、ミックとジェイミーの二人を囲んで、IDPPのディレクターのデリック教授らと昼食。
視覚障害者がコンピューターを利用するためには、画面上のデータを読み上げてくれる特殊なソフトウェアが必要となるが、これまで最も一般的に使われているJAWSというソフトは数万円と高価で、途上国の視覚障害者にとって、入手するためのコストがパソコンと並んで深刻な問題となっていた。これに対して、NVDAは無料のオープンソフト。最初にNVDAの開発を始めたミックも、途中からそれを手伝うようになったジェイミーも、自らが視覚障害者である。日本財団は、IDPPのシステムへの導入を検討するとともに、NVDAのアジアの各言語化を支援しようと考えているところである。
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<NVDA開発者の二人と昼食>

09時 ICEVI/WBU総会
12時半 NVDA開発者と昼食
19時 トーマス・ヌン社長
IDPPコアメンバー会議 [2012年11月14日(Wed)]
11月14日(水曜日)  
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<IDPPコアメンバー会議 デカロさんを除くメンバーが顔を揃えた>

今日は一日、IDPP(障害者公共政策大学院)のコアグループ会議。
コアグループとは5人の創立メンバーを指す。即ち、NTID(米国国立聾理工科学院)のデカロ前学院長、アメリカン大学国際関係学院の准教授でコンピューターによる遠隔教育の専門家デリック・コグバーン博士、ICEVI(国際視覚障害者教育評議会)の前会長のラリーキャンベル博士、アジア全域の障害者問題の権威であるAPCD(アジア太平洋障害者発展センター)の二ノ宮所長と私だ。
前回マドリードで開いた7月の会議に続く2回目の会議だが、元々は、マドリードでの会議の終了の際に、今後、定期的にこのメンバーで集まることで合意、次回は12月にデリックさんの出張スケジュールに合わせてローマで開くことで暫定的に合意していたのだが、その後、私の都合で11月の世界盲人連合の総会に合わせてバンコクでの開催に変更したもの。
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<タイの銀行なのに日本語の看板>

今回の世界盲人連合(WBU)総会を共催するICEVIの前会長であるラリーさんに加えて、デリック教授もプレゼンテーターとしてWBU-ICEVI総会に参加することになり、APCDはバンコクにあるので二ノ宮さんにとっても好都合だ、ということでこのタイミングでWBU-ICEVI総会の開かれる同じホテルでコアグループ会議を開くことになったのだ。急病のため欠席となったNTID(米国国立聾理工科学院)のデカロ前学院長を除く全員が顔を揃え、夕方6時頃まで終日議論、大変、密度の高い会議となった。
会場となったホテルのある場所はスクンビット地区。私は、余りこの辺りに足を伸ばすことは無いが、ここは、バンコクの中でも一番、日本人ビジネスマンとその家族が住むと言われる地区。
BTS(スカイトレイン)の駅を降りて直ぐ、大きな銀行の看板に驚く。何と、日系銀行ではなく、純粋にタイの銀行であるにも拘らず、日本語で大きく宣伝文句が書かれていたのだ。日本人専用の窓口もあります、とある。
また、駅の改札のすぐ前に古本屋。よく見ると、並べられている本は日本語の本ばかり。日本の本専門の古本屋さんだった。
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<BTS駅の前には日本の本専門の古本屋さんも>

08時 ホテル出発
09時 IDPPコアメンバー会議
18時 関係者レセプション
IDPP事業打合せでマヒドン大学へ [2012年10月25日(Thu)]
10月25日(木曜日)
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<王室に近いマヒドン大学はお金持ち>

バンコクの朝、8時半にAPCDの車に乗り込む。所長の二ノ宮さんや現地スタッフのアンさんらと一緒にホテルを出発。マヒドン大学でのIDPP(障害者公共政策大学院)事業に関する会議に参加するためだ。大学での会議は10時からに設定されていたのだが、道路状況次第では時間がかかるかも知れないというので、余裕を持って8時半に出発することにしたもの。
しかし、結果的には道路は順調で、9時半前にはマヒドン大学本部のあるサラヤ・キャンパスについてしまった。ミーティングルームが設けられた障害者研究で有名なラチャスダ・カレッジに案内される。
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<障害学部ラチャスダカレッジのタウェー学部長と談笑する二ノ宮所長>

ラチャスダと言う名前は、障害者を含む弱者に対する熱心な支援で、国民の人気も高いシリントーン王女の名前に由来する特別のものだ。
近くの壁にはラチャスダカレッジの組織図が飾られていたが、その地の色は鮮やかな紫、シリントーン王女の誕生日の土曜日を表す色だ。
10時まで待たされるのかと思いきや、程なくしてラチャスダ・カレッジのタウィー学部長、次いで副学長のスラキット博士まで姿を現し、早々に会議が始まった。テーマは、IDPP事業の拠点を現在のアメリカン大学からアジアに移管すること。
これは、先に、マドリードでコアメンバーだけで開いた非公式会議で合意した長期目標である。ただ、具体的な移管方法についての議論は、次回に持ち越されていたのだが、ここで、マヒドン大学が名乗りを挙げた、と言う訳であった。
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<ラチャスダカレッジの教職員の顔写真入り組織図>

マヒドン大学側からの力の入ったプレゼンテーションの後、当方からは、提案された方式についての詳細や、実現可能性などについてこまごまとした質問。その後、他の選択肢との比較における得失など、色々熱の入った議論が続いた。
そして、気が付くと時計の針は12時を回っていた。3時間近く議論をしていたことになる。驚いたことに、多忙なはずの副学長を始め、長時間にわたった会議にも拘わらず、マヒドン側は誰一人として席を立たなかった。IDPP誘致に向けてのマヒドン大学を挙げての熱意に大いに勇気づけられた。
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<IDPP事業打合せ会議>

12時半に一旦、会議を打ち切り、ラチャスダ・カレッジの中を少し案内してもらった後、林の中にある大学所属のレストランで昼食。この素敵なレストランは、昨年1月、アメリカン大学のデリック教授らとIDPP事業について、当時のピアサコール学長に説明した際に、連れて行ってもらったレストランだ。
この席にも、スラキット副学長とタウィー学部長は揃って顔を見せてくれた。スラキット副学長によると、IDPPの件は、マヒドン大学のピアサコールさんの後任の新学長からもサポートを得ているとのことであった。
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<林の中の素敵なレストラン>

08時半 ホテル出発
9時半 マヒドン大学IDPP事業打合せ
12時半 マヒドン大学副学長主催昼食会
15時半 内藤さん
16時半 間遠さん
18時半 朝日新聞 藤谷アジア総局長
ニューワールド養護学校の候補地を下見 [2012年10月23日(Tue)]
10月23日(火曜日) 
朝8時、ミャンマー外務省OBで今は、我々の仕事を手伝ってくれているエルウィンさんと、ホテルのレストランで朝食を取りながら打ち合わせをしていると、見知らぬ外国人に呼び止められる。昨日のMyanmar Timesに、日本財団が少数民族武装勢力代表団を東京に招き、300万ドルの緊急支援で合意したとのニュースが出ていた。素晴らしい仕事なので手伝わせてほしい、との申し出。
朝食の後、シャン州での学校建設事業を行ってくれているNGO「セィダナー」のヤンゴン事務所長の和田さんと現地スタッフのスーさんと打ち合わせ。日本財団のミャンマーでの活動についての最近の動きを説明するとともに、ヤンゴン事務所設置に向けての意見交換。
次いで、12時からは若手障害者による自立支援組織(MILI---Myanmar Independent Living Initiative)の中核メンバー4人と昼食を取りながら、障害者舞台芸術祭事業の打ち合わせ。これは、2014年のミャンマーによるASEANサミット主催国年に合わせて、ASEAN10カ国の障害を持った舞台芸術家によるフェスティバルを行うという事業。
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<ヤンゴン市内で見つけたロックコンサートのポスター>

これまでにラオスとカンボジアで行った地域芸術祭の経験を持つ日本財団側が提案、MILIがその主催団体となることを同意して始まったもの。来年2013年にはミャンマー代表を選ぶための国内予選を行うことになっている。
MILIとの昼食もそこそこに、13時半には、ティンニュントさんと一緒に、小児科で有名な私立病院であるパラミ病院へ。院長室でテインアウン博士らと知的障害児のための養護学校ニューワールドの建設事業に向けた打ち合わせに臨む。1時間ほどの協議を終え、建設候補地の下見に出ようと外に出ると、異様な空模様の中、強い風が吹いていた。スコール来襲時に特有の現象だ。果して、駐車場に行く途中で雨がぱらつきだした。
車に乗り込んで、目指す土地のある場所に着く頃には大変な土砂降り。一歩も外に出ることもままならない。車の中で土地に関する説明を聞く。
ティンニュント博士によると、ヤンゴンはこのところ、10月にしては異常な暑さが続いたので、今日はその反動なのだとか。
他にも候補地があるというので、見て回るうちに雨はやんだので、最後の土地では外に出て、実地検分することが出来た。
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<候補地のひとつを視察>

08時 エルウィンさん
10時 セダナー和田さん
12時 MILI代表打合せ
13時半 ホテル出発
14時 ニューワールド打合せ
14時半 ドーキンチー財団との打合せ
15時 候補地視察
18時半 ティンニュント博士
義肢装具士養成学校プロジェクトを調印 [2012年09月21日(Fri)]
9月21日(金曜日) 
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<ネピドーはかんかん照りで暑かった>

今日はネピドーに行く日。保健省局長OBのティンニュント博士と日本財団のスタッフの梅村君も一緒だ。いつものように、ネピドーへは車で日帰りのため、朝4時45分にホテルを出発。途中、ヤンゴン市内のハイウェイ入口付近で警察の検問を受ける。ハイウェイの路肩にも警察車両が見える。何だろう。こんなことは初めて。
実はヤンゴン帰着後、知った話なのだが、今日は国際平和デー。19の市民団体がデモをネピドーとヤンゴンで申請したとだという。しかし、政府は双方とも却下、ネピドーへバスを仕立てて行こうとした動きを事実上、阻止したという訳だ。しかし反面、ヤンゴンでのデモは黙認する形を取った由。デモ隊は平和裡に市内を行進。警察官にまで白い花を配ったという。
ミャンマー唯一のハイウェイを時速100キロ以上のスピードでネピドーを目指す。ホテルを出発したころは真っ暗だったが、ハイウェイを走る車の中でうつらうつらしながら朝日を拝む。次第に空は青味を増し、美しい夏空が広がり始める。快晴だ。ヤンゴンと比べると中央部は降雨量が少ない、という話を思い出す。
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<国境辺境省で地方公務員研修につき協議>

ハイウェイを離れ、ネピドーへ向かう一般道に入ったのは9時過ぎ。保健省での、義肢装具士プロジェクトの調印式は午前10時。十分間に合うはずなのに、車は一般道に入ってむしろスピードアップ。ティンニュントさんによると、保健省から電話が入り、9時半までに来てほしいと連絡があったのだそうな。
無事、9時半丁度に保健省に到着。医療科学局長ら幹部が待っていてくれた。早速、基本構想に付いて合意文書を調印する。調印と言っても、今回の合意文書には具体的な計数予算は含まれておらず、極めて概念的なものだ。
にも拘らず、ここで調印する理由は、保健省内外にこのような構想が進んでいることをアピールし、既成事実化すること。カーソンさんとティンニュント博士のアイデアだ。来年1月に開校することについては保健大臣の意向は確認しているし、口頭では保健省の局長ら幹部の了解は得ているが、官僚機構は旧来の規則や慣行に縛られているので、ちょっとでも油断していると準備が停滞しかねないのが現実。
テインセイン政権が進めようとする急ピッチの改革に対して、明確な意志をもった「抵抗勢力」がブレーキをかけているというより、旧体制時に作られた規則や制度が立ちはだかり、新体制の意向とは異なり何事にも時間が掛るというのがミャンマーの現実だ。
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<帰途、ヤンゴンに近づくにつれ空には雲が>

昼食の後は、国境辺境省に向かい、前回7月の笹川会長とテインテー大臣との面談時に当方から提案した少数民族州の地方公務員研修につき協議。今回の内閣改造で大臣は留任したのだが、国境辺境省では局長級を含む大幅な人事異動が行われ、担当者が入れ替わってしまった。一応、最小限の引き継ぎは行われているのだろうが、基本的に、総てもう一度初めからやり直しという雰囲気。やれやれ。
国境辺境省の後、情報省で副大臣に会う予定が入っていたのだが、国会の委員会に急遽、呼び出されたとかで今回は断念することに。再び、ハイウェイを飛ばし、ヤンゴンへ向かう。
行きの車の中では、まだ外気が十分熱せられていなかったため、夏空を楽しむことが出来たのだが、午後の太陽が照りつける下では気温がぐんぐん上がる。おまけに、車のクーラーの効きが悪く、車内は暑くてたまらない。
雨のヤンゴンの涼しさが懐かしいと思っていると、何と、ヤンゴンに近づくに連れて雨雲が出てきたではないか。そして、激しいスコールが始まった。
激しい雨の中を走り続け、夕方6時ころにヤンゴンに戻って来たころには雨はやんでいた。夕食は、梅村君と二人でシャン料理店で日本と同じ焼餃子を食す。
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<ついに土砂降り>

04時45分 ホテル出発
09時半 保健省医学局での調印式
10時半 保健省保健局訪問
13時 国境辺境省訪問
18時 ヤンゴン帰着
ミャンマー障害者自立運動(MILI)のワークショップに参加 [2012年09月20日(Thu)]
9月20日(木曜日) 
朝8時半、ホテルの前からタクシーを拾って、飛行場の近く、国立障害児童養護学校に向かう。ここで、今月9日から3週間の予定で開かれている、障害者の次世代リーダー養成講習会で話をするよう頼まれているからだ。
主催者は、障害者の若者が障害の枠を超えて昨年5月に結成した「ミャンマー自立生活運動(MILI)」。日本財団の全面支援で今年から始まったこのワークショップは、今後5年かけて、150人が参加する予定である。今年2回目の今回も前回同様、最北部のカチン州を含む、3つの州から5人づつ、合計15名が参加している。
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<MILIワークショップが行われていた>

タクシーを降りて、いくつかある教室の入り口のうち、草履が沢山脱ぎ捨ててあるドアをみつけ開けて入る。お揃いのピンクのTシャツを着た15人の研修生に向かってホワイトボードの前で、若い女性が何やら話をしている。日本語のうまいMILI幹部のうちでも一番うまいユヤトウさんだ。最後尾にいたMILIの二人の若いリーダー、視覚障害者のアウンコミンさんと肢体障害者のネイリンソーさんと暫く、話をしているうちにユヤトウさんの講義が終わったらしく、私を手招きする。
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<MILI代表の二人、視覚障害者のアウンコミンさんと肢体障害者のネイリンソーさん>

自己紹介の後、私は、日本財団のミャンマーに置ける活動と、障害者支援の状況について話をした。その後、質疑応答に移る。リーダー研修に選ばれただけあって、意欲的で活発な質問が続く。15人のメンバーの多くが肢体障害者だ、聴覚障害者は二人。二人とも手話は出来ないという。ミャンマーでは聴覚障害者教育に問題があり、手話の普及が遅れていると聞いていたが本当のようだ。
私が話しをしているうちに、突然の停電。クーラーが止まったので窓を開ける。後でMILIの幹部に聞いたところによると、ヤンゴンでは、最近でも一週間に一回くらいは停電が当たり前。それでも、毎日のように停電していた数年前とくらべると、電気事情は格段に良くなったのだそうだ。
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<アウンコミンさんとユヤトウさんが見送ってくれた>

MILIワークショップの会場にティンニュントさんが、日本財団の担当者、梅村君と一緒に現れた。彼の車で、小児科で有名な私立のパラミ病院に連れていってもらい、知覚障害者などを対象にした養護学校を運営する地場民間財団であるニューワールドの幹部と土地問題について打合せ。その後、YMCA幹部が合流、昼食の後、養護学校の為の土地供与問題につき協議。
一旦、ホテルに戻り、着替えてから、道路を隔てて向かいにあるJICAへ。田中所長らと意見交換、ミャンマー情勢につき、最新の話、興味深い話を、色々聞かせて頂く。
その後、再びティンニュントさんと合流。彼の紹介で、国軍病院に軍医総監のミョーミンテイン軍医少将を訪ねる。義足配布事業での連携について色々話し合った。
夜は、日本大使館丸山公使らと食事を取りながら最新のミャンマー情勢についてお話を伺う。
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<国軍病院に軍医総監を訪ねる>

08時半 ホテル出発
09時 MILIワークショップ
11時 ニューワールド打合せ
12時 YMCAとの協議
15時 JICA田中所長
16時半 国軍病院ミョーミンテイン軍医総監
19時 日本大使館丸山公使
シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院訪問 [2012年09月07日(Fri)]
9月7日(金曜日) 
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<シンガポール国立大学公共政策学部の入るビル>

市内、ブキティマ地区にあるシンガポール国立大学のリークアンユー公共政策学院へ。副学院長のストロースマン教授、研修教育担当副部長のビーハグさんらとミャンマーの少数民族州の地方公務員に対する研修事業について打合せ。
先月、当方から提案した企画に基づき先方が作成した研修素案に基づき、意見交換を行った。その結果、当方の指摘事項を反映した改定案を作成してもらい、今月中旬の私のミャンマー訪問時に、それをもとに、ミャンマー政府と協議し、その結果をフィードバックすることで合意。
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<南アジア研究センターの入るビル>

その後、同じ敷地内に隣接するビルの中にある南アジア研究センターに旧知のジョンソン副所長を訪問。ミャンマー情勢、スリン事務局長退任後のASEANの見通しなどについて、ジョンソンさんの意見を聴取。
ジョンソンさんとの面談を終えて、シンガポール国立大学からの帰り道、ついに、雨が降り出す。今日は朝から雲行きが怪しいので傘を持って出かけたのだが、これまで何とか持ちこたえていたのだ。本格的に降り出した雨の中を、ホテルに戻る。何とか濡れずに済んだ。
夜は、前回に引き続き、NHKの吉岡支局長と夕食。リークアンユー公共政策学院留学中の、須田記者も加わって大変有益な話を聞かせて頂くことが出来た。
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<夕方になって雨が降り出した>

13時半 シンガポール国立大学リークアンユー公共政策大学院訪問
15時半 シンガポール国立大学南アジア研究センター訪問
18時半 NHKシンガポール支局吉岡支局長
ジャカルタ義肢装具師養成校(JSPO)の卒業式に参列 [2012年09月06日(Thu)]
9月6日(木曜日) 
今日は、日本財団が3年前に始めたジャカルタ義肢装具師養成校(JSPO)の初めての卒業式、ということで久しぶりにジャカルタを訪れたのだが、今日の式典は、JSPOが所属するジャカルタ第一医療ポリテクニック(三年制の医療高等専門学校)全体の卒業式なのであった。
ジャカルタ義肢装具師養成校(JSPO)は、この医療高等専門学校の第4番目の学部として設置されている。今回は、看護学部、助産学部、歯科技工学部と一緒、高専全体で174人の卒業式となった。このうち、義肢装具学科(JSPO)の卒業生は27人。
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<174人の卒業生のための式典が始まった>

実は、JSPO一学年の定員は15名なのだが、第1期生の入学が、手続きの遅れから半年以上遅れてしまい、数か月遅れで2期生が入学する、という事態になった。そこで、今回は、数か月前に3年間の課程を終えたばかりの1期生と、丁度いま、卒業する2期生をまとめて、二学年分の学生が同時に卒業式をすることになったもの。
式典は何と3時間にも及ぶものであったが、温かい雰囲気で心のこもった素敵な卒業式であった。ひとつ、印象に残ったのは、神に感謝の祈りを捧げるという宗教的な部分が含まれていたのだが、大多数を占めるイスラム教だけではなく、カトリック、プロテスタント、とヒンズー教の聖職者も招き、順番に生徒達のお祈りを主宰してもらったこと。このうち、カトリックとヒンズー教は生徒が一人ずつに過ぎなかったのだが、ちゃんと個別にお祈りをあげる時間を与えられていたのには感心。
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<4つの宗教毎に別々にお祈りを捧げる>

卒業式を終えて集合写真を撮った後、我々はJSPOへ。事務室で、教務主任を務めるデンマーク人女性のリサさんらのスタッフと取り寄せてもらったお弁当を食べながら打ち合わせ。その後、2時からは、インドネシア政府保健省幹部や、医療高専の役員らを交えて、JSPO国際諮問委員会が開かれた。主なテーマは、27人の卒業生の今後の進路のこと。
大半は、政府系の病院などへの就職が決まっている。国立の教育機関なので卒業生には数年間は国内での就職が義務付けられている由。ただ、今後、卒業生はミャンマーでの義肢装具配布事業での応援など、研修を兼ねた海外での就職の可能性も大きい。そこで、一定期間の後の帰国を条件に、海外での就業を例外的に認めてもらうことになった。
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<JSPO国際諮問委員会で議論>

アジア全体でWHOの認める国際水準の義肢装具士学校は8つ。このうち、日本財団の支援によって作られた義肢装具士学校は5つ。現在、6つ目の学校をミャンマーで設立準備中だ。
アジア全体の義肢装具士のニーズは3000人以上。これに対し、現在は有資格者は200人以下しかいないという。JSPOの今回の卒業生たちは、これからインドネシアのみならず、アジアでの義肢装具の質と量の向上に大きな貢献をしてくれるに違いない。
国際諮問会議を終えて、私は空港へ。今回の出張の最後の訪問地、シンガポールへ移動せねばならない。深夜11時、シンガポール・スキポール空港に到着。タクシーでホテルに向かった。

08時00分 ホテル出発
09時 ジャカルタ第1医療高専卒業式
13時 ジャカルタ義肢装具士学校(JSPO)幹部との打合せ
14時 JSPO国際諮問会議
16時半 ホテル出発
20時25分 ジャカルタ発
23時00分 シンガポール着
食料農業機関(FAO)アジア太平洋事務局で協力協定調印 [2012年09月03日(Mon)]
9月3日(月曜日) 
朝起きてみると、首の凝りは相変わらずだが、心持ち、痛みは改善に向かいつつあるような気もする。家内から私の体調を気遣うメールが入り、マッサージを勧められる。
APCD出向中の間遠さんとホテルのロビーで合流。一緒に地下鉄に乗り込む。わずか2駅で終点のフアランポーン駅へ。ここは、国鉄のバンコク中央駅。ここで、タクシーに乗り換え。国連食糧農業機関(FAO)のアジア太平洋事務所へ連れて行ってもらう。
着いてみると、ここはチャオプラヤー川のほとり、ならば、私のホテルからはBTSでサパーンタクシン駅まで出て、チャオプラヤー川をボートで遡る方が早かったかも。次回はこのルートを試してみよう。
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<国鉄のバンコク中央駅にて>

日本財団はAPCDを実施団体に、障害者の農業従事の実態調査を行うこととしているが、その調査に当たり、FAOの専門家の協力を仰ぐことになった。これをきっかけにFAOアジア太平洋事務所と日本財団は包括的な業務提携に向けた協力協定を締結することになったのである。
FAOの会議室には、小沼事務所長以下7、8人のスタッフが顔を揃えていた。小沼所長の挨拶の後、私も少しスピーチ。そして、協定に署名して調印式は終わった。式典の後、取材に来てくれていた読売新聞や共同通信などのマスコミ関係者も交えて、日本人だけで近所の日本レストランに行き、昼食をごちそうになった。
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<協力協定調印を終えて記念撮影>

FAOでの調印の後、一旦ホテルに戻った。首の痛みは少し改善したような気もしたが、家内からのメールを思い出し、ホテルの近所にあるマッサージ店に。バンコクでマッサージ。一体何年ぶりのことだろう。昔連れて行ってもらったことのある店の場所を思い出しながらホテルの近くの通りを歩き廻り、無事、マッサージ店を発見。治療を受ける。一時間240バーツなので、800円ほど。だんだん気持ちがよくなり、途中から熟睡。「終わりましたよ」と起こされる。痛みはまだ残っているが、以前ほどではない。マッサージのせいかどうかは分からないが、どうやら快方に向かっているようだ。
903KaviArticle.jpg
<カビさんの書いた記事を掲載したThe Nation紙>

夜は、間遠さんと一緒に、タイの有力英字紙The Nationの前副編集長のカビさんと久しぶりに会い、日本食レストランで食事。ミャンマーの急ピッチの民主化がASEANの他のメンバー国に与えている影響や効果について氏のユニークな見解を聞く。今日のThe Nation紙に彼が寄稿したのだという。帰りに、その記事が掲載されたThe Nation紙をもらって帰り、ホテルの部屋で目を通した。いつもながら彼のユニークな視点はとても刺激的だ。
眠る前、部屋のカーテンを締めようとして気がついた。今日は久しぶりに雨無しの一日だった。

10時半 ホテル出発
11時半 FAOでの協力協定調印式
12時15分 昼食会
19時半 元The Nationグループ副編集長カビさん
障害者公共政策大学院のコグバーン教授と一緒に、再び、MILI本部へ [2012年08月23日(Thu)]
8月23日(木曜日)
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<ミャンマーILIの本部事務所の入り口>

午前9時半、部屋に電話がかかって来た。出てみると、アメリカン大学のデリック教授がロビーからかけているのだった。今朝、バンコクからヤンゴンにやって来て、ミャンマー教育省の元初等教育局長らと一緒に10時半にこのホテルで会うことにしていたのだが、もう、到着したのだと言う。
早速、ロビーに降りて行き二人で待っていると、約束の時間にティンニュント博士が一人で現れた。少し遅れて、元初等教育局長のティンニョーさんが現れた。ミャンマー人にしては珍しく、サングラスをしている。不思議に思って聞いてみると、おしゃれではなく、白内障の手術直後で医師に勧められたのだという。
先月、ニューワールド養護学校の建設資金寄付式典で紹介された際、彼にIDPP(障害者公共政策大学院)の話をしたところ、大変興味を思ってくれ、ミャンマーでのパートナー大学捜しでの協力を約束してくれたのだ。
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<ミャンマーILIでIDPPについて説明するデリック教授>

午後2時半、デリック教授と一緒に、ミャンマーILI本部を訪問。障害者公共政策大学院の制度や入学手続きに着いて詳しく説明。障害当事者の間にIDPPに関する情報を広めてもらうよう依頼。
そのまま、空港に向かうというデッリクさんと分かれ、ホテルに戻って来ると、建物の南と北の端にいつもライフル銃を構えて対峙している警備の兵士の姿が目に留まった。最近でこそ、あまり無くなったが、暫く前までは反政府勢力が仕掛けたと見られる爆弾の爆発騒ぎが頻発していたことを思い出す。そう言えば、爆発でけが人が出た現場はこの直ぐ近く。また、5年前の2007年9月、カメラマンの長井さんがデモを取材中に銃撃を受けて死亡した現場も、目と鼻の先なのだ。
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<ホテルの建物の南と北の端には、ライフル銃を構えた兵士が警備>

夕方、カンボジアトラストCOカーソンさんと会い、食事を一緒に取りながら、義肢装具士学校プロジェクトについて打合せ。官僚機構の手続きの壁に遮られて、思ったより手間取っているようだが、来年の1月の開校という超野心的な目標に向かって何とか進んでいるようだ。
今日は、朝から晴天続き。珍しく雨の無い一日だった。

10時半 教育省元初等教育局長ティンニョー氏面談
12時半 アメリカン大学デリック教授
14時半 ミャンマーILI訪問
18時半 カンボジアトラストCOカーソンさん
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