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大野修一(日本財団)
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ヤンゴン・インド人街にある薬草マーケットを視察 [2012年09月22日(Sat)]
9月22日(土曜日) 
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<インド人街にある薬草マーケット>

朝9時、シャン州の南部とマンダレーの国立伝統医療大学などで主に、薬草栽培について調査して昨晩遅くヤンゴン入りした日本財団の農業専門家の間遠さんとホテルのロビーで待ち合わせ。調査の成果につき聴取するとともに、今後の事業の進め方について検討。
その後、シャン州での学校建設事業を担当するNGO「セイダナー」のヤンゴン事務所責任者の和田さんも加わり、暫し、学校建設事業や薬草事業について打合せ。
その後、間遠さんの現地調査に同行して、ホテルから徒歩10分ほどのインド人街にあるヤンゴン市内最大という薬草マーケットを視察。仕事熱心な間遠さんは、盛んに薬草取扱い業者に質問を浴びせかける。比較的暇だったためか、業者の一人が嫌な顔一つせずに、細かい質問に答えてくれた。
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<熱心に薬草取扱い業者に質問する>

そのあと、ホテルに戻り、経営コンサルタントでヤンゴン在住の西垣さんと昼食を取りながら、最近のミャンマービジネス事情などを話し合う。
西垣さんとの話を終えた後は、国家人権委員会のメンバーであるティンニョーさんと打合せ。オンラインによる障害者公共政策大学院(IDPP)のネットワークパートナーにミャンマー国内の大学を加える件について、教育大臣の支持を得られるよう、ミャンマー教育省の初等教育局長OBで障害者教育に詳しいティンニョーさんのアドバイスを得るのが目的。
帰国後、IDPPを説明する資料とともに、私の名前で教育大臣宛にレターを送付しておき、来月、ネピドーで教育省と協議することにする。
922fromIndia.jpg
<インドからの輸入という原料も>

夜は、国際機関や、NGOなどで働くミャンマー人の若者たちと英国植民地時代の邸宅を改造したレストランで夕食をとりながら懇談。彼らは、日本財団グループ事業の若手現地関係者を対象にしたワークショップ「BABA」と、日本財団の支援によってマニラに開設された国連平和大学のミャンマー人OBたちである。
その中に、休暇でヤンゴン訪問に立ち寄っていたというモンゴル人のエリカさんもいたのでびっくり。彼女は国連平和大学の卒業生で、卒業後は日本財団が遊牧民を対象に実施していた置き薬事業を実施するNGOである「ワンセンブルウ」に加わり、「BABA」にも参加した女性である。今も、当時のメンバーと連絡を欠かさず、今回は休暇中で、フィリピンやベトナムで当時の友人たちを訪ねた後、ここヤンゴンにやって来たばかりなのだと言う。このように、日本財団がアジアの各地で実施している若者を対象にした事業の参加者たちがこうして互いにヒューマンネットワークを活用して交遊の輪を持ち続けてくれているというのはうれしい限りである。

09時 間遠さん打合せ
10時 セダナー和田さん
11時半 薬草マーケット視察
12時 ゲンキー西垣さん面談
15時 国家人権委員会ティンニョー委員
18時半 BABA・UPeace同窓生との懇親会
タイ生薬博覧会を視察 [2012年09月05日(Wed)]
9月5日(水曜日)
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<HerbExpoが開かれたのは広大な見本市会場IMPACT>

今朝は、珍しく晴れ上がり、青空が広がった。
ホテルの前からタクシーでバンコクの北方ノンタブリ県にある総合展示場IMPACTへ。昨日のタクシー同様、後部座席ではシートベルトが使えない状況で、一時間も高速道路を100キロ以上のスピードで飛ばすので落ち着かない。
見本市会場のIMPACTには到着しても、会場が余りにも広く、平行して他の行事も行われているので、Herbal Expoの場所がなかなか分からない。
やっとのことで、中嶋君たちと合流。カンボジアの伝統医療師学校で頑張ってくれている針灸師の高田さんを始め、私も知っている人たちの懐かしい顔が見える。今日から行われるメコン諸国伝統医療ワークショップに参加するため来訪したカンボジア保健省の伝統医療関係者たちだ。
このHerbal Expoは今年で9回目。3日間の会期に30万人の来場を予想しているという。一般の人が来るには少々不便な会場ではないかと思うのだが、一旦入場してしまえば、無料でサンプルも貰えるし、専門家からのアドバイスも貰えるからと、庶民に人気なのだとか。
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<HerbExpoの見物客は一般庶民>

今年の特別テーマは医療マッサージ。仕掛けたのは、保健省の伝統医療局の伝統医療研究所副所長のアンチャリーさん。日本財団の伝統医療関連の事業でいつもお世話になっている、とても信頼のできる専門家だ。
タイは、東南アジアの中ではシンガポールに次いで近代医学の進んだ国で、特に、豪華な専門設備を備えた私立病院は中近東などからのお金持ちに人気だ。タイ政府は、近年は近代医学だけでなく、伝統医学の復活にも力を入れており、生薬の生産が盛んだが、それ以上にユニークなのは伝統医学理論に基づく医療マッサージ。整備された国家資格のある東南アジア唯一の国である。
ただ、その国家資格も医学教育のカリキュラムは無理として視覚障害者には取得の道が事実上閉ざされていた。そこで、日本財団がタイ保健省にもちかけ、日本から専門家を派遣することで視覚障害者にも医療マッサージ資格取得の道を開くことを提案、一昨年前から、タイ保健省と提携して、盲人用医療マッサージ資格研修の講師に対する研修を始めている。
そんなことで、アンチャリーさんから今年のHerbal Expoを是非見るように言われていたのだ。905massage.jpg
<今年の特別テーマは伝統医療マッサージ>

見本市会場内のレストランで昼食の後、私は一人彼らと別れホテルに。チェックアウトして空港へ急ぐ。本日のうちにジャカルタに移動しておかねばならないからだ。
空港のビルに入ったとたんスコールが始まった。
晴れ男の私も、南方の雨期シーズンばかりはどうしようもないが、相変わらず、移動中に雨が降っていても目的地に着くとやんだり、車に乗ったり、ビルに入ったとたん雨が降ったり、というラッキーなパターン。この数か月の雨季のアジアへの出張中も、持参した傘を殆ど使わない毎日が続いている。
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<空港に着いたとたんスコール>

スワンナプーム空港に飾られた皇太子の肖像写真に送られてジャカルタへ。スカルノ・ハッタ空港には、前回同様、入国ビザの長い行列が出来ていた。今回は夜の到着なので大丈夫かも、考えていたのだが、自分の判断の甘さに大反省するも後の祭り。何と1時間も足止めを食う。
空港にはカンボジアトラスト代表のカーソンさんが迎えに来てくれていた。車の中で明日の卒業式と国際諮問委員会に向けて、ブリーフィングを受ける。
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<バンコクの空港に飾られた皇太子の肖像写真>

09時 ホテル出発
10時半 Herbal Expo博覧会
13時半 ホテル出発
17時10分 バンコク発
20時35分 ジャカルタ着
雨のハノイ [2012年05月30日(Wed)]
5月30日(水曜日)
朝、ホテルの前から、迎えに来てくれたWHO(世界保健機関)の車に乗り込み、WHOハノイ事務所へ。市内中心部の事務所の有る場所に着くころ、雨が降り出す。英語のうまい運転手によると、本来なら、一年で最も暑い時期の筈だが、異常気象のせいか、今年は雨が多く、そのお陰で、比較的涼しい由。
事務所では2ヶ月前に着任したばかりという代表のカサイ博士(日本の方だが漢字がわからないのでカタカナで表記させていただく)にご挨拶。これからようやくベトナムでも始まる、ベトナムの伝統医薬品を使った置き薬事業について、WHO西太平洋事務局が全面的に協力してくれることに対しお礼を申し上げた。カサイ代表からは、途上国のプライマリーヘルスケアの効率的な改善策という点で、非常にユニークで、大きな意義のある事業だとお誉めにあずかる。
二ヶ月後に予定されている現地視察には是非、参加したいとまで熱心に仰っていただき大感激。
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<WHOハノイ事務所で>

WHOハノイ事務所を出ると本格的な雨が降っていた。雨の中をWHOの車で保健省に送ってもらう。カイン伝統医療局長や、マイ博士が待っていてくれた。いつもミーテイングで使う会議室には調印式の準備ができていた。保健省伝統医療局、WHOハノイ事務所と共同で始まる置き薬事業の開始を前に覚え書きに調印。
7年前にモンゴルで始まった各国の伝統薬を使った置き薬事業だが、その後、ミャンマー、タイにも波及し、ついにベトナムでも始まることになった。ラオスからもWHO西アジア事務局を通じて話が来ているので、間もなく、アジアの5カ国で行われることになる。5年前にモンゴルでWHOと日本財団の共催で行った国際シンポジウムに招待したベトナム保健省の代表は、ベトナムは伝統医薬品の利用ではずっと進んでいる、とばかりに置き薬方式には関心を示さなかった印象がある。その後、ASEAN事務局との共催で4年前にバンコクで始まった伝統医療ASEAN地域会議の際に、モンゴルやミャンマーでの取り組みを紹介したところ、当時、ベトナムの保健副大臣だったシエンさんが、ベトナムでもやってみたいと仰り、担当の中嶋君が中心になって準備を進めて来た。時間がかかったが、ついにベトナムでも始まることになり、しかも今度はWHOの本格的な協力の下に進められると思うと感無量だった。
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<保健省伝統医学局で調印式に臨む>

調印式を終えて外に出ると、土砂降りの雨。幸い、WHOの車でホテルまで送ってもらうことが出来たので、傘はしまったまま部屋に戻ることが出来た。
その後、小一時間ほどして、昼食のために、一人、外に出て見ると、今度は雨はやんで日が差していた。私は「晴れ男」、出張中も折り畳み傘は常時持っているのだが、これまで、使ったことは殆どない。
ぶらぶら歩いて一昨日と同じブンチャー屋さんに。昨日まで、2日連続してブンチャーを食べた後だったので、今日は他の食事にしようかとも考えたが、ベトナム以外ではなかなか食べられないし、明日には帰国する身。結局、3日連続のブンチャーた相成った。
ブンチャー屋さんの近くに、伝統医薬品を売る店がある。その店からほど近い道端に、平たい竹籠が二つ。中には、何やら得体の知れないものが拡げてあった。
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<わずかな晴れ間に生薬の原料を干す@>

一つには、茶色い花の蕾のようなもの、もう一つの方には、白い何かの実が入っていた。その横には、洗ったばかりの食器類の入ったプラスチックの赤い籠。どうやら雨上がりの晴れ間の陽に、干しているもののようだ。
さらに暫く行くと、今度は道路の脇の地べたに、大きなみかんの皮がたくさん転がっていた。すぐ横には、発泡スチロールの箱の上に大きな皿が乗っかり、その上には、キノコのようなものがたくさん入っていた。これらは、想像するに、生薬の材料。干して伝統薬にするのではなかろうか。雨の晴れ間を待っていたのは私だけではなかったようだ。
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<わずかな晴れ間に生薬の原料を干すA>

ブンチャーの昼食を済ませた後、タクシーでハノイ自立生活運動センターへ。副所長のトウイさんとの約束は2時からだったが、昨日誘ったNHKの市原支局長が来る前に用件を済ませてしまおうと、早めに到着することにした。1時半、5分前に着いてみると入り口のシャッターが閉まっていた。しまった。2時まで外での会合か、昼食を取りに全員外出なのか、と思い2時まで待つ覚悟を決めたとたん、シャッターが中から開いた。門番君がハンモックでお昼寝していた模様。1時半から開門というルールだったようだ。
3階の事務室にあがり、副所長のトウイさんらと話をしていると、市原支局長が登場。自立生活運動という考え方の出て来た背景や、これまでの経緯、ハノイ自立生活運動センターの活動などについて詳しく話を聞いてもらうことが出来た。
夜は、白内障手術などで日本財団と関係の深いNGO、ヘレンケラーインターナショナルのゴックさんと、やはり眼病対策事業などを専門にしているカトリック系の団体であるCBNのゴックアインさんの二人と食事。二人は、日本財団グループの事業に関係したアジアの若者を招いて5年間にわたって開催したBABAセミナーの参加者だ。今後も、このネットワークを活用してアジアでの社会事業を進めて行きたいと話し合う。
ただ、約束のレストランまで行くのに、一苦労。予定していた時間より30分以上遅れてしまった。というのも、レストランの住所にあった地番が特殊なもので、タクシーの運転手も、地元の人もよくわからなかった上、タクシーだけが進入禁止という、へんてこな交通規制のせいで、極めて変則的なルートを通らざるを得なかったため45分もかかってしまったせいだ。
帰りは、バスで帰るというゴックさんとホテルの前のバス停まで歩いた。雨もやんでおり、何と、10分ほどの距離だった。
今日は、雨を縫って歩き回った一日。でも、持ち歩いた傘は結局一度も差さずじまいに終わった。
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<道端の果物屋さん 雨は上がったが客足はまばら>

8時半 ホテル出発
9時 WHOハノイ代表カサイ博士
10時15分 保健省伝統医療局調印式
13時 ホテル出発
13時半 ハノイ自立生活運動センター訪問
19時半 夕食会
タイのお正月料理「カオチェー」 [2012年04月23日(Mon)]
4月23日(月曜日)
タイ保健省伝統医療研究所副所長のアンチャリー博士と会う。彼女からは、今年の1月に私がマヒドン賞国際会議に参加した際、是非会いたいと連絡をくれたのに、双方の都合が合わず、果たせずじまい。今回が一年ぶりの再会だろうか。
9月に予定されている保健省主催の薬草博覧会(Herbal Expo)、盲人用医療マッサージ国家資格セミナー、マレーシアで行われる第4回ASEAN伝統医療会議のこと等など、久し振りということもあって話は尽きない。
タイ料理店で一緒に昼食を取った。その時、アンチャリーさんに勧められて、今の時期しか食べられないという「カオチェー」という珍しい料理を食べた。今月4月はタイでは、日本のお正月に当たるソンクラーン。「カオチェー」は日本のお節料理のように、タイでもお正月の時期に食べる特別の料理なのだそうだ。
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<真夏のタイに相応しい涼しい料理「カオチェー」>

ジャスミンの香りのする氷水にご飯をいれた、冷たいお茶漬けのようなものがたっぷり入った丼を中心に、魚の甘煮、えび味噌など甘辛い佃煮のようなおかずの入った器と、花形にくりぬいたキュウリや、グリーンマンゴーなどの生野菜が入った皿が添えてある。
しかし、これは庶民の食べ物ではなく、元々は王宮で食べられていたものとか。アンチャリーさんの叔母さんが王宮で働いていたとかで、彼女は子供のころから叔母さんの家でご馳走になっていたのだそうな。
実際に食べてみると、豪華な王宮料理という想像とは異なり、まさに冷たいお茶漬け。大変素朴な味わいにびっくり。だが、考えてみれば、真夏のタイで氷の入った冷たい料理は、庶民が口に出来るものではあるまい。そう思うと、ジャスミンの香りも上品で、カービングの施された野菜もエレガントそのもの。大変美味しく頂きました。
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<余りの暑さにバスガイドも休憩中>

昼食の後は、APCD(アジア太平洋障害者センター)へ。日本財団から出向中の間遠さんと打ち合わせ。その帰り、スカイトレインの最寄り駅までいつもは20分ほど歩くのだが、余りの暑さに、冷房の効いたタクシーに乗ることに。
ところが、早くも渋滞が始まっていて、道路はバスやバイクが団子状態。思わず、目の前に停まっていたバスに飛び乗ってしまった。私にとってはタイでの初めてのバス体験。最近はバンコクではエアコン付きのバスが増えていると聞いているが、私の乗ったバスは冷房設備なし。
さて、乗っているはずの車掌さんが見当たらない、といぶかりながら空いていた席に腰を下ろしたところ、私の前の席に、だらけた格好でもたれるように横座りしていた「おねえちゃん」がゆっくりと立ち上がり、ふくれっ面で集金にやって来たのでびっくり。
7.5バーツを払うと、今度は、「おねえちゃん」は運転手の隣の席に行き、またまた、だらけた格好で足を投げ出して横座り。うーん、これは炎天下で舌を出して寝そべっている犬と同じ心境かなー。

12時 保健省アンチャリーさん
14時 APCD間遠さん
18時半 NHK寺沢さん
「置き薬」方式による伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典 [2011年12月17日(Sat)]
12月17日(土曜日)
<朝7時朝日が昇る>

早朝、外から聞こえてくる男性の歌声で目が覚めた。時間を見ると、まだ6時ではないか。ホテルの直ぐ外から、インドの歌謡曲のような音楽が聞こえている。まさか、早朝からカラオケでもあるまいし、と外をのぞいてみた。どうやら、海岸の砂浜の辺りにスピーカーが置かれているようだ。もし、直ぐそばにいたなら、きっと大音響に耳を塞がんばかりだろう。
外が明るくなったので、カメラを持って、散歩に出てみると、大勢の人が砂浜の向こうから続々と戻ってくるところに遭遇。尋ねてみると、今日は国民にスポーツを奨励する日だという。12月の土曜日は、4時とか5時に市内中心部に集まり、そこから皆で、海辺まで移動してラジオ体操のように音楽に合わせて身体を動かすと言うものだそうだ。
<早朝の国民体操集会に参加した人々>  

8時15分にバスに乗り込み、ホテルを出発。朝9時からシトウェ市内の公民館で、伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典が始まるのだ。8時半過ぎには会場に着席、ラカイン州政府首相の到着を待つ。
日本財団は3年前から、ミャンマー全土14州で順番に、医療過疎の村、500箇村に対するミャンマー伝統医薬品の「置き薬」方式による配布事業を開始してきた。バングラデッシュとの国境に位置する少数民族州であるラカインがその最後の州。これで、全土7000の村に対する配布が完了することになる。
好評に付き、来年からは、規模を3倍に拡大し、各州で更に1500箇村を追加、2014年末までに、全国6万5000の村の約半数に相当する2万8000箇村での配布が終了する見込みである。
ようやく、9時ぴったりに首相が到着。我々には目もくれず、急ぎ足で中央の席に着席、式典が始まった。時間に厳格な段取りは軍事政権当時のやり方そのまま、という印象を受ける。
フラマウンティン首相は軍人OBだが、前回お会いしたときは、物静かで穏やか、殆ど学者のような物腰だったのだが、今回は、厳しい規律の軍人そのまま、別人のように見える。
式典が終わったあと私は、連邦政府の保健省を代表して来賓として来ていた女性の保健副大臣と雑談した。どこかで見た顔だと思ったら、5年前に日本財団がWHO(世界保健機関)と共同でモンゴルで開催した伝統医療会議に来ていた人だった。
確か、ミャウンミャウンさんとか言って当時は副局長クラスの人だったが、大出世して副大臣になっていたという訳だ。私のことを覚えていてくれて雑談となったのだが、彼女は、大統領からの伝言として、「日本財団には、是非この薬箱を、全土6万5千の村々総てに届けるまで支援を継続して欲しい」と言う。私は、「先ずは、来年から始まる2万8千箇村への配布事業を成功させるよう努力するので、引き続き御支援いただきたい」と、答えておいた。
<私もミャンマーの民族服ロンジー姿で式典の開始を待つ>

式典を終えて、我々は市内のあるお寺に向かった。ここには、そこには、旧日本軍の戦死者の霊を慰めるための碑が祀られていることを前回の訪問時に確認済みである。今日は、ここでお坊さんを呼んで法要を執り行おうと言うのだ。
太平洋戦争中、最も悲惨な戦いと言われたインパール作戦から生還した戦友たちがこの地を再訪して建立したのではなかろうか。碑の背面には「祖国の名誉の為、この地に散った英霊よ安らかに」との文字。
集まってくれた5人の僧のうちで最も格が高いとみられる僧侶が、死者の霊を弔ってお経を唱えてくれた。ふと見ると、お坊さんの前にはマイクロフォン、我々の後ろには大型のスピーカーが用意してある。
やがて、お経が始まるとスピーカーからボリュームアップした音が流れ出したのだが、何と、エコー付き。うーん。有難いような、有難くないような、、、。ちょっぴりカラオケの風情を感じたお経だった。
<法要のお経はエコーがかかったマイク付き>

法要を終えると今度は、州政府庁舎に向かった。先程の厳しい表情とは異なり、相変わらず物静かだが、ずっと穏やかな顔つきのフラマウンティン・ラカイン州政府首相が待っていた。渡辺さんも交えて、笹川会長とラカイン州の現況、同州における日本財団としての今後の活動につき、暫し懇談。
日本財団としては、この薬箱を州内の学校にも配置し、サイクロンで破壊された校舎の修繕と併せ、学校現場での保健教育という切り口で、ラカイン州での支援事業を検討することになった。
ただ、会談の間中、フラマウンティン首相は控えめで、我々に対して、はっきり支援を求める発言をしなかった。他の途上国では、このような場では直接的な表現で、支援を要請してくる政府高官が少なくないが、ミャンマーの場合は、謙虚なのかプライドが高いからなのか、一般に、物欲しげな発言をされることはめったにない。痺れを切らした渡辺さんが、首相に対して、もっと具体的に支援を要請するよう促したほど。
<伝統医療病院の看護婦さん(赤いスカート)と看護助手たち>

その後は、一旦、ホテルに戻ってからシトウェ港の視察。そして、最後に空港近くにある国立シトウェ伝統医療病院を視察。ここは、20床ほどの入院設備まである本格的な病院。ミャンマー保健省自慢の全土14州総てに一箇所ずつ設けられた伝統医療専門の国立病院である。全部で7人の伝統医療師と、6人の看護師、看護助手が、年間約4500人の外来患者と、360人の入院患者を診ている。
伝統医療病院訪問を終えると、そのまま、シトウェ空港へ。帰りの飛行機も、我々だけのチャーター機。行きと同じATR製ターボプロップ機だが今度のは40人乗りのATR42。夕闇迫る中、5時過ぎにヤンゴン帰着。
街角にも、ホテルでも、クリスマスの飾り付けやイルミネーションが目立つ。シトウェから戻ったばかりの我々の目には、ヤンゴンが大都会に見えた。



8時15分 ホテル出発                
9時 伝統医薬品配布事業ラカイン州開始式典
10時半 日本軍兵士顕彰碑視察
11時半 フラマウンティン・ラカイン州政府首相  
13時 シトウェ港視察
14時 国立伝統医療専門病院訪問
15時30分 シトウェ発
17時 ヤンゴン着
19時 関係者と夕食


水路、ラカイン州の古都ミャウーへ [2011年12月16日(Fri)]
12月16日(金曜日)
昨日、ヤンゴンに戻ってきたばかりだが、今朝は7時半にホテルのロビーに集合、全員でバスに乗り込み、ヤンゴン飛行場に向かう。今回の出張のハイライト、ミャンマー西端の少数民族州であるラカイン行きだ。8時過ぎに着いてみると、飛行場の国内線ターミナルはがらがら。通訳のティンさんによると、国内線の各便は6時から7時に掛けて早朝の出発で、午後になってヤンゴンに戻ってくるパターン。そのため、早朝の地方行きの便が出払った今は、空いているのだと言う。
我々が週3便しか飛んでいない定期便に代えて用意したのは、チャーター便。ただ、40人乗りをリクエストしたのだが、我々を待っていたのは、70人乗りのATR72。フランス製の双発ターボプロップだ。二人のスチュワーデスが我々を出迎えてくれた。窓際にクリスマスの飾りが付いた機内は、予想外に清潔で美しい。
20人余りの我々には広すぎるあ機内。一行は思い思いの席に散開。ふと、何故か見知らぬ男性客が二人紛れ込んでいるのを発見。保健省がこっそり便乗させたのか、それとも、乗務員の知人か誰かが余禄で乗り込んだのか、、、。しかし、便数の少ない僻地への珍客、我々は敢えて事情を尋ねることなく、そっとしておくことにした。
<チャーター機の機内にて>

一時間余りのフライトで、予定通り午前11時にシトウェ空港に到着。州政府保健省関係者の出迎えを受ける。国内移動なのだが、パスポートチェックを受ける。今でも、外国人の僻地への移動は事前の通知が必要。これでも、許可が必要だった以前と較べると随分簡略化されたのだとか。早速、シトウェ港に向かう。
ただ、そこに我々を待っていたのは、予定していたホバークラフトのチャーター船ではなく、何故か普通の大型ボート。何でも、ホバークラフトの定員が小さすぎたとか、故障中なのだとか。どうも、ホバークラフトではなくなった理由が良く分らない。ただ、スピードは十分出るからとニュント博士。
しかし、ホバークラフトだと、巻き上がる水しぶきで外が良く見えない可能性が大きい。ボートにしたお陰で、我々は航行中の船のへさきの甲板に出ることができ、カラタン川周辺の長閑で美しい景色を堪能することになった。
丁度、満潮期とかで、鏡のように静かな川面。両岸には水辺ぎりぎりまで、水田が広がる。時折、魚を取る小型漁船や、収穫されたばかりの米を袋に積んだ小船が行き交う。水牛の群れが水を飲む姿も見える。看板など調和を破る醜悪な人工物が一切なく、ため息が出るほど素朴で美しい風景であった。
午後2時、古都ミャウーの船着場に到着。ホバークラフトで3時間の行程と聞いていたが、実際は2時間ちょっとの船旅であった。
<収穫した米を精米所に運ぶ小船と行き交う>

ミャウーに上陸早々、遅めの昼食。8月に下見に来たときに泊まったホテルのレストランだ。ティンニュント博士の知人である経営者の奥さんが、一緒の船で同行、食事の陣頭指揮を揮ってくれたお陰で、食事は、なかなか美味しかった。
食事を急いで済ませ、駆け足でミャウーを見物。と言っても、なにしろ、時間が無いので、王宮跡地の横をバスですり抜けた後、地下に並ぶ8万4千の仏像で有名な1535年創建のシッタウン寺院のみをバスを降りて見学してお仕舞い。
私としては、バガンと並ぶミャンマーの仏教遺跡でありながら、交通の便が極めて悪いために、観光地としては処女地に近いミャウーの魅力を、この一行にじっくり見てもらいたいところだったが(と言っても、自分自身2回目の来訪に過ぎず、まだ殆ど、ミャウーを知らないのだが)、観光が目的の旅ではないので、これが限界。
<ミャウーでちょっと遅めの昼食>

午後3時半、ミャウーの伝統医療診療所に到着。診療所の責任者や州政府出先機関の保健担当のお役人らから、診療所の活動について説明を受けた後、同行記者の皆さんのために質疑応答の時間を設ける。
このクリニックは、1996年設立。全国237箇所に設けられた国立伝統医療専門診療所のひとつ。これらの診療所には必ず、国家資格を持つ伝統医療の専門家が駐在して、周辺住民の伝統医療による治療を行っている。とは言え、一日の外来患者数は、と聞いてみると、「16人」という答え。
ミャウーの総人口は約20万人。西洋医学に基づく治療を行う50床の入院設備を持つ国立病院が別途、設けられているとは言え、地方の人々に根強い人気のある伝統医学による治療の分野でも、ここだけで十分な機能を果たしているとは言いがたい。
実際のところは、これら国立クリニックは政府による伝統医療の指導や監督といった立場で、実際の伝統医療による治療を担っているのは、全国に6万人以上いるという伝統医療師である。ミャウー地域でも、近代医学を履修した医師が7人しかいないのに対し、伝統医療師の数は約150人という。
明日、州都シトウェで行われる、ラカイン州での第1次三カ年計画で配布される500個の伝統医薬品の入った薬箱のうち、45個がこのミャウー地区に配られることになっている。この国立伝統医療クリニックの担当医療師は、45個の薬箱の補充と代金回収の責任を負うことになる。
<伝統医療クリニックでQ&A>

マスコミの皆さんの熱心な質問が続いているが、真っ暗になる前に、カラタン川を再び下り、シトウェに戻らねばならない。一時間ほどでクリニック訪問を切り上げ、一行は再び同じスピードボートに乗り込んだ。間もなく、日が傾き、空は素晴らしい夕焼け色に変わりだした。
山陰が紫色に変わり始めると、川岸の民家が美しい黒のシルエットに染まる。息を呑むほど美しい夕焼け。こんなにきれいな夕焼けを見たのは一体何年ぶりのことだろう。
シトウェに帰り着いたのは7時、すっかり日が暮れていた。
窓のない吹き抜けのレストランで蚊を心配しながら夕食。ラカインはマラリア汚染地域なのである。
<夕日を見ながら川を下る>

7時半 ホテル出発
9時30分 ヤンゴン発
10時55分 シトウェ着
14時 ミャウー到着
14時半 市内視察
15時半 伝統医療クリニック訪問
16時45分 ミャウー出発
19時 シトウェ到着
20時 夕食
WHO本部で伝統医療事業の打合せ [2011年11月07日(Mon)]
11月7日(月曜日)
朝8時半、ホテルをチェックアウトして、パリ・リヨン駅へ。9時09分発のTGVに乗るためだ。リヨン駅はいくつかあるパリの主要ターミナルの一つ、スイスや南仏方面への列車の出発駅だ。日本の駅との違いは、総ての長距離列車はここが起点になっていること。そのため、プラットフォームには何本もの番線があり、列車は出発の数十分前から待機している。それなのに、乗客に発車番線が知らされるのは出発の20分前になってから。それより早く着いた乗客は、列車の案内板の前に屯し、自分が乗る予定の列車の発車番線欄に数字やアルファベットが点灯するまで忍耐強く待つほかない。

                  <パリ・リヨン駅の案内板で出発番線をチェック>

私が乗るTGVは定刻を数分遅れて発車。その後、3時間ほどノンストップで走り、スイス国境との近く山中の小さな駅で停まっただけで、スイスへ。国境検問は全くなし。
少しづつ、遅れが大きくなって行って、ジュネーブ中央駅には定刻の12時14分を15分以上遅れての到着。一応、車内放送で「遅れての到着」とはアナウンスするが、日本のようなお詫びの言葉はなく、放送する車掌の声に恐縮した様子は全くなし。
ジュネーブ中央駅は、パリの駅とは比べ物にならないほどこじんまりとした駅。さすがにずっと清潔感のある使いやすい駅だ。私は、駅のタクシー乗り場で車を拾い、WHO本部の近くにあるホテルへ急行。

                  <TGVに乗ってジュネーブへ>

午後2時には、WHOの伝統医療課を訪問する約束になっている。ホテルにチェックインして、すぐに着替えてコンシエルジュに道順を尋ねると、徒歩でも行けるルートがあるという。そこで、もらった地図を片手に飛び出した。バス通りを横切って、教えられたとおりに脇道に分け入ると、そこは、黄色く色づいた葉の美しい木々が鬱蒼と並ぶ小道だった。美しい野鳥が飛び交い、森の中を歩いているようだ。金色の落ち葉を踏んで10分も歩くと、WHOの前のバス通りに出た。
                  <森を歩くようなWHO本部への近道>

WHO本部に着くと約束の時間を5分ほど過ぎていた。丸山さんに玄関のセキュリティーポイントまで迎えに来てもらい、一緒に、伝統医療課長の張さんの部屋へ。彼とは、課長に就任する前に数回会っているが、課長になってからは初めて。
お互いに、最近の伝統医療事業と取り組み状況の報告と、今後の方針、予定案件の準備状況などに就いて意見交換。特に、来年の9月にモンゴルで予定しているWHOと日本財団共催の伝統医療の応用に関する国際会議と、第4回目となるASEAN伝統医療会議の内容や、招待客などについて細かく打ち合わせ。そうこうしていると、あっというまに3時間もの時間が過ぎようとしていた。

                  <WHO本部ビル前の並木 紅葉が美しい>

帰りは、バスと徒歩でホテルに戻り、着替えて少し休んだ後、7時からは丸山さんと一緒にホテルの裏手のショッピングモールの中にある中華料理店で夕食。このモール内のメガネ屋さんのショーウインドーでもキティちゃんを発見。
                  <ここもキティちゃんだらけ ジュネーブのモールで>

8時 ホテル出発
9時09分 パリ・リヨン駅発
12時14分 ジュネーブ中央駅着
14時 WHO伝統医療課訪問
19時 夕食
WHOベトナム事務所で会議 [2011年07月15日(Fri)]
7月15日(金曜日)
午前10時にアポを入れていた国際金融公社(IFC)インドシナ事務所長との面談がキャンセルになったので、午前中の予定はなし。朝寝をして遅い朝昼兼用の食事をホテルのレストランで取る。
午後、タクシーに乗って、世界保健機関(WHO)のベトナム事務所へ。約束の2時より少し前に事務所に入ってみると、既に、ベトナム保健省の伝統医療局長のカイン博士が、担当者のマイさんと一緒に待ちかまえていた。早速、WHOの会議室へ。責任者のエスカランテ博士らにハリソン所長も加わって会議。

                      <WHOベトナム事務所>

ベトナム保健省は、日本財団の資金助成により、来年早々にも、ベトナム国内での伝統医薬品を用いた置き薬配布事業をスタートさせる予定だが、薬の選定や事業評価などでWHOの西太平洋事務局、ベトナム事務所が、全面的に指導、協力することになっている。その準備のために、一足早くWHOに対する、日本財団の資金助成が始まっている。
今回は、WHO側の進行状況の確認と、保健省サイドの事業実施までの準備段階における問題点の洗い出しを行った。WHOからは当初のスケジュール通り進行中、との報告があり、ベトナム保健省からは、細々とした質問や相談事はあったが、さしたる問題ではなく、結局、置き薬配布事業の実施に向けて、順調に準備が進みつつあることが確認できた。
WHOベトナム事務所での会議を終えて、タクシーを拾い、そのまま、ハノイ独立生活センター(ILC)へ。所長のホンハさんが待っていてくれた。

               <WHOでの会議にはハリソン所長も加わる>

IL(Independent Living=独立生活)というコンセプトは、アメリカで始まった重度障害者が相互に支援しあうことで自分たちの社会参加を促そうと言う運動に基づくものである。
それまで、交通事故や脳性まひなどで重度の障害を受けた人は、日常的な介護が必要と言う理由から、外に出ることのみか、社会活動に参加することは出来ない、と周りも見做し自分たち自身もそのように考えて来た。しかし、ILでは、重度の障害者であっても、適切な補助具や、必要最小限の介護者の支援を受けるだけで、社会において自分たちでしか出来ないユニークな貢献が可能である、と考える。
特に、ILの基幹要素を占めるピアカウンセリング(Peer Counseling)と呼ばれる活動は、相手の境遇をより深く理解しうる障害者自身が同じ障害者に対して行うカウンセリングである。それまで家に閉じこもり、健常者には心を閉ざしていた重度障害者には、ピアカウンセラーの働きかけに応じて、それまでの思い込みを捨てて活動に参加するよう呼びかけるのだ。
2年前に始まったハノイでのILだが、現時点での会員数は60名。これは、ハノイ市における肢体障害者総数およそ200人の約3分の1。さらに、会員を拡大すべく、参加を呼びかけているのだが、障害者本人はもとより、その家族の抵抗や反対を乗り越えるのが大変だ、という。
ホンハさんによると、現在7名と交渉中だという。その大半が、比較的裕福な家庭の出身だというから、その方が、家族の抵抗は少ないのかと思うとさにあらず、金持ちほど、自分の金で、家政婦や看護師を雇い、障害を持った子供を家に閉じ込めてしまう傾向にある。外に出て好奇の目にさらされたり、子供がからかわれたりするのが不憫で、学校にも行かせず、ハナから子供の可能性を否定してしまいがちなのだそうだ。その結果、これら7名のうち3人が文盲に近い状態だという。

                 <ハノイ独立生活センター事務所にて>

日本財団は、現在のところ、ハノイとホーチミン市で、現地の障害者グループが運営するILセンターを支援しているが、ホンハさんたちは、地方都市への拡大を目指している。
ハイフォン、ダナン、カントーなど、ベトナムの地方都市における、ILセンターの開設に向けた活動の状況について報告を受けた。ベトナムという社会主義国において、障害者組織のイニシアティブを重視したIL運動の展開に当たっては、地方政府の担当責任者から正しい理解と協力を得ることが重要なのだが、その難しさも並大抵ではない。その点では、日本財団の支援により実現した、ベトナム政府による日本のILセンター訪問団で団長を務めてくれた、労働福祉省のダム副大臣が、今もIL運動の強力な理解者としてILセンターの拡大を支援してくれているのは、有り難い限りだ。
ホンハさんにはIDPP(障害者公共政策大学院)の評議員に就任してもらうことになっている。来週、バンコクで行われる開校式と、ASEAN各国の有力大学に対するネットワーク校としての参加の呼びかけなどについても、彼女に相談して事務所を後にした。

                  <所長のホンハさんは英語教師>

急いで、ホテルに戻り、ベトナム僻地での学校建設事業や、義足の配布事業で長年の付き合いがある国際NGOである、VNAHのハノイ事務所長のハイさんと夕食。彼とは、主に、IB(Inclusive Business)について話し合う。IBとは、バンコクのAPCDの呼びかけに応じて準備中の、障害者をターゲットにした事業。第一回目のブレーンストーミング会議には彼にも参加してもらった。


14時 WHOベトナム事務所訪問
16時 ハノイ独立生活センター ホンハ所長
19時 VNAHハノイ事務所ハイ所長と夕食
WHO西太平洋地域事務局で伝統医療事業の打ち合わせ [2011年04月06日(Wed)]
4月6日(水曜日)

          <ホテルの部屋から見たマニラ市内>
 
早朝にホテルを出て、空港に。フィリピンに移動せねばならない。
3時間ほどのフライトでマニラへ。空港には、何とWHO(世界保健機関)の西太平洋地域事務局の車がお出迎え。ホテルにチェックインして部屋に入って間もなく、今度は、WHOの運転手がロビーにお出迎え。と言っても、徒歩5分の距離なので、二人並んで歩く。前回までは、総て自分一人で歩いて行ったものなのだが、今回は破格の待遇。WHOの西太平洋地域事務局における日本財団の位置づけがアップしたのかも。
   
                                      <WHO西太平洋地域事務局の本部ビル>

伝統医療専門官のモンゴル人女性、ナラントヤ博士など3人の担当者や上司のベケダム保健部門開発局長らと協議。WHO西太平洋地域事務局の協力を得て、ベトナムで来年早々から始める予定の置き薬事業について意見交換。また、インドネシアで今年後半に開催する予定のASEAN伝統医療会議の企画段階からのWHO関係者の参画へ協力を求められる。
協議を終えてホテルに戻ると、テレビでは上院の公聴会が生中継中。テーマは、何と、日本の原発事故のフィリピン市民への影響。そう言えば、マニラの大学では、数週間前のある雨の日、日本の事故による放射能が雨に含まれていて危険、と休校騒ぎがあった由。

                     <日本の原発事故を巡る上院の公聴会をテレビが生中継>

     
5時 ホテル出発
7時40分 バンコク発
11時55分 マニラ着
15時 WHO打合せ  
17時半 共同通信三井支局長
仕切り直しのカンボジア伝統医療機構理事会 [2011年04月01日(Fri)]
4月1日(金曜日)
朝食を食べながら、CaTMOアドバイザーの高田さん、日本財団の担当者の中嶋君と打合せの後、保健省本部の敷地内にあるビルで行われる理事会へ。
CaTMOとは、日本財団の財政支援により設立されたカンボジア初の国立伝統医療学校を運営する保健省の外郭団体「カンボジア伝統医療機構」の略称だ。
今年、2月中旬のカンボジア出張の際に行われた定例理事会で、予算を巡る議論が持ち越しとなり、急遽、臨時の理事会を開いて再度協議することになったもの。


        <ここでも日本の被災者のための募金が、、、>

会議の冒頭に、モナ副大臣から大震災に対するお悔やみの言葉を頂く。イムヤン事務次官からは、伝統医療学校の生徒たちから、日本の被災者のために募金しようとの声が自発的に上がり、皆でお金を集めたのだと、募金箱を示しながら報告があった。決して裕福とは言えない生徒たちからの志。本当に、有難い限りだ。
フンセン首相もつい先日、義援金を渡しにわざわざ日本大使館を訪れたとか。日本人の統率の取れた危機対応がカンボジア人を感服させたという。

                                     <カンボジア伝統医療機構(CaTMO)理事会が始まる>

理事会には、私がお願いして理事に就任していただいた前日本大使の篠原さん、ブンサンボ官房副長官のお二人がいつものように揃って出席。今回は、中島君と高田さんが入念に打合せ、事務局のプレゼンテーション資料から予算作りまでを指導してくれたお陰で、スムースに進行。新年度予算が原案通りに承認された。
                         <国連平和大学卒業生たちと>

夕食の前に、CSPOの弁護士で自らも障害者のジョン・ハニーさんに来てもらって、今年の10月にプノンペンで計画しているチャリティー・コンサートのことで相談。
その後、日本料理屋に移動し、国連平和大学のカンボジア人卒業生ら、カンボジア人の若者4人も加えて食事を取りながら色々意見を聞く。しっかりした考えと価値観を持つ、大変優秀な若者たちと話すことが出来て本当にうれしかった。
 
 
9時 CaTMO高田さん
11時 CaTMO理事会  
12時半 CaTMO理事会  
14時半 CJS山崎社長
17時 CSPOハニー弁護士
18時半 UPeace卒業生らと夕食
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