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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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パアンを後に、飛行機でヤンゴンからシンガポールへ移動 [2012年12月02日(Sun)]
12月2日(日曜日) 
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<朝靄の中に美しいシルエットが浮かんでいた>

星空を見果てぬ夢に一夜明けたパアンの朝、素晴らしい朝焼けに思わず外へ散歩に出かける。ホテルの外には、信じられないほど美しいシルエット が浮かび上がっていた。朝日が登るのにつれ、美しく変化する。こんなに美しい場所で武力衝突が何十年も続いていたとは、、、。これからは、平和の中で観光客も増えて行くことだろう。
今日は私ひとりは、午後4時半の便でヤンゴン空港からシンガポールへ向かわねばならない。今夜、ヤンゴンで一泊し、明日の便でバルーチャンのあるカヤー州に向かう予定の本隊には申し訳なかったが、私の時間に合わせて、3台の車に分乗、全員で早朝7時にパアンを出発。
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<モン州名物のラグビー型スイカを売るスタンドが路傍に並ぶ>

ヤンゴンが近づくと、私と同乗していたカメラマンの富永さんは別の車に乗り換え、私一人を乗せた車は市内のホテルに向かう一行と別れ空港へ。しばらく、ロビーでチェックインが始まるのを待つ。そして、4時半の便でシンガポールへ。
飛行機の中で広げた、シンガポールの日曜紙、Sunday Timesのトップニュースは、違法ストに参加した中国人運転手のうち、29人が中国に送還されると言う話。今週の月曜日に、シンガポールに中国から出稼ぎに来ていた171人のバスの運転手が待遇の不満から、ストライキを敢行。シンガポールの法律では、2週間前に予告しないでストを行うのは違法とのこと。そのため、主犯格の5人は扇動罪で逮捕、中心になって騒いだ29人は強制送還となった次第。シンガポールでのスト騒ぎは25年ぶりとか。
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<違法ストの顛末を報じるシンガポールの新聞>

シンガポール特有の功利主義、合理主義に基づく制度だが、これから研修をおぜん立てするミャンマーの地方公務員たちはシンガポールのスト法制をどのように受け止めるのだろうか。
夜9時過ぎ、真っ暗になったチャンギー空港に到着。ホテルチェックインして早めに就寝。

07時 パアン出発
12時半 ヤンゴン到着
16時40分 ヤンゴン発
21時15分 シンガポール着
カレン州都パアンで置き薬とモバイルクリニック事業の開始式典 [2012年12月01日(Sat)]
12月1日(土曜日) 
早朝6時ホテルをチェックアウト。昨日、難行のモン州への旅から到着したばかりの笹川会長らとともに、マイクロバス3台に分乗してカレン州へ。その内の一台はモバイルクリニックの為に購入されたばかりの日本製の中古のバン。5年前の2007年型車だというが、内装も塗装もやり直して新車のよう。車の前後には、日本財団とミャンマー医師会のロゴが並ぶ。
ヤンゴン市内を出ると、先ず、ネピドーに向かう4車線のハイウェイを北上、39マイル地点まで行き、そこから一般道を東に向かって進む。きちんと舗装された道をスムーズに進む。タイとの国境沿いのモン州で、豪雨や悪路に難渋させられたばかりの笹川会長らは、「これは天国への道だ」と大感激。
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<モバイルクリニックのバンで出発>

今日は、伝統医薬品の置き薬配布事業第2フェーズの開始式典、続いて、モバイルクリニック事業のパアン支部訪問、州政府が保有する薬草農場の視察などの行事が予定されているので、遅れてはいけない。しかし、当初の朝9時からの予定がの午後1時からに繰り下げられたお陰で、行程には少し余裕ができた。
シッタン川を渡るとモン州に入る。ビリンを越えた辺りの小奇麗なドライブインでトイレ休憩を取っただけで、さらに東南へ進む。モン州とは言ってもこの辺りは、比較的なだらかな土地。道路の両側にはゴム林が続く。
しばらく進むうち、左手、遠方に高い山々が見えてきた。カレン族の住む高地である。反政府武装勢力が60年もの長い間政府軍に抵抗し、ゲリラ戦を続けてきた場所だ。これらの山の向こうはタイだ。
この辺りに来ると、橋の両側等の戦略地点には土嚢を積んでトーチカが作られている。しかし、今は兵士はいるが、止められることはない。
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<カレンの山並みが見えて来た>

モン州からカレン州に入り、しばらく進むと大きな川に差し掛かった。ミャンマー三大河川の一つ、サルウィン川である。ここを越えるとパアンの町だ。遠く中国の雲南省からミャンマー最大の少数民族州であるシャン州を貫いて流れるこの川の名前は、反政府勢力の記録を読むと何度も繰り返し出てくる。この上流にミャンマー最大の水力発電所のあるバルーチャン川がある。
日本の戦後賠償第一号として建設されたものであるが、これまでそのメンテナンスが叶わず、出力低下が問題になっていた。反政府勢力との間に真の和平が確立できれば、その補修工事も大きく進展することだろう。会長一行は、パアンの後、カヤー(カレニー)州都のロイコーに行く予定で、バルーチャンダムを見ることになるだろう。
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<雨の中、家族連れを乗せた乗り合いトラックが進む>

パアンへのドライブは無事終了し、我々は、12時まえにパアン市内の小さなホテルに到着した。そこで昼食を取った後、大きなホールに案内された。そこで、州政府のゾーミン首相主催のミャンマー伝統医薬品を使った置き薬事業第2フェーズの開始式典が始まった。中央政府からは、急な用事で欠席したペテッキン保健大臣の代理でウィンミン副大臣が出席、祝辞を述べた。
テインセイン大統領の要請により、日本財団と中央政府保健省との間では、カレン州では、2000カ村だけではなく、州内の全村に置き薬ボックスを配布することになった。当然ながら、反政府勢力支配地域もその対象となる。
中央政府とカレン族反政府武装勢力との間では昨年、60年ぶりの休戦協定が成立しているが、カレン側も武装を解いたわけではなく、双方は武装したまま対峙しているわけで、全村配布を実現するためにはカレン側との協力が不可欠である。従い、今日の式典の場には、カレン族の反政府武装グループKNUの代表者も2人出席すると聞かされていたが、結局、式典での来賓としての正式な紹介者には含まれておらず、式典の後でも、私的に紹介されるわけでもなく、確認は叶わなかった。カレン族と中央政府の微妙な関係を感じた。
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<置き薬第2フェーズの開始式典で挨拶する州政府首相>

置き薬式典の後、モバイルクリニックの実働チームが、設立されたばかりのパアン支部に案内してくれると言うので、州政府首相にその旨を告げると、自分も行ってみたいと仰るので、大勢で出かけることになった。ふと、前を見るとカービン銃を担いだ武装警官が5-6人乗り込んだ小型トラックが我々の車列を先導してくれていた。
程なくして、モバイルクリニックのパアン支部に到着。小ぶりの一軒家の民家を改造したもので、そこに医師や看護婦、薬剤師ら10数名の女性を中心にしたスタッフが、我々を出迎えてくれた。今回は、元々はプロジェクトの開始式を行うと言う話だったが、既に、スタッフのためのトレーニングなどがスタート。先週には、初のモバイル診察で70人以上に治療を施したと言うので、式典の代わりに、プロジェクト概要のプレゼンテーション。その後、建物の前に出て、会長、首相らとともに記念撮影。
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<モバイルクリニックのパアン支部のスタッフ>

その後は、パアン郊外に開発中の工業団地の一角にある州政府保有の農園へ。州首相自らが、栽培中の薬草の苗について熱心に説明。我々が提案している薬草栽培事業に対する期待を熱く語ると共に、州政府挙げての支援と協力を約束してくれた。
日本財団が中央政府の保健省と協力して進めている、生薬を使った置き薬事業は今年から第2フェーズを迎え、2014年には全国の約3万の村々への配置が終わる。ミャンマー全土の半分近くの村落部での生薬の使用が本格化するので、そのころには、原料となる薬草への需要が急増するものと予想される。そこで、主食のコメの生産には不適な山岳部が多い少数民族地域での薬草栽培を拡大することを計画している。カレン州はその事業の出発点になる見通しである。
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<カレン州政府のゾーミン首相自らが薬草園を案内してくれた>

薬草の視察を終えて、ようやくホテルにチェックインしたのは4時半過ぎ。今夜は、州政府主催の夕食会だ。夕食会の後、遮るもののない夜空を眺める。私は晴れ男。海外出張でもおよそ雨傘のお世話になったことはない。ただ、何故か、星空とは無縁。
果たして、今夜も月は満月、折角の遠隔地だが、やはり、満天の星空は見られず。
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<州首相警護のための武装警察隊>

06時 ホテル出発
13時 カレン州置き薬式典
14時15分 モバイルクリニックプロジェクト開所式
15時30分 州政府試験農場訪問
19時 州政府主催歓迎会
モバイルクリニック事業についてヤンゴン事務所で打合せ [2012年11月27日(Tue)]
11月27日(火曜日) 
9時半にエルウィンさんとホテルを出発、ミャンマー医師会モバイルクリニック事業ヤンゴン事務所へ。ヤンゴン中央駅にほど近い15階建てマンションの14階。眺めは抜群だ。
モバイルクリニック事業の責任者に就任したティンウィンチョー博士らと、12月1日にカレン州のパアンで予定されているモバイルクリニック事業の開始式典の打合せ。30日には日本財団の笹川会長一行もタイからヤンゴンに到着し、翌日早朝にパアンに向けて出発する予定。
パアンへは、6月に州政府にゾーミン首相を表敬した際、道路事情は確認済み。舗装道が続くのでヤンゴンからは5−6時間の行程だ。ところが、1日の式典に参列する予定の中央政府のペテッキン保健大臣の都合で、早朝9時からに決まった由。そうなると、ヤンゴンは夜中の3時には出発しないといけない。
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<モバイルクリニック事業ヤンゴン事務所>

駐ミャンマー日本大使館からは、30日の夜に公邸での夕食のお誘いを頂いたが、翌1日の夜中の出発に備えて、会長一行には早めに就寝してもらえるよう、已むなくお断りすることに。
打合せに引き続き、10時からは、モバイルクリニック事業の月例報告会。カレン州とシャン州の4カ所に現地拠点の設置が完了し、事務スタッフや医療スタッフもほぼ全員採用、と予定通りの進行。
思えば、この事業についての具体化に向けた議論を始めたのは、今年の4月のこと、それから。たかだか6ヶ月で本格稼働に漕ぎ着けたことに改めて、医師会メンバーの熱意と責任感、高い実務能力に脱帽。
会議終了後、近所のレストランからミャンマー料理の昼食を出前に取ってもらい、皆で食事。中華料理風の味付けのミャンマー料理だった。
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<モバイルクリニック事業の月例報告会>

午後は、国境省のテインテー部長がネピドーから出張して来てくれて、地方公務員のシンガポール研修事業の打合せすることになっていたのだが、急なマンダレー出張が入ったとかで中止。29日に、ネピドーで会うことに。
ミャンマーの場合、前もってかっちりと、面談の約束を確定させておくことが非情に難しく、すべては、直前まで分からないことが多い。それには、もう慣れっこになっている。
ただ今回は、ネピドーでは他に教育大臣や社会福祉大臣との面談のアポを申し入れており、今はその確認待ちの段階。重ならないよう、時間調整が必要になるが大丈夫だろうか。
そこへ、1日の式典の開催のタイミングの変更の連絡。9時ではなく、13時からに変更、但し、保健大臣ではなく、副大臣になる由。ヤンゴンからの出発はその分、3時間遅らせて、早朝6時にすることに。そのため、午後はホテルの部屋からあちこちに連絡に忙殺される。財団の担当メンバーは殆ど全員海外出張中なので、日本、タイ、マレーシア、ミャンマー4カ国の間でメールが飛び交う。

09時半 ホテル出発
10時 ミャンマー医師会モバイルクリニック事業ヤンゴン事務所打合せ
18時半 内藤さん、福村さん
モバイルクリニック事業ヤンゴンオフィス開所式 [2012年10月24日(Wed)]
10月24日(水曜日) 
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<ヤンゴンオフィスからの眺め>

朝9時、ホテルを出発して、ヤンゴン中央駅近くのビルに向かう。この建物の最上階に案内される。ここが、来月からスタートするモバイルクリニック事業の本部事務所である。今日はここで、オフィスの開所式が行われるのだ。
この事業は、ミャンマー医師会と共同で、少数民族が多く住む、ミャンマーの僻地を対象に、移動診療車などを活用した医療サービスに取り組もうというもの。初年度は試験的に、先ず、タイと国境を接するミャンマー東南部のカレン(カイン)州とモン州の2つの州で実施することになっている。
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<ヤンゴンオフィス開所式でテープカット>

モバイルクリニック事業のパートナー、ミャンマー医師会のチョウミンナイン会長とテープカットに臨む。テレビ局を始め、新聞や雑誌社からもジャーナリストが取材に来ており、テープカットの後、ミャンマー国営テレビ局のインタビューを受ける。
式典の後、事務所内で早速、モバイルクリニック事業の第1回目の月例会議が始まる。プロジェクトリーダーに就任した、元保健省の部長で、モン州保健局の局長経験を持つティンウィンチョーさんが、最新の状況について報告。
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<国営テレビのインタビューに応じる医師会長>

それによると、現地にはカレン州の州都パアンを含む4か所に拠点を設け、医師や看護師など40人ほどのスタッフを確保済み。11月中旬の現地でのオペレーション開始に向けて、着々と準備が進められているようだ。
ミャンマー医師会で本事業について初めて相談したのは今年の4月頃。それから僅か半年余りで実施に漕ぎ付けることが出来たのは奇跡的に思える。中央政府の保健省や、州政府の保健局をうまく巻き込みつつ、実行プランを作り上げたミャンマー医師会のメンバーの熱意の賜物と言えよう。
モバイルクリニック事業の会議を終えて、ホテルに戻ったのは丁度正午前。
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<モバイルクリニック事業月例会議>

前回の出張でも空港に送ってくれたメームさんが運転する個人タクシーの車で飛行場へ。道々、日本財団の事業を高く評価し、そのために働いてみたいと言う彼と、今後の契約に付いて車の中で話し合う。
彼は、1988年の大学紛争時にヤンゴン大学の学生であったために、その後の人生は波乱に満ちたものとなった。彼のような人が増えることだろう。良い仕事が見つかるよう願わずにはいられなかかった。
空港に向かう道では、特に、市内中心部での渋滞がどんどん酷くなっている。しかし、時間を誤って危うく飛行機に乗り遅れそうになった前回とは違って、今回は余裕を持って出発したので、今回は無事に空港に到着。
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<市内中心部では頻繁に交通渋滞が起きるようになってしまった>

09時 ホテル出発
09時半 モバイルクリニック事業ヤンゴンオフィス開所式
10時 ミャンマー国立テレビ局インタビュー
10時半 モバイルクリニック事業月例会議
12時半 ホテル出発
14時55分 ヤンゴン発
16時50分 バンコク着
18時半 APCDニノミヤ所長
猛暑のヤンゴンで地方公務員研修の場所を下見 [2012年10月22日(Mon)]
10月22日(月曜日) 
朝9時、ホテルでティンニュント博士と落ち合い出発。郊外にある少数民族人材開発大学に向かう。ミャンマー中央政府国境問題省のテインテー教育訓練局長らがわざわざ首都のネピドーから出てきて案内してくれるという。と言うのも、日本財団が先般提案した、少数民族州7州の地方公務員の中堅スタッフに対する幹部研修のために、ヤンゴン市内にある研修の候補地を下見するとともに、研修の実施に向けて協議するのが今回の出張の目的の一つなのだ。
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<少数民族人材開発大学の立派な本部ビル>

40分ほどのドライブの後、少数民族人材開発大学に到着。車を降りると、ニャンリンミン学長以下幹部が勢ぞろいで、迎えてくれた。だが、話をしているとどうも話がかみ合わない。
ここは、旧政権が少数民族の子弟を対象に、下級公務員養成を狙って2000年に開設した短期大学。日本財団が視察に来ると言うので、施設や備品の改善のための寄付がもらえると当てにしているようだ。中央政府国境問題省のテインテー教育訓練局長も居心地の悪そうな表情。
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<国境省立中央訓練校正門>

二時間近く、学内のあちこちを案内され、職業訓練など授業風景を見せられ、不足する機材や教材についての説明を受けた。
少数民族人材開発大学での視察の後、再び、車に乗り30分ほどの移動で、国境省立中央訓練校に案内された。
中央訓練校へは、予定時間を大幅に遅れての到着となったようだが、ミンタン校長以下幹部が総出で、我々一行を出迎えてくれた。
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<国境省立中央訓練校本部ビル>

到着早々、挨拶もそこそこに、先ずは、食事をしましょうと、別室へ案内された。幹部食堂らしき、質素だが清潔感のある部屋だ。そこで、白いご飯と魚や鳥、野菜を使ったおかずが数品という典型的なミャンマー料理がふるまわれた。
ミャンマー料理は一般に、とても油っこい上、おかずが総て冷めて供されることが多いのだが、ここの料理は温かくさっぱりとして美味しかった。
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<ミャンマー料理で昼食>

昼食の後、国境省立中央訓練校についての説明を受ける。
北ダゴンタウンシップに4万3000平米もの敷地を持つこの学校は、ミャンマーの少数民族州7州における教育や民生を管轄する国境省の職員のための訓練校。行政学や財政学、法学、都市計画などの文科系の科目の他、コンピューターやエネルギーから裁縫、料理まで幅広い分野を教えている、という。
敷地内には、野戦病院のように大きなホールに30台のベッドが整然と並ぶ。このような宿舎が全部で、7つ。即ち、最大収容人員は210人と、説明を受ける。
我々が提案している「幹部研修」の1回の定員は70名なので、研修場所としては全く問題はない。
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<国境省立中央訓練校の宿舎>

授業中の教室を覗いてみた。すると、そこでは国境省のロゴの入った制服に身を包んだ若い女性たちが洋裁の実習を受講中。数人にどこから来たのか尋ねてみると、北の端のカチン州や、シャン州、さらには、カレン州やモン州などの少数民族州との答え。殆どがビルマ族ではなく、少数民族出身者であるとのことだった。それにしても、国境省の職員になぜ洋裁を、と尋ねると。彼女たちは、少数民族の住民に対する職業教育として洋裁を教える教員たちなのであった。
中央訓練校での視察を終えて、ヤンゴン市内へ戻る途中、国軍第2病院に立ち寄る。軍医総監からの義足配布事業に関しての要請状を受け取る。
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<中央訓練校では洋裁コースも>

今日のヤンゴンは猛暑。外の気温は、恐らく35度を上回っていたのではないだろうか。しかし、車の中は、クーラーが効き過ぎ寒いくらい。風邪気味の身体にはこたえる。
東南アジアの危険はクーラーの効き過ぎ 暑いからと言って半袖にしていると、大変なことになるのはバンコクなどではこれまでに何度も何度も経験済み。しかし、これまではミャンマーでは車がオンボロ。そのためクーラーの効き過ぎを心配しなくて良かったのだが、それは過去の話。車の輸入規制が取り払われたために、これからは安心できないということ。
夜は、義肢装具士養成校事業のパートナー、カンボジアトラストのミャンマー代表として就任したばかりのマイク・スコットさんらと韓国料理で夕食。

09時 ホテル出発
09時40分 少数民族人材開発大学
12時 国境省立中央訓練校
15時半 国軍第2病院
18時半 カンボジアトラスト マイクスコット・ミャンマー代表
帰国 ネピドーで撮った写真あれこれ [2012年08月02日(Thu)]
8月2日(木曜日)
朝6時、ホテルをチェックアウト。タクシーで空港に向かう。タクシーの運転手が教えてくれたところによると、オリンピックの卓球でシンガポールチームが銀メダルを取った由。
オリンピックでメダルを取るのは、欧米の国が中心で、中国や韓国、日本以外のアジアの国の活躍を耳にすることは稀だ。ましてや人口の少ないシンガポールのような国が活躍することは少ない。従い、オリンピックに対する国民の関心も余り高くないように見える。そうした中では、今回、タクシーの運転手がオリンピックを話題にしたのは意外だったが、お陰でオリンピックが進行中であることを思い出した。
今回の出張中はその行程の大半が、外国からの情報を得にくいミャンマーであったことに加えて、現地での行事が多く、余りテレビでオリンピックの様子を見る時間がなかったのだが、オリンピックは順調に進んでいるようだ。
台風の余波で途中少し揺れたが、飛行機はほぼ定刻通りに成田に帰着。
さて、今回の出張では、大統領府や国会などの内部に入ることが出来たので、その際に撮った写真を以下に紹介する。いずれも、その規模の大きさは勿論、装飾も立派で、現在のミャンマーの国力からは分不相応と思えるほどだ。
999PrePalace.jpg 
<大統領府ビルに向かう>

999PrePalaceInside.jpg
<大統領府内部 広大で絢爛豪華>

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<国会議事堂 今は国会会期中だが広大な構内には人影は殆ど見えない>

08時10分 シンガポール発
16時25分 成田着 
シンガポール国立大学でミャンマー案件を協議 [2012年08月01日(Wed)]
8月1日(水曜日) 
朝9時前、着替えを済ませ、下に降りていこうとしていると部屋に電話。「もうロビーに着いた、下で待っているから」と、シンガポール国立大学の南アジア研究センター次長のジョンソンさん。
ホテルのレストランで朝食を取りながらミャンマー情勢などにつき意見交換。
バンコクで事務局長のスリンさんと一緒に会ったラジャさんが合流するのを待つが、結局、彼の都合が付かず、二人だけでダベリ続け、昼食を食べて帰っていった。
午後からは、市内のアジアスクウェアにあるシティバンクビルに出かけた。シティインベストメントバンクの常務であるシュリカントさんに会い、インクルーシブファイナンスの新しい構想につき金融専門家の立場からアドバイスを受けるためだ。
名立たる金融機関の要職にあり多忙な彼が、時間を割いてくれたのは、彼がマイクロファイナンスなどのソーシャルバンキングに個人的な関心を寄せているからだ。たっぷり一時間にわたって私の説明に耳を傾け貴重なアドバイスをしてくれただけでなく、この構想に対し、「大変独創的ではあるが十分現実性のある面白いアイデア」であると、太鼓判を押し、今後の協力を約してくれた。
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<シティインベストメント銀行の入るシテイバンクビル>

シュリカントさんとの面談の後、今度は、シンガポール国立大学のブキテマ・キャンパスにあるリークアンユー公共政策大学院へ。学院長補佐のトゥミネスさんに紹介を受けた幹部教育部のビーハグ部長代理に会う。担当の教授やアシスタントの女性なども加わり、4人でミャンマーの少数民族州の地方公務員幹部に対する特別セミナーについて協議。
こちらから、構想の概要と狙いを説明したところ、大学院としてのこれまでの経験や実績を踏まえた具体的な実行案を8月中に提示してくれることになった。
会議を終えて、ホテルに戻るタクシーを呼んでもらう。シンガポールのタクシー予約システムは大変進んでおり、携帯電話で操作するだけで予約出来、スマホ上の地図に予定の車の所在地が示されるという便利なシステム。
ミャンマーの少数民族州の人たちはシンガポールに来れば彼らが知る最大都市ヤンゴンとの違いにショックを受けることだろう。なにしろ、終戦直後、同じ英国の植民都市でありながら、当時は、ヤンゴンの方がシンガポールとは比較にならないほど、開けた都市であったのだから。
行政サービスに関する限り、シンガポールが世界のトップを走る都市であり、政策の違いが短期間にどこまで大きな成果を生むことが出来るのかを示す絶好のショーケースであると思う。
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<シンガポールのタクシーは便利>

タクシーを降りて、ホテルに戻る途中、近所のショッピングモールで面白い看板を見つけた。Hokkaido Ice Cream という文字の下には日本語で「本物の日本の味」とある。中国系人口の多いシンガポールでは、本物、日本、味、という漢字で十分意味が通じるということか。
それにしても、たこ焼き、弁当、焼き鳥、等々。シンガポールには日本語や日本のものが溢れている。
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<日本語の面白い看板見つけた>

09時 シンガポール国立大学ジョンソン氏
14時 シテイコープインベストメント銀行 クリシャン常務
16時 シンガポール国立大学公共政策大学院ビーハグ部長代理
19時 NHKシンガポール支局吉岡支局長
一人、シンガポールへ 真夜中の両替所は開いていた [2012年07月31日(Tue)]
7月31日(火曜日)
いよいよ、今回の会長出張の最終日になった。今日は、朝一番に在タイ日本大使館から岡田公使にお出いただき会長と面談いただいた他は、すべて、在バンコクマスコミ各社との個別会長インタビューに宛て、最後は、日系メディア関係者との夕食懇談会という段取り。
会長一行は明日朝の便で帰国する。ただ、ここまでずっと笹川会長に付き添い、素晴らしい英語の通訳を務めてくれていた平野さんのみは、ミャンマーに舞い戻り、笹川平和財団が助成している英語通訳助成事業でレクチャーするために別行動。
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<真夜中のシンガポール到着>

また、私もシンガポールに一日だけ立ち寄り、シンガポール国立大学でミャンマーで予定しているエクゼクティブセミナー事業の打合せなどを行うことになっている。そのためには、今夜の最終便に乗らねばならない。日系メディア関係者との夕食懇談会の冒頭に顔を出しただけで、スワンナプーム国際空港へ。
夜9時発の飛行機に乗り、シンガポールへ。シンガポール到着は深夜の午前零時半。タクシー代用の小銭もなかったので、空港の両替所で日本円を滋賀ポールドルに替える。
こんな時間でもシンガポールなら、前回のハノイのようなことはなく、両替所は開いている筈とは思っていたが、確かに、両替所は当たり前のごとく、開いていた。
タクシーで市内のホテルに到着。自分の部屋に入ったのは丁度1時15分。さすが、シンガポール、すべてが迅速、機能的だ。
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<さすが、シンガポール 夜中過ぎでも両替所は開いていた>

08時半 駐タイ日本大使館岡田公使
10時 The NationTV会長インタビュー
11時  International Herald Tribune会長インタビュー
12時 共同通信会長インタビュー 
13時 日経新聞会長インタビュー
15時 朝日新聞会長インタビュー
17時 読売新聞会長インタビュー
18時半 在バンコク日系マスコミ関係者との懇談会
18時45分 ホテル出発
21時00分 バンコク発
00時25分 シンガポール着
バンコクへ移動 ASEANスリン事務局長と夕食 [2012年07月30日(Mon)]
7月30日(月曜日) 
一週間にもわたるミャンマーミッションが漸く最終日を迎えた。今日は、ホテル内のレストランの一室を借りて、ミャンマーのテレビや新聞、雑誌など多様なマスコミを招いての記者会見。
笹川会長の「ミャンマー少数民族福祉向上大使」というユニークなポストへの関心が高かったためか、国営テレビ局であるMRTVのミャンマー語と英語の二つのチャンネルからのクルーを始めとするミャンマーのマスコミ各社は勿論、日系メディアの各主要紙や、ロイーターやAPなどの国際的に著名な通信社など、全部で16ものマスコミ社が参加してくれたので盛況であった。
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<ヤンゴンでマスコミ各社を集めての記者会見>

記者会見の後も、地元紙やテレビなどが個別に会長とのインタビューを求めて順番待ち。そんな訳で、笹川会長はなかなか解放されない。我々一行は、今日の午後の便でバンコクに移動することになっている。漸くの思いで、昼食を取り、午後2時、ホテルをチェックアウトして空港へ。
今回の日本財団ミッションは様々な行事を詰め込んだので、大変忙しかったが、大勢の要人らに会うことが出来、極めて充実した訪問であった。
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<ヤンゴン市内のラッシュアワーを避けて空港へ急ぐ>

今日の夜は、笹川会長は、親しい間柄のASEAN事務局長のスリン博士から、バンコクで夕食会に招待されている。夕食の始まる時間を、8時と少し遅めに設定してもらってはいたのだが、ヤンゴンを出発する便の予定時間は午後4時半過ぎ。バンコク行きの便の到着予定時刻は午後6時半なので、夕食の始まる8時までには余り時間がない。万一、飛行機の到着が遅れたりバンコク市内のラッシュが予想以上だったりすると遅れてしまう危険が小さくない。
何とか、飛行機だけは予定通りに飛んでほしいと、祈るような気持ちで待っていた我々に齎されたのは、非情にも飛行機が遅れる見通しとのこと、早速、スリンさんの補佐官であるラジャさんにメールを送り、遅れるかもしれないと連絡したり、焦ったが、結局飛行機の遅れは30分ほどでヤンゴンを出発。
バンコク空港からは、荷物の回収は中嶋君らにまかせ、私は会長に同行、通訳の平野さんを交えた三人でスリンさんの待つ別のホテルのレストランに急いだ。結局、約束の8時ギリギリに滑り込みセーフ。
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<ASEANスリン事務局長と談笑する笹川会長>

10時 記者会見 
11時 地元マスコミ個別会長インタビュー
12時半 前ミャンマータイムズ社長ロスダンクリー氏
14時 ホテル出発
16時40分 ヤンゴン発
18時35分 バンコク着
20時 ASEANスリン事務局長
スーチー女史面談組と別れ、空路ヤンゴンへ [2012年07月28日(Sat)]
7月28日(土曜日) 
朝方やんでいた雨が再び激しく降り出した。笹川会長ら4名はスーチーさんに会うためネピドーに残ることになったので、急遽、ヤンゴンから呼び寄せた車が着いた。運転手は、今朝未明にヤンゴンを出発して来たのだという。早速、スーチーさんの家を下見し、道順を覚えておいてもらう。
午前11時半、私と中嶋君は渡辺先生らとホテルを出発。空港に向かう。帰りの飛行機は欧州ATR社製のターボプロップ機。少し、予定時間より遅れたものの1時間ほどのフライトで予定通りヤンゴンへ帰着。
夜は、渡辺日本ミャンマー協会会長主催のウインアウン商工会議所会頭との夕食会に、アウンサンシーチーさんとの面談のためにネピドーに残った笹川日本財団会長の代理として出席。
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<ヤンゴン空港の国内線ターミナル>

11時半 ホテル出発
13時30分 ネピドー発
14時30分 ヤンゴン着
19時 ウインアウン商工会議所会頭夕食会
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