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犬山城 (01/18)
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ラカイン王朝最後の首都ミャウー [2011年08月18日(Thu)]
8月18日(木曜日)
                  <小さいが洒落たホテルだった>

明け方、大雨の音で目を覚ます。南国のスコールそのもの、激しい雨脚である。やれやれ。これでは、昨日何とか切り抜けた泥濘の坂道はもう通れないのでは、と心配になる。
しかし、7時に朝食を摂りに外に出てみると、雨は殆どやんでいた。明るくなったホテルの周りを改めて見回してみると、なかなか小洒落たホテルだった。ホテルの前の通りは、行きかう人も多く、賑やか。これがこの町一番の目抜き通りなのだとか。しかし、この通りの横には澄んだ小川が流れ、そこで朝市で買ったばかりの野菜を洗う人もいるほどの長閑さ。
麺料理と野生のバナナ、野生のランブータンで軽く朝食を取った後、ホテルの直ぐ近くに広がる15世紀の王宮跡を見物に出掛けた。王宮の建物は残っておらず、苔むした石組みが残るのみ。原っぱでは、牛追いの少年に連れられた牛たちがのんびり草を食んでいた。まさに「つわもの共の夢の跡」である。

                     <朝の道を行きかう人々>

ミャウー王宮跡地を歩いた後は、シッタウン寺院を訪れた。寺院の地下に、両側に仏像が並ぶ通路が、迷路のように幾重にも張り巡らされており、その数、なんと8万4千。それが、ラカイン語で八万という数字を表すシッタウンという名前の由来なのだそうだ。
西暦1535年創建というこの寺の本来の名前は、ランアウンゼヤ=勝利寺院。それは、インドのベンガル地方との戦いに勝利したことを記念して建てられたことに由来するとか。
時間がなかったので、車を降りて内部まで見学できたのはここだけだったが、この小さな町の至るところに、大小さまざまな寺院や仏塔が立ち並ぶ様は壮観。道路やホテルなどインフラが整備されさえすれば、世界文化遺産登録間違いなし。

                  <16世紀に建てられたミャウーの寺院>

ミャウーからの帰途、チャウトーという町の郊外にある古都ダニャワディー遺跡に立ち寄った。ミャウーより遥かに古いラカイン族の王朝と言われるダニャワディーは、ラカイン族の伝承によれば、紀元前3300年にまで遡るとされるが、考古学的調査からは西暦4世紀から6世紀の都市と推定されているという。
ここには、ラカイン族の仏教信仰の中心ともいえるマハムニ仏を祀るマハムニ寺がある。
ビルマ族のニュント博士の話では、マハームニ仏は仏陀自身が制作に関わったとされる誠に霊験あらたかな仏像なのだが、ここに祀られている仏像は、何と偽物なのだそうだ。もともとは、ここに置かれていたものを、ビルマ族の王様が戦利品として、マンダレーに持ち去ったのだとか。
しかし、ラカイン族はマンダレーの大伽藍に安置されているマハムニ仏を本物とは認めていないと言うからややこしい。シトウェのホテルで手に入れたラカイン族とみられる学者が書いた歴史書の英訳本によれば、ラカイン側の説明は以下の通り。
「仏陀がインドで悟りを開き仏教の普及を始めた頃、ラカイン州を治めていたサンダトゥリヤ王は、仏陀をミャウーへ招いた。仏陀は弟子500人を伴い空中を飛んで来訪(紀元前554年)、それ以来ミャウーの人々の多くは仏教徒になったと言われる。仏陀は帰還に際し、王の懇願を受けて、自分にそっくりの像を作って与えた。これがマハムニ仏像の謂れである。
しかし、ビルマ族のボダウパヤ王が1789年にミャウーを攻略した際、マハムニ仏を運び出した。ところが、船で運んでいる途中で、川に落としてしまった。それを引き上げることが出来なかったために、代わりにマハムニ仏に似た仏像を見つけ、マンダレーに運んだのである」
ならば、ここにあるマハムニ仏は?どうも、よく判らないのだが、ラカイン族とビルマ族のライバル意識を良く示すエピソードと言えそうだ。

                  <チャウトーのマハムニ仏に祈る人々>

シトウェに戻り、真っ先に、国立シトウェ伝統医療専門病院へ。昨日、空港に出迎えてくれたラカイン州政府の伝統医療監督官らが揃って待っていてくれた。病院の内部を見学させてもらう。男女別に分かれた病棟に行き、15人ほどの入院患者にもインタビュー。
次いで、ラカイン州政府庁舎へ。アウンチョウミン保健大臣に会う。そして、フラマウンティン・ラカイン州政府首相と面談。12月に予定している置き薬配布事業開始記念式典、と配布事業そのものについて、州政府の協力を要請、快諾を得る。
非常に友好的な雰囲気の中で、州首相らと懇談していると、ちくっ。あっ、蚊に噛まれた。州首相の応接室に蚊が飛びこんでくるとは。どうも油断していたようだ。会談を終えて廊下に出ると直ぐに、虫除けスプレーを擦り込むが手遅れ。
政府宿舎を出ると、我々が乗ってきたミニバンではなく、黒塗りのセダンに案内される。戸惑っていると、この車がアウンチョウミン保健大臣の公用車で、大臣の厚意でこの車でホテルまで送ってくれるのだという。
夕食は、ティンニュント博士の知り合いの経営するレストランへ。あちこちから、博士の顔を見て、声が掛かる。ニュント博士は、若い頃、7年間もの間、シトウェの国立病院に派遣されていたのだとか。病院勤務の傍ら、個人でも市内にクリニックを開設していた由。シトゥエを去ったのは、1991年。そして、この間20年もの間、シトウェを再訪する機会がなく、今回が20年ぶり訪問だとか。

               <シッタウン寺の地下には2万体もの仏像が並んでいた>

6時半 起床
7時 朝食
8時 宮城跡、仏教寺院見学
9時 出発
12時 昼食
15時 シトウェ伝統医療専門病院訪問
15時45分 ラカイン州政府庁舎訪問(アウンチョウミン保健大臣)
16時 フラマウンティン・ラカイン州政府首相  
19時 夕食会
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