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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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内戦再発の地、トリンコマレーへ [2009年06月05日(Fri)]
6月5日(金曜日)
コロンボから260キロ東北の港町トリンコマレーへ、セワランカ財団の渉外部長ウデニ・ディアスさんや、宗教者和解会議事業の担当者、ニロシオン君らと車に乗り込む。和平協定が崩れ、内戦が再び激しくなるきっかけを作ったのはトリンコマレーでの戦闘であった。当時、我々はセワランカ財団と組んでNISVA(技能ボランティア海外派遣協会)のボランティアによる船外機エンジン修理や、魚の干物作りなどの指導事業を始めようとしていたが、戦闘の悪化により断念に追い込まれたことがある。ようやく、内戦が終結したので、つい先だって、ここでの魚の干物作り指導を開始したところである。また、姉妹組織の笹川平和財団と組んでセワランカ財団による四宗教者間の相互和解促進事業も行っているので、セワランカにそれらの現場訪問をセットしてもらったのだ。

    <コロンボの街中には戦勝記念の大看板が目立つ>

過去30年もの間、内戦に明け暮れたスリランカでは、自動車専用の高速道路はまだない。そのため、高速道路なら2時間余りとなる筈の行程を、6時間かけて進む。
市内には、戦勝を祝う看板が立ち並ぶ。同行のセワランカのスタッフは、「こんなことにお金を使うのは無駄、やり過ぎ、飢えている避難民の食費にこそ使うべき」、とばっさり。

     <歩哨に立つ兵士の姿が至る所に>

     <途中には今もトーチカが目立つ>

片側一車線の道路を苦労して進む。途中、12時ころアヌラダプーラへの分かれ道を過ぎた辺りから、警戒に当たる国軍兵士の数が急に増える。近くの立ち木を切ったり、手近にあるものでこしらえたトーチカが、約100メートルおきに現れる。
民家の軒先にはどの家にも、戦勝を記念したスリランカ国旗が掲げられている。これまでの地方視察では見たことの無い光景だ。


     <どの家にも、戦勝を記念したスリランカ国旗が翻る>

コロンボの町の朝の渋滞を避けて、早朝に出発したのが功を奏し、我々の車は順調に進み、午後2時半、トリンコマレーに到着。早速、漁業組合研修所を訪問。NISVAのボランティア柴田さんによる魚の干物作りの生徒さん達の歓迎を受ける。今の生徒は15人、二期生の主婦たちだ。作っているのは何と鰹節。柴田さんによると、スリランカではカレーに添えるデンブのようなものの材料などとして使われているのだそうだ。

     <NISVAのボランティア柴田さんによる魚の干物作り指導>

トリンコマレーは面白い町である。モスクがあちこちにあるし、行きかう女性がショールを被っていたり、イスラム人口が多いのは容易に想像がつくが、45%と聞いて驚いた。とろで、他は、と聞くとシンハラ25%、タミル29%との答えが返ってきた。それは人種分類だが、というが要領を得ない。暫くやり取りをして漸く判明したのは、なぜか、タミル語を話す人たちのうち、イスラム教徒をイスラムと分類し、ヒンズー教を信奉するタミル人は、タミル。シンハラは「当然」仏教徒なので、単にシンハラ、と分類しているもののようだ。もうひとつの宗教、カトリックは6%の由。これでは合計すると100%を超えてしまうのだが、、、。

6時半 ホテル出発
14時半 トリンコマレー漁業組合研修所訪問
15時半 セワランカ研修センター建設予定地視察

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