12月2日(金曜日)
<今日のパリは曇り空>
目を覚まして時間を見ると、夜中の3時だった。しかし、日本はもう昼に近い11時だ。今日、UNESCOで発表する3つの事業の内容や狙いについて朝日新聞の市川さんに説明するメールをやりとり。
そうこうするうちに、目が冴えてしまったので、そのまま起きて仕事。
10時になった。道路を隔てて向かいの場所にあるホテルに、新田職員、チャパルさん、ジョンハニー弁護士と一緒に、行く。
ウィンミャッエー大臣一行と、会議室でミーティング。私の方で、トレーニングセンターの運営に向けて、社会福祉省と詰めておかないといけない幾つかの問題について説明し、大臣の意向を確認した。
私の後は、チャパルさんが彼の事業について大臣らに説明。
その後、ミャンマー大使が加わり、彼らの立ち会いのもとで、私がICT事業計画書にサイン。
<ミャンマー大臣、大使立ち会いのもと、ICT事業計画にサイン>
その後、我ら三人だけで一足先にUNESCOへ。世界障害者デー記念のこの日、最初の行事は関係者を招いての昼食会。開始予定時間ぎりぎりの12時半数分前に会場となっていたUNESCOの来客食堂に行くとすでに、50-60人ほどの人でテーブルはほぼ埋まっていた。
定刻を少し過ぎたところで、本日の行事を担当する知識社会部のバネルジー部長の司会で昼食会が始まった。日本財団がスポンサーと言うことで、私が短いスピーチ。昨年のこの日、日本財団とUNESCOの間で、障害者支援に向けた協力協定が締結されたが、既に4,5件の共同事業が実現に向けて進行中、午後のセッションで報告するとコメント。
昼食の後は、一階の会議場に移動。午後2時半から世界障害者デー記念のイベントが始まった。出席者は150人くらいか。
<世界障害者デーを記念するUNESCOでのイベント>
ここでは、UNESCO側の挨拶の後、昨年、UNESCOと日本財団との間で結ばれた協力協定を紹介する形でミャンマーの社会福祉大臣、ウィンミャッエー博士が登壇、ヤンゴンで来夏オープン予定の情報通信技術トレーニングセンターについて報告した。
その後、私の方からは、その他の二つの共同事業、即ち、来年度から始まる「傑出した世界の障害者を顕彰する制度」、再来年にシンガポールで開く予定のアジア太平洋障害者芸術祭についても説明し、昨年の協定に基づきこれらの3つの事業を日本財団がUNESCOと組んで行なう予定になったとして報告した。
我々二人の報告の後は、クウェイト政府がスポンサーになっている情報技術を活用して障害者支援を行なう活動を顕彰するジャベル・アルアーマド・アルジャベル・アルサバ賞という異常に長い名前の賞のコーナーになり、審査員によるパネルのあと、今年の受賞者2組に対する表彰式となった。
<スピーチするウィンミャッエー大臣 >
障害者を描いた短編映画や、障害を持った音楽家による生演奏などを挟んだイベントが終わったあと、チャパルさん、ハニーさんを含む私たちはウィンミャッエー博士一行と別れ、一旦、ホテルに戻った。
そして、チャパルさんの奥さんも交えて、パリの街に繰り出した。クリスマスイルミネーションに彩られたシャンゼリゼの通りを抜けて、昼食時に日本大使館の方から教わった日本人シェフが数ヶ月前に開店したばかりと言うフランス料理店に向かった。
小さいが清潔感の漂う店で、出されたフルコースのフランス料理はどれも繊細な味付けと優雅な盛り付けでチャパルさんご夫妻、ハニーさんにも大好評。感極まってチャパルさんが唸りながら言った。「これはフランス料理ではない。繊細な日本人でしか出来ない素晴らしい別の料理だ!」この店がミシュランの星を獲得する日もそう遠くないことを願わずにはいられなかった。
<クリスマスイルミネーションが美しいシャンゼリゼー通り>
10時 ウィンミャッエー大臣
12時 ホテル出発
12時半 UNESCO昼食会
14時半 イベント
19時 ホテル出発
19時半 夕食