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大野修一(日本財団)
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ニューワールド養護学校訪問 [2016年11月04日(Fri)]
11月4日(金曜日) 
110401SuKyi.jpg
<岸田外相と握手するスーチーさん>

今朝のミャンマーの英字日刊紙に岸田外相と握手するスーチー国家最高顧問の写真が大きく紙面を飾っていた。
そうだ、そう言えば、笹川会長に同行してNLD本部で野党の党首としてのスーチーさんにお会いして、日本財団のミャンマーでの事業について説明したところ、「置き薬」事業に強い関心を示されたことを思い出した。確か、5年ほど前だったがと記録を調べてみると、果たして、丁度5年前、2011年12月だった。
5年の間に、野党の党首から事実上のミャンマー政府のトップに劇的な変身を遂げたことになる。2日付けの笹川会長のブログには、安倍首相との迎賓館での首脳会議で笹川会長の対面に座るスーチーさんの姿があった。感無量。
さて、今日はニューワールド養護学校での岸田さんの講演会。8時半、チョースワミンさんが運転するMILIのワンボックスカーで、一緒にホテルを出発、ニューワールドに向かった。
ニューワールド養護学校では、一足先に到着していた日本財団の尾形理事長一行と合流。父兄ら関係者の出迎えを受けたあと、校舎内を見学。
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<ニューワールド養護学校関係者の出迎えを受ける>

ここは、ミャンマーでは有名な小児科医でミャンマー医師会の会長でもあったテインアウン医師が2008年に始めた私立の養護学校である。当時、ミャンマーでは自閉症、ダウン症などの障害を持った児童を預かる国立の施設はあったものの、ただ、子供たちを数時間滞在させるだけの預かり施設に過ぎず、子供たちに対する訓練や教育のようなものは事実上行なわれていなかった、という。それに、心を痛めた博士が、自分が院長を勤めるパラミ小児科病院の敷地の一部を使って、障害児14人でスタートしたもの。今では児童の数は150名に拡大。約30名の教員や実習生が子供たちに、自立のための訓練や教育トレーニングを行なうミャンマー随一の養護学校に発展した。まだ、多くの希望者が順番待ちだと言う。
私は、2012年にティンニュント博士を通じてこの学校を紹介され、手狭になった施設のための拡張資金の相談を受けた。たまたま、その当時、日本財団のもとに、「アジアの恵まれない子供のために使ってほしい」という遺書を残して亡くなった日本人女性の弁護士から相談があったことで、その遺志を受けて、新校舎の建設が決まった次第。
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<匿名の日本人女性による遺贈を説明するプレートの前で>

遺贈による資金の全額が土地購入と建設資金に投じられただけでなく、代表者3名を日本財団の経費で日本に招待、日本各地の児童養護施設を見てもらった。また、日本財団が設立したシニアボランティア派遣組織NISVA(日本技能ボランティア海外派遣協会)から、専門家として島野さんにも一年以上にわたって指導に行って頂いた。そうして、日本のノウハウを参考にした設備とカリキュラムの充実が実現、昨年11月に落成式を行なったもの。
昨年の落成式には、初の計画ではミライロの垣内社長を伴って尾形理事長が主賓として来訪する予定であったのだが、直前にキャンセルになった。そこで、今回、尾形理事長に改めて視察してもらうとともに、同じダウン症の息子を持つ母として岸田ひろ実さんに講演していただくことになった次第。
事前に、岸田ひろ実さんの雑誌「致知」のインタビューの英訳を送ったところ、感激した父兄会の代表たちがミャンマー語に翻訳、150名の児童の親御さんたちに送り、今日の講演を案内したところ希望者が殺到する事態になった、という。
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<岸田さんによる講演会が始まった>

尾形理事長による、日本財団の関わりと岸田さん母娘を紹介する挨拶のあと、岸田ひろ実さんによる講演会が始まった。
静かに語りかけるように話す岸田ひろ実さんの日本語を、通訳のモンさんがミャンマー語に逐次翻訳して行く。
今は、車椅子の身だが7年前までは普通に暮らしていたこと。22歳で結婚し、翌年、長女の奈美さんが生まれたこと。しかし、26歳で生まれた息子がダウン症だったこと。一時は絶望したが、それを乗り越えて、親子三人で幸せに暮らしていた時に、夫が39歳と言う若さで心臓麻痺のために急死。自分が子供たちを支えねばと必死で働いていた時に、無理がたたって、大動脈乖離、という恐ろしい病気に倒れたこと。文字通り、九死に一生をえたものの下半身麻痺と言う障害が残ってしまった。
そして、1年半にも及ぶ入院生活の後、初めて車椅子で外出してみて、将来に絶望し、思わず娘の前で「死にたい」と漏らしてしまったこと。
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<岸田さんの話に熱心に耳を傾ける150人の父兄たち>

ところが、奈美さんの「お母さんのつらさは分かる。死にたいなら死んでもいいよ」、「でも、2億パーセント大丈夫だから、もう少し、一緒にがんばろう」という言葉をきっかけに前向きに生きることを決めたこと、、、。
岸田さんの静かな語り口と通訳のモンさんの情熱の込もったミャンマー語が交互に、繰り広げられた。150名の参加者の多くは自らも障害児をもつ立場。皆、一言も漏らすまいと熱心に耳を傾けていた。そして、奈美さんの「2億パーセント大丈夫だから、がんばろう」という言葉のところでは目頭を押さえる人が続出。
岸田さんは続けた。
今は、娘さんが垣内さんたちと創業したミライロの「ユニバーサルマナー」専任講師として、年間170回と言う講演をこなし、「今が、人生で一番幸せ」と思えるようになったこと。
そして、日本でのユニバーサルマナーのこと、障害者を巡る環境などを話して、岸田さんの講演が終わった。
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<MILIを訪問>

すかさず、地元のテレビ局の取材が入り、岸田さんはそのまま壇上でインタビューを受けた。しかし、その後は、岸田さんたちはそれが終わるのを待っていた大勢の人に取り囲まれてしまった。その後、遅れて始まった昼食会の席でも、障害児のお母さんたちが岸田さん母娘を質問攻めで、放そうとしない。
しかし、この後は、パラミ病院の見学、そして、ミャンマー障害者自立生活運動(MILI)の本部訪問。さらには、日本財団ヤンゴン事務所訪問、と予定が続いているので、私は気が気でない。無理やりに、割って入りニューワールド滞在を打ち切ったのだった。
時間が押せ押せになってしまったので、パラミ病院では救急設備を見学した後、テインアウン院長がもう直ぐ駆けつけるからと言うのをお断りして退出。MILIでも、明日の夜にはMILI幹部との夕食会があるので、と早々に訪問を切り上げた。そして、そのまま、日本財団のヤンゴン事務所へ。駐在員の田中、原田両職員、現地在住の和田さんら女性職員3人組が日本財団のミャンマー事業の全体像をプレゼンしてくれた。
一旦、ホテルに戻って小休止の後、エヤワディーでの学校建設事業の責任者、平野さんご夫妻との夕食会に臨んだ。

08時半 ホテル出発
10時 ニューワールド養護学校講演会
12時半 昼食懇談会
13時15分 パラミ病院視察
14時15分 MILI本部訪問
16時半 日本財団ヤンゴン事務所訪問
18時 ホテル出発 
19時 平野さんご夫妻との夕食会

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