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大野修一(日本財団)
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犬山城 (01/18)
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IDPP事業打合せでマヒドン大学へ [2012年10月25日(Thu)]
10月25日(木曜日)
1025Campus.jpg
<王室に近いマヒドン大学はお金持ち>

バンコクの朝、8時半にAPCDの車に乗り込む。所長の二ノ宮さんや現地スタッフのアンさんらと一緒にホテルを出発。マヒドン大学でのIDPP(障害者公共政策大学院)事業に関する会議に参加するためだ。大学での会議は10時からに設定されていたのだが、道路状況次第では時間がかかるかも知れないというので、余裕を持って8時半に出発することにしたもの。
しかし、結果的には道路は順調で、9時半前にはマヒドン大学本部のあるサラヤ・キャンパスについてしまった。ミーティングルームが設けられた障害者研究で有名なラチャスダ・カレッジに案内される。
1025Dean.jpg
<障害学部ラチャスダカレッジのタウェー学部長と談笑する二ノ宮所長>

ラチャスダと言う名前は、障害者を含む弱者に対する熱心な支援で、国民の人気も高いシリントーン王女の名前に由来する特別のものだ。
近くの壁にはラチャスダカレッジの組織図が飾られていたが、その地の色は鮮やかな紫、シリントーン王女の誕生日の土曜日を表す色だ。
10時まで待たされるのかと思いきや、程なくしてラチャスダ・カレッジのタウィー学部長、次いで副学長のスラキット博士まで姿を現し、早々に会議が始まった。テーマは、IDPP事業の拠点を現在のアメリカン大学からアジアに移管すること。
これは、先に、マドリードでコアメンバーだけで開いた非公式会議で合意した長期目標である。ただ、具体的な移管方法についての議論は、次回に持ち越されていたのだが、ここで、マヒドン大学が名乗りを挙げた、と言う訳であった。
1025Ratchasuda.jpg
<ラチャスダカレッジの教職員の顔写真入り組織図>

マヒドン大学側からの力の入ったプレゼンテーションの後、当方からは、提案された方式についての詳細や、実現可能性などについてこまごまとした質問。その後、他の選択肢との比較における得失など、色々熱の入った議論が続いた。
そして、気が付くと時計の針は12時を回っていた。3時間近く議論をしていたことになる。驚いたことに、多忙なはずの副学長を始め、長時間にわたった会議にも拘わらず、マヒドン側は誰一人として席を立たなかった。IDPP誘致に向けてのマヒドン大学を挙げての熱意に大いに勇気づけられた。
1025MahidolMeeting.jpg
<IDPP事業打合せ会議>

12時半に一旦、会議を打ち切り、ラチャスダ・カレッジの中を少し案内してもらった後、林の中にある大学所属のレストランで昼食。この素敵なレストランは、昨年1月、アメリカン大学のデリック教授らとIDPP事業について、当時のピアサコール学長に説明した際に、連れて行ってもらったレストランだ。
この席にも、スラキット副学長とタウィー学部長は揃って顔を見せてくれた。スラキット副学長によると、IDPPの件は、マヒドン大学のピアサコールさんの後任の新学長からもサポートを得ているとのことであった。
1025restaurant.jpg
<林の中の素敵なレストラン>

08時半 ホテル出発
9時半 マヒドン大学IDPP事業打合せ
12時半 マヒドン大学副学長主催昼食会
15時半 内藤さん
16時半 間遠さん
18時半 朝日新聞 藤谷アジア総局長
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