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夜行便で帰国 [2008年05月12日(月)]
5月12日(月曜日)
今日は、一日バンコクの日系マスコミ関係者と会うことにしていたが、ミャンマーのサイクロンなどで会えなくなった人も多かった。それでも、2社の方々にお会いでき、伝統医療事業や、ASEANとの業務提携の話などを説明。空港への道は土砂降り。
夜行便で帰国。


11時半 芳川君打合せ
12時半 日経新聞三河支局長
19時 朝日新聞アジア総局柴田総局長
23時55分 バンコク発
(翌13日)8時05分 成田着
Posted by 日本財団 大野 at 19:28 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

保健省伝統医療関係者と夕食 [2008年05月11日(日)]
5月11日(日曜日)
今日は日曜日、バンコクへ移動。元々は、月曜日にタイ保健省と実施予定の伝統医療事業の関係で、保健大臣など関係者との面談が入るということで、バンコク立ち寄りを予定に入れたのだが、キャンセルになったもの。
ならばと、先日日本に現場視察に招待したタイ保健省の伝統医療研究所長らが日曜日にも拘らず、夕食に招待してくれた。義肢装具士学校地域ネットワーク会議に参加していた芳川君や上野さんら日本財団の担当者も加わり賑やかな夕食となった。バンコクも雨季入り。時々激しい雨に見舞われた。



     <賑やかな夕食はドイツ料理>

10時5分 プノンペン発
11時10分 バンコク着
17時半 タイ保健省伝統医療関係者と夕食
Posted by 日本財団 大野 at 19:23 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

17歳の盲人女性サバンリーさん [2008年05月10日(土)]
5月10日(土曜日)
今回も私の都合で、プノンペン滞在は週末にかけてのスケジュール。しかし、週末にも関らず、JICA専門家で、昨年までミャンマーでの学校作りを陣頭指揮してもらっていた河本さんが呼びかけ、現地で活躍中の日本人の皆さんが集まってくれた。日本財団が企画準備中の事業の人材探しを中心に相談。
夕食は、英国放送教会(BBC )のメンバーが作ったNGOである BBC World Service Trustのカンボジア代表で前回面談したキャサリン・サグさんが病気で降板、ピンチヒッターとして最近就任したばかりのフランシス・コックスさんと。すでに、プロジェクトプロポーザルを貰っているカンボジア僻地の中学校のためのラジオによる放送英語教育の事業の進め方を相談。
食事の前に、カンボジア盲人協会(ABC)にブンマオ事務局長に電話。彼が2年前に養女にした17歳の盲人女性サバンリーさんを入院中の病院に見舞うことにした。
カンボジア式の病気見舞いに無知な私は、いつも使っているタクシーの運転手、ソルヤ君に相談したところ、カンボジアで一般的なものとして薦められたのは何と、缶詰に入った長期保存用のミルク。12個入りのものを購入して病院へ。言ってみると立派な病院で、小奇麗な病室は個室。ブンマオさんが一人で看病していた。目の見えない人が見えない病人を看病するとは、とこちらは絶句。
日本財団とは長い付き合いのブンマオ事務局長は当年37歳、若手ながらカンボジアの盲人社会の押しも押されぬリーダー。彼の半生は波乱万丈で、カンボジア国の悲劇の体現者と言って良い。彼が、2年前に見るに見かねて養女にしたサバンリーさんも、17歳にして早くも悲運と幸運の狭間を行ったり来たりしていると言えようか。
彼女は幼くして両親に捨てられ、オーストラリア人夫妻に引き取られ、豪州に渡った。現実には、お手伝いさんのように扱われたようだ。お陰で、英語はうまくなり、料理も目が見えないにも拘らず、何でも出来るようになった、という。ところが、2年前、オーストラリアからカンボジアに戻され、捨てられたのだそうだ。そして、見かねたブンマオさんの養女になった。
先月、我々の元にブンマオさんからSOSのメールが届いた。彼女が命がかかわるほど深刻な腸の急病になり手術をすることになったが、手術台が30万円もかかる、というのだ。これに対し、彼を支援してきた米国人の盲人学校の先生であるラリーさんなどが10万円ずつ寄付してくれることになり、日本財団の笹川会長が10万円、私も小額のカンパを送った。
幸い手術は成功したのだが、重篤な胃潰瘍で食事を受け付けず、まだ入院しているというのだ。話を聞いてみると、むしろ拒食症のようだ。ブンマオさんによると、彼女は、二度も「親」に捨てられたことが深刻なトラウマになっているのだそうだ。ブンマオさんが最近結婚し、赤ちゃんが生まれたことが、どうやら彼女にまた捨てられるのではないかと言う不安を呼び覚ましたようだ、という。
しかし、実際に会って見ると、サバンリーさんは素晴らしい若者であった。英語が堪能なので、私たちは彼女の手を握って1時間近く話し合った。ブンマオさんから、笹川会長や私のことを聞いて、ずっと会いたいと思っていた。自分は目は見えないがこうやって現実に会うことが出来て本当に嬉しい、と言ってくれた。将来の夢は聞くと、医者になりたいとはにかんだ。そして、今度会うときは美味しい料理を作って待っているからと、約束してくれた。病院を出ながら、とてもさわやかに気分になった。本当に来て良かった。
運転手のソルヤ君の表情は複雑だった。自分には、とうていあのような良い病院に子供を入院させる金は無いとつぶやく。先だって、彼の3歳の娘さんが夜中に発熱した際は、おばあちゃんが朝一番に、スイス人が作った無料のクリニックに行き順番札を取りに並んだのだそうだ。それでも、実際の診察は夕方4時頃になった、という。これが貧しい国の庶民の現実だ。カンボジアでやらないといけないことはまだまだ沢山ある。


12時 JICA河本専門家らと懇談
15時 サバンリーさん病気見舞い
18時半 BBCトラストコックス代表と面談


Posted by 日本財団 大野 at 19:22 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

カンボジア初の国立伝統医療学校設立へ [2008年05月09日(金)]
5月9日(金曜日)
保健省のピルム副大臣、国立伝統医療センターのプンレー所長らと面談。近々設立される予定のカンボジア初の国立伝統医療学校に対する日本財団としての支援について協議する。カンボジアの伝統医療はミャンマーから伝来したと言われているので、ミャンマーの国立伝統大学との連携を中心に、タイや日本からの技術支援を盛り込むことで合意。
そのあと、今年2月の障害者芸術祭をプロデュースしてくれたNGOであるEpic Artsのハナさんと面談。来年以降の方針に着いて協議。
夕方は、フンセン首相補佐官のブンサンボさんと会食。ブンサンボさんは、中学生の教員養成学校に対する奨学金事業のために設立した現地NGOの名誉会長を務めてくれていた人物。新組織の設立について報告、引き続き名誉会長を引き受けてもらえることになった


10時 保健省副大臣面談
11時半 国立伝統医療センター所長らと昼食
14時 Epic Artsハナさんと面談
19時 ブンサンボ首相補佐官と会食
Posted by 日本財団 大野 at 19:21 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

空港までの難行苦行 [2008年05月08日(木)]
5月8日(木曜日)
今日は、カンボジアのプノンペンへの移動日。バンコクで飛行機を乗り継がねばならない。ジャカルタの朝の交通ラッシュが深刻化しているので、余裕を見て飛行機の約4時間前にホテルタクシーを予約。バンコクの義肢装具士養成学校地域連絡会議に参加すると言うカンボジアトラストのカーソン氏も一緒。この会議も日本財団が企画・助成して始まったものだが。私はカンボジアでの仕事を優先。バンコクでは日本財団の担当者の芳川君、上野さんが参加してくれることになっている。
幸い今朝は雨も上がっており安心していたのだが、ホテルタクシーの運転手によると、空港へ高速道路際の貯水池の堤防が決壊、路面が冠水したため、迂回路を通らねばならない、という。でもこれだけ余裕を見ているので何とかなるだろうと出発した。


     <高速道路は冠水---空港で見たテレビの映像>

市内はすいすいと進み安心したのもつかの間、空港への道に入ったとたん、のろのろ運転になった。旧道のような狭い迂回路を進むので、スピードを出せない上、車の数が異常に多い。しかも、ちゃっかりこのチャンスを利用してドライバーに物を売りつけようとする物売りも出現、車の間をちょろちょろと歩き回るので危険この上も無い。
時計を見ながらだんだんと心配になってくる。カーソンさんは、この分なら乗客が集まらないから飛行機の出発が遅れるから心配ないのでは、と言う。それでは、バンコクからプノンペン行きに乗り継げなくなってしまう、と私。
そんな会話を交しているうちに、私たちの乗った車が急ブレーキ。何と、前の車に追突してしまったのだ。幸い、スピード自体が出ていなかったので双方とも破損は軽微。何より追突された前の車も、空港にお偉いさんを迎えに行く途中で先を急ぐと言うので、空軍の高級車であったにも拘らず、程なく交渉が成立して再び前進。今度は、後ろで急ブレーキの音。何と、我々の車の直ぐ後ろの車3台が玉突き衝突。


     <ドライバーは追突事故の交渉中>

結局、空港に着いたのは11時半。二時間半もかかったことになる。バンコク行きの飛行機は15分ほど遅れただけで出発。果たして、乗り遅れた人はいなかったのだろうか。何とか、バンコクでの乗継ぎも出来、プノンペンに無事到着。やれやれ。

9時 ホテル出発
12時45分 ジャカルタ発
16時15分 バンコク着
17時30分 バンコク発
18時45分 プノンペン着
Posted by 日本財団 大野 at 19:15 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ASEAN事務局長とのランチはMac  [2008年05月07日(水)]
5月7日(水曜日)
朝11時、ホテルを出てASEAN事務局へ向かう。事務局長特別補佐官に就任したラジャさんたちと落ち合い、業務提携合意文書について協議。12時になった。それまで続いていた会議が終わって、スリン事務局長が我々を執務室に招き入れてくれる。
早速、合意文書案をもとに協議開始。スリン氏は既に、私が作成した原案に眼を通してくれており、一行ごとにコメント。途中、秘書がマクドナルドのハンバーガーセットを運んでくる。4人でハンバーグを頬張りながら作業を続行。



     <事務局長とのワーキングランチ>

一区切りついたところで、ミャンマーのサイクロン災害支援の可能性について話し合う。ASEAN事務局主導で、初めての試みとして災害支援を実施したい。ついては、日本財団もそれに加わってはどうか、ということになり、東京へ電話する。
国連平和大学の一期生のインターンシップ受け入れの件で、人事課長に会ったり、ミャンマー支援について別の補佐官と相談したりで、結局ASEAN事務局を辞去したのは夕方5時近くになってからであった。
夜は、カンボジアトラストのカーソン氏と夕食。早くも出来上がった改訂版のドラフトを貰う。うまく行けば、6月中旬にも調印か。



     <ASEAN事務局本部ビル>


8時半 CTカーソン氏と朝食
11時 ASEAN事務局へ
12時 スリン事務局長らと打合せ
15時 事務局長補佐官らと協議
16時 ゴルトム人事課長と協議
19時 CTカーソン氏と夕食
Posted by 日本財団 大野 at 19:12 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

ASEAN事務局のあるジャカルタへ [2008年05月06日(火)]
5月6日(火曜日)
朝8時、ホテルを出て、チャンギー空港へ。ジャカルタ行きの飛行機は、雨雲の中を飛ぶ。雨の中、ジャカルタ空港に到着。
ASEAN事務局にほど近いホテルに着いてみて、びっくり。何と、ロビーには、カンボジアトラスト国際部長のカーソンさんがインドネシアのリハビリテーションの権威ハンドヨ博士と座って私を待ち構えていたのである。
彼らは、先週までインドネシア保健省で、日本財団の財政支援によって今秋にも始まる予定の義肢装具士学校の協定書作りで協議していたのだが、本来なら、今頃は終了して、カーソンさんはカンボジアに、ハンドヨさんは故郷のソロに戻っているはずだったのだ。出張直前に、短期間でもジャカルタで会うことが出来ないものか検討したが、今回は残念ながら入れ違いになってしまうねと、確認しあったばかりだったのだ。
カーソンさんによると、先週末、保健省での協議が最終段階を迎え、いよいよ合意文書が完成という段階になって財務省の法務チームから横槍が入り、数ヶ月前に成立した汚職防止法の規定と照らし合わせると、これまでに合意した内容を抜本的に書き直す必要がある、というのだ。そこで、彼は、カンボジアへ行く予定を取りやめ、新法の規定に沿って事業スキームを抜本的に変更するとともに、その背景を説明し新方針につき協議するため、私の到着を待ち構えていたと言うのだ。
検討の結果、新方式でも問題がないことが判明し、その方針に沿って、カーソンさんに大至急新たなドラフトを作ってもらうことになった。彼は、大喜びで、金曜日に財務省法務チームの見解を聞いたときは目の前が真っ暗になったが、お陰で再び元気が出てきたと言って、合意文書の改定版を作るためホテルの部屋に戻っていった。


     <ジャカルタ市内は激しいスコール>

そのあと、同じホテルのロビーで今度は、ラジャさんとジョンソンさんたちと会う。出窓方式のコーヒーショップで話そうとしたが、激しさを増した雨が屋根をたたく音がうるさく、屋内のレストランへ移動。日本財団とASEAN事務局との業務提携合意文書の件を話し合う。ラジャさんは、ASEAN事務局長のスリン博士から、NGO・市民社会問題担当の特別補佐官に任命されたという。道理で、スリン博士が業務提携の話をラジャさんと相談するよう指示した訳だ。
今夜は、スリン事務局長が音頭をとって始まったASEAN舞台芸術祭の第1回目、インドネシア芸術祭Mosaic Archipelagoの始まりだ。ラジャも私も招待されているので、現地で落ち合うことにして、合意文書作りの作業は一旦中止。
夜7時から始まる芸術祭に行く足を確保しなくてはならない。ホテルのコンシエルジュに尋ねると、出来れば二時間前遅くとも、一時間半前に出た方がよいと言う。道路が空いていれば30分の距離だが、雨季のラッシュアワーなので余裕を見たほうが良いのだそうだ。激しかった雨もやんでいるし、幾らなんでも二時間前は早い。公演自体の開始は7時半からなので、5時半にタクシーを予約。
果たせるかな、5時半に出発してみると雨もすっかり上がり道路は順調。30分で会場のカルチャーホールに着いてしまった。
一時間後の丁度7時、スリン事務局長夫妻が到着。ラジャ氏も同じ車に同乗。彼はホテルではなく、スリンさんの自宅に泊めてもらっているのだそうだ。
芸術祭は中々に見ごたえがあったが、途中から再び雨が降り出し、帰りの足が心配になったので、中間の休憩時間に退出。一足先にホテルに戻った。




     <ASEAN舞台芸術祭>

8時 ホテル出発
10時00分 シンガポール発
10時35分 ジャカルタ着
12時半 カーソン氏、ハンドヨ博士と打合せ
15時 ASEAN事務局長ラジャ特別補佐官らと打合せ
17時半 ホテル出発
19時 ASEAN舞台芸術祭
Posted by 日本財団 大野 at 19:09 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

東南アジア4カ国へ [2008年05月05日(月)]
5月5日(月曜日)
昼前の飛行機で成田を発ち、シンガポールへ。今年に入って3回目。シンガポールは、早くも雨季に入っていた。予め連絡していた朝日新聞のシンガポール支局長の杉井さんに電話。7時前にホテルで落ち合うことに。来月のスリランカ行きの件や、ASEAN事務局との業務提携の話などを説明。その他、東南アジアの政治状況などについて意見交換。

11時00分 成田発
17時05分 シンガポール着
18時50分 朝日新聞シンガポール支局杉井支局長面談
Posted by 日本財団 大野 at 18:59 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

早とちりして飛行機を変更 [2008年04月23日(水)]
4月23日(水曜日)
今日は、帰国の日。フライトは、香港乗継便を予約していた。乗り継ぎ時間が1時間15分しかないのが少々気になっていた。案の定、ハノイ空港でアナウンス、ハノイからのベトナム航空便の出発時間が30分遅れるというではないか。飛行機の遅れというのは、さらにもっと遅れることはあっても、早くなる事は殆どない。下手すると、今日中に日本に着けなくなってしまうかもしれない。心配の余り、私は早々に当初の予定より遅い便を手配、当初の便をキャンセルしてしまった。
ところが、あろうことか、もっと遅れると思っていた香港行きのベトナム航空機は本当に30分遅れただけで出発し、香港空港にも、当初の飛行機に十分乗り継げる時間に到着。東京に問い合わせてみたが、時間内に飛行機の便を再度変更し、元の便に戻すのは無理だと言う。私は、ディスカウントチケットのため当初の便を変更できていなかった石井君を、香港の空港で空しく見送ったのであった。結局、私の成田到着は当初の予定より一時間遅れの夜9時過ぎとなった。


11時35分 ハノイ発
14時25分 香港着
16時20分 香港発
21時10分 成田着
Posted by 日本財団 大野 at 18:58 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

会議は再び紛糾 [2008年04月22日(火)]
4月22日(火曜日)
午前9時、聾高等学校が設立される予定の国立中央師範学校へ。学校が設立された場合の問題点などを協議。
その後、教育訓練省に戻り、11時にマイさんの後任の副大臣に挨拶。
午後2時から、昨日の協議を再開。再び、教育訓練省担当者の頑なな態度に、協議は難航。問題は、聾教育の本質を教育訓練省のお役人が理解できない、あるいは、理解しようとしないところにある。普段、なかなか頑固で、時には我々でさえ手を焼くこともあるウッドワード博士が今回は両日の会議を通して、冷静沈着であったのには助かった。
結局、今日も決裂寸前のところで、何とか持ちこたえ、合意書の内容でなんとか合意できるまで漕ぎつけることが出来た。やれやれ。


9時 国立中央師範学校にて協議
11時 教育副大臣表敬
14時 教育訓練省にて協議
19時 VNAH(ベトナム障害者支援協会)トアンブイ・ハノイ支部長と夕食
Posted by 日本財団 大野 at 18:57 | この記事のURL | コメント(0) | トラックバック(0)

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