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画像的有史以前 [2013年03月17日(Sun)]
国際ワークキャンプの開催時期はネタの宝庫なので、あんまり昔のネタに頼らないでいましたが、ふと気づくと、「いにしえの石見銀山の景観を考える」的な考察を、10年前にもしていました。

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第153回 画像的有史以前 2003/03/15 

 そういえば私は歴史が専攻だった。専攻学科の第二外国語の仏語講読演習は、学生時代にいちばん必死で出席(それでも年間4割程度)した授業であり、卒業間際の冷や汗の試験を、今でも悪夢で追体験することがある。
 テキストは、歴史を研究することの意味について述べたものだった。ぼちぼち訳しながら、なかなかいいことが書いてあると思った。どういいのか忘れたが、その場では納得した。大学の高等教育の成果はその程度で人生を支えているのかもしれない。

 有史以来という場合の「史」とは文献資料という意味だから、いわゆる歴史は文字の誕生以降のものである。文字がない時代は考古学または人類史というサイエンスの分野、そのまた昔は地質学や天文学の分野である。
 古文書を読む根気がなかったので、文献資料で実証する歴史よりも、科学的データで歴史をとらえるほうが素直に理解しやすい。時の支配者が争乱や政変を記した、狭い都の文献資料をひもとくよりも、百姓一揆の請願文を読むよりも、地層の花粉分析で昔の日本列島の植生をイメージするほうが私の性にあっている。と、今頃気がついた。どうせ学問の消費者でしかないのだから、しっくりするやりかたで勉強したらいい。
 もっと言えば、これからは文献資料よりも画像資料だと思う。古文書を当用漢字に置きかえてテキストにするよりも、質感のわかる写真のままほうが説得力がある(ホンモノに似ている)。画像が伝えられないから代替手段として文字があったのではなかろうか。画像をタダで伝えられるweb技術がそのへんを本質的に変えてしまった。
 有史以前の意味が、今後は画像の残っていない時代ということになるかもしれない。明治天皇の写真はあっても、うちのひいじいさんの写真はない。文献でも同じだが、昔のようすを伝える資料は、都の周辺や名所旧跡を描いたものばかりで、田舎のフツーの生業を描いたものはなかなか見あたらない。この田舎の町がほんの100年前にどうだったか、イメージできる資料がないのだ。

 そんなことを考えていたら、今月号の雑誌「ビーパル」に、和歌山県で使われている現役の木馬道(きゅうまみち:山から木材を人力で引き出すソリの道=木のレール)の記事があった。
 仏壇の遺影から若き日の仕事風景は偲べないが、うちのじいさんは木馬曳きをしていた。この辺の山はあちこち木馬道だらけだったらしい。木だけで架設する木馬道は、使用後速やかに解体再利用されるか、朽ち果ててしまうから、いまだに私は現物の痕跡を見たことがなかった。
現役使用中の木馬道のグラビア写真を初めて見て、百聞は一見に如かずだと確かに思った。こういうものなら私でも作れそうだ。
 画像的有史以前のことは、実験考古学的に復元すればわりと簡単に再現することができ、それを画像化して伝えれば容易に理解が得られる。画像資料にパワーがあるのは、アホでも伝わる(真似したくなる)ということである。(2003/03/15)
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