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2018年05月30日

専 門 家 と 市 民 による 豊 洲 会 議

 専 門 家 と 市 民 による 豊 洲 会 議

〜安全・安心な新市場の実現のため、SDGsの目線から考える〜

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日時:2018年5月19日    所:朝日新聞社東京本社
主催:「専門家と市民による築地市場の豊洲市場移転検証会議」実行委員会
主催者挨拶:寺西俊一実行委員長
・ 開場スケジュールに負けずに、将来展望を開こう!
講演: 楡井 久(NPO日本地質汚染審査機構理事長)
「単元調査法から見た豊洲新市場の地質汚染問題」
・ 宅地や工場敷地の汚染調査法には2種類ある。一つは地質汚染科学に沿った地質汚染単元調査法で、地下の汚染物質の存在状態を支配する地層ごとに診断するもので、汚染部位を科学的に検査する方法で、地下水の流れと汚染源の特定や汚染の広がりを把握することができる。
・ 他方は、土壌汚染対策法の調査方法で、地下から採取したコアから画一的に地表、50p、1m、2m‥‥と分析試料を機械的に採取するため、汚染部位の性状・汚染状況を正確には診断することができない。
・ 因みに、豊洲新市場敷地は、石炭を乾留化して都市ガスを製造した東京ガス工場跡地で、後者による調査では正確な診断は不可能である。
・ さらに、築地市場や豊洲新市場に想定される自然災害(地層の液状化・流動化・地波現象)とその2次汚染の危険性は驚くほどである。
・ 現在の豊洲の調査結果は、調査をしていないに等しく、現地把握には地質汚染単元調査法で再調査し、汚染状況把握が不可欠である。
講演: 水谷和子(一級建築士)
「拡散する汚染、健康被害がないと言えるか」
・ 豊洲新市場は汚染問題、アクセス、流通動線など解決不能な問題山積であるのに、10月11日の開始期日しか決まっていない状況である。東京都にウソが多く、法的にも手続き的にも問題が多い。小池都知事は、自ら安全宣言を出さず、国の認可に逃げ込もうとしている。余りに情けない!
・ 問題点を列挙すると、軟弱地盤、地下水位が高い、耐震護岸ではない、盛土なしの説明がない、遮水壁高さ不足、遮水壁と地下水位偽装、緑地下雨水抑制層と下水道法違反、ピット床追加対策の意味不明、不十分な汚染調査、土壌汚染隠し等々、余りにもウソと問題隠しが多すぎる!!!
講演: 藤原寿和(化学物質問題市民研究会代表)「有害物質による将来的な健康影響のおそれ」
・ 東京ガスはコークス炉を用いて石炭を乾留して都市ガスを製造していたことから、石炭ガスの製造工程で発生するタールスラッジにはベンゼンやベンゾピレン、シアン化合物が含まれていた。
 その他に、敷地内土壌中に水銀、クロム、鉛、カドミウムなどの有害物質や、地下空間の滞留水中にはモリブデン、バナジウム、ガリウム、スズ等25種類の重金属類が検出されている。
・ 敷地内から検出された化学物質の中で、人に対して明らかな発がん性物質、内分泌かく乱作用の疑いのある化学物質、子供の発達過程への影響のある物質が見られる。
・ さらに、想定されている都市圏直下型巨大地震による地下構造物や遮水壁、コンクリート床などの破損や地盤流動化によって地下に封じ込めたはずの汚染物質が再び環境中に流出する可能性を否定できない。また、地下で発生したガス状の物質や地下水中に含まれる有害物質が土壌間隙中を毛細管現象で、あるいは地震時の液状化による噴射に伴って地表に露出・噴出する恐れがある。
・ 健康リスクを「ゼロリスク」に近づけるため、「予防原則」を適用してリスク回避を講じるべき。

所感:食の安全安心は都民ばかりでなく、国民の最重要課題であるにもかかわらず、小池都知事は
解決回避に終始するばかりで、抜本的な解決に取り組む意欲も能力もない。問題は現状把握の調
査がなされていないことである。抜本的な状況把握調査と分析・解析を積み重ねて、豊洲新市場
の危険性を徹底把握し、築地市場再整備を慎重に進めることが望まれる。  

2018年05月29日

国民学校一年生の会同窓会「靖 国 神 社 見 学」

国民学校一年生の会同窓会

「靖 国 神 社 見 学」

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日時:5月18日 国民学校一年生の会同窓会に参加した。
市ヶ谷アルカディアで懇親会が開催され、その後、靖国神社の見学に。大鳥居前から東海林次男都歴史教育者協議会会長の丁寧な説明を頂いた。靖国神社の前身は東京招魂社で、戊辰戦争戦没者3588名を神として祀り、その後明治12年に、別格官幣靖国神社となった。明治政府と天皇のために戦って死んだ人だけが祀られた。日清戦争では1万4千人、日露戦争では8万8千人の戦没者、全国で10万世帯の遺族が生じる中、天皇と軍と神社を一体化し、天皇の名による戦争戦没者を神として称え顕彰する靖国神社は、侵略的軍国主義の高揚とともに、国家の軍事施設としての機能を全面的に発揮することになった。その付属施設としての遊就館は1882(明治15)年開設、国民に対する軍事的啓蒙施設として大きな役割を担った。敗戦後も、国家のために戦死した「英霊」を顕彰する場として、戦争を賛美した皇国史観の展示が多く、戦争責任に触れていないことが注目された。

2018年05月19日

江渡狄嶺「或る百姓の家」萬生閣、大正14(1922)年11月

江渡狄嶺「或る百姓の家」萬生閣、

大正14(1922)年11月

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序  ―本を出すまで―   
 私は今、40年の苦労を経て、漸く真に知るところあるの門戸に達した。
私は今、法然が念仏の一事に立った年に相当している。十余年前の生活
転換の時は若く、決して正しくない道を歩んできたとは思っていない。
その時は、人生も自然もよく知らなかった。そこで先ず、世界はこれだ、
人生はこれでなくてはいけないというものではないと理解してほしい。
私の播きつつある種子
 「百年後の日本」を考える。日本は本当に窮屈な国だが、百年後もそう
たいした相違があるものでもない。百姓として既に「現在の日本」の土地
上に、自ら将来のために種子を下しつつあるその事実について語ろう。
私は実地の百姓であって、農業のサーキュレーションの極めて長いことを知っている。数年前、或る新聞は、私のことを「変わった百姓」として書いたが、決して変わった百姓とは思わないが、「変わった種子」ではある。私は貧乏な小作百姓、その日暮らしの水飲み百姓だ。
或る百姓の家
 現在、私どものファミリーは9人、働き手は6人ある。6反少しの田畑と、フレーム30とを経営している。外に百羽以上の白レグ君と名古屋君、南洋アヒ君が6羽、兎公が3羽、朝鮮牛のプラオ君とその子、それに番犬阿彌公、猫の三毛君、かつては豚公もいた。山羊君と同居したこともある。
外に、臨時の家族がある。一緒に働きたいといって来る人も、生活や畑を見たいと来る人も。
私は、二宮宗は嫌いだが、二宮尊徳は尊敬する。百姓の仕事に、無知識、無経験、素手で始めた私
どもは、ずいぶん無謀なことであったと思う。それをやり通したのは、全く、私どもの信念であった。
百姓をしようとしても、家がなくてはならない。土地は必要である。幸か不幸か、小作人として、家と少しばかりの土地とが与えられた。徳富蘆花さんと鈴木金左衛門さんの骨折りの贈り物であった。
何も知らない百姓は、近所で麦を播けばその真似をし、サツマ苗を植えればその真似をして、漸く百姓仕事を覚えて行く。その間私どもの貧乏生活を助けてくれた恩人は、実に鶏君であった。鶏君を「私どものキリスト」と呼んでいる。今日まで彼の「十字架」で救われて来たことであろう。エスは、正しきものの祈りは必ず聴かるという。私どもの生活は無私有の生活である。労働祈祷の生活である。
促成栽培は、与えられんことを祈っていたフレームが与えられ、胡瓜と南瓜の収穫に狂喜した。百姓を始めて間もなく、手車の古いのを買った。不思議にも牛と牛車は同時に与えられた。私共の「生かされて、生きて行く」その生活の良心が、人類の道に、いささかもって提供寄与したいと思う。


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2018年05月16日

新砂干潟クリーンアップ作戦&自然観察会

新砂干潟クリーンアップ作戦&自然観察会

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日 時:  5月13日 10時〜13時
所 : 荒川河口 新砂干潟 
運 営: 江東エコリーダーの会      
春の新砂干潟クリーンアップ作戦&自然観察会が行われた。干潟は、砂浜に海水がないくらいの大潮でカニの穴がいっぱいに広がっていた。
先ず、野鳥を観察し、カワウ、コサギ、アオサギ、キアシシギ、チュウシャクシギ等14種を確認した。その後、干潟のクリーン作戦を行い、ゴミ袋にたくさんのプラスチック容器などの漂着ゴミや粗大ごみを収集した。次いで、干潟周辺の植生調査を行い、キショウブ、ハマダイコン等など40種を観察した。さらに、干潟に入り、ヤマトシジミ、アカテガニ、コメツキガニ、クロベンケイガニ等の底生生物を観察した。干潟の投網調査ではボラの大漁で曇・小雨のなかの観察会が終了した。

2018年05月15日

なにもない、島の魅力/さぬき広島茂浦集落を中心に

島嶼コミュニティ学会 第14回島カフェ

なにもない、島の魅力/さぬき広島茂浦集落を中心に

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日 時: 2018年5月12日 
 所 : 東洋大学 
主 催: 島嶼コミュニティ学会
講 師: 齋藤 潤(著述業・旅行家)
・ 瀬戸内海塩飽諸島最大の広島は、東京都千代田区と
同じ11.66㎢で、人口196人と少なく、7つの集落が
点在し広く移動するのも不便。唯一の特産品は花崗岩
青木石。東京から高松に安いLCCが就航し、4年間
で30回の取材を重ね、その魅力に嵌ってしまった。
・ 広島は丸亀市の北12.5qに位置し、戦国時代末期、
長曾我部氏に敗れた香川一族と長尾一族の落人が住み
着いたのが始まりとされるが、謎の島であった。かつ
ては日本一の墓石産出量を誇り、石材業社は68もあ
り、今でも広島の主要産業となっている。
・ 北端の茂浦集落には23人しか住んでいないが、勝
海舟や木村摂津守の書が伝わる正福寺や、全国で2番
目に古い船絵馬のある塩釜神社等がある由緒ある地域だ。
・ 人口減少が進んだ40年前、若者が一斉に帰郷し、新
 しい町おこしや島の観光が始まった。瀬戸大橋を一望で
きる梨園の経営や健康食品「ヒロニンダ」等が貴重だ。
・ 最近では、旅する女性が地元と連携し、古民家ゲス
 トハウスを立ち上げ、大きな期待を生んでいる。
・ 過疎化が進む島の今後の安心を守るために、診療所の
白神医師は、「医学の進歩により不本意でも生かされ続
けることが可能な時代になった」と危惧し、「医療が、
患者さんの人生のステージごとに変わりゆく、健康観や
幸福感の再構築・再構成を支援し、よりよく生きていけ
るための力に役立つことを願って、未来を見た「島嶼部
医療福祉センター」を構想している。
・ 古式をよく遺した百々手神事にはたくさんの観光客が
集まり、珍しい弓矢神事が継続されている。秋祭りの獅
子舞も有名になり、あちこちからラブコールがきている。
・ 気づいて見れば4年間で30回も訪れ、茂浦を中心に
魅力を見出すことができた。これからは日本中の地方に
「何にもない、島の魅力」を見出していくべく旅を続け
ていきたいと思っている。

所感:東京一極集中が続き、地方の衰退が叫ばれている中、瀬戸内海塩飽諸島の小さな人口の広島での元気な町おこし・観光が小さいながら力強く展開していることを聞く貴重な機会になった。たった23人の集落で、一人ひとりが何でもやる、一人何役かの中で楽しい祭りや観光にあちこちから観光客が集まっているという。 瀬戸内海の海洋観光が進展していることに嬉しくなった。生物多様性立国・海洋観光立国を夢見て。

2018年05月10日

みどりのカーテン講習会

みどりのカーテン講習会

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日 時:2018年4月29日、5月3、5日   
 所 :江東区環境学習情報館「えこっくる江東」
    江東区文化センター、江東総合区民センター
主 催:えこっくる江東
運 営:江東エコリーダーの会
  温暖化対策として広がってきた緑のカーテンを多くの人に啓蒙するために、今年も開催された。
1.「みどりのカーテン」の効果と育て方    樹木医:池田利行
みどりのカーテンの効果、上手な育て方、及び、みどりのカーテン植物の講義を頂いた。
みどりのカーテンを隙間なく作るには先端や横へのツルの伸びをカットすることがポイント!
また、毎年の緑のカーテンコンテスト応募への積極的な参加を勧めたい。
2.「みどりのカーテン」で健康になろう! (国研)農業・食品産業技術総合研究機構 大塚芳嵩
・ 緑環境に求められている機能は年々多様化し、特にストレス負荷の高い都市域においては緑による癒しの効果が求められている。
・ 近年この効果が医科学的に検証され始めたことや、医療福祉分野における高度医療から予防医学への流れから、ますます緑化空間が人に与える健康機能に対する期待が高まっている。
・ 医療とみどりの歴史に注目すると、紀元前から18世紀までは
自然と宗教の融合   ただし、経験や信仰による民間療法。
・ 18世紀以降の近代医療が登場
      薬やワクチン、公衆衛生の発展
      医療の主役は科学による西洋医学へ
      一方、公園や緑地の意義は忘れ去られる
・ 現代医療の課題は、生活習慣病で、根本的にはストレスが問題。
  社会経済学、都市計画学、地理学、保健科学、緑地環境学の連携
・ 今後の市民活動のあり方:緑を育てて、地域社会を華やかに
  緑をきっかけに、@きれいな街、A友だち作り、B皆で楽しく
3.植え方、育て方、メンテナンスWS 江東エコリーダーの会員
みどりのカーテンの組み立て、土づくり、苗の植え方、肥料や
 水のやり方、防虫や鳥対策などの作業の講習が行われた。たくさ
んの方々からの多様な質疑応答があった。水やり、受粉、虫対策
 が多くの人にとって大きな課題で、誰もが苦労しながら一歩一歩
越えていくようにと指導されていた。
4.緑のカーテンベテランからのアドバイス  
 たくさんの失敗を積み上げて、4年連続受賞した。

所感:各地でみどりのカーテンづくりが始まって
いる。今年は、あなたも「みどりのカーテン仲間」
に参加し、みんなで涼しい夏を楽しみませんか!

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2018年05月08日

高井戸の哲人・江渡狄嶺

江 渡 狄 嶺 資 料 展

「高井戸の哲人・江渡狄嶺の渡米から知る大正期の海外渡航」

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日時:2018.2.17〜5.6   
所:杉並区立郷土博物館分館
はじめに
江渡狄嶺は、1880(明治13)年生まれの青森県出身の思想家。
1913(大正3)年、当時としては珍しい恋愛の末、学生結婚で結
ばれた妻・ミキと、親友の弟・小平英男を伴い、高井戸村字原で
農の実践を始めた。この農場は、狄嶺、ミキ、英男の3人が共同
体であるという意味を込めて「三蔦苑」と名付けられる。
高井戸の土を耕した農の哲人
 江渡狄嶺は、大正から昭和初期にかけて高井戸を拠点に活動した農業思想
家。青森県三戸の呉服商の家に生まれ、東大法学部に進学し、思想家として
活動を開始した。その後、「百姓の生活というものが一番正しいものである」
との信念に至り、中退して、30歳で小作百姓となる道を選ぶ。
 1913年に、自らの思想実践農場「三蔦苑」を開設。64歳で亡くなるま
で、この農場を拠点に独自の思想活動を展開した。1922年には『或る百姓
の家』(総分館)を出版。帰農に至る苦悩と百姓生活を赤裸々に綴った本書
は、社会的反響を呼び、全国に多くの江渡狄嶺ファンを生んだ。
1935年、三蔦苑内に家塾「牛欄寮」を開き、晩年は教育者としても活躍し、全国から青年有志を集め、農作業を営む共同生活の中で思想教育を行った。狄嶺の没後、1946年3月21日に彼の偉業を継ぐべく弟子や研究者たちが高井戸に集まり、「農乗狄嶺会」を結成し、近年までその思想や業績に関する研究会が開かれ、現在も会は継続。
 『新修杉並区史』は、狄嶺を大正期に杉並で活躍した特筆すべき思想家として取り上げている。特に理想とした農業実践の実現を生涯にわたって追求し続けたこと、多角的な農業経営を試みて、高井戸では珍しい品種の生産物(トマト、いちご、白菜など)を栽培したこと、子供たちの義務教育を拒んで家庭教育にこだわったことなどを紹介して、区内において大正デモクラシーの思想から強い影響を受けた人物の一人として評している。狄嶺の独創的な思想は、大正期の社会的な思想を受けた時代の所産ではあるが、決して、忘れ去られた訳ではない。
三蔦苑の経営と家族:1911年現世田谷区で自給自足の生活を始めるが挫折し、1913年高井戸に移り、温床による花卉栽培、鶏卵や山羊乳の直接販売など、当時としては先進的な営農を行った。狄嶺が1944年に急逝した後も、ミキは、英男とともに戦後しばらくの間営農を続けた。
江渡狄嶺と交流した文化人たち:狄嶺は、同時代の文化人たちと幅広く交流していた。友人で、大正期を代表するジャーナリスト・長谷川如是閑は、その人柄を高く評価する文章を残している。
 主な人々は、新井奥遂(キリスト教思想家)、伊藤野枝(無政府主義者)、大杉栄(無政府主義者)、幸徳秋水(社会主義者)、澤木興道(僧)、堺利彦、高村光太郎、徳富蘆花、中里介山、三宅雪嶺、武者小路実篤、山川菊枝、渡辺政太郎(社会主義者)、三浦一雄等々
狄嶺の渡米・アメリカへの農業視察:1924(大正13)年、43歳の狄嶺は同郷出身の友人・三浦辰二郎に招かれて、アメリカ西部や北部の農業を視察した。当初はヨーロッパにも廻る予定が、日本人差別を経験し、ヨーロッパ行きは中止している。帰国後、高井戸に戻った狄嶺は「日本には日本の道がある」との思想に至る。狄嶺が旅立った1924年までに外務省の記録によれば100万人以上が公用、商用、移民、観光目的で渡航しているが、まだまだ珍しい存在だった。

所感:大正デモクラシーの時代は忘れられた、無かったような時代と思われているが、狄嶺はそんな時代に、「農業・百姓こそ本当の生き方」との信念の下、農業の実践を生涯続けた稀有な人なのかも知れない。工業技術万能意識の日本の今後を考える重要なキーではないだろうか。 

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2018年05月07日

「原発はどのように壊れるか 金属の基本から考える」


「原発はどのように壊れるか 金属の基本から考える」

小岩昌宏、井野博満 原子力資料情報室

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はじめに  ―本書を読み進めるための一助として―   
 巨大地震と大津波、そのうえ、放射能におそわれた3・11東日本大震災の
記憶が遠のいてきて、原発の再稼働が日程に上っている。
 わが国の原発は壊れない、日本の原発で事故は起きない、と宣伝され続け
てきたせいか、おおくの人たちが、原発は「安全」だと思い込んできたふし
がある。再稼働を目指す原発の適合性審査が原子力規制委員会によって行わ
れている。だが、それは「安全かどうか」を審査するものではない。原発は
決して強固なものではなく、壊れるものである。そのことを、金属の基本か
ら考えようというのが本書の目的である。 http://www.cnic.jp/
第1章 金属と合金
・ 原子炉は金属、コンクリート、セラミックスなどいろいろな材料でできている。なかでも金属は、原子炉圧力容器、燃料集合体、熱交換器、配管(パイプ)など、最も多く使われている。
・ 身近な金属は、財布の中のコイン。1円硬貨の素材は“純アルミニウム(Al)”で、他の金属は添加されていない。1円硬貨以外は、銅(Cu)に他の金属を添加した合金を素材としている。
・ 金属の特性は、@固体状態で結晶となる、A電気及び熱伝導率が大きい、B金属光沢がある。
 C延性、展性が大きい。 しかし、金属と非金属の中間的な性質のものもある。金属であるかどうかは、原子どうしが寄り集まって固体となるときの、原子間の結合の性質による。
・ 主な結合の様式と物質例は
 イオン結合:イオンが静電気で結びついたもの;塩化ナトリウム(NaCl)
共有結合:価電子が隣の原子核に引き寄せられ、互いに交じり合って原子核に共有された状態;
      ダイアモンド(C)、ケイ素(Si)、ゲルマニウム(Ge)、炭化ケイ素(SiC)
 金属結合:価電子を放出して、陽イオンとなった原子が規則正しく配列する;金(Au)、銀(Ag)、銅(Cu)、鉄(Fe)、ニッケル(Ni)、ナトリウム(Na)、プルトニウム(Pu)、ウラン(U)
・ アルミニウムは、地殻中に酸素、ケイ素に次いで豊富に存在し、金属元素として最も多く、鉄の2倍も存在する。鉄の比重は7.85に対し、アルミニウムは2.7で軽金属と呼ばれ、純粋なアルミニウムは強度が低く、実用には適さない。動物・植物と違って無機物である金属は、時間がたっても変化しないと思いがちだが、金属は時間とともに変化する。“金属は生きている”のだ!!
 アルミニウム合金ジュラルミンは、ドイツ語の“硬い”に因んだ名前で、航空機に重要だ。
・ 自然界において、“純金属”として見つかるのは稀で、酸化物や硫化物の形で含まれている。
・ 鉄は最も大量に使われている金属だが、錆びやすい。防ぐには表面にメッキが必要である。
  犠牲防止型被膜:鉄より酸化しやすい金属で被覆する;亜鉛メッキのトタン。
   バリア型紡織被膜:鉄よりも腐食しにくい金属で被覆する;鉛やスズで皮膜のブリキ。
・ 錆びにくいステンレス鋼は、鉄とクロムの合金で、大変強度が大きい。
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2018年05月03日

第14回自然観察会 こうのとりの里周辺

第14回自然観察会 こうのとりの里周辺

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日 時: 2018年4月29日   
 所 : 東京都立水元公園
主 催: かぶとむし会(都立両国高校生物部OB会)
 快晴の中、千葉県野田市のコウノトリの里観察会。
東武野田線梅郷駅からバスを乗り継いで現地に集合。「こうのとりの里へようこそ」の看板に出迎えられた。「こうのとりの里」の元気な3羽の幼鳥と親鳥に感動。周辺は野田市江川地区ビオトープになっていて、第10回市民農園田植体験が開催され、多くの参加者で賑わっていた。そこに不思議な看板「田んぼ発電実験中 東京薬科大学」が。田んぼの中の発電菌が稲の中から出て来る有機物を燃料に発電するのを実験中とのこと。周辺地区は緑と水がいっぱいで、サギやオオタカやたくさんの鳥たちを見ることができた。進んでいくと、キジが我々を出迎えてくれた。
昼食後、明治23年に完成した利根運河(両国〜銚子間の舟運要路のバイパスとして利根川と江戸川を結ぶ)を見学し、舟運の時代を想う。今は自然豊かな運河水辺公園としてみんなに愛されている!

所感:失った自然を取り戻す素晴しい野田市の「こうのとりの里」は、明治時代に煙公害の常磐線を通らせなかったことから今でも自然豊かな地域になっている。 生物多様性立国!

2018年05月02日

第13回 江戸川の稚アユ救出作戦

第13回 江戸川の稚アユ救出作戦

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 江戸川水門 

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日時: 2018年4月22日   
 所: 江戸川水門・水閘門 前
主催: 利根川・江戸川流域ネットワーク
協力: 国交省江戸川河川事務所、市川市、江戸川
区、松戸市、江戸川を守る会、松戸市漁業協同組合、
地域交流センター、みずとみどりの寺子屋、流山カ
ヌー同好会、葛飾区カヌー協会、松戸まちづくり交
流室、えどがわ環境財団、新坂川をきれいにする会、
東邦大里山応援団、船橋芝山高校生を始め、利根川・        
江戸川流域のたくさんの市民団体の後援、協力で開催。      
今年の稚アユ救出作戦は快晴の中、「江戸川にアユが上っているのを知っていますか?」との佐野実行委員長の言葉で開会宣言され、国交省江戸川河川事務所長から参加者への暖かい挨拶を頂いた。先ず、大型紙芝居「アユの一生」が演じられ、秋に利根川で生まれ、利根川、江戸川を下り、東京湾で育ち、春に再び江戸川、利根川を上るアユの一生を学んだ。その後、水門で閉ざされて上れない稚アユのために、子供たちにEボートを漕いでもらい、閘門を開けてもらうことで、アユの遡上を援助した。子供たちは下流側から閘門に入り、稚アユとともに上流へボートを漕ぎ入れ、Eボート体験を楽しんだ。子供たちからは元気な歓声が上がった。ここ江戸川の稚アユ漁は昔から盛んに行われ、様々な川に出荷し、「アユ溢れる川」として有名だった。住民の水道水源と洪水対策のために水門がつくられ、アユが上れなくなったが、地元の子供たちと市民の協力で上らせることができた。