済州島エコスカーション
12月16日 島巡りツアー
・ 済州島は東西70q、南北40qで中央部に最も高いハルラサンが位置し、南北での気候に変化がある。夏は暑いが、冬は雪も降る。
人口は69万人。水も治安も良い。鉄道がなく、自動車優先社会。坂道が多く、自転車は少ない。ミカン畑や果実畑が多い。火山島のため、水が溜まらない土質で、お米はできない。ゴルフ場は30か所と多い。
済州島民俗村 1890年代の家の展示で、30年前に作られた。
映画撮影も多い。一般庶民の家の生活が判る歴史的な展示だ。他にも、流刑の島の展示や、海女の家等々いろいろな民家が建ち並んでいる。鳥類園や植物が大変豊富で、丁寧に手入れされていた。
城山日出峯(世界遺産)
・ 城山日出峯は、約5000年前の火山活動によって形成された寄生火山で、当初は独立した島だった。波に削られた火山性物質が堆積し、本島の東端と陸続きになった。
その通り道には10余りの溶岩洞窟群が自然遺産登録の決め手となった。日出峯の山道途中に信仰のトウンキョン石がある。
済州4・3平和公園・平和の風:4・3事件による済州島の東民虐殺と凄絶な生きざまを記憶、追悼し、和解と共存の未来を開くための平和人権記念公園である。
・ 1945年の日本からの解放以後、米軍政当局の政策失敗と社会問題等により、民心が不安定な中、1947年3月1日、警察の発砲により島民6名が殺害される事件が起きた。済州島の民・官総ストライキに対し、米軍政は、警察と西北青年団員を送り込み、テロと拷問に明け暮れる日々が続く。
・ 1948年8月15日、大韓民国樹立後、政府は軍兵力を増強し、強力な鎮圧作戦を続けた。1950年、朝鮮戦争が勃発、1954年まで武力衝突が続き、2.5万人〜3万人もの島民が犠牲となった。
・ 4・3事件は、半世紀を超える真相究明運動で名誉回復し、和解と相生の解決過程を歩んでいる。
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