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2017年07月13日

『孫正義300年王国への野望』

『孫正義300年王国への野望』

杉本貴司 日本経済新聞社 17.6.14

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はじめに
・ いったい、孫正義とは何者なのだろうか……
・ 孫に導かれるように集まった名も知れぬ強者たちとのストーリーが、
 面白い。一代で売上高が10兆円に迫る巨大企業を築いた孫正義とは、
 何を目指そうとしているのか。孫と同氏の波乱万丈の物語を描きたい。
序章 恩人
・ 1978年8月。21歳の孫は奈良県天理のシャープ中央研究所に向った。
風呂敷に包んだ「発明品」を宝物のように胸に抱えていた。これから会
う佐々木専務は、日本を電子立国に押し上げた立役者の一人だ。その
佐々木の薫陶を受けて大成した若者に、スティーブ・ジョブズがいる。
・ 風呂敷から取り出したものは、留学中の孫が発明した電子翻訳機だ。シャープの協力を得て実用化したいと提案した。佐々木は孫の目の力を強く感じ、この青年の力になってみたいと考え、研究費として2000万円出しましょうと答えた。ソフトで勝負する時代の発想に思えたからだ。
・ 米国に戻った孫は佐々木から得た契約金を元手に学生ベンチャーを始め、インベーダーゲームで大儲けする。その後日本に帰り、実業家人生を始めた。孫の人生は佐々木との出会いから始まった。
第一章 再起動 世界が驚いた巨額買収、そして“後継者”との別れ
・ 「ソフトバンクが240億ポンドでアームを買収へ」。年間売上2000億円に満たない会社を3兆3000億円で買おうというのだ。孫はアーム社員に「IoTは人類史上最大のパラダイムシフトであり、戦うためには皆さんの力が必要だ。僕はアームを尊敬している。皆さんが築いたビジネスモデルで、会社の経営体制もそのままだ。皆さんを後押しするためにやって来た。」と語った。
・ 孫は「僕は決して世の中を大きく変えるような発明をしたわけではない。何か一つだけ平均的な人と比べて特徴的な能力があるとすれば、それはパラダイムシフトの方向性と、その時期を読むことに関心が強いということだ。」。これからはモバイル・インターネットの時代が来ると力説。
・ 2016年7月4日、地中海を望むトルコ南部の港町マルマリス。ヨット航海でバカンスのアーム社長のところに孫は買収の話をしに押しかけて来た。その2週間後、孫はアーム買収を発表した。
・ 設備投資の大競争の半導体産業で、アームは演算処理の速度を高める設計技術に特化している。わずか四半世紀で半導体業界の「影の巨人」と言われる地位を築いた。孫は「今後20年でアームの半導体は地球上に一兆個ばらまかれる」と言う。自動車を始め眼鏡や靴までもセンサーが取り付けられ、ネットに繋がれる。アーム買収で勝負に出た孫にも失ったものがある。インド生まれのビジネスマン後継者アロ―ラだ。アローラ招請後、社内の雰囲気が変わり、社風が変わってしまった。
第2章 300年王国  理解されない「異次元経営」の深層
・ 孫が米国で探し当てた「インターネット時代の金脈」ヤフー。その事業を始めようとしていた1996年頃、新入社員試験で孫は「300年続く企業をつくるための条件は何だと思う」と質問し、「それは多様性です」と答えた三木は採用され、その後社長室長に就任している。
・ 2000年2月、六本木のクラブ「ヴェルファーレ」に2000人を超える若手起業家が詰め寄った。大企業が「失われた10年」にもがくのを横目に、今や自分たちがこの国の中心なんだと自負した。この直後に米国発のITバブル崩壊が日本にも押し寄せたのだった。
・ 2010年株主総会で孫は「30年以内にグループを5000社くらいにしたい」とビジョンを発表し、『300年間成長し続けるかもしれない組織構造をつくった、発明した』と言われたいと語った。一見何の関係もなさそうな企業群をつくり、そこから次の時代のサラブレッドを作ろうとしている。孫は言う「300年前に機械により人類の生き方が変わった。そしてこれからは情報ビッグバンが」
第3章 旗揚げ 創業・目指すはロックフェラー
・ 今ではグループで6万4000人、汐留の本社で一万人近くが働くが、創業時はたった二人。
 孫が始めたソフトウエアの流通業とは、作り手であるソフトハウスと、売り手である家電量販店の間に立ち、中間マージンを取るビジネスモデルで、石油会社のロックフェラーをモデルにしている。
・ 孫の情熱溢れる語りの中で培った人脈で大きな信用を得て資金を得て、拡張していった。
第4章 危機 生命の危機、裏切り、内部分裂
・ 孫は旗揚げから1年後、健康診断で慢性肝炎と診断され、余命5年と地獄の淵をさまよった。病室で無為の時を過ごすうちに、かつて米国留学を決意させた『龍馬がゆく』と再会した。そこで大量の本を持ちこみ、およそ3000冊を読破した。その後、新薬で2年半の闘病が終了となった。
・ 本社に戻った孫は、その後の30年に及ぶ二人三脚の相棒の宮内に出会った。孫は、能率協会の宮内に「これからの時代はすべての机にパソコンが載り、ネットワークでつながる時代、デジタル情報革命が起きる」と熱弁を振るった。宮内は孫に惚れ、ソフトバンクの大番頭になった。
・ その頃会社は、孫の闘病期間を守った大森社長派と孫の二派に完全に分かれていた。組織をがっちり固める大森と、オープンに意見を言える会社を目指す孫との考え方の違いであった。その後大森の退任で終止符を打ったが、アスキーの西和彦が仕掛けた「ソフトウイング事件」が発生した。商品仕入れ部門の社員がゴッソリと辞めて新会社を設立したのだ。孫は原点回帰で乗り切った。
第5章 ストリートファイター 集う一騎当千の“同志”たち
・ ソフトバンクの経営陣は社外から飛び込んできた腕の覚えのある強者が大半だ。
・ 1990年代、怒涛のM&Aから金鉱脈の米ヤフーを発掘し、日本のインターネットのリーダーに。
第6章 桶狭間 ブロードバンドで巨人・NTTに挑戦状
・ 孫は我々にとって桶狭間の戦いだったと2001年の大勝負・ブロードバンド参入を振り返る。
・ ISDNによるネット回線普及を目指すNTTに、ADSL を普及させた米国のグーグルやアマゾン
 に太刀打ちできるように、孫はNTT宮津社長にADSL導入を直談判したが、実らなかった。
・ 「俺は社長室から出る」とブロードバンドに没頭することを決めた孫は、雑居ビルに籠った。
 NTTの施設を借りることでネットワークを創り上げていった。
第7章 ラストチャンス 沈みゆく「泥船」、携帯・起死回生の一手
・ 2004年孫は、携帯電話参入を総務省に申請したが、既存業社のNTTドコモとKDDIに絞られ、ソフトバンクは外された。そこで「今声を上げなければ、この国の携帯電話料金はずっと高いままかもしれません」と全国紙に意見広告を出した。沈みゆく日本ボーダフォンを2兆円で購入した。
第9章 国難 経済危機と大震災、「社長辞任宣言」の胸中
・ 2008年100年に一度の経済危機が始まった。大企業は大型赤字。さらに2011年未曽有の大震災が東北を襲った。孫は復興に専心しようと一年間の社長辞任と自然エネルギー参入を宣言した。
第10章 コロンブス 悲願の米国進出とスプリント改革
・ 2014年、孫は米国商工会議所で「米国の携帯通信速度は世界水準に遅れ、料金は日本の1.7倍と高い。この国にはもっと競争が必要だ。国民の皆さんが良いサービスを受けられない」と講演。
・ 倒産寸前のスプリントを再建したのは仏教学科出身の宮川の功績で、孫は再び攻めに転じた。
第11章 タロウ ロボット参入に秘めた狙い  終章 脱藩 破壊者の原点
・ ロボットやるからな。富沢、お前が責任者だぞと任命。孫もロボット先輩のホンダとの提携に。
・ 在日韓国人として苦労し、米国留学(脱藩)し、猛烈に勉強し、沢山の恩人に育てられた。

所感:『電機メーカーの消える日』と対照的な「孫さんの野望」に出会った。平凡な筆者にはとても理解できる人生ではないが、これからの日本の生きる道の一つなのかもしれない。個人的には、自然に恵まれた、山紫水明の素晴しい日本には、海洋観光立国を夢見たい! 
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