豊かで美しい 海を取り戻す
50年後を目指して、東京湾から発信する
日 時:2018年4月18日 16:00〜18:30
所 :タワーホール船堀小ホール
主 催:認定NPOふるさと東京を考える実行委員会
1.基調講演 関口 雄三(実行委員会理事長)
「東京都区内における50年ぶりの海水浴場復活」
・ 父の代まで9代にわたる葛西の半農半漁の家で
育った。小さい頃は、澪で野球を遊び、潮干狩りを楽
しんだ。砂浜で海堀に夢中になっていたら潮位が上が
り恐怖を味わい、海の怖さも学んだ。少し大きくなる
と500羽の鶏と海苔の仕事を手伝ったり、釣り客を
舟で運んだり、エサを売ったりして、稼いで自立心が
養われた。海は、みんなの生活を支えていたのだ。
・ 1960年代、そのかけがえのない海と川が、「もう危
ないから行ってはだめだ」と言われるようになった。1958年、本州製紙工場による東京湾最初no
公害“黒い水事件”(工場の黒い排水が江戸川の上流から江戸川から海に流れた)が発生した。魚
が浮き、海苔も獲れなくなった。1962年、親たちは漁業の将来に絶望し、漁業権を全面放棄するとになった。東京湾は、経済発展を優先する東京都の管理下に置かれた。漁師はいなくなり、海は埋め立てられ、企業の所有地になり、市民は入れなくなってしまった。海はダメになった。
・ 大学は日大芸術学部で建築デザインを学び、未来都市の創造に近づき、黒川紀章らに師事した。建築事務所を葛西に設立。30歳、「シルクロードの旅」に誘われ、バーミヤンで働く、目のキラキラと輝いた子供を見て、ハットした。今、日本にこんなに目を輝かせる子供たちがいるだろうかと 思い、遠い昔、ゴカイを捕って海辺に売りに出かけた自分の子供の頃を思い出した。旅の先々で、過酷な自然の中で、親を手伝い、懸命に働く子供の姿があった。“豊かさとは何だろう”“日本は本当に豊かなのだろうか”と。そして、次世代の子供たちのために“東京湾再生”を決断した。
・ 2003年から東京湾再生のため、竹9000本葛西の海に立てた。一本にカキが400ケつき、大量
の海水浄化に繋がった。10年後の2012年海水浴場が復活し、4000人の子供たちの海遊びが!
海を破壊したのはあっという間だったが、再生には100倍の時間がかかる。諦めず前進したい!
2.パネルディスカッション「東京湾再生の活動から見えてくる50年後の東京」
久保成人(日本観光振興協会理事長)
「葛西の海を里海に、ガストロノミー・ツーリズムの期待」
・ 昭和24年、松下幸之助氏は「観光立国論」を発表した。
今、政府も観光立国に向けた取り組みを推進。平成15年ビジットジャパン、平成20年観光庁、平成25年観光立国推進会議、平成29年観光立国推進基本計画と続き、外国からの観光客も今や4000万人達成も夢ではない。
・ 東京湾再生には、葛西の海を、海洋観光・ガストロノミー・ツーリズムにと期待したい。
竹村公太郎(NPO日本水フォーラム代表理事) 「東京湾の謎」
・ 縄文時代の東京湾は渡良瀬遊水地まで海だった。
徳川幕府ができ、それまで利根川は東京湾に流れていたのを、銚子に流れる川につなぎ、河川水を東京湾ではなく、太平洋に流れるようにし、東京を洪水から守ることになり、発展するようになった。
・ 最近、関東地域の地下水の研究が進み、地表では利根川は銚子に流れているが、地下水は縄文時代のままで、東京湾に大量に流入し、東京湾の水質浄化に大きな貢献をしていることが判明しつつある。これが、江戸前の魚や貝が棲める「東京湾の謎」だ!
・ 江東区周辺の運河の垂直位置の変遷は興味深い。
江戸初期
(1590年)
江戸後期
現在
鬼頭平三(WAVE・みなと総合研究財団理事長)
・ WAVEは、多様化、複雑化する国や地方の行政ニーズを的確にサポートするシンクタンク。
・ 東京湾再生推進会議として親しみやすい東京湾再生に市民、NPO、企業等と取り組んでいる。
快適に水遊びができる。美しい。親しみやすい。江戸前の生物が棲める。首都圏に相応しい。
清野聡子(九州大学工学研究院准教授)
「日本最大の海岸構想
里海東京都葛西海岸を考える」
・ 海岸開発競争の中で葛西海岸が残った。
当時の委員会に参加していて、その不思議さに感動したことを覚えている。地元市民の力だと思う。
・ 日本中の海岸は経済発展のために開発が続いた。しかし、最近、大災害が続き、最大の防災は自然地形そのものとの大きな反省の時代が、始まった。
科学技術万能が見直され、災害大国日本を自覚し、自然には人間の知恵はあまりにも小さいことが
痛感されてきた。千葉県九十九里浜の砂丘では、波打ち際の砂浜の防災の役割が大きい!!
・ 里山活用イベントは子供や学生にもやり易いが、海岸での里海イベントは安全性から難しく、
海への親しみを深めることはなかなか厳しく、今後の課題は大きい。生業の漁業の再生が重要だ。
課題や意見から
・ 小松菜は葛西等の砂丘で開発・育成された。砂村ネギや亀戸大根も貴重な近郊野菜だった。
・ 大分中津海岸は、土砂流入が多く、東京湾で絶滅したアオギスも良く育つので有名だ。
・ 河川屋が100年先を考えるように、東京湾も50年、100年かけて復活したい。生業が重要だ!
所 感:東京湾再生に人生をかけてきた関口氏と皆様に感謝したい。環境は壊すのは簡単だが、再生はその何十倍も掛かると言われる。次代の子供たちのために東京湾再生を!!