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2019年10月08日

第22回まちの駅全国大会in焼津

第22回まちの駅全国大会in焼津

〜ちょっくら 寄らざー「まちの駅」〜

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日時: 令和元年10月4日(金) 
 所: 焼津グランドホテル
主催: 全国まちの駅連絡協議会
主管: まちの駅ネットワーク焼津
協力: 焼津商工会議所・同青年部
事務局:NPO地域交流センターhttp://www.jrec.or.jp/
開会挨拶: 関 幸彦(まちの駅ネットワーク焼津)
ようこそ、水産都市焼津にお出で頂き、大歓迎です。2年間準備をして、皆さんをお迎えします。
会長挨拶: 久住時男(全国まちの駅連絡協議会会長)
福島から鹿児島までのまちの駅仲間で実りある議論を期待!
来賓挨拶:中野弘道(静岡県焼津市長):カツオ水揚げ日本一の水産都市。気候も食も良く、500万人の来訪者と賑わいに!
増田仁(県文化・観光部長代理)、久野匠一(商工会議所会頭)
事務局報告:橋本正法(全国まちの駅連絡協議会事務局長)
・ 現在のまちの駅数:1637駅、ネットワーク51地域、個人会員119駅、テーマスーテション:12駅  ・ 令和元年の重点目標の一つが連携の強化
講演「漁業のまち 焼津の礎」川口円子(焼津市文化財保護審議会委員)
・ 東海道の漁村、中世は物流拠点として賑う。八丁櫓のカツオ船。
・ 明治22年焼津駅が開設され、水産物販路拡大に! 明治39年水産動力船・富士丸がカツオ漁を拡大、枕崎や高知に鰹節の技術を学び、大正6年には日本一の鰹節産地に! 戦後の築港に
より基盤整備、外地船誘致、港周辺の賑わい、加工冷蔵・流通整備を推進。地の利と焼津の人々の人間性(積極・進取・誠実)を活かした地域活性化を推進。
分科会:
第一分科会「着地型観光」:焼津の歴史遺産を活用したコース検討
第二分科会「まちの駅へどうぞ」:集客と活性化のアイデアソン
第三分科会「SNSでまちの駅のイノベーション」:SNSをマスター
第四分科会「まちの駅基礎講座」:これから始める人のために
「関係人口創出・拡大事業」:まちの駅の姉妹締結
  鹿沼市まちの駅ネットワークと焼津・荒川区・会津ネットワーク同士が姉妹締結し、少子高齢化社会の関係人口創出拡大事業のオープニング式!
交流会:すべての活性化は人と人のつながりから! 日本各地のまちの駅の方々が集い、語り合い、大いに温かい交流会の輪が広がった!素敵な音楽とマグロの解体ショー。魚のうまさが参加者の満足を拡大し、話の輪が広がった!!


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第22回まちの駅全国大会in焼津

第22回まちの駅全国大会in焼津

〜ちょっくら 寄らざー「まちの駅」〜

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日時: 令和元年10月4日(金) 
 所: 焼津グランドホテル
主催: 全国まちの駅連絡協議会
主管: まちの駅ネットワーク焼津
協力: 焼津商工会議所・同青年部
事務局:NPO地域交流センターhttp://www.jrec.or.jp/
開会挨拶: 関 幸彦(まちの駅ネットワーク焼津)
ようこそ、水産都市焼津にお出で頂き、大歓迎です。2年間準備をして、皆さんをお迎えします。
会長挨拶: 久住時男(全国まちの駅連絡協議会会長)
福島から鹿児島までのまちの駅仲間で実りある議論を期待!
来賓挨拶:中野弘道(静岡県焼津市長):カツオ水揚げ日本一の水産都市。気候も食も良く、500万人の来訪者と賑わいに!
増田仁(県文化・観光部長代理)、久野匠一(商工会議所会頭)
事務局報告:橋本正法(全国まちの駅連絡協議会事務局長)
・ 現在のまちの駅数:1637駅、ネットワーク51地域、個人会員119駅、テーマスーテション:12駅  ・ 令和元年の重点目標の一つが連携の強化
講演「漁業のまち 焼津の礎」川口円子(焼津市文化財保護審議会委員)
・ 東海道の漁村、中世は物流拠点として賑う。八丁櫓のカツオ船。
・ 明治22年焼津駅が開設され、水産物販路拡大に! 明治39年水産動力船・富士丸がカツオ漁を拡大、枕崎や高知に鰹節の技術を学び、大正6年には日本一の鰹節産地に! 戦後の築港に
より基盤整備、外地船誘致、港周辺の賑わい、加工冷蔵・流通整備を推進。地の利と焼津の人々の人間性(積極・進取・誠実)を活かした地域活性化を推進。
分科会:
第一分科会「着地型観光」:焼津の歴史遺産を活用したコース検討
第二分科会「まちの駅へどうぞ」:集客と活性化のアイデアソン
第三分科会「SNSでまちの駅のイノベーション」:SNSをマスター
第四分科会「まちの駅基礎講座」:これから始める人のために
「関係人口創出・拡大事業」:まちの駅の姉妹締結
  鹿沼市まちの駅ネットワークと焼津・荒川区・会津ネットワーク同士が姉妹締結し、少子高齢化社会の関係人口創出拡大事業のオープニング式!
交流会:すべての活性化は人と人のつながりから! 日本各地のまちの駅の方々が集い、語り合い、大いに温かい交流会の輪が広がった!素敵な音楽とマグロの解体ショー。魚のうまさが参加者の満足を拡大し、話の輪が広がった!!


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2019年10月03日

後藤乾一「『南進』する人々の近現代史」

後藤乾一「『南進』する人々の近現代史」

龍渓書舎.19.8.30

T.南進する人々の近現代史.png

15.南進する人々のマップ.png


まえがき
ペリー黒船の衝撃から7年後の1860年、開国日本の最初の公式外国訪問と
なる使節団がアメリカに派遣された。使節団の仙台藩士玉虫左太夫誼茂は、
帰国後その見聞録を『航米日録』全8巻にまとめた。日米修好通商条約の批
准書交換を主目的とした使節団の対米体験についての記録は高く評価されて
いる。しかし、玉虫は幕末維新期の「第一次内戦」戊辰戦争に際し、新政府
に抗う奥羽越列藩同盟の中心的役割を演じ、切腹を命じられてしまう。
 戊辰戦争に勝利したものの明治政府は、維新後10年を経ずして、維新の
「勝ち組」内部の不満士族層を中心とする各地の反乱に直面する。佐賀の乱、新風連の乱、秋月の乱、萩の乱の西日本を中心に続発し、その反乱の頂点が西南戦争であった。
 この内政危機の一方、政府は、国境画定に着手する。千島樺太交換条約、小笠原諸島領有通告、琉球処分、台湾出兵が断行された。
 著者は、近代日本の対外関係・交流史、特に欧米列強植民地の東南アジアを主に研究してきた。その過程で、最終的に「大東亜共栄圏」構想の中に取り込まれた東南アジアへの政治的・軍事的・経済的進出の「中継地」役を果たした地域の重要性を意識するようになった。具体的には新附の帝国領土沖縄、清国から割譲した植民地台湾、そして第一次世界大戦を契機に事実上日本の領土となった赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島である。
 関心の中心は、「戦後半世紀」を視野に「台湾と南洋」「漁業・南進・沖縄」「東南アジアにおける戦時『対日協力』の諸相」の三点であった。これらについては「近代日本と東南アジア―『南進』の衝撃と遺産」「ティモール国際関係史」「東南アジアから見た近現代日本―『南進』・占領・脱植民地化をめぐる歴史認識」「近代日本の『南進』と沖縄」を上梓してきたが、落としてきたものも多く、以下にそれらについて執筆する。
第1章 ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島―幕末維新期の「洋式捕鯨」をめぐって―
・ 二人は江戸期に生まれ、幕末維新期の激動を生き抜き、黎明期に異彩を放った人物である。
 万次郎は太平洋に面した土佐西部の小さな漁村の貧しい漁師の子と生まれ、14歳の少年時代に
漂流漁民として鳥島で米捕鯨船に救われ、10年の異文化体験を持った。航海術、造船技術、捕鯨技能を習得し、帰国後は語学を武器に通訳として幕末外交の現場に立つとともに、捕鯨御用として近代捕鯨の基礎づくりに貢献した。
 平野は日本海新潟県胎内市の裕福な廻船業者の家に生まれ、長崎・江戸に遊学し、地方知識人として、江戸の開明派江川坦庵の江川塾で万次郎から英語を学んだことを契機に、年上の師万次郎と終生変わらぬ信頼関係で結ばれ、新興アメリカの近代文明を学び、産業や技術の重要性に目を開かされた。ともに海に親しみながら育った二人にとって、捕鯨は共通の関心事であった。
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後藤乾一「『南進』する人々の近現代史」

後藤乾一「『南進』する人々の近現代史」

龍渓書舎.19.8.30

T.南進する人々の近現代史.png

15.南進する人々のマップ.png


まえがき
ペリー黒船の衝撃から7年後の1860年、開国日本の最初の公式外国訪問と
なる使節団がアメリカに派遣された。使節団の仙台藩士玉虫左太夫誼茂は、
帰国後その見聞録を『航米日録』全8巻にまとめた。日米修好通商条約の批
准書交換を主目的とした使節団の対米体験についての記録は高く評価されて
いる。しかし、玉虫は幕末維新期の「第一次内戦」戊辰戦争に際し、新政府
に抗う奥羽越列藩同盟の中心的役割を演じ、切腹を命じられてしまう。
 戊辰戦争に勝利したものの明治政府は、維新後10年を経ずして、維新の
「勝ち組」内部の不満士族層を中心とする各地の反乱に直面する。佐賀の乱、新風連の乱、秋月の乱、萩の乱の西日本を中心に続発し、その反乱の頂点が西南戦争であった。
 この内政危機の一方、政府は、国境画定に着手する。千島樺太交換条約、小笠原諸島領有通告、琉球処分、台湾出兵が断行された。
 著者は、近代日本の対外関係・交流史、特に欧米列強植民地の東南アジアを主に研究してきた。その過程で、最終的に「大東亜共栄圏」構想の中に取り込まれた東南アジアへの政治的・軍事的・経済的進出の「中継地」役を果たした地域の重要性を意識するようになった。具体的には新附の帝国領土沖縄、清国から割譲した植民地台湾、そして第一次世界大戦を契機に事実上日本の領土となった赤道以北の旧ドイツ領南洋諸島である。
 関心の中心は、「戦後半世紀」を視野に「台湾と南洋」「漁業・南進・沖縄」「東南アジアにおける戦時『対日協力』の諸相」の三点であった。これらについては「近代日本と東南アジア―『南進』の衝撃と遺産」「ティモール国際関係史」「東南アジアから見た近現代日本―『南進』・占領・脱植民地化をめぐる歴史認識」「近代日本の『南進』と沖縄」を上梓してきたが、落としてきたものも多く、以下にそれらについて執筆する。
第1章 ジョン万次郎・平野廉蔵と小笠原諸島―幕末維新期の「洋式捕鯨」をめぐって―
・ 二人は江戸期に生まれ、幕末維新期の激動を生き抜き、黎明期に異彩を放った人物である。
 万次郎は太平洋に面した土佐西部の小さな漁村の貧しい漁師の子と生まれ、14歳の少年時代に
漂流漁民として鳥島で米捕鯨船に救われ、10年の異文化体験を持った。航海術、造船技術、捕鯨技能を習得し、帰国後は語学を武器に通訳として幕末外交の現場に立つとともに、捕鯨御用として近代捕鯨の基礎づくりに貢献した。
 平野は日本海新潟県胎内市の裕福な廻船業者の家に生まれ、長崎・江戸に遊学し、地方知識人として、江戸の開明派江川坦庵の江川塾で万次郎から英語を学んだことを契機に、年上の師万次郎と終生変わらぬ信頼関係で結ばれ、新興アメリカの近代文明を学び、産業や技術の重要性に目を開かされた。ともに海に親しみながら育った二人にとって、捕鯨は共通の関心事であった。
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2019年10月01日

栃木県佐野市・まちの駅巡り

栃木県佐野市・まちの駅巡り

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第182回楽しく自転車で走る会(19.9.29)        
 雨の気配の中、北千住から館林を経て佐野駅に到着。早速駅前で自転車を借りた。卒寿の店長は江東区南砂町にあった汽車会社出身で定年後奥さんの地元佐野に来られたとの不思議なご縁を。先ずは腹ごしらえと佐野自慢の賑わいのラーメン屋に。昼食後佐野の誇る明治時代の政治家田中正造の生涯を展示する佐野市郷土博物館に。足尾銅山鉱毒事件の解決に一生を捧げ、死を覚悟した天皇への直訴状(幸徳秋水書)に感動させられた。佐野市は歴史的な機織りと鋳物の街だそうだ。
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栃木県佐野市・まちの駅巡り

栃木県佐野市・まちの駅巡り

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第182回楽しく自転車で走る会(19.9.29)        
 雨の気配の中、北千住から館林を経て佐野駅に到着。早速駅前で自転車を借りた。卒寿の店長は江東区南砂町にあった汽車会社出身で定年後奥さんの地元佐野に来られたとの不思議なご縁を。先ずは腹ごしらえと佐野自慢の賑わいのラーメン屋に。昼食後佐野の誇る明治時代の政治家田中正造の生涯を展示する佐野市郷土博物館に。足尾銅山鉱毒事件の解決に一生を捧げ、死を覚悟した天皇への直訴状(幸徳秋水書)に感動させられた。佐野市は歴史的な機織りと鋳物の街だそうだ。
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台風15号の猛威に驚きました

台風15号の猛威に驚きました

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9月は、キュウリ1700g、ピーマン920g、ナス250g、
ゴーヤー200g、コマツナ100gの3.2kgだった。
9月の台風15号は千葉県を中心に大被害をもたらした。
風速が激しく、2本の送電線鉄塔と多くの電柱がなぎ倒
された。さらに人家の被害は1万2千軒にも及び、屋根
が飛ばされたり、電柱やゴルフ場のフェンスが圧し掛っ
たりと、水害に比較しても厳しい被害を与えた。
 メディアは直ぐ電柱地中化を急げと言うが、我が江東
区のようにゼロメートル地域では海水浸水が予測される所では、かえって危険なことになる。また、今まで何ゆえに電柱地中化が進まなかったかを考えると、建設費が20〜30倍にもなるからである。
台風大型化の要因と言われる温暖化に対し、スエ―デンの高校生グレタさんは、国連本部で開かれた気候行動サミットで「人々が苦しみ、死んでいる。生態系全体が破壊され、絶滅の始まりに直面している。それなのに、あなたたちはお金や永遠の経済成長という信じられないお伽話ばかり。よくも、そんなことができますね」と、世界の首脳らに憤りをあらわにした。その根本原因は、人々が永遠の経済成長SDGsを求めるからだ。地球の資源の限界と環境のキャパシティを根本から考え直さなければならない。今が良ければいいという考えは終りにしなければならない。

台風15号の猛威に驚きました

台風15号の猛威に驚きました

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9月は、キュウリ1700g、ピーマン920g、ナス250g、
ゴーヤー200g、コマツナ100gの3.2kgだった。
9月の台風15号は千葉県を中心に大被害をもたらした。
風速が激しく、2本の送電線鉄塔と多くの電柱がなぎ倒
された。さらに人家の被害は1万2千軒にも及び、屋根
が飛ばされたり、電柱やゴルフ場のフェンスが圧し掛っ
たりと、水害に比較しても厳しい被害を与えた。
 メディアは直ぐ電柱地中化を急げと言うが、我が江東
区のようにゼロメートル地域では海水浸水が予測される所では、かえって危険なことになる。また、今まで何ゆえに電柱地中化が進まなかったかを考えると、建設費が20〜30倍にもなるからである。
台風大型化の要因と言われる温暖化に対し、スエ―デンの高校生グレタさんは、国連本部で開かれた気候行動サミットで「人々が苦しみ、死んでいる。生態系全体が破壊され、絶滅の始まりに直面している。それなのに、あなたたちはお金や永遠の経済成長という信じられないお伽話ばかり。よくも、そんなことができますね」と、世界の首脳らに憤りをあらわにした。その根本原因は、人々が永遠の経済成長SDGsを求めるからだ。地球の資源の限界と環境のキャパシティを根本から考え直さなければならない。今が良ければいいという考えは終りにしなければならない。

2019年09月26日

望月衣塑子「新聞記者」

望月衣塑子「新聞記者」

角川新書.17.10.10

1.望月.png


はじめに
私は東京新聞記者で、母の願いで「何かを作る人、ものを創造していく人になって欲しい」の詩人萩原朔太郎の言葉に因んで付けられた。入社以降、事件、事件と取材に明け暮れたが、2014年解禁となった日本の武器輸出取材に。2017年からは社会部で、森友・加計問題取材チームで官邸会見質問に。
第1章 記者への憧れ
・ 小学校時は児童劇団に入団、卒業時には「私女優になります!」と書いた舞台の世界にのめり込んでいた母と毎週観劇した。弟は劇団四季を経、独立。
・ 母はいつも世界の貧困や不平等を諭すような本やテレビ番組を薦めてくれていた。吉田ルイ子さんの主催するミュージカルの観劇後、母に連れられ握手する機会を得た。興奮しながら握手を交わした右手から、しびれるような何かが伝わってきた。私も吉田さんのように世界を歩き、社会の矛盾、困っている人たちの生の姿を伝えられるような仕事にと、憧憬の想いを抱くようになった。
・ 母は高校卒業後小さな出版社に勤めていたが、数年後に日本縦断ヒッチハイクしたいと退社し、途中の船で乗り合わせた父と出会い、結婚した。父は熱い学生運動の時代を送った後、業界紙の記者としてキャリアを積んでいた。父は「いろいろな立場の中小企業の経営者や現場の方から、様々な話を聞いて記事にしてきたが、それはそれで面白いよ」と話してくれた。
・ 大学は吉田ルイ子さんの後を追って、慶応大学法学部に。英語会のドラマセクションで活動し、卒業後自然豊かなメルボルン大学に留学し、帰国後先輩を訪ねて東京新聞に入社した。
・ 入社暫くして、同居していた義母を殺害し、山中に遺棄したとして、別件暴行容疑で逮捕されていた元新聞配達セールスマンが逮捕された。キャップから四街道市内に住む被害者の遺族からコメントをとってくるよう命じられたが、土地勘なし、カーナビなしのため、30分の予定が2時間もかかった。着いて遺族から「勘弁してください。」の回答に部長から釘を刺され、涙してしまった。
・ この人がキーマンだと思ったら迷うことなく、昼夜を問わずひたすら通い続けるとの教えから、刑事一課幹部A氏の毎朝のマラソンに同行し、一緒に朝食を頂くまでになり、ヒントを頂いた。
続きを読む・・・

望月衣塑子「新聞記者」

望月衣塑子「新聞記者」

角川新書.17.10.10

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はじめに
私は東京新聞記者で、母の願いで「何かを作る人、ものを創造していく人になって欲しい」の詩人萩原朔太郎の言葉に因んで付けられた。入社以降、事件、事件と取材に明け暮れたが、2014年解禁となった日本の武器輸出取材に。2017年からは社会部で、森友・加計問題取材チームで官邸会見質問に。
第1章 記者への憧れ
・ 小学校時は児童劇団に入団、卒業時には「私女優になります!」と書いた舞台の世界にのめり込んでいた母と毎週観劇した。弟は劇団四季を経、独立。
・ 母はいつも世界の貧困や不平等を諭すような本やテレビ番組を薦めてくれていた。吉田ルイ子さんの主催するミュージカルの観劇後、母に連れられ握手する機会を得た。興奮しながら握手を交わした右手から、しびれるような何かが伝わってきた。私も吉田さんのように世界を歩き、社会の矛盾、困っている人たちの生の姿を伝えられるような仕事にと、憧憬の想いを抱くようになった。
・ 母は高校卒業後小さな出版社に勤めていたが、数年後に日本縦断ヒッチハイクしたいと退社し、途中の船で乗り合わせた父と出会い、結婚した。父は熱い学生運動の時代を送った後、業界紙の記者としてキャリアを積んでいた。父は「いろいろな立場の中小企業の経営者や現場の方から、様々な話を聞いて記事にしてきたが、それはそれで面白いよ」と話してくれた。
・ 大学は吉田ルイ子さんの後を追って、慶応大学法学部に。英語会のドラマセクションで活動し、卒業後自然豊かなメルボルン大学に留学し、帰国後先輩を訪ねて東京新聞に入社した。
・ 入社暫くして、同居していた義母を殺害し、山中に遺棄したとして、別件暴行容疑で逮捕されていた元新聞配達セールスマンが逮捕された。キャップから四街道市内に住む被害者の遺族からコメントをとってくるよう命じられたが、土地勘なし、カーナビなしのため、30分の予定が2時間もかかった。着いて遺族から「勘弁してください。」の回答に部長から釘を刺され、涙してしまった。
・ この人がキーマンだと思ったら迷うことなく、昼夜を問わずひたすら通い続けるとの教えから、刑事一課幹部A氏の毎朝のマラソンに同行し、一緒に朝食を頂くまでになり、ヒントを頂いた。
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