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2017年05月26日

みどりのカーテン講習会

みどりのカーテン講習会

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日 時: 2017年4月29日、5月3、6日   
 所 : 江東区環境学習情報館「えこっくる江東」
     江東区文化センター、江東総合区民センター
主 催: えこっくる江東
運 営: 江東エコリーダーの会
  温暖化対策として広がってきた緑のカーテンを多く
の人に啓蒙するために、今年も開催された。
1.「みどりのカーテン」の効果と育て方    樹木医:石井匡志
みどりのカーテンの効果、上手な育て方、及び、みどりのカーテン植物の講義を頂いた。
また、毎年の緑のカーテンコンテスト応募への積極的な参加を勧められた。
2.「みどりのカーテンで健康になろう!」  千葉大学大学院園芸学研究科 岩崎 寛
・ 緑環境に求められている機能は年々多様化し、特にストレス負
荷の高い都市域においては緑による癒しの効果が求められている。
近年この効果が医科学的に検証され始めたことや、医療福祉分野
における高度医療から予防医学への流れから、ますます緑化空間
が人に与える健康機能に対する期待が高まっている。
・ 植物と関わることで心身ともに元気になるのは当たり前のこと
 なのに、文明が発達し、緑との関わりが少なくなった現代社会で
 はとても貴重なことだ。積極的に植物と関わり、心身の健康を維
 持していくことが、医者でない我々にもできる「予防医学」だ。
緑のカーテン活動は、地域の緑や温暖化対策だけでなく、自分自
身の健康のためにも有効な活動である!
3.植え方、育て方、メンテナンスWS 江東エコリーダーの会員
みどりのカーテンの組み立て、土づくり、苗の植え方、肥料や
 水のやり方、防虫や鳥対策などの作業の講習が行われた。たくさ
んの方々からの多様な質疑応答があった。
  今、各地でみどりのカーテンづくりが始まっている。
今年は、あなたも「みどりのカーテン仲間」に参加し、みんなで涼しい夏を楽しみませんか!!

2017年05月25日

山下祐介『「復興」が奪う地域の未来』

山下祐介『「復興」が奪う地域の未来』

東日本大震災・原発事故の検証と提言

岩波書店、17.2.22

17.4.11 山下 復興が奪う地域の未来.png


はじめに
2011年3月、私は青森県弘前市にいた。翌4月に17年お世話になった
弘前大学から首都大学東京に転じた。その後は、青森と東京を何度も往復
しながら、被災地で何が起きていたのか、つぶさに観察してきた。その間
に交流を深めた福島県双葉郡富岡町の人々と、特に原発事故について『人
間なき復興』も上梓した。さらに今回もう一冊纏めることにした。
 避難政策・復興政策を評価すれば、単純に言えば失敗だ。この復興が失
敗だということは多くの人が分かっているのに、遠慮して誰も言わない。
序章 東日本大震災・原発事故とこの国の行方  
・ いま原発避難対策は、帰還政策として進行している。だが、思った通りに進まず、政府はかなりイライラしているようだ。逆に言えば、この爆発の危険性はもうないという政府の見解と、人々の意識のズレが、帰還政策の実現を難しくしている。どう見ても政府に分がないというのに。
・ この原発事故は、予備の電源をちゃんと用意していれば回避できたのだ。これまで原発という技術を信じてきた筆者としては、あえてこう言いたい。この事故の責任については、法的には
はっきりと東電にあり、その監督の国にある。この事故を技術的問題とはき違えてはならない。
・ 原発事故は起きない。小さな事故はあっても、放射性物質の大量漏れのような事故は起こすはずがない。原発反対派の人々でさえそう思っていただろう。「危ないものは誰かに押し付ければいい」「多少の事故は止むをえない」こうした慢心した空気を筆者は強く感じている。
・ なし崩しに再稼働ははじまり、こうした事故は何度でも起きるとでもいうようになってしまった。事業者である東電も、結局のところ自分たちの過失を認めておらず、「原発を進めたのは国に従ったまで」と言いたげだから、互いに責任の擦り付け合いをしているに過ぎない。
・ 避難が長期化していくにつれ、被災者が次第に国家の「お荷物」として受け止められ、排除のカテゴリーになりつつある。この国の今後を考えれば、最早なかったことにして貰わねばとなる。
・ 原発事故は国家の失敗である。ある意味では国民に対する裏切りである。国は電力会社を通じて、国策として原発を推進した。「事故を起こすのではないか」との批判を徹底的に否定してきた。だが、そうした失敗を経ても、事故処理でやれもしないことを「やる」と言い、できないことをできると言い、その最たるものが帰還政策である。国家と国民の関係が危うい。これは集団が大きすぎるから起きるのだ。大きな民主主義は危うい。小さな民主主義にしていかなくてはならない。
第1章 東京のための復興か、東北のための復興か
・ 東日本大震災。日本社会はこの震災を機に生まれ変わらねばならないと強調された。これまでは原発立地の自治体だけが十分な財源を確保し、少子高齢化問題を克服したかに見えた。岩手・宮城の津波被災地では、自治体や地域経済のダメージがあまりに大きく、復旧が遅い。あまりに巨大な災害、あるべきでない事故、復興に時間と労力が掛ることは目に見えている。
・ この災害で、「国」とは何かが問われている。日本と言う国が、この震災で何を反省し、学び取るのかが問われている。いくつかの市町村が存亡の危機に立たされている。
第2章 原発避難の実像――避難からセカンドタウン、そして故郷再生へ
・ 避難は、3つの区分に分けられる。@直接避難地域からの避難、A福島県からの自主避難、B関東圏等からの自主避難。この事故が引き起こした破壊の中で、家族、職場、地域社会、すなわち
 社会的破壊が目立つ。この地で働き続けてきた仕事を失い、戻っても再建・再起の見込みはない。
・ 福島の復興は、日本社会が将来迎えうる、事前復興のようなものとして考える必要がある。
首都直下型地震、東海地震・東南海地震・南海地震とその同時発生等々に備えなければならない。

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2017年05月24日

トランプ で 世界は どう変わるか

トランプ で 世界は どう変わるか

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日 時: 2017年4月29日   
所 : 慶應義塾大学三田 第一校舎
主 催: 社会主義理論学会
「パックス・シニカ」による「よりましな世界」
 大西広(慶応義塾大学教授)       
・ トランプの勝利は、経済力低下に対応して軍事的政治的な後退を余儀なくされ、世界への軍事介入が「米国の利益」にならなくなっていることを示す。この現象は世界主要国でマジョリティ。
・ 次の覇権国はあと数年で米国のGDPを超す中国に違いない。国際的なインフラ整備事業におけるAIIB躍進においても言える。地球温暖化への行動を拒否した米国に対し中国は協定を批准した。中国主導のRCEPはTPPとは違い、日本農業を破壊しない、新しい「自由貿易体制」となろう。
「トランプ政権のもとで世界はどこに向かうか?」   瀬戸岡紘(駒澤大学名誉教授)
・ トランプ当選は予想通りで、エスタブリッシュメントは気づかないが、
普通のまじめな市民からすれば、EU離脱やトランプに賭けるしかない
大変深刻な状況になっている。世界は底辺から大きく変わりつつある。
・ 「発展」の時代の後には、リセットまたはキャンセルの時代が来る。
戦後70年、この間の蓄積は、それ以前、資本主義確立後、人類発生
 の700万年のすべての時代と比較しても最大の蓄積だった!
・ 技術革新・グローバル化、そしてエリートの支配が普通の市民を不幸に貶めた。新自由主義とは泥棒を合法化する思想と政策だ。本来の自由主義は泥棒をしないことが前提に成立していたのだ!
・ 現代の世界の姿は、近代の政治理念から大きく逸脱してしまっている。近代の市民社会とはアメリカ建国の理念「自由で平等な諸個人が緩やかに結合する共同体をつくろう」でなければならない。アメリカが世界の憲兵になることは、とても「協調」ではない。グローバル化とは、世界中の有力者、有力企業が、国家を無視して利益を追い求めることでしかなく、政治理念からの逸脱である。最近の欧米の情勢はごく普通の人々の極めて真面目な行動が動かしている。
・ 既成の政党や政治家をあてにしてはダメだ。イタリアでは「政治家は去れ!」と言っている。
アメリカでも、ヨーロッパでも民衆の声は「Power to the people!(政治権力を民衆の手に!)」
・ 近代の政治理念に戻るか?ファシズムの道に進むか、どちらの道もあり得る。ヒットラーが悪魔と説明されるが、ドイツ人が100年間働き続けても支払いきれない法外な賠償金を課され、屈
辱感と貧困が重なり合い、国民の不満は急激に膨張した。その結果、国を挙げて「非道な列強に対抗せよ!」の気運が爆発的に炎上した。生活と未来への展望を失ったまじめな人々の切なる要求と結びついた「国家社会主義ドイツ労働者党」に多くの国民が同調し、政権獲得となった。
イタリア、ドイツを戦争国家に駆り立てたのは、イギリス、フランスの「持てる国」だった。
・ 結論
1. 現在 欧米で進行している運動には、相応の意味がある。
2. 貧困と不安にさいなまれている真面目な市民をあざ笑ってはいけない。
3. これらの運動は、社会変革への道へも、社会の破壊への道へもどちらにも進む可能性を持つ。
4. 現在の国際環境を慎重に調査・研究し、特定の国の権力者が暴走することのないような国際的連帯の仕組みを作らねばならない。(シリアや北朝鮮制裁などは、逆行と言える。)
5. IT革命は、民主主義を破壊し始めている。
(参考)瀬戸岡紘の講演  https://www.youtube.com/watch?v=KxmWXrE0o_8

所 感:瀬戸岡氏は、世界史の何百年に一回の大転換期で、激しい格差社会化に対し、市民が大転換を求めていると言う。また、戦争は国内の問題を逸らすために起こるもので、日清戦争は自由民権運動から国民の目を逸らすため、ベトナム戦争はアメリカの黒人解放運動と労働運動から国民の目を逸らすためだったと説く。歴史を学ばねばならないと痛感させられる。 

2017年05月16日

「友愛の精神とアジアの未来」

東洋学園大学「私たちは親しい隣人」連続講座

「友愛の精神とアジアの未来」

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日時:2017年4月18日 
 所:東洋学園大学フェニックスホール
開会の辞     朱建永(東洋学園大学教授)
元総理鳩山先生に「友愛とアジアの未来」についてお話頂く。
講演「友愛の精神とアジアの未来」  鳩山友紀夫
はじめに
・ アジア人であることに誇りたい。宇宙人と言われるが、宇宙視点で世界を見れることは嬉しい。沖縄米軍基地に関しては、日本という一国の領土に、他国の軍隊がいつづけるのはおかしい。
 戦後のアメリカの貢献は理解するが、真の独立国日本になるには抜本的転換が望まれる。核兵器は、唯一の被爆国日本は持ってはならない! 核兵器を禁じる国連の流に反対する政府はおかしい。
1.「友愛」精神のルーツ
・ 西洋は覇道=功利強権。 東陽は王道=仁義道徳。 孫文が最も好んだ「博愛」
・ フランス革命 三色旗:自由、平等、博愛or友愛
・ 祖父鳩山一郎はカレルギーの思想に共鳴し、「友愛」を政治の舞台に乗せた。
  日ソ共同宣言(シベリア抑留者の早期帰還を図った)、日本友愛青年同志会
2.日本友愛協会の活動
・ 友愛山荘、ベトナム枯葉剤障碍者支援、ミャンマー農業青年研修、国際友愛写真コンクール
・ 中國植林事業:小渕基金(100億円)で今までに350 ha実施。遼寧省等で喜ばれている。
3.鳩山友紀夫の理念   
・ 友愛=自立(自己の自由・尊厳)と共生(他者の自由・尊厳尊重)。
・ 新しい公共:支え合いと活気ある社会を作るための当事者たちの協働の場づくり。
・ 地域主権:「国」と「地方」は対等、むしろ地方にこそ主権がある。助け合う社会をつくる。
4.鳩山の「アジア」観
・ 東アジア共同体構想:友愛の理念で東アジアに共同体を形成する。日中韓が協力すれば可能。
・ 習近平主席の一帯一路構想:インフラ整備をベースに経済連携を強める地域運命共同体構想。
・ 友愛外交:価値観を異にする国々同士が如何に協力するかが外交。南京大虐殺などの謝罪。
5.昨今の世界の状況について
・ ヒラリーは軍産複合体に担がれた一人なので、どちらかというとトランプに期待していた。
・ 最近少しづつ変わってきている。バロンからイバンカに視点を変えた感がある。イバンカはイスラエル派でシリアの化学兵器に反撃したが、もう一歩で勝利となるシリア派がやるはずがない。
 国連調査の前にアメリカが反撃するのは冷静でない。経済優先から軍事優先に変わるか危惧される。
・ アメリカは戦場にならないが、日本は狙われかねない。アジアに話し合いの場づくりが大切。
質 疑:シベリア抑留について? 中國も文化大革命を知らない年代が多くなり、歴史認識が大切。
・ 政府は隠蔽する傾向がある。政府は、3-11支援に対して、ロシアの協力を断っている。
・ 「友愛」啓蒙に3・11を活用して欲しい。世界中の人がいろいろ考えた。何時でも起こり得る。

所 感:祖父鳩山一郎の精神「友愛」をルーツにした日本友愛協会をベースに、「東アジア共同体研究所」所長鳩山友紀夫元首相の話を聞くことができた。沖縄の米軍基地は、真の独立国日本にはおかしいというのが印象的だった。東アジアの平和を祈念して。 

2017年05月03日

幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当

『本当にあった!こんな会社  規則も命令も上司も責任もない!』

幸せをはこぶ会社 おふくろさん弁当

 
アズワンネットワーク編集部、2016.9.27

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はじめに                   吉岡和弘
・ 私は長くビジネスマン人生を歩み、ビジネスマンの御多分に漏れず、長時
間労働、休日出勤、吐き気がするほど責任の重圧、めまいがするほどの人間
関係の軋轢の中で、自分の生活などは犠牲にして、ガンバって生きてきた。
・ 41歳の誕生日に、突然資本金一億円の新会社に雇われ社長を委託された。
ほとんどの関係者からは絶対に成功しないと思われていたが、3年で黒字に
することができた。その後、経営手腕を評価されて、FM放送局を立ち上げ、
数々の会社で役員などを経験することになった。しかし、どの会社でも、企業は社員に過酷であり、就業時間内の過酷さでは済まない、その個人の人生や家庭を問答無用で巻き込む魔物だった。
・ 私は、徐々にこれは何か決定的に間違っていると思うに至った。そんな悩みの中、2014年、「おふくろさん弁当」を知り、自分の悩みと問題の答がここにあるのではないか!となった。
人が人らしく働ける会社を作ろう! おふくろさん弁当を築いてきた道のり    岸浪龍
・ 不動産関係会社で営業として働いてきた僕は、入社数年で成績が認められ、小さな営業所長になっていた。生き馬の目を抜くような世界で、営業成績こそがその人の「価値」という中で、毎日働いていた。そんな中、「自分たちの会社を作ろうか?」という話が知り合いの会合で持ち上がった。
・ 初めは、「突拍子もないことを言い出して」くらいに思っていたが、話をするうちに「それはいいかもしれない」と思うようになっていった。勤めていた会社を辞めることにした。子どもも3人目が生まれたばかりで、不安もあったけれども、「人が幸せになれる会社を作りたい」と真剣
に考えている仲間と本当に心を合わせてやっていけば、何とかなると確信にも似た安心もあった。
・ 犬や猫でも、飛んでいくカラスでも時間に縛られて生きているなんてことはなさそうである。
・ 2005年、社名「アズワンカンパニー」を立上げた。職種は何でもよく、人材派遣業から始めた。HONDAの下請けのいくつかの工場から可愛がってもらうようになった。そんなある時、社員の一人が「お昼の弁当が欲しい」と言ったのだ。軽い感じで、派遣社員何人かのお昼の弁当を作り始めた。手づくりのお弁当なので、瞬く間に「私も食べたい」という社員が増えてきた。
・ ある日の会議で、「お弁当屋さんを事業でやってみたら育たないか?」と言う話になった。
「龍、お前やってみたら?」と提案された。やってみようと思った背景には、大事な本筋があった。下請けということからの脱出、「自前の産業を持ちたい」という創立以来のみんなの悲願であった。
・ 2007年春オープンを目指して、準備にかかった。店舗型にするか、配達だけの工場型にするか。 場所は?設備は?人は?等々、お店を一軒開くって、色々あるなと、本当に勉強になった。責任や義務のような世界観からは生まれなかった発想で、「おふくろさん弁当」と命名した。
・ 本当に仲の良い家族のような間柄で運営する職場を作りたいとスタートした。最初は昼のみの営業だったので、午後2時〜4時までは毎日「話し合い」の時間を持つことにした。しかし、話し合い時間を持てば持つほど「仲が悪くなる」という現象が起きてきた。これには少々驚いた。その時間が憂鬱になってきた。人と人の摩擦を減らすための対策本や情報が溢れている中、おふくろさん弁当(アズワン株式会社)は、人についての研究の「サイエンズ研究所」に研究を委託した。
・ 相手が「ダメだ」と言っていなくても、「非難」してなくても、そう聞こえるカラクリ。「自分がそう受け取ったのか?」とちょっと見えてくると、びっくりしたりする。そこで、サイエンズ研究所が主催する学校「サイエンズスクール」を社員研修に取り入れることにした。この方法で、時間がかかったが、徐々に効果が出てくるようになった。
・ 「今日は休みたい」と言ったスタッフに対して、「急に休んで迷惑をかけられた」と思って憤慨していたスタッフも、その自分の中身を見てみると、「本当は自分も休みたいけど言えない」とか、「仕事を休むなどもってのほかだという自分の価値観」が、自分の中にあることに気づいてくる。その自分の気持ちを見つけられるようになると、責める気持ちがなくなったり、急に休んだスタッフに「どうしたのかな?大丈夫かな?」という気持ちが湧いてきたりするようになった。みんなが、自分の気持ちを大切にし始めると、他の人の気持ちにも心が向くようになり、温かい空気が職場に流れるようになってくる。とても緩やかな変化で、温かい変化、誰も気づかないのに。
・ おふくろさん弁当でも、初期は「仕事がデキル」人に依存する形態だった。「仕事がデキル」人が一人では偉くなりようがない。その人の言うことに無意識に「従おう」とする人がいて、初めて 上下の関係が生まれてくる。「自発的服従」という状態で、自覚も生まれにくい。
・ 人と人の対立のメカニズムが解明され、現場に反映されてくると、今までのような人間関係のストレスが大幅になくなり、心が軽くなり、今までより生産性が上がり、新しい発想が生まれて、新商品が開発され、サービスの質が向上するのは、当然のことのように思う。
・ 視察や見学に来られた方々から「物事をどう決めているのですか?」と質問されるが、ひと言でいうと「決めていない」と言うことだと思う。人は意見が違って当たり前で、それぞれその人の中に世界がある。この当たり前のことが自覚されると、「人を責める」必要はなく、会議もいらない。
・ アズワン株式会社創業当時、工場のラインを請け負う仕事をしていたが、自動車部品の品質管理は「ここまでするのか!」と驚きの連続だった。そこまでするから国産車の性能や品質が保たれているんだと、言えば聞こえもいいが、不良品を出すと、微々たることでも、写真付きの文書「始末書」で懇切丁寧に説明する。ちょっとやそっとの内容では元請会社のOKが出ない。
経営と幸せを両立させた弁当屋のひみつ              吉岡 和弘
・ こんな資本主義社会や株式会社に決別した、エコな活動団体やコミュニティが、実はほとんど同じように人間関係のトラブルを起こし、失速している現状を知った。高い理念と志を共にし、争うことと決別したはずの同志たちが、あろうことか自分たち自身が争うことになるとは。
・ そんな中、日本を代表する環境活動団体、トランジションジャパンの代表者から「今まで日本には世界に誇れるようなコミュニティがなくて、視察も海外に行くしかなくて、残念で悔しい思いをしてたのだけど、遂に世界に誇れる日本のコミュニティが出現したよ!」と興奮気味に話された。
・ 会社を訪問すると、生の声とそのままの会社の姿を見せてもらった。インタビューを以下に。
・失敗はある。おかずの入れ忘れ。配達忘れ。集金漏れも結構あるよ。誰の責任か、追及することは一切ない。罰ももちろんないし。責めることもない。
・ 普通の会社のような社長はいない。対外的には、一応「社長係」という岸浪龍さんがいる。どれだけ働きたいか、いつ来ていつ帰りたいかは、話して決める。給料は、本人の過程状況などのニーズを聞いて、話し合いで決める。能力、資格は一切関係ない。人間関係からの自由の楽しい会社。「幸せな職場」を実現した会社 場づくり研究家からみた一人ひとりの心    米田 量
・ 新入社員は、言い合える環境で居心地がいい。人々の精神的な自立度が高いことが要因だ。
・ 鈴鹿コミュニティでは、実際の対立や葛藤に向き合いながら、その原因を理解し、乗り超えるための研究を自分たちで始めている。それは当事者研究と呼ばれ、問題の解決機能以上の意義がある。皆が、人の心がより自由に伸びやかになっていくことが自分にも会社にもいいことだと知っている。そのため、心が縛られない自由になる仕組みを考え、実験を続けている。おふくろさん弁当で一人ひとりが自分や自由を取り戻していくあり方を見て、ここはリハビリの場所のようだなと思う。安心は、自分で囲っていたものを手放し、委ねられることによって生まれる。

所感:驚くべき本に出合った。「おふくろさん弁当」は世界に誇れる日本のコミュニティだという。収入や生活レベル等々において格差が急伸している世界的なグローバル社会化の中で、能力や資格に捉われない会社があるという。未来の日本を予感させる会社であって欲しい。

2017年05月01日

石破茂『日本列島創生論 地方は国家の希望なり』

石破茂『日本列島創生論 地方は国家の希望なり』

新潮文庫、17.4.20

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はじめに   革命は地方から起きる               
・ 今は有事である。人口問題研究所の発表によれば、200年後には人口は
1391万人、300年後に423万人、西暦2900年に4000人になるそうだ。
 国家の存立要件は、国土、国民、排他的統治機構で、このままでは消滅も。
・ 地方創生大臣に任命されるまで、ここまでの事態とは思っていなかった。
超高齢化、少子化は地方に先にやってきた。これまで日本では人口、食料、
エネルギーは地方が生産し、大都市が消費する構造だった。
・ その大切な地方が、消滅しつつある。地方で起きたことは、確実に大都
市圏でも起きる。そのリスクは、原発事故や領土侵犯より高いのだ。こう
した大きなテーマに関して「中央政府に任せておけばいいや」では、もはやどうにもならない!
・ 一時はアベノミクスで株価は上昇したが、景気が良くなった、生活が上向いたという実感を持てない。アベノミクスは、大胆な金融緩和政策・機動的な財政出動だが、いつまでも続けられない。
・ 残念なことに、政治家もメディアも「地方創生」では、日本を甦らせることは無理だと考えている。しかし、そろそろ次のことを前提とすべきだ。
・ これは決して勇ましいスローガンでもなければ、夢物語でもない。明治維新は地方の志士たちによって成就したのであって、江戸幕府が成し遂げたものではない。戦後の日本は、アメリカによって大きく変わったこともあるが、大きな動きは地方から始まっていることの方が多い!
  多くの方々が、他人事ではなく、日本の未来について考えるための一助となれば幸いである。
1.地方創生とは何か
・ 私は、明治以来連綿と続いてきた中央と地方との関係を根底から変えるものであると考える。
  日本国の在り方を根底から変えるもの、単なる地方の振興策に留まるものではなく、日本の在り方を変えて、この国が21世紀も続いていけるようにするためだ。
・ 地方消滅・人口問題の議論が本格化したのは、増田寛也『地方消滅』がきっかけだ。
・ しかし、東京一極集中は、大きなデメリットだ。ドイツの保険会社が、自然災害のリスクを世界主要都市で算出した所、東京がダントツの危険都市であり、首都直下型地震の災害発生の可能性が極めて高い。木造密集住宅が多く、沢山の地下鉄が走っている。地方創生は東京の問題と直結だ。
2.補助金と企業誘致の時代は終わった
・ 新幹線も高速道路もなかった40年以上前、地方は元気だった。それが今は、日本国中駅前は寂れ、商店街は8割近くのシャッターが閉まっている。これまでの公共投資や企業誘致も限界だ。従来型の「夢よもう一度」という発想はもう通用しない!!
・ これからは、今まで陰に隠れて実力を発揮してこなかった農業、林業、漁業、または観光などのサービス業、あるいは介護や医療といった業種が潜在力を発揮し、地方を活性化することだ。
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2017年04月30日

ハゴロモジャスミン が 満開に!

ハゴロモジャスミン が 満開に!

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4月の収穫は、シュンギク2150g、キヌサヤエンドウ1330g、キャベツ
1000g、ルッコラ800g、ブロッコリー680g、セリ450g、ワケギ、ネギ、
ホウレンソウ等の7.2kgだった。
急に、フジが満開になり、ハゴロモジャスミンも満開になった。
先月創刊された石破茂氏の『日本列島創生論』によると、鹿児島県鹿屋
市の柳谷集落、通称「やねだん」は、特別に風光明媚でもなく、代表的な
産業があるわけでもなく、金もない。そんな集落が今や全国から注目されているとのこと。やねだんが教えてくれることは、「産業は作るものだ」ということで、公共工事や企業誘致はお金がある程度得られるが、その仕事は自分たちで作ったものではなく、与えられたものでしかない。耕作放棄地を活用したサツマイモの栽培で、高品質の焼酎を作っているとのこと。ここで素晴らしいのは、住民皆に何らかの仕事があるということだ。90歳を超えても、たとえば土着菌を繁殖させるための土壌をかき回すという仕事はできる。皆が分担して、儲けを皆で分配する。そこには生きがいが生まれる。だからこそ、ここには「寝たきり」のような高齢者はいない。現在は地域リーダー養成のための「やねだん故郷創生塾」を開講して、全国から入塾者が殺到しているという。

2017年04月26日

江東区助け合い活動連絡会 第3回研究会

江東区助け合い活動連絡会 第3回研究会

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日時: 2017年4月19日
 所: 高齢者総合福祉センター
1.開会挨拶  渡辺世話人代表(大島2丁目町会)
2.江東区挨拶 長寿応援課長 加川彰
3.社会福祉協議会挨拶  今年度少し配置転換が。

4.事例研究「集合住宅での助け合い活動の仕組みづくり」 
(1)東砂7丁目町会  吉野義道
・ 800世帯、高齢化率20%。北地区は新しいマンション地域で、南は古い住宅も多く、高齢化率の高い長屋もある。会長時、民生委員もやっていたので、見守り事業をスタートさせた。南地区の100世帯の長屋から始め、お節介役の10名の女性を集め、町会+民生委員+江東区の連携で試行錯誤を始めた。男性の高齢者一人暮らしが課題で、気になる人を4段階にランク分けした。
・ 支え合いマップ作りを、長屋の他に4ブロックに分けて作成した。各地区別に10名前後の住民  が集まり、地域の情報を書き込みマップに落とした。3か月に一回、担当者間で情報交換。
・ ふれあい広場、陽だまりコーナー、親子NANAの会、クリスマスパーティ等々を開催している。「砂町よっちゃんち」:多世代交流の里として、古民家活用で始まった。
(2)亀戸9丁目町会   鴇田慶三(町会長9年目)
・ 人口 11,009人、 世帯数 4562世帯、 町会員数 2015世帯の江東区で4番目の大町会。  亀戸の東側に位置し、工場転出地に、マンションが建ち並んだ。70歳以上は428人。
・ 見守り活動は、様々なクラブ活動を横につなげようと始めた。平成25年度サポート地域に応募。  最初に先進事例の「横浜市公田町団地」を視察し、取組(交流サロン、買い物、ミニ食堂)を見学。平成25年10月11日、亀戸東地区集会場で役員研修『住民の見守り、支え合いがなぜ必要か』を開催。社協地域福祉推進課 高城係長、役員間で話し合いを重ね、調査し、マップ作り。
・ 活発なグループ活動:『浅間寿会』、『ひまわり会』、『すみれ会・なかよし会・葵会』、『敬老会』。その他の取組:『防災訓練』、『登校時の見守り活動』、『旧中川東京大空襲犠牲者慰霊灯篭流し
(3)大島2丁目町会   渡辺恵司
・ 総戸数 2,940戸、 居住者 5,399人、 町会加入率76%、 高齢者570人。
・ 2015年、高齢者見守り支援事業に参加。古くからの住宅は高齢化が進行。
・ ふれあい・支え合い活動の取組
  『コミュニティガーデン活動』:防災公園の花壇の整備。地域の憩いと交流。町会+敬老会+住民 
 『青空カフェ』:お手玉、輪投げ、将棋、紙トンボ、絵本。近隣の力=地域の関係づくり。

5.質疑
・ 見守りマップの取り扱い方:個人情報が難しくなっている中、対応策には工夫が必要。対応には課題が多いが、班長などには渡しておかないとイザという時に役立たない。ルール作りが必要。
・ 上手い安否確認方法:両隣の「水道・ドアホン・出かける時の音など」の確認し合い。
・ 行政に捉われない方法を作り出す必要がある。
・ 大災害時のために、名前・住所・電話・通院病院名・患者番号等の見守り対象者リスト作りを。
6.次回会合
  助け合い活動連絡会2017年度総会  5月18日(木)13:30〜15:30 高齢者総合福祉センター
  
所感: 超高齢化社会が目の前にやって来ている。そんな社会を、助け合い活動を推進し、楽しく過ごせる地域にしたいと『江東区助け合い活動連絡会』が積み上げられている!

2017年04月25日

第12回 江戸川の稚アユ救出作戦

第12回 江戸川の稚アユ救出作戦

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 江戸川水門 

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日時: 2017年4月23日   
 所: 江戸川水門・水閘門 前
主催: 利根川・江戸川流域ネットワーク
協力: 国交省江戸川河川事務所、市川市、江戸川区、松戸市、江戸川を守る会、松戸市漁業協同組合、地域交流センター、みずとみどりの寺子屋、流山カヌー同好会、葛飾区カヌー協会、松戸まちづくり交流室、えどがわ環境財団、新坂川をきれいにする会、東邦大里山応援団、船橋芝山高校生を始め、利根川・江戸川流域のたくさんの市民団体の後援、協力で開催。      
今年の稚アユ救出作戦は快晴の中、「江戸川にアユが上っているのを知っていますか?」との佐野実行委員長の言葉で開会宣言され、国交省江戸川河川事務所長から参加者への暖かい挨拶を頂いた。先ず、大型紙芝居「アユの一生」が演じられ、秋に利根川で生まれ、利根川、江戸川を下り、東京湾で育ち、春に再び江戸川、利根川を上るアユの一生を学んだ。その後、水門で閉ざされて上れない稚アユのために、子供たちにEボートを漕いでもらい、閘門を開けてもらうことで、アユの遡上を援助した。子供たちは下流側から閘門に入り、稚アユとともに上流へボートを漕ぎ入れ、Eボート体験を楽しんだ。子供たちからは元気な歓声が上がった。
ここ江戸川の稚アユ漁は昔から盛んに行われ、様々な川に出荷し、「アユ溢れる川」として有名だった。住民の水道水源と洪水対策のために水閘門がつくられ、アユが上れなくなったが、地元の子供たちと市民の協力で上らせることができた。

2017年04月22日

濱野靖一郎『悲憤慷慨の人、渋沢栄一』

濱野靖一郎『悲憤慷慨の人、渋沢栄一』

ミネルヴァ書房「渋沢栄一は漢学とどう関わったか」2017.2.10

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はじめに
本文は、渋沢栄一と言う近代日本経済社会を創造した人物と、二松学舎
 創設者で優れた漢学者・三島中洲との緊密な関係に注目し、近代日本社会
の発展において漢学が果たした役割を再考した著書の第1章である。
1.江戸期の渋沢  
・ 渋沢栄一が手掛けた数多くの事業の中に、『徳川慶喜公伝』『楽翁公伝』
 の伝記編纂があり、そこから渋沢の江戸時代認識を掘り下げたい。
・ 渋沢は1840年に生まれ、明治維新を28歳で迎えている。激動の時代、渋沢の江戸時代における意識の変遷を辿ってみたい。江戸時代の渋沢は、倒幕の志士から一橋慶喜の家臣、そして幕臣になるという、極端な転身をしている。
2.悲憤慷慨の士――「武士」への憧れ
・ 渋沢は己の若き日を振り返り、「慷慨」の人だったと言う。「余は17歳の時武士になりたい。人間以下の扱いの実業家と、知能がなくても社会の上位を占める武士を比べ、癪に障って何が何でも武士にならなくては駄目だ」と考えた。回想には「その頃余は少しく漢学を修めていたので、政権が朝廷から武門に移った経路を知るようになって、百姓町人として一生を終わるのが如何にも情けなく感じ、『日本外史』等に刺激されて、国民の一員として封建制度を改革するのが義務と考えた。」とある。松平定信を初めて知ったのは、頼山陽の『外史』の「上楽翁公書」だ、とも述べている。
・ 渋沢は父親から「大学から中庸」読みを習い、8歳のころには尾高藍香につき、百姓が馬鹿馬鹿しくなり、ペリーの来航で、海外との交渉の行方が関心事になる。漢の高祖や秀吉が農民から、
家康も小大名から出たと知り、そうした豪傑を自分の友人のように考えるようになっていった。
・ 頼山陽の『外史』などを読むうちに、いつしか尊王論に耳を傾けるようになる。明治44年の新聞記事に「少時、頼山陽を読み、信濃は日本の分水点で、わが国の中心なり」と書いている。
・ また、「外患が急にして、幕府の態度が如何にも優柔不断で、ただ外国の命にこれ遵うを憤り、漢学者流の攘夷論にかぶれ、一旗挙げる計画までしたが、同士の忠告で思い切り、改めて一橋家に奉公するに至った」、「維新の後自分は早々野に下り、身を実業界に投じたが、根が漢学仕込みだけあって、どうしても義理を棄てて商売する気になれず、『論語算盤説』を唱えて、道徳と経済との提携を主義としている。今時の人は兎角義理の観念が薄い」と山陽から日本精神を学んでいる。
・ 渋沢はもと農民である。それ故に、「武士」には「なる」ものであった。若き渋沢にとって、『外史』に触発され、晩年になっても生き続けていたものは、ある種、理想化された「武士のエートス」とも言うべきものだと判明した。
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