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桜美林学園のお話

今年(2006年)桜美林学園は創立60周年を迎えます。そこで、この60周年を機会に桜美林学園の自校史や創立者である、清水安三先生、郁子先生にまつわるお話や清水安三先生Tシャツプロジェクトの同行をお伝えしていきます。

 たくさんのコメントをよろしくお願いいたします。


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安三先生中国への決心B [2006年06月20日(火)]
 こんにちは今回は安三先生が中国へ渡る決心をしたとどめとなるような事を紹介いたします。

 それは安三先生同志社大学生活最後の正月に、国際愛という題の下に、平安教会で行われた祈祷会に出席したときのことです。

 その日の祈祷会はのちの同志社大学総長牧野虎治牧師による講演だったそうです。牧野氏はエール大学の卒業生であるが、やはりエール大学を出て殺されたホレス・ペトキンという宣教師の物語をされたそうです。

 ペトキンはアメリカン・ボードの宣教師であって、保定の東関外に、小さい学校と診療所を経営していた。その時かの北清事変が起こった。ペトキンは彼の妻と赤ん坊を伴って天津に至り、米国義勇隊に避難した。米国公使は軍艦から去ってはならぬと命じたが、羊飼いが羊の群れを野に置いて逃げるならば、それは卑怯者であるといって、彼は保定に帰っていった。保定では何人かのキリスト教徒が惨殺され、彼も一弾をあびて亡くなった。

 彼は生前にエール大学へ次のような手紙を残していた。「エールよ、エールよ、エールは我が子ジョンが25歳になるまで、彼を育ててくれ、25歳になったらば、彼をして保定に来らしめ、我が後を継がしめよ。」エール大学の教職員と学生はこの手紙に感銘を受けて、今でもエール・チャイナ・ミッションというのを支持している。

 安三先生はこの奨励を聞いてもうどうしてもじっとしていられなかったそうです。