安三先生中国への決心@
[2006年06月18日(Sun)]
こんにちは
今回は清水安三先生が何故中国に渡る事を決めたのかについてご紹介します。
安三先生は1921年に中国北京において子どもたちや女性たちが技術とともに教養を身につけることができるようにと設立された「崇貞学園」を開校したわけですが、そもそも何故中国へ行こうと思ったのか。それにはどうやらきっかけがあったようです。
第一のきっかけとなったのは、安三先生同志社大学神学部5年生の時の事でした。図書館で徳富蘇峰氏の『支那漫遊期』を見つけたことが始まりです。安三先生が読んでいくと、蘇峰氏が宣教師を訪問するところまで読んだとき、次のような文書があったそうです。「おもふに、我邦の宗教家にして、果して一生の歳月を支那伝道のために投没する決心あるものあるか。予は、英米その他の宣教師の随喜者にあらざるも、彼らの中にかくの如き献身的努力あるの事実は、たとえ、暁天の星の如く少くも、猶暁天の星としてその光を認めざるを得ざる也。」(暁天とは朝早くにお寺でお坊さんのお説教や著名な文化人のお話をうかがうというもので す。)安三先生は読後、「なあに、わが国青年宗教家だって、やれんことはあるまい。」とおっしゃったそうです。
安三先生は蘇峰氏のこの一文でどうやら生涯の方向を転換せしめられたようです。続きはまた明日
安三先生は1921年に中国北京において子どもたちや女性たちが技術とともに教養を身につけることができるようにと設立された「崇貞学園」を開校したわけですが、そもそも何故中国へ行こうと思ったのか。それにはどうやらきっかけがあったようです。
第一のきっかけとなったのは、安三先生同志社大学神学部5年生の時の事でした。図書館で徳富蘇峰氏の『支那漫遊期』を見つけたことが始まりです。安三先生が読んでいくと、蘇峰氏が宣教師を訪問するところまで読んだとき、次のような文書があったそうです。「おもふに、我邦の宗教家にして、果して一生の歳月を支那伝道のために投没する決心あるものあるか。予は、英米その他の宣教師の随喜者にあらざるも、彼らの中にかくの如き献身的努力あるの事実は、たとえ、暁天の星の如く少くも、猶暁天の星としてその光を認めざるを得ざる也。」(暁天とは朝早くにお寺でお坊さんのお説教や著名な文化人のお話をうかがうというもので す。)安三先生は読後、「なあに、わが国青年宗教家だって、やれんことはあるまい。」とおっしゃったそうです。
安三先生は蘇峰氏のこの一文でどうやら生涯の方向を転換せしめられたようです。続きはまた明日




