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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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沖縄10景めぐり (3)  [2017年05月31日(Wed)]
沖縄10景めぐり (3)

斎場御嶽(せいふぁーうたき)-2


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貴婦人のお休所

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二本の鍾乳石から滴り落ちる水は、下の壺で受け、それぞれが中城御殿(なかぐすくごてん)(国王の世子がお住まい)と聞得大君御殿の吉兆を占い、お正月儀式の霊水とする


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三角岩

正面突き当りは三庫理(さんぐーい)右側はチョウノハナで、首里城内にある場所と同一の名前が用いられています。



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続く



文責 荒川






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沖縄10景めぐり (3)  [2017年05月30日(Tue)]
沖縄10景めぐり (3)

斎場御嶽(せいふぁーうたき)-1

2000年12月、オーストラリアで開催された第24回世界遺産委員会で国内11番目となる世界遺産−沖縄9か所の建造物、史跡が世界遺産に登録されました。
9か所の一つに沖縄最高の聖地「斎場御嶽」(せいふぁ−うたき)があります。
斎場(せいふぁー)は斎場(さいじょう)ではなく神の存在する聖地です。
斎場御嶽はは琉球の始祖[アマミキヨ]が造ったとされ、国始め七御嶽(ななうたき)の一つであり、前述のとおり沖縄最高の聖地で琉球最高の神女、聞得大君(ききえおおきみ)就任の儀式が行われた場所です。

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続く



文責 荒川







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沖縄10景めぐり (2)  [2017年05月29日(Mon)]
沖縄10景めぐり (2)

知念岬にあった知念村は平成17年に閉村したのでした

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続く



文責 荒川

















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沖縄10景めぐり (1)  [2017年05月28日(Sun)]
沖縄10景めぐり (1)

ニライカナイ(10景)

今年の初め阪急交通公社が「沖縄一生に一度は目にしたい絶景10景めぐりツアー」のタイトルで参加者を募集したので応募してツアーに参加しました。
沖縄は過去3回ほど訪ねてみましたが、独特の風物、広大な海。温暖な気候、歴史、どれをとっても魅力的な場所です。地政学的な観点から基地が集中し問題が起きていますが、解決するのは容易ではないと思います。

5月20日付朝日新聞の朝刊に、新石垣空港内にある白保竿根田原洞穴遺跡で19体の石器時代人骨がみつかり、うち4体は頭骨があり、1体は日本最古の完全な全身骨格で同じ沖縄で発見の港川人22000年前より、さらに遡る27000前だと判ったというのです。
沖縄の古い歴史を如実に語るニュースだと思います。

これにより日本人の起原の解明その他もろもろの解明に期待ができると報じられました。
サンゴ礁から成る沖縄の絶景は海岸か海岸から遠くない場所で、琉球王朝の歴史や神話を秘めた10景でしたが、旅行期間中風雨に曝され海は時化模様でした。
 
“ニライカナイ”

ニライカナイとは遠い所にある桃源郷(仙境・他界)を意味する言葉らしく、風光明媚な知念岬を見下ろす丘にたつと沖縄に暮らす人々はニライカナイを夢見たのであろうと想像しました。現在はニライ橋、カナイ橋が架けられ、海を眺めながら橋を渡り下るとそこが知念岬でした。ニライカナイ橋と知念岬の前方に久高島(くだかじま)があり久高島は神の島(聖地)でありパワースポットだそうです。

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続く



文責 荒川

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今月の俳句(平成29年5月) [2017年05月27日(Sat)]
今月の俳句(平成二十九年五月)


今月の兼題は「桐の花」でした。昔は女の子が生まれると桐の木を植えて、嫁入りの時にその桐で作った箪笥を持たせたそうで、桐はポピュラーな木でしたが、今はあまり見かけません。聖跡桜ヶ丘駅前の川崎街道の街路樹が桐だというので、見てきました。丁度紫色の花が咲いていました。ただし、今月の桐の花の俳句は一句だけですので、まとめて後ろに句会に出た桐の花の句を掲載しました。句評は藤戸紘子さん、今月の一句の選と評は渡辺功さんにお願いしました。(皆川) 

「義経の隠れ家とかや桐の花」
  木原 義江

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とかや、という助詞は伝聞の意を表します。義経とは勿論あの源平合戦で活躍したヒーロー、源義経のこと。平家を滅ぼし、鎌倉幕府の開府に多大な貢献をしましたが、後に兄・頼朝との確執により鎌倉勢に追われる身となりました。落ち行く先は奥州・藤原氏。その奥州各地に幾つもの「義経の隠れ家」といわれる建物があるそうです。作者がその一つを訪れた時の句。季語「桐の花」(夏の季語)により、悲劇のヒーローの姿が凛々しく立ち上がってきます。

「じゃがいもの花や園児の連なりて」
  渡辺 功

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意外なことに馬鈴薯はナス科の野菜で、花の形もナスの花とよく似ています。花は6〜7月頃、淡い紫色ないし白色の星状の可憐な花が点々と咲く景はまことに可愛い眺めです。作者のご自宅の近くに馬鈴薯畑があり、近くの保育園の園児がよく畔道を散歩しているそうです。馬鈴薯の花(夏の季語)と園児の可愛い姿が重なって、優しい一句となりました。

「鼻先をすいと過りて夏燕」
  宮ア 和子

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燕(春の季語)は春に渡来し、人家の軒先などに営巣、繁殖します。産卵後一か月余りで巣立ちし、健やかに成鳥となります(夏燕・夏の季語)。親燕と子燕がともに飛翔する姿は真に美しいものです。作者は見とれていたのでしょうか。突然鼻先を燕が過(よぎ)り、驚くやら嬉しいやら、その瞬間を詠まれました。
その燕も九月頃には大海を越えて、また南方へ帰るのです。これを帰燕(きえん)といい、秋の季語となります。同じ燕でも季節により呼び方が違うのは、日本人の季節に対する感覚の繊細さによるものでしょう。

「夏燕庇の深き城下町」
   小野 洋子

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城下町という措辞から井然(せいぜん)とした家並みが想像されます。町屋と違い武家屋敷は格式に見合った屋敷であり、その規模に見合った庇(ひさし)であろうと思われます。深い庇は燕にとって雨風や外敵から卵や雛を守るには絶好の住環境でしょう。親燕は雛のために餌を運ぶのに懸命です。雛の口に餌を運び、すぐに飛び立ちます。落ち着いた雰囲気の城下町を飛翔する美しい燕、日本画のような景が思い浮かびます。

「歓声の上がる広場や夏の雲」
  皆川 瀧子

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広場で何が行われているのでしょうか。夏の戸外ですからスポーツでしょうか。少年サッカー?草野球?何か大変なファインプレーがあったのでしょうか。わあーと歓声が大空へ広がっていきます。その空には真っ白な夏の雲、エネルギーに満ちた明るい季節の到来がこの句から生き生きと伝わってきます。

「ホールインワンの歓声夏木立」
  皆川 眞孝

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先の句とこの句は同じ景を詠まれたもののようです。正に息のあったご夫妻です。広場で繰り広げられていたのはグランドゴルフでした。南窓会では今年度新しくグランドゴルフのサークルが誕生しました。大人気で会員も増加の一途です。ホールインワンをした巧者が出現しました。夏木立を抜けて生き生きとスポーツを楽しむ人々の明るい大声、爽やかでいいですね。夏木立の季語が効いています。また、この句は12音・5音と破調になっています。作者の作句の腕は確かに向上していて頼もしい限りです。

「畳なはる欅青葉や風の道」
  藤戸 紘子

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「畳(たた)なはる」の措辞にしびれました。幾重にも重なって続く、という意味で、万葉集にも「たたなはる青垣山」と使われている、歴史のある言葉です。実は、私は葉桜の並木が連なっている情景を表したいと思い、よい言葉がないものかと考えました。しかし、私の平凡な頭では、「葉桜の大海」とか「葉桜の細波」ぐらいしか思いつきませんでした。この句を句会で拝見して、この様にぴったりした美しい日本語があることを教えられました。青葉(夏の季語)ですから、若葉より緑が濃い感じです。「下五」の「風の道」がよく効いていて、茂った欅の青葉の間を爽やかな風が吹き抜けていく様子が目に浮かびます。作者は府中の欅通りの情景を描いたそうですが、気持ちのよい季節にぴったりの、私達のお手本になる佳句だと思います。(皆川眞孝)

今月の一句(選と評:渡辺功)
「山若葉天空渡るオランウータン」
  皆川 瀧子

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オランウータンを角川国語辞典で引くと、「猩猩」(しょうじょう)参照とありました。「猩猩」は中国で想像上の動物、形は猿で顔は人に似て、酒が好きだとの記述がありました。
このイメージで掲題句を読むと、いろいろ想像が膨らみます。
おっかなびっくり、ふらつきながら天空を渡るオランウータン、一体どこへ行くつもりでしょう。ところで爺になると、身も心もオランウータンに似てきて、彼の気持ちがわかるような気がします。そろそろ天国への道を探し始めているのでしょうか?それとも地獄が待っている?
この句は多摩動物公園内での御作とのことですが、「猩猩」「天空」のイメージが老いの身に一抹の感慨を呼び起こしました。そして今年の「山若葉」の鮮やかさが、一入(ひとしお)身に沁む今日この頃であります。爽やかな作品だけに、一層感銘が深まりました。(評―渡辺功)

桐の花の他の句
桐の花は紫の大型な筒状で、花言葉は「高尚」です。藤戸さんからは、花のこのイメージを大切にして、品のある俳句の方がよいとお話がありました。

「里山の祠整ひ桐の花」
  宮ア 和子
「大木の桐の花咲く畑の中」
 宮ア 和子
「苔むせる地蔵在すや桐の花」
 渡辺 功
「渋滞の長き車列や桐の花」
  皆川 眞孝
「桐の花中山道の番所跡」
 藤戸 紘子


添削教室
元の句「天の色水に重ねて鯉の影」 木原 義江
青空が水に写っている中をすいと鯉が泳いでいるという情景を、美しく巧みに表した句ですが、大きな問題があります。それは「鯉」が歳時記では季語に認められていないことです。「緋鯉」「錦鯉」は夏の季語なのに、残念です。そこで、鯉の代わりに同じ2音の鮎(夏の季語)を藤戸さんが提案しました。そして「天の色」だけではどんな色か分かり難いので、「空の色」と添削しました。青色が強調されすっきりした夏らしい俳句となりました。
添削後
「空の色水に重ねて鮎の影」
  木原 義江
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
渡島半島紀行(7)  [2017年05月26日(Fri)]
渡島半島紀行(7)

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終わり


文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
渡島半島紀行(7)  [2017年05月25日(Thu)]
渡島半島紀行(7)

松前公園-3


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続く




文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
渡島半島紀行(7)  [2017年05月24日(Wed)]
渡島半島紀行(7)

松前公園-2


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続く



文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
渡島半島紀行(7) [2017年05月23日(Tue)]
渡島半島紀行(7)

松前公園-1


函館を離れ、日本海沿いの国道228号を北海道松前郡松前町字福山の松前藩「松前城趾公園」に向かいました。途中の知内町は演歌歌手北島三郎の故郷であり、福島町は二人の横綱-第41代千代の山、第58代千代の富士の生れた町でもあります。
行く手に聳える大千軒岳は未だ雪を冠っていました。
松山公園は桜の名所でほぼ満開でした。

松前藩について


15世紀蝦夷ヶ島(北海道)は大半をアイヌ民族が支配してようです。
僅かに渡島半島を安東氏が統治していました。安東氏は半島を上の国、松前、下の国の三つに区分し、それぞれに守護を任命して治め、漸次渡島半島外へ勢力を拡大しようと目論んでいました。
室町時代の康正3年(1457)、アイヌの若者と和人の口論から若者が殺傷され、これがもとで「コシャマインの乱」が起こりました。コシャマインとはアイヌの首領の名前ですが中々の統率力で安東氏の各地の館は次々に破壊され、敗色が濃い様相に包まれました。

これを救ったのは若狭(福井県)から流れてきた武士武田信広で彼の優れたリーダーシップでコシャマインを函館で討ち、乱を鎮圧し、蝦夷地の和人をまとめることに成功して当時の支配者豊臣秀吉から全蝦夷地の支配権を与えられたのです。この武田信広こそ松前藩の始祖と呼ばれる人です。
当時北海道は米が穫れないため、藩の財政はアイヌとの交易で賄われ、本州の領地(石高)の代わりに交易権が与えられました。
寛政元年(天明時代の終わり1789年)北海道東部で起きた「クナシリ・ナメシの戦い」をもってアイヌ民族と和人の戦闘は終焉しました。

慶長4年(1599)天下分け目の関ヶ原決戦の前年、北海道の武田氏は姓を松前と改めました。星霜は移り幕末、外国船が頻繁に近海に見られるようになり海防の必要から嘉永2年(1849)徳川幕府は松前藩に築城の命を下しました。築城は当時の御禁制を冒すもので極く異例の措置です。藩主松前崇広は6年がかりで安政元年(ペリーが来航した1854年)
築城を完成しました。
築城費用15万両、城の正式名称「福山城」、北海道唯一の日本の城、松前は唯一の城下町です。


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続く



文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
悪徳商法事例集(125)仮想通貨 [2017年05月22日(Mon)]
悪徳商法事例集(125)仮想通貨


独立行政法人国民生活センターから最新の見守り新鮮情報が届きました。
仮想通貨というと、ビットコインが代表的なものだそうですが、銀行で働いていた私でもその仕組みが良く分かりません。一般の人はなお分からないと思いますが、そんなものに「値上がりするから」という言葉だけで投資するのは、お金を捨てるようなものです。(皆川)
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知人から誘われた仮想通貨への投資 もうかるはずが…
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趣味の会で知り合った人に勧められて、1年前に仮想通貨への投資の説明会に行った。「仮想通貨を購入すると価値が上がる」と言われ、約90万円振り込んだ。「1年経ったら会社が買い取る」と言われていたが業者と連絡が取れない。返金してもらいたい。(60歳代 女性)
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<ひとこと助言>
☆知人から説明会やセミナー等に誘われ、売却利益を目的に仮想通貨を購入したところ、もうかるどころか支払ったお金も戻ってこないという相談が寄せられています。

☆仮想通貨は、価格が急激に低下するなどのリスクを伴うため、将来必ず値上がりするものではありません。仕組みや取引に伴うリスク等がよく分からなければ決して契約しないでください。

☆仮想通貨交換業の登録がなければ、国内で仮想通貨と法定通貨との交換サービスは行うことができません。

☆不安を感じたときは、お住まいの自治体の消費生活センター等にご相談ください(消費者ホットライン188)。
Posted by 皆川眞孝 at 09:00
春のバラ 2017(3) [2017年05月21日(Sun)]
春のバラ 2017(3)


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以下は植物園の木の花です

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終り




文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
春のバラ 2017(2) [2017年05月20日(Sat)]
春のバラ 2017(2)


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続く




文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
春のバラ 2017(1) [2017年05月19日(Fri)]
春のバラ 2017(1)

神代植物公園春のバラを取材しました


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続く



文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
芍薬(シャクヤク)2017 [2017年05月18日(Thu)]
芍薬(シャクヤク)2017


神代植物公園の芍薬を取材しました。


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終り



文責 荒川
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渡島半島紀行(6) [2017年05月17日(Wed)]
渡島半島紀行(6)

函館元町界隈と函館山からの夜景

元町は函館港を見下ろす明光優美な函館山の中腹にあり、ここに明治から昭和25年まで北海道庁函館支庁が置かれ道南行政の中心でした。
幕末から維新に至る激動期を駆け抜けた町ゆえにレトロ調のなかに重要建造物、史跡、教会、記念碑など貴重な文化遺産が詰まっている町です。

ゆっくり時間をかけて見なければ勿体ない町ですが、私たちは午後遅くやがて夕闇が迫ろうというなか、函館港から夕食会場の海峡御膳までそぞろ歩きで元町を抜けました。
夜の帳がおりて山頂の展望台の近くに止めたバスから降りてみたら、押し寄せた群衆で埋まっていて観光バスなども狭い道路に3列に駐車する有様、展望台は建物の中を通らなければ行けませんが順番を待って長蛇の列、アジア系と思われる言語が飛び交うなか、展望台を諦め群衆の隙間から夜景をスナップして帰りました。


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続く




文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
渡島半島紀行(5) [2017年05月16日(Tue)]
渡島半島紀行(5)

函館市五稜郭町:五稜郭見学-2


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以下函館タワーからのスナップです

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続く



文責 荒川
Posted by wild river at 09:00
渡島半島紀行 (5) [2017年05月15日(Mon)]
渡島半島紀行 (5)

函館市五稜郭町:五稜郭見学-1


幕末の動乱期、慶応4年(1868)品川沖から軍艦で海路箱館に逃れてきた榎本武揚は五稜郭に入り蝦夷共和国設立を宣言し総裁に就任しました。
新政府軍として見逃しておくわけにはゆかず、鹿児島生まれの薩摩藩重鎮黒田清隆を討伐に派遣し7ヶ月間の戦いで五稜郭は落城し戊辰戦争は終結しました。

私より7歳年長の作家古山高麗雄氏 -15年前、 執筆途中で逝去し絶筆・遺作となった“人生しょせん運不運”という著作がありますが、幕末動乱期に輩出した人間像をみると古山氏の作品をアップライしてみないわけにはいきません。
剣士土方歳三は一個の銃弾により五稜郭の戦いで敢え無く落命しました、しかるに降伏した総大将榎本武揚は官軍総指揮官黒田清隆の助命嘆願で死を免れ、新政府の外務・文部・商工・逓信の各大臣を歴任し、黒田家と姻戚関係にもなったのです。

幕末から明治初期に日本は欧米諸国から数多く学びましたが、函館にきてフランスから教えて貰ったこと恩恵を受けたことの多さを改めて思いました。世界遺産登録の富岡製糸、横須賀の製鉄・造船、トラピスチヌ修道院の創設などです。
種ケ島(火縄銃)の渡来、黒船の来航など戦闘の様式が一変するなか日本の城は築城術の革新に迫られていたのです。幸いにも箱館港に入港したフランス海軍軍人が奉行所に伺候して築城技術書を贈呈したので、蘭学者武田斐三郎がこれを参考に五稜郭を設計し安政4年(1857)に着工7年の歳月を経て元治元年(1864)に五稜郭が完成しました。

五稜郭公園の土塁に植栽されたサクラは1600本、私たちが訪れた5月2日は満開、見たこともないと思う素晴らしさでしたが、カメラの腕がまるでおよびませんでした。
函館タワーは外人も含め長蛇の列、上れたのは奇跡的でした。


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文責 荒川
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渡島半島紀行  (4) [2017年05月14日(Sun)]
渡島半島紀行  (4)

トラピスチヌ修道院(北斗市)


函館港で昼食の後、北斗市に向かいました。ここにあるトラピスチヌ修道院を見学するためです。
明治31年(1898)フランスから派遣された8人の修道女により創立された日本最初の女子観想修道院です。院内のサクラも知られています。
トラピスチヌ修道院は北斗市の三ッ石にありますが、同じ北斗市の小高い丸山の中腹に男子のトラピスト修道院もあります。

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文責 荒川
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渡島半島紀行  (3) [2017年05月13日(Sat)]
渡島半島紀行 (3)

函館港(箱舘港)

函館は慶応4年(1868)戊辰の年に起きた鳥羽伏見の戦いを皮切りに始まった戊辰戦争の最後の局面、「箱舘戦争」(五稜郭の戦い)が行われた場所です。
これにより日本人同士の戦が終焉し明治の大業が成りました。
箱舘から函館に地名が改められたのも箱館戦争終結の明治2年(1869)以降のことらしいです。箱という漢字を調べたら函のほかに匣、筪、筥などがありますが、恐らく人心一新のための改名とは察するものの何故箱の後継に函が当てられたのかは不明でした。

函館港には安政元年(1854)アメリカのペリー提督が5隻の艦隊を率いて入港していますが、
そのとき函館港は世界最良港の一つだと讃えています。

私の郷里の偉人新島襄が明治維新より4年も前の元治元年(1864)に箱館港から密出国したことをここにきて初めて知りました。新島襄は密航に失敗し処刑された吉田松陰の事件を知っていたでしょうから凄い勇気です。

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文責 荒川
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渡島半島紀行(2)  [2017年05月12日(Fri)]
渡島半島紀行(2)

大沼国定公園


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