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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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介護予防教室「舞いリハ」 [2011年07月31日(Sun)]
介護予防教室「舞いリハ」


地域包括支援センター「あさかわ」主催の、介護予防教室「舞いリハ」(リハビリ舞踊)が、7月29日(金)の午前10時半から、南平東地区センターで開かれました。

当日は、小雨がぱらつく天気でしたが、16名の参加があり盛況でした。南窓会以外の方の参加もありました。
この教室は、7月1日に次いで、2回目で、講師は同じ江崎映子先生です。音楽に合わせて体を動かす簡単な踊りですが、頭と体を使うので、高齢者のためのリハビリとして、とてもいいのだそうです。

曲も、「365歩のマーチ」「好きになった人」「いい湯だな」などお馴染の曲ばかりです。前回はイスに座って体を動かすことが多かったのですが、今回は、人数も多く、盆踊りのように、輪になって歩きながらの体操です。


「好きになった人・・・」(黒い服が先生)



元気一杯に「さようなら〜」


頭に手拭いを乗せて「いい湯だな〜」

始めに、動きの説明がありますが、すぐ忘れてしまうので、先生の動きを見ながら、手まね足まねで、夢中です。汗も結構かきます。途中で、冷たい麦茶のサービスもあり、1時間がすぐ過ぎました。
参加者からは、運動になったし、童心に帰って楽しかったという声が多く聞かれました。
また、このような催しを開きますので、大勢の皆さまの参加をお待ちしています。
(南窓会:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 15:45
2011炎天下の昭和記念公園 (続) [2011年07月30日(Sat)]
2011炎天下の昭和記念公園 (続)





上:青いアジサイ
下:チョウセンアザミ




上:ノリウツギ(全体像がわかり難いと思いますが、ご容赦ください
下:ネム




上下:キキョウ




上:クチナシ
下:不詳(よく見る花ですが・・名前を教えてください)




上:クロコスミア
下:ショウジョウトンボ

記念公園の夏の花はこれからだと思います。

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Posted by wild river at 15:31
映画「大鹿村騒動記」 [2011年07月29日(Fri)]
映画「大鹿村騒動記」

俳優原田芳雄さんが、7月19日に亡くなりました。個性的な俳優で、以前見たNHKのドラマ「火の魚」では、気難しい作家を好演したのを覚えています。(先日、再放送されました)。彼の最後の主演作品「大鹿村騒動記」が封切りになったので、立川シネマシティで見てきました。

実在の長野県伊那郡大鹿村(おおしかむら)では、300年続く村歌舞伎を行っているそうです。これを、原田さんが知って、この映画の企画をして、主演しています。

原田芳雄さんの役は、食堂の主で、大鹿村の歌舞伎で「景清」を演ずる「善」さんです。歌舞伎の公演日が5日後に近づいた日、親友の「治」(岸部一徳)が18年ぶりに村に戻ってきます。それも、一緒に駆け落ちした善さんの奥さん・貴子(大楠道代)を連れてです。貴子が、認知症になり、駆け落ちした事も忘れてしまったので、「ごめん、返す」というのですが、いまさら返すと言われても・・・と困惑する「善」さんです。

ストーリーとしては、現実にはないばかばかしいような話ですが、このコメディーに出演する役者が、主演の3人・原田、岸部、大楠のほかに、貴子の父親役の三国連太郎、村のバス運転手の佐藤浩市(親子出演)、村役場に働く松たか子、村の芝居仲間の石橋蓮司など癖の強いが上手な俳優陣をそろえています。監督は、原田芳雄と親しい阪本順治です。

撮影はオールロケーションで、大鹿村の舞台を使ったそうです。大鹿村に行って、本当の村芝居をみたくなります。
原田さんは、大変な熱演でそんな重い病気だったとは感じさせません。このような個性的な役にぴったりだっただけに、残念です。
この映画は、その場限りですが、気楽に楽しめます。

なお、予告編は次をクリックすると、見られます。。
http://ohshika-movie.com/movie.html
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 17:37
フラワーアレンジメント [2011年07月28日(Thu)]
フラワーアレンジメント

2011−7月 植物を使ったリングアレンジ

台風が去った後、涼しい日が何日かあり、少しほっとしましたが、また暑さが戻ってきました。今日のアレンジは、そんな暑さにも耐えられるよう、浅いお皿に短く活けるリングアレンジを教えていただきました。

使用した花


その他の材料
多肉植物・竹串・ワイヤー・苔・マジッククリスタル・花器(鉢皿)


先生の作品


活け方
ワイヤーを3等分にしてオーナメントに通す。
竹串も斜めに切って3等分にし、姫リンゴに挿す。
花器の回りにオアシス、オアシスの角に多肉植物を置く。
真ん中にマジッククリスタル、オアシスの隙間に苔を入れる。
エアープランツを苔の中に挿す。(下写真)


上から見て丸く見えるように、大きいもの(りんご・バラ)から順に挿していく。
リンゴはオアシスに触れると腐りやすいので、お尻が濡れない様少し浮かして。
背は低めにその中でも高低差をつける。
最後に苔の足りないところに補充する。
多肉植物はあまり水はいらないが、オアシスにはたっぷりと水を入れましょう。

生徒の作品


文責 石塚
Posted by みよちゃん at 21:34
ヒューロン湖など(アメリカ旅行日記17) [2011年07月26日(Tue)]
ヒューロン湖など
アメリカ旅行日記(17)(終)

第12日(6月4日) 
ミシガン旅行最終日の今日は、ウェインのルーツの地訪問とヒューロン湖へ行く計画だ。ウェインは、ヒューロン湖に近いキリマナ村の農家の3男として生まれた。生家は、父親のあとを長兄が引き継いだが、長兄の亡き後は、弟が管理している。弟は農業をしていたが、現在は農地を近隣の農家に貸して、サラリーマンになっているとのこと。

サギノー周辺地図

サギノーから北に走ってベイ・シティに出る。そこからヒューロン湖沿いの道をキリマナ村へ。 まず、ウェイン・ヘーグの両親の墓参りをする。殆どのお墓は、土の上に墓碑が置いてあるだけの、素朴なお墓であった。離れたところに、ひっそりといくつかの墓石がある。これらは、自殺した人達のお墓だそうだ。一緒の場所には埋葬されない風習だそうだ。
すぐ近くに、ウエインが子供の時、通っていたという聖ヨハネ・ルター教会がある。


上:両親のお墓
下:ルター教会

彼が通った1クラスの小学校にも行ったが、すでに廃校になっていた。昨日会ったパングマン先生に教わった高校にも行ったが、そこは改造して老人ホームになっていて、当時の面影はない。このような田舎でも、時代は変わっていく。

ウェインの生家は、畑の真ん中にぽつんと一軒だけ建っている。車道から外れて、未舗装の道をがたがた進んで、到着。木造の2階建てだ。弟のロイドと、奥さんのディーが迎えてくれた。二人とも、がっしりとした体格。ロイドが、このドアーはウェインの子供時代と同じ、この台所は新しく改装したと、家の中を案内してくれた。奥さんはビジネス・センスがあり、自分で医療事務の会社を立ち上げたそうだ。納屋が隣にあり、奥さんが事務所に改造して、事務員も数人使っているそうだ。昼食は、ロイド夫妻が準備したチキンバーベキューをご馳走になる。話は、日本の大震災から、原子力発電の事故、自然エネルギーの活用と進み、ロイドの話では、隣の納屋を改造した時、暖房のために、冬は地上より温かい地下水を循環させる装置をつけたそうだ。

家の隣には、両親時代から大切にしてきた林があり、環境は恵まれている。農地の広さは、35ヘクタール、日本の農家の耕作面積平均は1ヘクタールなので、随分広いと思うが、このあたりでは、小さい農家。専業では食べていけないので、隣の農家に農地を貸して、自分は砂糖会社に勤めている。なお、砂糖は甜菜(ビート)で、このあたりの農家が多く生産している。

上:ウェインの生家
下:弟夫妻(右)と
  (後ろは、100年続く農家の標識)

ロイド夫妻に別れを告げ、湖沿いの道を、岬の先のポート・オースティンまで行く。ヒューロン湖は、5大湖の中で2番目に大きく、面積5万平方キロ、琵琶湖の90倍もある。途中、ウエインが子供の頃父親と魚釣りにきた場所によったりして、ポートオースティンに到着。土曜日なので岸辺は、水遊びの家族連れで混んでいた。対岸は見えず、海のように、だだっ広い水面が続く。日本のような白砂青松の美しい景色とは、違って退屈だ。。

ヒューロン湖の水辺


ポート・オースティン

ヒューロン湖を見て満足し、名物の大きなアイスクリームを食べて、帰路に就く。
サギノーの町にも日本食レストランがあり、ウエインとのお別れ会をレストラン「ゲンジ」で行う。寿司と鉄板焼きがあったが、このようなところでのすしの味は期待できないので、鉄板焼きにした。料理人はフィリッピン人。肉は神戸牛だというが、油と醤油がたっぷりで、味は今一つだ。量はとにかく多い。ただ良いのは、余ったものは持ち帰りができることだ。私達も、「ドギーバッグ」にしてくれというと、パックに詰めてくれた。
ウエインの家で、夜遅くまで話をしたが、名残がつきない。

第13日―14日(6月5−6日)  
朝、5時30分、ウエイン夫妻が空港まで、送ってくれた。帰路は、デトロイトではなくて、ミネアポリス経由で、ロサンゼルスに行く。ロサンゼルスでは、シンガポール航空の待ち時間が3時間以上あったので、空港でゆっくり出来た。成田までは、ジェット気流に対抗するので、来る時よりも2時間余分に時間がかかったが、無事に日本に帰着した。

終わりに:  
今回のアメリカ旅行は、一般の観光旅行と違い、日本人の友人とアメリカ人の友人を訪ねる旅で、楽しく印象的な旅だった。アメリカの代表的な国立公園も訪問できたし、日本人には馴染のない場所の観光もできた。それぞれの家庭に泊めてもらい、現地での生活ぶりを見せてもらい、まるで自分たちがそこで生活しているような気分にもなった。旅行費用も、旅行会社のツアーと比べれば随分安くすんだ。
この時期に、アメリカに友人たちがいたのは私にとって幸運であり、心をつくして私達を接待してくれた友人や奥さんたちに感謝したい。
また、ブログで、私の長い旅行記を読んでくださった皆様に、お礼を申し上げます。
(終わり) (皆川眞孝)
Posted by 皆川眞孝 at 09:55
2011炎天下の昭和記念公園 [2011年07月25日(Mon)]
2011炎天下の昭和記念公園


お隣り埼玉県熊谷市で38度超の酷暑日が3日連続と報じられた日、昭和記念公園を歩いてみました。
熱中症を予防するため首に濡れタオルを巻きつけ、魔法瓶にスポーツドリンクを詰めて持ち西立川口から入って右回りに花木園・ハーブ園・みんなの原っぱ・こもれびの丘・日本庭園・バーベキュウガーデンと散策しました。
思ったよりも多くの花に会いましたが、アジサイ・蓮の花などまだ咲いていました。




上:ワルナスビの花
下:ユリ(ハイブリッド)




上:アジサイ
下:ハス




上:不詳(木の花)木の名前を問う札が下がっていました
下:ワタチョロギ




上:不詳(コーホネの仲間?)
下:ハーブ




上:レンゲショウマ
下:ヤブカンゾウ

>花木園展示棟のところにレンゲショウマが1つ咲いているのには驚きました。
季節外れにもかかわらず・・
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Posted by wild river at 14:17
ミシガン州立大学とドイツ村 [2011年07月23日(Sat)]
ミシガン州立大学とドイツ村
アメリカ旅行日記(16)

第11日(6月3日)
 今日のスケジュールは、サギノーから南のイースト・ランシング(East Lansing)に行くこと。目的は、ミシガン州立大学である。 
現在、国際的に活躍しているウェインであるが、彼はこのサギノー近くの村の農家の三男として生まれた。高校を卒業する時、大学に行く気もなく、将来何をしたらよいかわからず悩んでいた。そんな時、高校で農業を教えてくれたパングマン先生が、ケネディ大統領の創設した「平和部隊」募集の記事を見せてくれた。18歳の彼にとって海外は新天地だ。早速応募して、グアテマラに派遣され、3年間、農民を指導して「村おこし」に取り組んだ。開発途上国のために働くことを決心して、農業を専門的に勉強する必要を感じ、帰国して奨学金を得てミシガン州立大学で勉強した。この大学院で修士号、そしてペンシルバニア大学で農学博士号を得て、メキシコに渡ったのが彼のキャリアの始まりだ。ミシガン州立大学は、彼の原点ともいえる。そして、大学近くには、かっての高校の恩師パングマン先生が住んでいるので私に会わせたいとのこと。
  約2時間のドライブで、ミシガン州立大学に到着。大学のキャンパスの広さに驚く。学生数約5万人、1855年(日本の江戸時代の終わり)に創設された古い歴史のある大学である。まず、大学のシンボルともいえるボーモン(Beaumont)タワー時計台を見る。当時は農業中心の大学だったので、タワーにも「種まく人」の浮き彫りがある。タワーの前には、植物園があり、園内を散歩する。その後、車でウェインの学んだ農学部の建物の近くに行ってからケロッグ・センター・ホテルに。コーンフレークで有名なケロッグ社は、このミシガンで創設された。

左上:植物園   右上:ボーモン・タワー
左下:種まく人  右下:パングマン先生)(右端)


ケロッグ・センターで、パングマン先生夫妻と、ウェインの友人ハープステッド夫妻に会って、昼食をとる。ウェインの恩師だというので、相当お年寄りの人かと思っていたら、私と年齢は変わらない。初めて教壇に立ったのがウェインの高校だったそうだから、生徒と年齢が5歳ぐらいしか違わない。その後、パングマン先生は、農業訓練の専門家として、ミシガン州の高校の教育カリキュラム指導者となった。
ケロッグ・センターでの昼食は、味がとてもよく、同じ年代の集まりで話がはずみ、なごやかな会だった。ウエインの友人と別れて、フランケンムース(Frankenmuth)に向かう。ここは、ドイツの伝統を守っている観光地として、人気がある。
最初に訪問したのは、「ブロナーズ(Bronner’s)・クリスマス・ワンダーランド」という場所で、1年中クリスマス関連商品を売っている世界最大のお店だ。
店の横に、「聖夜記念礼拝堂」がある。「きよしこの夜」の聖歌は、1818年に初めてオーストラリア・ザルツブルグ近郊の聖ニコラス教会で歌われ、世界中に広まったとのこと。この建物は、オーストラリアの教会の実物大のレプリカで、まわりに300語に訳された歌が展示されている。日本語も当然表示されている。

聖夜記念礼拝堂

建物のまわりは、クリスマスの雰囲気一杯で、キリスト誕生の場面が、いろいろ出ている。お店の中は、フットボール・フィールドの1.5倍あるそうで、あらゆるクリスマス関連商品を売っている。1年中クリスマスだ。

すぐ近くに、リトル・ババリアというドイツ村がある。1845年、この地にドイツ人(ルター派)14名が入植したのが始りだそうで、現在でもドイツ風の家並みが残り、収穫祭、ババリア祭り、など催し物を行って人を集めている。中心がババリアン・インで、その時計台が6時になると、人形がでてくる「からくり時計」というので、ビールを飲みながら待つ。楽団も演奏し、踊っているカップルもいた。
6時になると、鐘の音とともに、時計台のドアが開いて人形がでてきた。彼らが引っ込んだ後、笛を吹いた男とネズミがぞろそろ後ろから続く。ハーメルンの笛吹き男の話とわかった。最後は子供たちを連れて、笛吹き男がいなくなるまで、15分間ぐらい、ストーリー性のある出し物で珍しかった。

 
からくり時計台

ホテルの前では馬車が待っていたので、それに乗って街を一周する。涼しくて、気持ちがよい。近くのキャス川には、屋根のついた橋があった。冬は雪が沢山降るので、屋根も必要なのであろう。行ったことはないが、マジソン郡の橋も、きっとこんなだろう。
  
なお、このフランケンムースは、デトロイトにも比較的近いので、ミシガン州では最大の観光の目玉だそうだ。
ウエインも姓がヘーグ(Haag)で推察できるように、先祖はドイツからの移民だ。
ミシガン州には、ドイツ系が多いようだ。
ここから、ウイエンの家に帰る。ミシガンの旅も残り1日となった。
(続く)(皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 14:26
陽子モスナーさん(旅行記番外) [2011年07月22日(Fri)]
陽子モスナーさん(アメリカ旅行記番外)

昨日紹介した「陽子モスナー」さんのインターネット記事は英語でしたが、だだ一人の日本人としてサギノーで御苦労した様子がわかります。日本語に翻訳したほうがよいという要請(妻からも)がありましたので、訳してみました。意訳のところもあり、あまりうまい訳ではありませんが、ご参考にしてください。(なお、原文の英語は、「続きを読む」をクリックしてお読みください。)(皆川)

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The Saginaw News 2009.12.3

日本人移住者が見たサギノーの人種問題、50年代から進化

陽子モスナーは、この地域出身の人ではない---- 彼女が半世紀以上前にサギノーの地を踏んだ時によく言われたことだ。
若く、新婚で、楽天的だった彼女だが、1957年にこの国に移り住んだ時、困難に直面するだろうとはわかっていた。その16年前に彼女の母国・日本が、真珠湾を攻撃したのをアメリカは忘れていない。
「でも私はあまり心配していませんでした」と彼女は言う。「なんとかうまくやれるだろう、と思っていたし、自信もありました。もし誰かが私を嫌っても、何か私がした事がまずかったのだ、と思うようにしました。」


 
陽子モスナーさん

今では昔のことだが、76歳で東京生まれの彼女が日本人だとわかると、この新天地で、文化的に受け入れようとしなかった人達もいた。
現在、日本文化センターとお茶室の館長であるモスナーさんは、サギノーの4番目の人種グループ(アジア人)に属する。米国国勢調査では、アジア人はサギノーの人口の0.1パーセントと少数だ。
彼女は、かって、もっと少数だったことを覚えている。「ここに初めて来たときは、私は、どこへ行っても、唯一の日本人でした。でも、私はそれ程他人と違うとは感じませんでした」

国籍の理由で、自分が仲間はずれになることは、今ではめったにない、と彼女は言う。昔でも、自分の皮膚の色が違って変な目でみられても、それは偏見からというよりも誤解からだったと彼女は言う。
陽子さんは、終戦直後、横浜で、米軍が管理していた石油基地で働いていた時、サギノー出身のジーン・モスナー氏と出会い結婚した。この地に到着してすぐ、新婚の夫の家族に会った時に、文化的違いを初めて感じた。
「夫の友人や親戚の中には『何故、日本の花嫁を連れて帰ってきたの』と思った人もいました。しかし、後でその人達が『私は日本人が嫌いでした。でもあなたに会ったら、好きになりました』と告白してくれました。それから、うまくやっていけました」と陽子さんは言う。
このようなことは、地域との関係が深まるにつれて。頻繁に起きた。1950年代のサギノー社会では、白人が大部分を占めていたので、日本人の彼女は目立ったが、多くの人達は彼女の存在を早く受け入れた。
「私が出逢った人達のほとんどは、いい人でした。そうでない人でも、わざわざ私に面と向かって『あんた日本人でしょ』と見下げた態度で言うほど不躾ではありませんでした。」と陽子さんは語る。「戦争直後に日本人を否定的に見た人達も、その感情を克服したようです」

その理由のひとつは、教育のお陰だ。サギノーは(一般的に、アメリカ合衆国も)日本の文化について学ぶ事が沢山あった。
「最初の10年は、アメリカ人の知っている事といったら、真珠湾か、日本人は生魚を食べ、床に寝る、ということぐらいでした」と陽子さんは思い出を語る。教科書が、アメリカ人に日本についてもっと教えるようになった。だからと言って、1960年代のサギノーの子供たちが、彼女の3人の混血の子供たちを奇異な目で見ることを止めたわけではない。陽子さんは言う「私は自分の子供によく言いました。『じろじろ見るのは、きっと話をしたいからでしょう。お母さんが日本人だからといって恥ずかしがることはないからね』」

陽子さんによれば、その時以来人種差別問題はほとんど起こらなかったが、1980年代に日本の自動車産業がアメリカの自動車会社の競争相手として脅威になると、事情が変わった。サギノーはゼネラルモーターの城下町なので、日本への反発を強く感じた。「日本の茶室を建てるために資金の募金を始めた時、反感を感じました」と陽子さんは言う。「『日本に関係したものにお金をだしたくないわ』とよく言われました。『日本の商品がこの国にくることに腹がたつ』ともいわれました。テレビを見れば、30分毎に日本の商品の宣伝をしていましたから」
この国に来て50年以上になる陽子さんは、こんなことでは挫けない。「お金を出さないからと言って、悪い感情はもちません。茶室は友情のシンボルですから、誰にも強制したくありません。」この態度が、成功したと彼女は言う。

今月、茶会に50名が出席した。多すぎて、二つのグループに分けて、別々に行わなければならないほどだった。
「この茶室を愛して欲しいのです。興味を持っていただくだけで、素晴らしいことです。」と陽子さんは言う。

(サギノー・ニューズ社エンゲル記者)(おわり)

日本文化センターのパンフレット
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Posted by 皆川眞孝 at 08:12
阿波鷺能庵(アメリカ旅行日記15) [2011年07月21日(Thu)]
阿波鷺能庵
アメリカ旅行日記(15)

第10日(6月2日)
  私がサギノーに来たのは、アメリカ人の友人・ウェインに会うためだ。昨年彼がアフリカ・モザンビークからアメリカに帰ってきた時、サギノーを訪問しないかと誘われた。いつか行こうと思っていたが、5月にアメリカ国立公園旅行を日本人の友人とすることになり、この機会にロサンゼルスから足を伸ばすことにした。ただ、計画を2月にたてて、ホテルなどの予約が終了した後、3.11の大震災が起きた。ウェインからも、お見舞いと激励のメールが来た。旅行を中止するかどうか随分悩んだが、4月になると気持ちが落ち着いたので、計画通りに行くことにした。
 サギノーは小都市で特別に訪問する所はないだろうと思っていたが、ウェインは、3日間の細かな計画をたて、事前に下見までしていた。
  まず、サギノーにあるサギノー・バレー州立大学(SVSU)のキャンパス訪問だ。1963年設立と比較的新しい総合大学で、学生数約1万人、コンピューターサイエンス・機械工学などの分野が強いらしい。広い敷地に、新しい建物が立っているが、内部には入らないで、ミッドランド市に向かう。

大学の門と案内図

隣のミッドランドには、ダウ・ガーデンが名所だ。ダウ・ケミカル(Dow Chemical)の創始者ハーバート・ダウが19世紀末に自宅の庭を解放した庭園である。約13万坪の敷地(新宿御苑より少し狭い)に、池や川、森や花壇が散在している。ウェインの事前手配で、ガイド付きカートに乗って見学した。ところどころに、ガラスの人工の花が飾ってある。芸術作品だとのことだが、花は自然の方がよい。また、赤い橋は、日本の太鼓橋を模したそうだが、モダンすぎて、私の趣味ではない。

上:ダウ・ガーデン入口
下:赤い橋


上:ガラスの花
下:草むらの野兎
サギノーに戻って、レッドロブスターで昼食。日本でもお馴染のレストランだ。
次いで、日本文化センターに行く。こんな田舎に、日本関連施設があるのだろうかと、半信半疑だったが、到着すると立派な日本家屋が建っている。

「阿波鷺能庵」という看板がでている。鷺能はサギノーの当て字だろうが、何故「阿波」だろうか?内部に入ると、立派な茶室があり、小柄の上品な日本人老婦人が我々を迎えてくれた。ここで日本人と会うとは思わなかった。彼女はここの館長の陽子モスナー(Yoko Mossner)さんで、彼女の説明で「阿波」の理由がわかった。実は、このサギノー市は四国の徳島市と50年前に姉妹都市提携を結んだ。徳島出身の農業研修生がホストファミリーと親しくなったのがきっかけだった。25周年を記念して徳島市の好意で、日本から資材や宮大工を送りこんでこの茶室が完成した。月に1回、茶会を催して、日本の文化を紹介している。
最近は、徳島からは阿波踊りのグループがきたり、50周年記念で市長が訪問したりと、交流が盛んになっているそうだ。


 
上:阿波鷺能庵
下:茶室にて、陽子さん(中央)

陽子モスナーさんは、76歳、東京生まれ。日本に進駐していたサギノー出身の軍人モスナー氏と結婚して、55年前にこの地にやってきた。この地では、唯一の日本人であり、随分苦労されたようだ。どんなに、心細かったことだろう。この阿波鷺能庵が25年前に出来た時からの館長で、この建物の命名は彼女だ。茶道の指導者で、英語も堪能、しっかりした女性である。茶室が継続しているのも彼女の力に与るところが大きい。
(4年前の陽子さんの写真が次のホームページにでていました。)
http://www.nmt.ne.jp/~tia81717/yoko.html
(また、英語ですが、陽子さんの記事がでていました。次をクリックすると読めます。)
http://www.mlive.com/news/saginaw/index.ssf/2009/12/race_relations_japanese_immigr.html

この茶室の周りは、日本庭園になっていて、小川には赤い橋が架かっている。緑の森との対比があざやかである。

上:阿波鷺能庵、絵ハガキから
下:太鼓橋

新緑や異国の園に朱塗橋 (眞孝)

陽子さんと別れて、ウェインの家に帰ると、彼の従弟と子供たちが訪問してきた。
日本の地震の状況に興味をもったので、東京でもひどく揺れたこと、津波の被害の惨状、原発での事故などを話す。
今夜もウェインからアフリカの友人の消息を聞いたりして遅くなる。
(続く)(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 08:32
アメリカ旅行日記(14) [2011年07月20日(Wed)]
アメリカ旅行日記(14)
第9日 サギノー

第9日 (6月1日)  ロサンゼルス⇒サギノー
ロサンゼルス空港から午前9時に出発予定なので、友人宅で5時起床。家を6時に出発して、友人か空港まで送ってくれる。朝なのに道路は結構混んでいて、7時に空港到着。友人と別れて、空港で朝食。
 行き先は、ミシカン州のサギノー(Saginaw)というところ。サギノーを知っている人は少ないだろう。私も初めてその地名を聞いて、地図で調べた。人口6万人の小都市、五大湖のひとつのヒューロン湖に近いところで、かっては林業が盛んだったそうだ。

直行便はないので、まずデルタ航空で、デトロイトへ。最近は、電子チケットになり、従来の航空券は発行されない。必要なのは予約番号だけ。これを空港にあるセルフ・チェックイン機にインプットすると、搭乗券がでてくる。器械に弱い人は、カウンターの長い列に並ばなければいけない。驚いたのは、預ける荷物1つに$25支払わなければならないことだ。フライトは4時間なのに、機内の食事は有料だ。考えて見れば合理的だ。インターネットで安く購入したチケットなので、ぎりぎりの値段なのだろう。。
デトロイトで、1時間の待ち時間があって、サギノー行きに乗り換える。サギノー訪問の目的は、私が笹川アフリカ協会の時に一緒に働いていた友人(ウエイン・ヘーグ)に会うためだ。

30分のフライトでサギノー空港に、午後6時30分到着。(ロサンゼルスと3時間の時差があり、LA時間では3時30分) ウイエン・ヘーグ(Wayne Haag)と奥さんのノエリア(Noelia)が迎えにきてくれていた。


玄関前に芝生のある家の前で

彼らに会うのは、8年ぶりだ。私の妻は、彼らが日本に来た時に会っている。ウエインはアメリカ人で、トウモロコシ専門の農業博士。ガーナとモザンビークに現地の事業責任者として15年滞在し、1年前に定年退職となり、生まれ故郷近くのサギノーに戻って来た。奥さんは、ブラジル人だが、アメリカに留学して博士号をもつインテリだ。ご夫妻には子供がいない。とても気さくなご夫妻で、アフリカでは大変お世話になり、自宅でご馳走になったこともある。また、農業について、私は無知であったので、現場に行ってはいろいろ教えてもらった。

彼の家は、現在は借家で、将来の方向が決まったら家を購入するとのこと、
家は、平屋だが、大きな地下室がある。地下室といっても、窓があり明るい半地下だ。このあたりは、土地が広いのに地下室つきの家が多い。

庭から見ると平屋のようだが


近くで見ると、ドライエリアの横に地下室がある


居間は広々としている。

夜は、12時まで話がつきない。といっても、話すのはほとんどウエインで、聞くのは私だが。
サギノーのウエインの家に4泊する予定だ。
(続く)(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 09:07
久しぶりのスカイツリー [2011年07月19日(Tue)]
久しぶりのスカイツリー


昨日は、女子ワールド・カップ・サッカー決勝の中継を見るために、午前3時と早起きしました。ピンチの連続で、負けるかなと何度も思いました。
「なでしこジャパン」の優勝の瞬間は、胸が熱くなりました。
TVを見ている間に、東の空がだんだん明るくなっていきます。久しぶりに東京スカイツリーが、見えました。冬の間はよく見えたのですが、夏になると空中に蒸気が多すぎるからでしょう、ほとんど見えません。昨日の朝は、なでしこジャパンの優勝を祝福しているようです。




いままで両側にあった建築用クレーンも取り外されて、すっきりと、すくっと立っています。
今年3月の写真と比較してみてください。


今年末には完成だそうで、展望台から高幡不動方向をみるのが楽しみです。
(三井台も見えるかな?)
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 12:14
続 白いベゴニア [2011年07月18日(Mon)]
続 白いベゴニア





















Posted by wild river at 14:06
白いベゴニア [2011年07月16日(Sat)]
白いベゴニア



ベゴニアは今ではありふれた花ですが、今から約300年前にフランス植民地の総督をしていた植物学者ミシェル・ベゴンにより世に紹介された花でベゴニアはこの人に由来しています。

シューカイドウ科の花で白いベゴニアは涼感があると思いました。















Posted by wild river at 09:54
日老連・福祉大会(平成23年) [2011年07月15日(Fri)]
日老連・福祉大会(平成23年)

朝から強い日差しがじりじりと照りつける7月15日、日老連(日野老人クラブ連合会)の福祉大会が、日野市民会館大ホール(煉瓦ホール)で開催されました。


上:会場の前
下:座席で開会を待つ

第一部は式典で、会長挨拶の後、功労者表彰式が行われました。三井台南窓会からは、宮ア和子さん、萩原暁さんのお二人が壇上にあがり、会長から表彰されました。

上:式典
下:表彰を受けた萩原さんと宮アさん


馬場市長もお祝いに駆け付け、祝辞を述べました。被表彰者全員の記念撮影もありました。今年は、退任会長、役員功労、会員功労、全員で52名でした。

午前10時15分から演芸が始まりました。トップが、今年は三井台南窓会の日舞です。日舞サークル6名による「鞠と殿様」の音楽にあわせた踊りです。急に出演が決まり、練習に十分時間が取れなかったそうですが、息の合った舞いを披露して、会場から喝采を浴びました。十分に、トップバッターの役目を果たしました。

南窓会日舞サークルの「鞠と殿様」

上段:日舞サークルのみなさん
下段:各クラブの演舞


ついで、各クラブから、フラダンス、民謡、踊り、コーラスなど日頃の成果が披露され、夏の一日を楽しく過ごしました。

(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 14:39
アメリカ旅行日記(13) [2011年07月14日(Thu)]
アメリカ旅行日記(13)
第8日  ロサンゼルス

第8日(5月31日) 
友人の家は、ロサンゼルス郊外のPalos Verdes にあって、日本人が多く住むト−ランスに近い。ここからは市の中心ダウンタウンまでは高速道路で1時間ぐらいかかる。

1週間の旅行の翌日なので、午前中は洗濯機を借りて洗濯したり(妻)、車を洗うのを手伝ったりして(私)のんびり過ごす。午後は、友人がロサンゼルス市内の観光に連れていってくれた。

まず、ダウンタウンにあるリトル・トーキョウにいく。行く途中、ホームレスが多い場所を通る。都会はどこも同じだなと思う。気候もよいので、ここは住みやすいのだろう。
リトルトーキョウはロサンゼルス市庁舎のすぐ近くで、日本人がこの地に多く住んで,全米一の日本人街として発達したが(一時は3万5千人以上の日本人)、今は住んでいる人がすくなくなり、日本食レストランや日本風グッズの店が並らび、アメリカ人が日本の雰囲気を感ずるための場所のようだ。

リトルトーキョウ

近くの街路には、ジャカランダが藤色の花をつけている。日本ではジャカランダはあまり見ないが、南米原産のこの花はロサンゼルスの気候にあうのだろう。街路樹としてよく植えらているのを見た。満開の紫の花は、初夏の到来を告げているようで、この明るいLAの街によくにあう。。

ジャカランダ咲く羅府の街風薫る (皆川)

(注:私の世代の方ならご存知ですが、ロサンゼルスを漢字で「羅府」と書く。ちなみに、ニューヨークは「紐育」、サンフランシスコは「桑港」)

韓国人が住むコリア・タウンも車で通り過ぎたが、韓国料理店・韓国の銀行、商店が何ブロックも続いていて、その大きさに驚く。ここは約20年前にロス暴動で襲撃された場所だ。韓国人のロス在住人口は約19万人、日本人は約4万人だが散らばって住んでいる。

次に、お金持ちが住む場所として有名なビバリーヒルズに向かう。有名宝石店やブティックが立ち並ぶロデオ・ドライブにも行く。バブルの頃は、日本人の観光客で一杯だったとのこと。私達は関係ないと通り過ぎる。
ビバリーヒルズの邸宅は、殆どが高い塀に囲まれていて、内部が見られないのが残念だ。車通りも少ない。ハリウッド・スターの家を見て回る(ただし外側のみ)バス・ツアーもあるそうだ。われわれは、ウィル・ロジャーズ記念公園lに行って、この場所の代表的風景の高いヤシの木を写真におさめる。あれだけ高いと手入れが大変だろう。

ビバリーヒルズの公園

ここから、サンセット大通りを走って、ハリウッドに向かう。ハリウッドはかって映画の都として有名だったが、いまでは撮影所もパラマウントだけで、映画の中心地ではない。ただ、観光地として有名で、ハリウッド通りは、車の渋滞がすごく、なかなか進まない。
ところでハリウッド(Hollywood)のことを日本では「聖林」と書くが、これはhollyとHoly(聖なる)のスペルを間違えたからだそうだ。Hollyは、「セイヨウヒイラギ」の木のこと。
車を駐車場にいれて、チャイニーズ・シアターに行く。ここは、中国とは関係なく、外観が中国風だからそう呼ばれている。この劇場の前の広場には、有名スターの手型・足型があり、人気を呼んでいる。

チャイニーズ・シアター

アカデミー賞の授与式は、このシアターの隣のコダック・シアターで行われる。内部には入れなかったが、広い階段があり、ここに赤い絨毯が敷かれ、有名スターが登っていく姿を想像する。
現在のハリウッドは再開発が進み、ハイランドという大きなショッピング・センターができている。大きな門があり、その門の中央、はるか向こうの丘に有名なHollywoodのサインがみえる。これは、もともとHollywood Landという不動産会社のPR用看板だったそうで、Landが老朽化で取り外されたそうだ。 サインが、ハリウッド大通りから、思っていたより遠くて驚く。

上:ハりウッド・ハイランドの門
下:Hollywoodのサイン


帰りは、友人宅の近くにある韓国料理店「新羅(Shilla)」に行って、ロサンゼルス最後の夜を過ごす。
(続く)(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 06:49
2011行田古代ハスの里から(2) [2011年07月13日(Wed)]
2011行田古代ハスの里から(2)



行田のハスは前回と今回とで20種類になりますが、古代ハスの里ホ−ムページによると42種類あるそうです.




上:中国古代蓮
下:碧台蓮




上:酔妃蓮
下:白万々




上:西光寺白蓮
下:誠蓮




上:真如蓮
下:天上蓮




上:毎葉蓮
下:舞妃蓮
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Posted by wild river at 06:04
ブログ・ランキング [2011年07月12日(Tue)]
ブログ・ランキング


昨日の三井台ブログへのアクセス数が260件と久しぶりに多く、人気ブログランキングでも第13位でした。


沢山の皆さまの訪問に感謝します。また、コメントをいれていただけると、今後の記事を書く参考になります。
よろしくお願いいたします。
(文責:南窓会 皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 18:33
高ボッチ山レンゲツツジ [2011年07月11日(Mon)]
高ボッチ山レンゲツツジ



中央自動車道 岡谷インターチエンジを下り国道20号を松本・塩尻方面に進み、塩尻峠を過ぎて進行方向左側の国道上の「高ボッチ」案内標識に従って右折(信号機なしなので対向車に注意)し山道・・地元ではスカイラインと称していますが狭く曲がりも多いから初めての場合は対向車に注意が必要です・・を北東方向におよそ10q進むと高原に出ます。

そこに手前が高ボッチ奥に鉢伏山の姿を見ることができます。

標高は高ボッチ山 1665m 鉢伏山 1929m 山頂は両者とも360度の展望で高ボッチからは眼下に諏訪湖、鉢伏山からは北・中央・南アルプス 八ヶ岳 富士山の展望を楽しめます。
ボッチとはアイヌ語で「巨大・巨人」を意味し、高ボッチ山は昔巨人が腰を下ろして休んだという伝説に由来しているようです。
毎年花が咲くシーズンになると観光会社がバス旅行を企画募集していて、友人はそれに応募してここを訪ねています。




上下写真:鉢伏山にて撮影




上:レンゲツツジの蕾
下:高ボッチ山からの眺望




上:ミカン色のレンゲツツジ
下:普通のレンゲツツジ




上:高ボッチ山からの眺望
下:高ボッチ山頂から諏訪湖を眼下に見る




レンゲツツジの影に咲くスズラン
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Posted by wild river at 07:30
デンデラを観ました [2011年07月09日(Sat)]
デンデラを観ました


皆川会長さんからブログでご紹介のありましたデンデラを今日(9日土曜)立川の映画館「シネマシティ」で見てまいりました。

シネマシティは立川駅北口の高架歩道橋を挟んだ高島屋前で、モノレール立川北駅から近いのですが、立川南駅からも遠くはない感じがします。

シネマシティはインターネットで検索し会員登録すればカード決済で予約でき、入場のとき発券機でティケットを入手できるので大変便利です。




上下写真:シネマシティ入口




上:高島屋前 高架歩道橋からJR立川駅北口方向をみたところ
下:上と同じ場所でシネマシティ入口をみたところ

デンデラについては皆川さんが二度にわたり詳しく解説されておられるので蛇足になりますが、天願大介監督はこの映画でカンヌ映画祭最高のパルムドーム賞に輝いています。
お父さんの今村昌平監督も1983年同じ賞を受けているので親子二代の栄誉です。
この賞を授与された日本人監督の最初は1954年地獄門の衣笠貞之助で二番目が黒沢明、三番目が今村昌平監督の「うなぎ」です。
原作者の佐藤友哉氏は現在31歳、若者の支持が多く三島由紀夫賞を獲得している気鋭の作家です。

映画の終章で大熊が現れデンデラ村は大混乱になりますが、作家の意図は著作を読まないと評価できないと思いました。
いずれにせよ一見をお勧めします。

入場者はご婦人が多く私のような後期高齢者(男性)は少数でした。
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Posted by wild river at 19:18
デンデラ(映像) [2011年07月09日(Sat)]
デンデラ(映像)

先日ご紹介した映画「デンデラ」の雪の中の撮影風景の映像が予告編と同じホームページにでています。出演者へのインタビューもでています。見落としている方は、次をクリックしてご覧ください。

http://dendera.jp/movie_02.html

なお、映画はすさまじいものですが、映画のお好きな方には見る価値があると思います。浅丘ルリ子は「この映画に出演できて、最高によかった」と言っていますし、草笛光子は「日本の女優の底力を見て欲しい」といっています。
家内の感想は、「老人会としては上映しにくい映画だが、ユニークな発想の映画で面白かった」というものでした。

お客さんは、高齢者が多いと思いました。映画料金は均一1000円です。
(文責:皆川)
Posted by 皆川眞孝 at 06:07
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