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多摩丘陵にある日野市三井台、ここに住む高齢者のクラブ・三井台南窓会の会員が中心になって作っている団体ブログです。地元の季節毎の写真、南窓会の活動報告、会員の旅行記、俳句、地域の情報など、多様な記事が満載です。
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静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (26) [2019年07月01日(Mon)]
静岡・愛知・岐阜・滋賀 四県城跡巡り (26)


犬山城-2

犬山城登り口にある二つの記念碑


登り口駐車場の隅に二つの記念碑があります。
一つは犬山藩士下山順一郎博士の胸像です。下山博士は嘉永6年(1853)生まれ、旧東京帝大卒、現東京薬科大初代学長で明治32年、日本薬学博士第1号取得の栄誉を讃えて建てた胸像です。

もう一つは“薩摩義士之碑”です。江戸期宝暦年間、美濃の三大河川(木曽・長良・揖斐川いびがわ)の治水に命を賭して戦った薩摩藩士の死を悼み慰霊と功績を讃える碑です。
こんな大事件があったことを私は初めて知りました。(詳細は後述)

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宝暦治水工事と薩摩義士之碑


犬山城参観のための駐車場の隅に“薩摩義士之碑”が建っています。
江戸時代中期、宝暦年間に美濃三川(木曽・長良・揖斐川)の治水工事を幕府に命じられた薩摩藩が85人の犠牲者を出したうえ莫大な工事費を負担して完工した事蹟に感激した大藪嘉一の遺言に基づいてその兄弟が大正13年(1925) 建立した碑です。
註:大藪嘉一の人物像は調べましたが不明です


宝暦治水工事


宝暦3年(1753) 幕府第9代将軍徳川家重は濃尾平野を流れる木曽川、長良川、揖斐川(いびがわ)三河川の治水工事について薩摩藩主島津重年に“手伝普請”という形で遂行するよう命じました。手伝普請といっても費用と人手はすべて薩摩藩持ちで幕府は管理役です。
当時薩摩藩は財政窮乏して66万両の借入金の返済に苦しんでいました。命令を幕府の嫌がらせととった薩摩には一戦を交えるべしとの強硬論が出たが、財政担当家老平田靱負(ひらたゆきえ)は強硬論を抑え、奄美群島の砂糖を担保に新たに7万両を借入れ947人の藩士と宝暦4年(1754)早々美濃に入りました。


事件の発端は4月薩摩藩が修理した堤が3度も壊され調べたら指揮を執っていたのは幕府の役人と判明し、薩摩藩士2名が抗議の自害をしたことに始まり、翌年の工事終了までに51名が自害、さらに現場に赤痢が発生し157名が感染し33名病死しました。重税に苦しむ奄美は黒糖地獄さながらの生活を強いられました。
平田靱負は藩士の自害などを一切公にしませんでした。当時の幕府体制からお家断絶になることを極度に恐れたからだと言われています。
工事は宝暦5年5月22日終了、任務を全うした平田靱負は藩主に報告を終わった後25日早朝割腹して果てました。




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次は城巡り最後の岡崎城へと続きます



文責 荒川







Posted by wild river at 09:00
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