高幡不動(3月25日)-2
[2019年03月28日(Thu)]
高幡不動(3月25日)-2 陽射しの中、熱心に五重塔を描いている人がいました。 「山内経之(やまうちのりゆき)と像内文書」 註:像内文書とは仁王像や仏像の頭部に収められた古文書 高幡不動尊金剛寺に南北朝期の貴重な像内文書を残した土渕郷(つちぶちごう 日野市日野本町及び日野市日野とその周辺地域)の小領主山内経之は北朝方の高 師冬(こうのもろふゆ)の北畠親房攻め(常陸合戦)に参加し、下総の駒城合戦で戦死した。 像内文書は、経之が下総へ向かう途中や、 さまざまな合戦のさ中より留守家族や高幡山の僧しゃうしんなどに届けた書状が中心で、戦費調達の苦しさや所領経営の破綻・戦闘の実態・寺院との関係など中世武士の生の生活記録となっており、69枚の文書中50枚は経之の筆であることが確認されている。 これらの文書は、 経之の遺族や関係者が戦死した経之ゆかりの書状の背面に不動明王や大黒天の印佛をして、当時建武2年の大風の被害を受け修理中であった不動明王の頭部に納めて故人の冥福を祈ったものである。 文書の存在は昭和初年に確認されたものの 鼠の被害等損耗が激しく解読不能とみられていたが昭和60年からの文化財綜合調査でその重要性が指摘され、その後日野市教育委員会の手で数年をかけ全容が解明され、全国に類例のない中世武士の貴重な文書として重要文化財に指定された。 文書を残した山内経之一族の消息はその後当地方から絶えており判然としないが、当山では此の度 中世の九輪塔(中島久榮氏寄贈)を山内経之(やまうちのりゆき)供養塔として山裾に移設し、その菩提を弔うと共に経之の事績を末永く後世に伝えんとするものである。 平成25年4月26日 高幡山金剛寺 現董 祐勝 誌之 九輪塔 この塔は、小平市学園東町に居を構えていた中島渉・久榮夫妻宅の庭園にあった中世の九輪塔です。平成23年に当山檀徒佐藤収一氏のお骨折りでご遺族の中島久榮様から当山に奉納されました。元は岡山出身の実業家山本唯三郎邸にあったと伝えられています。 唯三郎は同志社へ新島襄の胸像を寄進するなど、さまざまな社会貢献をした方ですが、その反面 虎大尽と呼ばれて豪遊ぶりでも有名です。 帰宅途中、自宅の近くに赤い桜が満開でした THE END 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00