今月の俳句(平成30年11月) [2018年11月20日(Tue)]
今月の俳句(平成三十年十一月) 兼題は今の時期にぴったりの「時雨」です。句評は藤戸紘子さん、「今月の一句」の選と評は皆川瀧子さんです。 「大仏の螺髪艶やか時雨過ぐ」 宮ア 和子 螺髪(らほつ)とは仏像の頭部の髪の様式のことで、くるくると巻貝の殻のような形が並んでいます。お釈迦様は縮れ毛だったのでしょうか。この大仏は青銅製だそうです。時雨は冬の季語で秋の末から初冬に降ったり止んだりする雨のこと。 時雨が降ったあと、露坐の大仏はずぶ濡れになった筈ですが、ずぶ濡れでは身も蓋もありません。作者は大仏の螺髪に焦点を当てられたことはさすがです。濡れた青銅が艶やか、とはそこに日が差していることが想像されます。見事な一句です。 「夕時雨軒を寄せ合う機屋路地」 小野 洋子 作者が京都へ家族旅行をされた折の一句。機屋の多い場所といえば西陣でしょうか。西陣という地名は応仁の乱の時、山名宗全がこの地で陣して西陣と称したことに由来したのだそうです。唐の長安を手本とした平安京の旧市街は碁盤目状の大路と小路で整然と区画され身分によって住まいが決められたそうです。西陣は都の西部、職人の町だったのでしょう。税が間口の広さで課せられたそうで、京都庶民の家は間口が狭く奥行の深いまるで鰻の寝床のような所謂町屋と呼ばれる造りが今でも残っています。この句の露地にも昔ながらの町屋造りの家並が続いていて、あちらこちらから機織る音が聞こえているのでしょう。 季語の夕時雨により古都のしっとりした風情、少し物寂しい雰囲気が醸しだされています。 「木々の葉の赤味を増して時雨後」 皆川 瀧子 荒川さん庭の櫨紅葉 秋、落葉樹は葉が赤や黄に変化します。楓が最も一般的ですが、漆、櫨、柿、桜など紅葉、銀杏などは黄葉ですが、どちらも俳句では紅葉といいます。中秋には燃えるような色の紅葉も晩秋ともなると色も衰え始め、ついには枯葉色となって落葉します。この句の木々の葉はやや赤色が衰え始めた頃時雨が降った時の景でしょう。時雨が止んでみると、それ以前より紅葉の赤味が鮮やかに見えたと作者が感じたのでしょう。一旦衰えた色が生き返ることは現実にはあり得ません。が、作者の目にはそう感じられたのでしょう。勿論雨のおかげで色が鮮やかとなったことも否めません。作者の観察眼と衰えいくものに対する作者のしみじみとした優しい感性を感じます。 「手打ち強く捩じり鉢巻き酉の市」 木原 義江 酉の市(冬の季語)とは11月に行われる鷲(おおとり)大明神の祭礼で「お酉さま」といって親しまれています。東京下谷の酉の市はつとに有名です。開運、商売繁盛の神として庶民に信仰されています。酉の市の特色は縁起物の商いで、代表的なものとしておかめの面や打ち出の小槌、米俵などを飾りつけた熊手があります。福を掻きよせる意だそうです。大きな熊手の取引が成立すると威勢の良い掛け声と手打ちが行われます。この句は売り手が捩じり鉢巻きをしている景を詠んだもので、この多分男性は粋な若者か、どっしりした親方風の熟年かは読み手の感性に任されていますが、酉の市の賑わいと高揚感が伝わってきます。 「朝の日矢葱総立ちの畝高し」 渡辺 功 葱が冬の季語。収穫間近の成長した葱に朝の日が差している景。日矢(ひや)とは朝日が山から昇る時とか雲間から日差しがさあーと差すときの一筋(または複数)の光のことで、西洋では天使の梯子というそうです。総立ちの葱ですから一本や二本ではない、一面の葱畑と感じます。黒々と土を高くした畝、真っ直ぐに伸びた真っ白な葱の列。葱の逞しい生命力とその命を育てる太陽光、朝の日矢は特に神々しく感じられます。清々しく力強い佳句。 「朝靄に透きてビル群冬立てり」 皆川 眞孝 水蒸気が地表や水面の近くで凝結して微小な水滴となり煙のように漂って視界を悪くする現象を、俳句では春は霞、秋では霧と称します。同じ現象で靄(もや)ともいいますがこれは季語ではありません。立冬の朝、作者のご自宅の窓から朝靄に煙る新宿の高層ビル群が見えたそうです。それは季節によって鮮明に見えたり、霞んで見えたりなのでしょう。この三井台にお住まいの方ならこの経験をされた方は多いのではないでしょうか。 谷戸の地形から水蒸気によるこの現象が起こりやすいのです。遠景が煙って見えるのはなかなか味わい深いものです。これから本格的な寒さに向かうという立冬の朝。ぐっと気持ちを引き締められたのではないでしょうか。 「用水の流れ澱むや枯尾花」 藤戸 紘子 枯尾花とはすすきの穂が枯れたもので冬の季語です。用水は多分農業用水のことでしょう。流れが澱んでいるのは、過疎の村であまり用水が使われない状態なのでしょうか。写生俳句は単に景色を映すだけでは、つまらないものとなります。この句では、土手の枯れた芒と、澱んだ用水の取り合わせで、初冬のうら寂しい風景が強調されます。それを見る作者の心情までもいろいろ想像できます。 作者がこの句を作られたのは、実際は過疎地ではなく、横浜の「寺家ふるさと村」で、田園風景が広がる里山保存地区だそうです。しかし、作者の適切な措辞の取り合わせにより、風景に深味が増し、読む側の感情を動かします。どうしたら、この様にできるのでしょうか?私も見習わなければいけないのですが。。。。(評:皆川眞孝) 今月の一句 (選と評 皆川瀧子) 「小夜時雨淡き灯もるる茶房かな」 渡辺 功 小夜時雨とは夜しとしとと降る時雨のことです。車の激しく通る表通りではなく、人通りの少ない路地裏でしょうか?そこに一軒の喫茶店があり、淡い灯が漏れているという情景をえがいた句です。 喫茶店と言わず『茶房』という措辞が詩情溢れ、レトロな感じが出ています。また、淡い灯りがもるるといったところがロマンチックな感じを受け、良い句だと思います。(評:皆川瀧子) 他の「時雨」の句 「時雨るるや門灯滲む牧師館」 藤戸 紘子 「宇奈月の山路時雨てトロッコ車」 木原 義江 <添削教室> 原句 「腕白や羽織袴の七五三」 宮ア 和子 腕白小僧の近所の子供が、羽織袴で神妙な顔をして七五三参りをしているユーモアのある景を詠んだ句ですが、原句では「や」の切れ字が腕白についているので、腕白ということが強調されています。ここでは、むしろ羽織袴を着ているところを強調した方が、意味がよく通じるので、切れ字の位置を変えてみました。「や」と「の」を交換しただけですが、原句と比較してみてください。(藤戸紘子) 添削句 「腕白の羽織袴や七五三」 宮ア 和子 |
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皆川眞孝
at 08:00