熊野三山をめぐる旅(7) [2018年07月13日(Fri)]
熊野三山をめぐる旅(7) 熊野古道 中辺路-2 古道を歩き、山から下りて日置川を渡った所に中辺路町の公園があり、そこに出口 王仁三郎(デグチ ニサブロウ)の石碑がありました。戦前、新興宗教の祖、出口 王仁三郎は一時危険人物とされ、彼の書いた書を刻んだ石碑などは強制撤去され、石碑が残っているのは全国でここだけだという。ここの町長の機転で残ったという説明がありました 出口 王仁三郎(でぐち わにさぶろう) 明治4年京都生まれ昭和23年76歳歿 大本教の聖師、妻すみは開祖 国家神道と相容れない教義で政府に睨まれ不敬罪の被告となったが終戦と同時に消滅した。 カリスマ性の強い人物で戦後の新宗教にも様々な影響を与えたと言われている。 昭和9年(1934)「昭和神聖会」発会式には政府の内務・文部・農林の三大臣、衆院議長、陸海軍の上級幹部、大学教授な政財界の指導者層が参加した。 王仁三郎の言葉として“芸術は宗教の母”が知られる 金沢大学中村伸浩氏が彼を次のように評している。 「後進の近代国家として、西欧の帝国主義に対抗し追いつこうという日本の欲求を宗教的言説で表現している」 彼は国粋主義的言動の一方で、世界同胞主義など平和主義を唱道した。 続く 文責 荒川 |
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wild river
at 09:00