オリンピック招致スピーチ [2013年09月12日(Thu)]
オリンピック招致スピーチ 佐藤真海さん 2020年の夏季オリンピックが東京に決まったことは大変喜ばしいことだと思います。東日本大震災の復興は、2020年という期限を与えられたことで、はずみがつくことでしょう。閉塞感から元気のなかった日本人も、オリンピックを成功させるという大きな目標に向かって纏まることでしょう。私たち高齢者には、元気で長生きして東京オリンピックを再度見たいという目標ができました。 この招致成功は、長い間の地味な努力の積み重ねの成果ですが、ブエノスアイレスの最終プレゼンテーションが最後の決め手となりました。安倍首相の力強い発言もよかったですが、パラリンピック選手・佐藤真海さんのプレゼンテーションはIOC役員によい印象を与えたことでしょう。片足を失くし家族が津波被害を受けるという不幸にあいながら、「スポーツで救われた」と明るく笑顔で話す佐藤さんは感動的でした。英語の発音もきれいでした。彼女は元早稲田大学のチアリーダーで現在サントリーに勤務しています。 テレビや新聞では、スピーチの一部しか紹介されていません。インターネットに全文がでていました。とてもよい内容ですので、ここに掲載します。(皆川)、 2020年五輪東京招致委の最終プレゼンテーション(1)(日本語訳) 【パラリンピック女子走り幅跳び代表・佐藤真海】 会長、そしてIOC委員の皆様。佐藤真海です。 私がここにいるのは、スポーツによって救われたからです。スポーツは私に人生で大切な価値を教えてくれました。それは、2020年東京大会が世界に広めようと決意している価値です。本日は、そのグローバル(世界的)な価値についてご説明いたします。 19歳のときに私の人生は一変しました。私は陸上選手で、水泳もしていました。また、チアリーダーでもありました。そして、初めて足首に痛みを感じてから、たった数週間のうちに骨肉種により片足を失ってしまいました。もちろん、それは過酷なことで、絶望の淵に沈みました。 でもそれは大学に戻り、陸上に取り組むまでのことでした。私は目標を決め、それを越えることに喜びを感じ、新しい自信が生まれました。 そして何より、私にとって大切なのは、私が持っているものであって、私が失ったものではないということを学びました。 私はアテネと北京のパラリンピック大会に出場しました。スポーツの力に感動させられた私は、恵まれていると感じました。2012年ロンドン大会も楽しみにしていました。 しかし、2011年3月11日、津波が私の故郷の町を襲いました。6日もの間、私は自分の家族がまだ無事でいるかどうかわかりませんでした。そして家族を見つけ出したとき、自分の個人的な幸せなど、国民の深い悲しみとは比べものにもなりませんでした。 私はいろいろな学校からメッセージを集めて故郷に持ち帰り、私自身の経験を人々に話しました。食糧も持って行きました。ほかのアスリート(運動選手)たちも同じことをしました。私達は一緒になってスポーツ活動を準備して、自信を取り戻すお手伝いをしました。 そのとき初めて、私はスポーツの真の力を目の当たりにしたのです。 新たな夢と笑顔を育む力。 希望をもたらす力。 人々を結びつける力。 200人を超えるアスリートたちが、日本そして世界から、被災地におよそ1000回も足を運びながら、5万人以上の子どもたちをインスパイア(激励)しています。 私達が目にしたものは、かつて日本では見られなかったオリンピックの価値が及ぼす力です。そして、日本が目の当たりにしたのは、これらの貴重な価値、卓越、友情、尊敬が、言葉以上の大きな力をもつということです。 有難うございました。 |
Posted by
皆川眞孝
at 09:00