出雲・松江の旅(3) [2013年08月18日(Sun)]
出雲・松江の旅(3) 7月30日、ホテルを8時半出発。朝からパッとしない空模様で傘を持って車に乗りました。車のフロントガラスに雨粒が付きますが、何とかなるでしょうと話しながら出雲大社に向かいます。宍道湖の水がグレーに見えます。私と長女は初めて見る宍道湖です。 これから行く出雲大社には四つの鳥居があります。四つの鳥居の材質が違うという次女の説明に、折角だから鳥居も見ましょうと言いうことで、出雲大社の駐車場ではないところを探しました。結果、第一鳥居は車でくぐり、丁度一の鳥居と二の鳥居の中間にある駐車場が見つかりました。 出雲大社参道 勢溜(せいだまり)の木の大鳥居・二の鳥居 勢溜とは昔この辺りは大変賑わい、市が立ったり見世物小屋が来たりして人が集まったところからこう呼ばれているそうです。ここはちょっと小高い丘になっています。 宇迦橋の大鳥居・一の鳥居 ふり返ると白いコンクリートの一の鳥居が見えます。日本一の大鳥居だそうです。 大社の街が見渡せます。第一鳥居までの一本道は神門通りといいます。 二の鳥居をくぐってここから参道になります。間もなく右手に銅像が見えました。 出雲大社の第80代宮司 千家尊福(せんげたかとみ)の銅像でこの方が一月一日の歌「とーしのはじめの・・」の作詞者だと知りました。三人で「あら〜そうだったのねえ!」感嘆の声を上げました。 知らないのは私たちだけかも。 千家尊福の銅像 二の鳥居からの参道は下りになっています。参道が下り坂なのは、珍しいのではと思いながら歩きました。 右側に祓の社(はらえのやしろ)や池も見えます。涼しい風が吹き抜けるところに猫が気持ちよさそうに前足で桟を掴んでお昼寝。結構暑くなってきたので羨ましい。カメラを向けたらちょっとうす目を開けてまた寝てしまいました。(寝たふりかも) 写真が下手ではっきりしませんが、手の込んだ灯籠に目が行きました。ウサギもいます。 祓橋(太鼓橋) 祓橋(はらえのはし)の下を流れる川は出雲大社の後背の八雲山から流れる素鵞川です。 三の鳥居は鉄の鳥居です。 ここから先は参道の中央は通れません。松並木で参道が三つに区切られています。 年月を感じる木が、空に向かって枝を自由に伸ばしています。 以前は天皇、皇族の方だけが真中を通ることが許されていたとマップに書いてあります。実はここまで来る途中に玉砂利を踏んで私たち三人が歩いていますと「私はよく参拝に来るのですが、中央は神様の道ですから端を歩いています」と参詣のご婦人に声をかけられ恐縮しました。 松の木々は寛永年間(1630年頃)に松江藩主堀尾忠氏(ただうじ)の夫人が祈願成就のお礼に奉納されたものだそうです。 結びの御神像 大国主大神がまだ若かった頃に日本海の荒波の向こうから現れた「幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)を授けられ結びの神となられたという神話の一場面。 若者たちが同じように手を広げて、スマホで写真を撮り合っていました。 みなさまご存知の「イナバの白ウサギ」の神話から 四の鳥居・銅(重要文化財) 右左を眺めながら、四の鳥居に辿りつきました。 鳥居の正面から本殿が見えるように、拝殿から見て左にずらして立ててあります。建立当時と位置が変わっていないそうです。天正8年(1580年)に毛利輝元によって寄進されたもの。寛文6年(1666年)損傷部分が多かったため、輝元の孫、毛利綱広が現在の鳥居に作り直したもので、銅製の鳥居としては、わが国で最も古いもの。高さ6mと案内マップに記されています。鳥居の足元にそのようなことが細々と彫られていました。祭神についても記されているようです。 (つづく) |
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ミセスミヤ
at 08:00